そういう人は、「自分は怒りすぎ、叱りすぎ」といった子供への関わり方や、子供の問題行動の部分に目が行ってしまい、その根っこにあるものに気がつかなくなってしまいます。
この問題の根っこは、大人のもつその不安の心なのです。
ですので、ここに手を当てていかないとなかなか解決につながりません。
この方向で子育てに取り組んでしまっている人は多いです。そして、そういう人は増えています。
この子育ての傾向は、子育てのいろんな場面で見られますが、特に多いのは、食事だとかあいさつなどのマナー、集団での行動、友達とのやりとりなどです。
それらは、いわゆる「しつけ」として一般に重視されている部分と言っていいでしょう。
例えば、
・「子供に食事を残すことを許容したら、この子はずっと残し続けるようになってしまうのではないか?」
・「2歳の我が子が友達とものの取り合いをしている、ここで取らないことを教え込まなければ、ずっとそういうことをし続けて友達がいなくなってしまうのではないか?」
このような、不安・心配が強くあると、その子への過保護、過干渉、支配が子育ての中で強く出てきてしまいます。
では実際はどうでしょう?
大人が介入して、子供に無理矢理それをさせると子供はそれができるようになるでしょうか?
結果的に、そういった大人の働きかけでそれが達成されるようになることももちろんありますが、実のところ、そのような結果が見えたとしてもそれは大人の介入の結果というよりも、子供自身のもつ成長する力に負うところの方が大きいです。
僕の経験や知識から言えば、「子供は支配してやらせればかえってやらなくなる」というのが本当のところだと感じています。
例えば、1歳児クラスのときの担任が支配的な保育士でビシバシ子供に関わって、次の年度その子たちはどうなるかというと、まったくやらない子ができあがっているのです。
そして、その子たちは単にやらない子ではなくて、「大人を信頼しない子」になってしまっています。
たとえ、目先の行動ができるようになったとしても、そのように大人を信頼できない子にしてしまっては、ずっとデメリットの方が大きくなってしまいます。
子供は目先の行動を大人に関わられることで達成せずとも、ほとんどの必要なことは獲得していく力を持っているのです。
ただ、いま述べたようなあたりはあくまで「理屈」なのだよね。
自身が支配的に関わられて育ってきた人は、そのときの「それを子供に要求せずにはいられない感情」の部分が問題なわけです。
ただ、一応子供の成長のメカニズムから言っておくと、そのようにやらせたとしても育つわけではないというのが実際なのだということは頭の片隅に置いておくといいでしょう。
そうやって見てみると、この問題の本質は「大人の感情にこそある」ということが浮かび上がってきます。
僕もこういうことは山ほど経験してきました。
僕自身、保育士になったばかりの頃、まだ未熟だったのでそのように「子供のため」という気持ちで支配的な関わりがたくさんでてしまっていました。
それゆえに、なだめたりすかしたり、怒ったり、叱ったり、あの手この手で子供になんとかそのものごとを達成させようとするのです。
食事のこともそうだし、並んだり、集団での行動をするという場面などで。
しかし、それが結局は子供の何ものをも伸ばしていなかったことに、経験を積むうちにわかってきました。
それを理解できたことは、本当に幸運としか言いようがありません。
実際、僕と同じような立場の人でも、それに気づけず何年やってもそのまま続けているという人は多いです。
それに気づけたことで、僕はそのままいけばおそらく確実に我が子にも支配的子育てをしていたであろうところ、毎日子供と笑ってすごせるというこの上ない喜びを得ることができました。
今度はそれを他の人にもお伝えするのが自分の使命だと思っています。
この問題、突き詰めると子供への関わりというよりも、大人の方の気持ちの中にある感情や考え方の問題です。
それに対するアプローチはいろいろあるのだけど、そのひとつはこの前まとめた「自分の規範意識をゆるめるために、自分を甘やかす」ということでした。
ここでお伝えしたいのは、子育てのあり方・メカニズムとしての知識。
「子供の姿は私だけが作っていない」
ということです。
講演や相談会などでは、このお話をよくしています。
次回、それについて書いていきます。