お盆休みに見る男性の育児参加意識 - 2017.08.15 Tue
お盆でも保育園は開いています。
最近はサービス業のみならず、多様な職種でもあまりお盆に休みを取らないところも増えています。
また、夏休みをずらして取るといった方も多くなっているようです。
ですから、お盆といっても保育園はあまり子供が変わらず登園しています。
ただ、このあたりは地域性などによって変わってくることでしょう。
一方で、仕事はお休みなのだけど子供を預けてしまおうという人がいるのも事実です。
その気持ちはわかりますが、それも程度の問題ではあります。
こんなケースがありました。
お兄ちゃんお姉ちゃんは小学生なので夏休みで家におり、両親とも仕事はお休み。
でも、園児の2歳児は預けられてしまう。
親としては、小さいからわからないだろうといった軽い気持ちで考えているのかもしれませんが、たいていの場合子供はそれと理解しており園で荒れます。
もちろん、そのときの対応だけが問題ではなく、普段からなにか子育てにおける態度が遠因となっていることも多いですが。
この「どうせわからないだろう」という感覚から、0,1,2歳児の時点では預け、幼児になってくると「手がかからなくなるから」「だませなくなるから」という理由で、むしろ預けなくなるケースもあります。
しかし、低年齢の子供ほど、情緒の形成や愛着形成のために、普段家庭ですごす時間が少ない保育園児ほど、お休みや家庭の行事などでは家族ですごすことが大切だと思います。
さて、今日テーマにしたのは男性の育児意識についてです。
こういったお盆休みだと、普段スーツのお父さんがアロハシャツや短パンで子供を預けに来ています。
まあ、お父さんお休みなんだよね。
こういった状況が当たり前にあるのだけど、いろんな角度から「あやういなー」と僕は感じます。
細かく見ると長くなるのでざっくりとまとめていくと、それが「昭和の子育ての失敗を繰り返している」からです。
こういった行動の背景には、「男性は家事や育児をしなくていい」という、昭和とくに高度経済成長期以降のほぼ常識とも言える感覚を現代の人も引き継いでいることがあります。
これは、男性だけでなく女性もその感覚を引き継いでいます。
父親の感覚:
「自分は子供の食事を作ったりできない、だからひとりでは子供を見られない」
「普段仕事で疲れているのだから子供はみたくない」
「普段仕事を頑張っているのだから、子供の世話をせず休む権利がある」
「会社が自分の仕事、育児は母親の仕事」
母親の感覚:
「お父さんは家事ができないのだから子供は見きれないだろう」
「お父さんに子供の世話を任せるとうまくいかないのでまかせられない」
「子供が嫌がるのでお父さんに預けられない」
こういった感覚が、ほとんど意識しないレベルでもあるようです。
いろんな言い分はあるにしても、結局のところ、母親の方も父親が子供を見ないことを結果的に追認してしまいます。
それでももちろん、なんの問題もなく子育てをおくれるケースもありますが、なかにはこの幼少期における男性の子育て不参加という事実が、子供が大きくなったときの家族の断絶の遠因となってしまうことが昭和の子育てにおいてたくさん見られました。
(そして、妻にも子供にも見捨てられ、父親がさみしい老後を送るという問題が現在進行形で表れています。
直接には取り上げられることは多くないですが大きなものとなっています。
一部、暴力行為などを起こす老人といった社会問題として垣間見られています。
昭和の人の同じ失敗を再び繰り返す必要はありません)
思春期になった女の子が、「お父さん嫌い」「そばにいるのもイヤ」といった気持ちになるのは当たり前でしょうか?また、思春期の男の子が父親とは反目して口も聴かないといったことも当たり前でしょうか?
