これにはプラユキ師のお人柄によるところが大きかったことでしょう。
プラユキ師に直接お話を聴いてもらった方はおわかりになると思いますが、「この人は私がなにを話してもただただ受け止めてくれるのだな」というのを言葉だけでなく、身体でまとっている雰囲気で感じられたことと思います。
内容としては、僕はいつも子育てを具体論にして伝えることを講演では中心にしておりますが、今回はそれをする人の心、つまり親の気持ちのあり方に注目してお話ししました。
いかがでしたでしょうか。
話の感じ方は人それぞれなので、わかりやすかったという方もいれば、わかりにくかったという方もいらっしゃるかもしれません。
ちょっとだけ振り返ってみましょう。
子育てで大人が子供に「あるべき姿」「正しい姿」「できる姿」を望んで関わることは、100点を目指して子育てするようなものになってしまいます。しかし、子供は大人が望むものをいきなり100点になっている子はおらず、100点を望む人の目には子供はつねに「マイナス」「できない」存在として映ってしまうことに。
それは、どれだけ親心や誠意や善意から望んだとしても、子供がもらうメッセージとしては「ああ、僕はダメなんだな」「いまのままでは認めてもらえないんだな」という「否定」のニュアンスになってしまう。
僕からの提案として、そこで一拍だけでいいので「ああ、そうなんだ」を挟んで見て下さいというものでした。
「ああ、そうなんだな。この子の姿はいまこういうところにいるんだな」
と見てあげることで、「否定」のメッセージを「肯定」のメッセージに変えられる。
「ああ、そうなんだ」と一拍ありのままを受け止めることができれば、そこからちょっとしか進歩していなくとも大人はそのちょっとの進歩をプラスであるという気持ちになれます。
しかし、依然として100点を目指したまま子育てをしていたら、ちょっとの進歩をしたところで「ああ、まだこんなに足りないわ」とマイナスのニュアンスで感じてしまいます。
そこに子供は敏感に「否定」のニュアンスを感じることがあり、そのことが子供の成長の意欲をしぼませてしまう場合があります。
実は人がもっとも伸びるのは、「長所を褒めてもらったとき」以上に「短所であっても受け入れてもらったとき」なのです。
それにより、ものごとに取り組もうとする意欲、成長のモチベーションを子供は培うことができます。
これは大人だって同様です。
ほんの一部の抜粋ですが、そんなことをお伝えしました。
さて、この話がプラユキ師の瞑想のワークショップと通奏低音で共通していることに気がついた方もいらっしゃるかもしれません。
手動瞑想で手を動かす度に「いまここ」と確かめる。
過去の嫌なことや、将来の心配が心に浮かんできてしまったときも、「いまここ」と気持ちを「いま」に戻してみる。
「いまここ」「いまここ」と。
僕が伝えていることも、子供の姿を見たときに「将来なるべき姿」などではなく、「ああ、そうなんだ」と「いま」に意識をもってくることで、「ありのままを受け止められる」心を大人の方が準備できるわけですね。
別の話のはずなのにまったく同じと言ってもいい構造を持っている。なんとも不思議ですね。
プラユキ師のお話や、瞑想の方法についてご興味ある方は『苦しまなくて、いいんだよ』をお読みになってみて下さい。わかりやすく書かれております。
今回の講演では僕の方もたくさんのメッセージを直接・間接にいただきました。
講演が始まる前から泣かされたのは今回が初めてです。(笑)
あらためて、参加された方、ご協力下さった方には「ありがとう」とお伝えしたいと思います。
今回、アンケートなどを用意しておりませんでしたので、参加された方もそうでない方も、ご意見ご感想などありましたらどうぞこの記事のコメント欄にお寄せになって下さい。
また、再度このような企画があったら参加したいかどうかなども書いて下されば、僕から主催者の方にお伝えします。
どうぞよろしくお願いします。
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