その中心になるのが早期教育でなかったとしても、こういった親からの関わりに苦しんできた人がたくさんいます。
そしてその人たちの中には、二重に苦しまなければならなくなってしまう人がおります。
・自身の生育歴
・我が子の子育て
子供だったときその人は継続的に辛い状況にあってなんとかそれに耐えてきたのに、自身が子供の親になって、そこから親からされたことのフラッシュバックが強くなったり、親からされた好ましくない関わりを繰り返してしまったり、された嫌なことを子供にするまいと強く思うためになにをしたらいいか愕然となるほどわからなくなってしまったり、そうは思っても好ましくない関わりが出ててしまう自分を責め続ける、などの問題に直面し激しく苦しみます。
今回の記事にもそういった方たちからコメントをいただきました。
同様のことは過去にも多くありますし、僕が直接お会いしてお話する方や相談をお受けする方のなかにもたくさんおります。
その状況にある人たちは、強い自己否定の状態に置かれてしまいます。
漠然とした「私はダメな人間だ」といったものから、「私は子供に愛情のない酷い人間だ」「自分は意地悪な恥ずべき心を持っている」などなど。
僕はむしろまったく逆に感じます。
「ああ、この人は善良な心を持っているんだな」と。
自己中心的だったり、自己愛的傾向のある親から育てられた場合、もっとも楽であろうものは、その親と同質の価値観を獲得していくことです。
「自分が正しい。他者が悪い」といった価値観を組み立てて、それにのっとって親から受けたさまざまな負荷を他の誰かに押しつけていくことがおそらくはもっとも楽な道です。
例えばそれは、自分より弱いものへのいじめやハラスメントとして出していきます。
このように自身の人格形成をしていってしまう人もたくさんいます。
しかし、その人はそういった道を拒む優しさや善良さがあったからこそ、その負の連鎖を自分の所で食い止めようとします。
その結果ひとりでふたり分の苦しみを引き受けることとなってしまいます。
親の分と自分の分です
だから、その人はその人自身が「愛情がない」のでも「意地悪」なわけでもないのです。
そういった感情の動きや、関わりをしてしまう「理由を持たされてしまっている」からです。
しかし、現実にはその親の分まで引き受けて苦しんでいるにも関わらず、その状態をその当の親から責められるといった状況すら引き起こされます。
これは控えめに言っても「絶望を感じてしまう状況」だと言えるでしょう。これで苦しまないわけがないよね・・・・・・。
トランプの「ババ抜き」というゲームがあります。
普通は、自分がババを引いてしまったらなんとか誰かに渡そうとします。
しかし、その人は優しすぎるために、誰かにそれを引かせるのをためらってしまうわけですね。
こうして、その人は普通の生育歴をおくってきた人からは理解できないほどの苦しみを持つことになってしまいます。
僕は思うのだけど、そういった人ほど救われるべきだし、幸せになって欲しいです。
つづく。