精神的な成長によってそういう傾向を持つことはあるにしても、幼少期における父親不在の子育てがそれを助長してきた部分は大きいといえるでしょう。
男性側がいう「男だから子供を見られなくて当たり前」も、女性側がいう「男の人だから子供の世話を任せられない」も、現代の子育てにおいてはもはやあやうい価値観だとはっきり言えます。
子育てって、できなくたって、下手だって「やるしかない」ことです。
子供が幼少期の内に、お父さんに「男だから子育てしなくていいですよ」という免罪符を持たせてしまえば、それの免罪符の有効期間は永久の無期限パスになります。
「子供が小さいからお母さんじゃなきゃ」
ということをもはやいう時代ではありません。ただ、その感覚が濃厚な時代に育った人がいま親となっているので、いまだにこの感覚を持っている人は少なくないのが現実です。
ここでちょっと興味深い傾向があります。
保育園に通う人は地域ごとにカラーがでる場合があります。
その保育園は、地域柄、軒並み高学歴でキャリアな職の人たちの多い園でした。
その園の父親たちは、普段からの育児参加にも積極的でした。
そして、こういった休日のときの対応が明らかに違っています。
お父さんの方から、「明日は僕が休みなので、保育園お休みします」ということを伝えてきます。
こういったお盆休みのような状況で、普段着で子供を預けに来るというお父さんがほぼ皆無です。
この違いの背景にはなにがあるのでしょうか?
おそらくは、現代的な知識や感覚を、その人自身が触れる知識や情報、周囲の他者から身につけていて、昭和の感覚に現代的な感覚を上書きできているということがあるのではないでしょうか。
また、それは父親のみではなく母親の方もそういったものを同じように獲得していることも言えます。
下手でもいいから子供の世話をしたり、ご飯を食べさせたり、こういった日常感覚、生活感覚、皮膚感覚での関わりが実は子供との関係を強めるのには大きな意味を持っています。
それは、「男性がいままでしないでもよかったことをさせられるようになって損」ではありません。
昭和のお父さんでは到達できなかった子供との強い関係性を、現代では父親も子供との間に持てるようになった進歩なのです。
欧米のドラマや映画の中では、父親と年頃の娘が二人で楽しそうに買い物や食事に行くといったシーンがありますが、そういったことの下地には幼少期に父親もこういった日々の生活レベル、皮膚感覚レベルでの関わりが日常的にたくさんあるからだと言えるでしょう。
下手でもいいからやる!
下手でもいいからやらせる!
昭和の子育てのツケを払わなければならないので、確かにいまの人たちは割を食っているのではあるのだけど、それが現代の課題なのだと思います。
ブートキャンプはジョークにしても、男性もワンオペ育児をする、下手だろうがイヤだろうがする、というのはその通りと思います。
『いま日本に必要なのは徴兵制じゃない…徴父制だ! この国の子育てを救う最終手段』
(現代ビジネス)
最近はサービス業のみならず、多様な職種でもあまりお盆に休みを取らないところも増えています。
また、夏休みをずらして取るといった方も多くなっているようです。
ですから、お盆といっても保育園はあまり子供が変わらず登園しています。
ただ、このあたりは地域性などによって変わってくることでしょう。
一方で、仕事はお休みなのだけど子供を預けてしまおうという人がいるのも事実です。
その気持ちはわかりますが、それも程度の問題ではあります。
こんなケースがありました。
お兄ちゃんお姉ちゃんは小学生なので夏休みで家におり、両親とも仕事はお休み。
でも、園児の2歳児は預けられてしまう。
親としては、小さいからわからないだろうといった軽い気持ちで考えているのかもしれませんが、たいていの場合子供はそれと理解しており園で荒れます。
もちろん、そのときの対応だけが問題ではなく、普段からなにか子育てにおける態度が遠因となっていることも多いですが。
この「どうせわからないだろう」という感覚から、0,1,2歳児の時点では預け、幼児になってくると「手がかからなくなるから」「だませなくなるから」という理由で、むしろ預けなくなるケースもあります。
しかし、低年齢の子供ほど、情緒の形成や愛着形成のために、普段家庭ですごす時間が少ない保育園児ほど、お休みや家庭の行事などでは家族ですごすことが大切だと思います。
さて、今日テーマにしたのは男性の育児意識についてです。
こういったお盆休みだと、普段スーツのお父さんがアロハシャツや短パンで子供を預けに来ています。
まあ、お父さんお休みなんだよね。
こういった状況が当たり前にあるのだけど、いろんな角度から「あやういなー」と僕は感じます。
細かく見ると長くなるのでざっくりとまとめていくと、それが「昭和の子育ての失敗を繰り返している」からです。
こういった行動の背景には、「男性は家事や育児をしなくていい」という、昭和とくに高度経済成長期以降のほぼ常識とも言える感覚を現代の人も引き継いでいることがあります。
