◆子育てのたったひとつの大切なこと=かわいがること
「子育てをシンプルにすること=子供をかわいがること」
このことを僕は単にフレーズとか、「子育てはそういうあたたかいものにしましょうね」といったたぐいの感情論で言っているのではなく、実際面の話として乳幼児期の唯一にして最大の必須要素だと考えています。
乳幼児期にこのかわいがることさえできていれば、あとのことはどうとでもなることにすぎません。
逆に、かわいがること以外のことは非常に高いレベルで子供に持たせることができたとしても、このかわいがることをまったくされていない子がいたとします。その子はずっと問題を抱えたまま生きていくことになったり、問題を周囲にまき散らしていってしまう危うさを持ってしまいかねません。
「かわいがること」は本当に乳幼児期のたったひとつだけ目指すべき課題と言えます。
(もしそれができない問題を抱えている大人だった場合はまた別の配慮が必要ですね。それは決して悪いわけではありません。そういう状況になることもあります。子育てはバランスですので補う方法は他にもあります。とりあえずここではこのままいまのテーマの話を進めます)
ただ、このかわいがるということをvol.1 で述べたように、精神論的にとらえて大人だけが「私はこの子をかわいいと思っている」といった気持ちをもっているだけで、実際の子供への関わりとして「かわいがること」ができていなければ、そこにたいして意味はありません。(昭和のお父さんなんかにありがちですよね)
また、「かわいがること」を「甘やかし」や「いいなり」、「モノ(お金)を与えること」と理解してしまっている人もそれでは僕の言うところの「かわいがる」にはならないことでしょう。
実際に言葉や身体を使って「かわいがる」行為をすることです。
そしてそれは、イヤイヤとかしぶしぶとか子供がせがむから、要求するから、相手をしないと機嫌が悪くなるからではなく、大人も楽しい気持ちで関わる必要があります。共感することで感情に影響をあたえるからですね。
だから、一生懸命・無理をして・頑張ってなどではないこともポイントになります。
いまの子育てする人の中には、そのように「自己犠牲をして子供に尽くす」ような関係になってしまっている人も少なくありません。
無理をして子供の相手をしたところで子供はたいして満足しませんから、無理してまですることはありません。むしろ、できないときは「できない」、しんどいときは「しんどい」、無理なときは「ムリ!」と子供に正直に伝えてしまった方がずっといいです。(自己開示・弱さの表出)
できないときがあったとしても、できるときに気持ちよくやればそれでいいのです。
「できなくって申し訳ない」という感情を子供に持ってしまうと、かえってその感情自体が子育てを難しくしかねません。それは子供の心に「依存」を生んでしまうからです。
「私は必要なことをしているのだからいまは相手をできなくて当然なんです」くらいに堂々としていた方が、子供もそういうものなのだと納得していきやすいでしょう。(子供は親の味方)
「かわいがる」というのは、感情レベルでの「肯定」の行為なのです。
◆なんで「かわいがる」だけでいいの?
実は「かわいがること」によって、子供が成長していくため・人が生きていくために必要なとても大切なものがはぐくまれるからです。
●他者への信頼感
例えば赤ちゃんがお腹が減って泣きます。するとそれに気づいた大人がミルクをあげます。
これにより赤ちゃんは単にお腹がいっぱいになるだけではありません。
必要なものをもらえたことによって、「自分の思いを誰かが受け止めそれに応えてくれた」という経験をしたということです。
これにより、人を信頼していきます。
だからこのとき無機質だったり機械的にするよりも、あたたかく接することが大事になるわけですね。
また、目が覚めたとき誰もいないといったとき、赤ちゃんは寂しかったり不安になって泣きます。するとそれを聞いた大人が、「大丈夫だよ、ここにいますよ」と声をかけて安心させます。
こういったことも同様に人への信頼感を形成します。
このプロセスは、ものは違えど大人になったとしても同じことを人は繰り返して、他者への信頼を感じます。
しかし、人生のスタート地点で他者を信頼できなかったらどうなるでしょう?
さまざまなところでその子供は難しさを出すことになります。
言うことを聞かない子や、困ったことをする子になることもあれば、自分を出せない子になることもあります。
多くの人が「しつけ」として理解している子育てのメソッドでは、「否定の方向での過干渉」が増大することがあり、しばしば他者への信頼感の形成をはばみます。
これは程度の問題ですので、それがあったとしてもさほど問題ないレベルから、深刻な問題をもたらすものまでさまざまです。
もし、度重なるしつけ行為による「否定の方向での過干渉」の結果、大人からみて好ましくない行動を頻発するようになってしまった子がいたとして、その子にさらに「しつけ」のメソッドでの「否定」の関わりを重ねたらどうなるでしょう。
短期的・表面的には問題と見える行動を抑圧することは可能だとしても、他者への信頼感が低いことで問題行動を出している子に対して、さらに他者への信頼感を低下させるような対処をすれば、問題が悪化するのは自明の理です。
難しいことを述べてしまいましたが、要はかわいがることを実践すればそんな難しいことは考える必要もなく他者への信頼感が形成されるわけです。
かつて「しつけ」で子育てを考えてそれだけでことがすんでいた時代は、この他者への信頼感を形成するプロセスが意識をせずとも自然にまかなわれる諸条件がそろっていたからに過ぎません。
現在でも、そういった諸条件が自然に備わっている家庭であれば、このようなかわいがることやしつけの問題点などさして意識せずとも子育てはそれですむことでしょうけれども、それが難しくなっているのが現在の子育てや家庭をとりまく環境だと言えるでしょう。
小中学校などで「学級崩壊」といった現象が問題になって久しいです。
これの根っこには、この子供たちの持つ他者への信頼感が大きく関わっていると言えます。
幼稚園でもすでに同様のことは起こっていますし、保育園でも同様のことがずいぶん以前から顕著に見られます。
小学校では親の関わりはあまり見えないかもしれませんが、保育園ではそれはかなり見えています。
大人の話が聞けなかったり、ものごとに取り組む余裕がなく自分への注目を求める強い欲求を持った子といった、それらの問題を抱えた子は幼少期の他者への信頼感の形成でつまづいている子に明らかな傾向です。
こういった子に必要なのは、道徳教育でも、しつけでもないのです。
他者にかわいがられ、本当に必要で欲するものを与えてもらう経験をし、肯定や受容といった心の形成段階に鍵があります。
「かわいがることで他者への信頼感が形成される」
と一言でもよかったのですが、ちょっと難しい話になってしまいましたね。
他にもかわいがることで形成されるものがあります。それはまた次回。
つづく。