これは、男性だけでなく女性もその感覚を引き継いでいます。
父親の感覚:
「自分は子供の食事を作ったりできない、だからひとりでは子供を見られない」
「普段仕事で疲れているのだから子供はみたくない」
「普段仕事を頑張っているのだから、子供の世話をせず休む権利がある」
「会社が自分の仕事、育児は母親の仕事」
母親の感覚:
「お父さんは家事ができないのだから子供は見きれないだろう」
「お父さんに子供の世話を任せるとうまくいかないのでまかせられない」
「子供が嫌がるのでお父さんに預けられない」
こういった感覚が、ほとんど意識しないレベルでもあるようです。
いろんな言い分はあるにしても、結局のところ、母親の方も父親が子供を見ないことを結果的に追認してしまいます。
それでももちろん、なんの問題もなく子育てをおくれるケースもありますが、なかにはこの幼少期における男性の子育て不参加という事実が、子供が大きくなったときの家族の断絶の遠因となってしまうことが昭和の子育てにおいてたくさん見られました。
(そして、妻にも子供にも見捨てられ、父親がさみしい老後を送るという問題が現在進行形で表れています。
直接には取り上げられることは多くないですが大きなものとなっています。
一部、暴力行為などを起こす老人といった社会問題として垣間見られています。
昭和の人の同じ失敗を再び繰り返す必要はありません)
思春期になった女の子が、「お父さん嫌い」「そばにいるのもイヤ」といった気持ちになるのは当たり前でしょうか?また、思春期の男の子が父親とは反目して口も聴かないといったことも当たり前でしょうか?
精神的な成長によってそういう傾向を持つことはあるにしても、幼少期における父親不在の子育てがそれを助長してきた部分は大きいといえるでしょう。
男性側がいう「男だから子供を見られなくて当たり前」も、女性側がいう「男の人だから子供の世話を任せられない」も、現代の子育てにおいてはもはやあやうい価値観だとはっきり言えます。
子育てって、できなくたって、下手だって「やるしかない」ことです。
子供が幼少期の内に、お父さんに「男だから子育てしなくていいですよ」という免罪符を持たせてしまえば、それの免罪符の有効期間は永久の無期限パスになります。
「子供が小さいからお母さんじゃなきゃ」
ということをもはやいう時代ではありません。ただ、その感覚が濃厚な時代に育った人がいま親となっているので、いまだにこの感覚を持っている人は少なくないのが現実です。
ここでちょっと興味深い傾向があります。
保育園に通う人は地域ごとにカラーがでる場合があります。
その保育園は、地域柄、軒並み高学歴でキャリアな職の人たちの多い園でした。
その園の父親たちは、普段からの育児参加にも積極的でした。
そして、こういった休日のときの対応が明らかに違っています。
お父さんの方から、「明日は僕が休みなので、保育園お休みします」ということを伝えてきます。
こういったお盆休みのような状況で、普段着で子供を預けに来るというお父さんがほぼ皆無です。
この違いの背景にはなにがあるのでしょうか?
おそらくは、現代的な知識や感覚を、その人自身が触れる知識や情報、周囲の他者から身につけていて、昭和の感覚に現代的な感覚を上書きできているということがあるのではないでしょうか。
また、それは父親のみではなく母親の方もそういったものを同じように獲得していることも言えます。
下手でもいいから子供の世話をしたり、ご飯を食べさせたり、こういった日常感覚、生活感覚、皮膚感覚での関わりが実は子供との関係を強めるのには大きな意味を持っています。
それは、「男性がいままでしないでもよかったことをさせられるようになって損」ではありません。
昭和のお父さんでは到達できなかった子供との強い関係性を、現代では父親も子供との間に持てるようになった進歩なのです。
欧米のドラマや映画の中では、父親と年頃の娘が二人で楽しそうに買い物や食事に行くといったシーンがありますが、そういったことの下地には幼少期に父親もこういった日々の生活レベル、皮膚感覚レベルでの関わりが日常的にたくさんあるからだと言えるでしょう。
下手でもいいからやる!
下手でもいいからやらせる!
昭和の子育てのツケを払わなければならないので、確かにいまの人たちは割を食っているのではあるのだけど、それが現代の課題なのだと思います。
ブートキャンプはジョークにしても、男性もワンオペ育児をする、下手だろうがイヤだろうがする、というのはその通りと思います。
『いま日本に必要なのは徴兵制じゃない…徴父制だ! この国の子育てを救う最終手段』
(現代ビジネス)
| 2017-08-15 | 日本の子育て文化 | Comment : 8 | トラックバック : 0 |
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