妹に対してなんだか意地悪な関わりや言葉をぶつけるのです。
そのなかで「サンタは本当はいないんだぞ」みたいなことを言っています。
そういうことがあるなかで、妻に「本当はサンタクロースはおとうちゃんとおかあちゃんなの?」と聞いてきます。
妻はそれに対して、「どうしてそう思うの?」とたずねたところ、上記のような事情がわかったということです。
その相手の言ってきた子も幼少期から知っている子でしたので、なるほどそういういい方もするだろうなと理解できることでした。
妻はそれに対して特に否定も肯定もせず、「ああ、そうなんだねそう思う人もいるかもしれないね」と答えていました。
僕も妻も子供は子供らしさをふんだんに持ったまま大きくなるべきだと考えてきましたので、息子にも娘にもある種の子供らしさ、幼い部分というのを残してあります。
それがこのとき味方しました。
子供は「信じたいものを信じる」のです。
息子は、どうも毎年サンタクロースのプレゼントを用意しているのは親だということを感じてはいるようです。しかし、その一方で並行して、サンタクロースがいることやプレゼントをくれるのは実はサンタかもしれないという思いも持ち続けています。
僕は子供のそういったファンタジックな気持ちは本当に素晴らしいものだと感じています。
やがて時間と共に、いつのまにかそう思う子供の部分は消えてしまうことでしょう。
おそらくそれが子供時代の終焉です。
その日が来るのが一日でも遅ければいいなと僕は思います。
妹にいたっては、兄よりもはるかにメルヘンの世界に生きているので、兄にそのようにちょっと悪意を込められて言われてもまったくのほほんと受け流せるのでした。
娘のこの個性には周りの人間みんなが、ほんとにいろいろと助けられます。
さいごに、
このサンタクロースのことに限らず、ある種の心のダメージを子供がどう消化していくかというのは、これは子供自身の問題です。
「親が解決してあげる」or「将来それで困らないようにしてあげる」ことではありません。
もっというと、そこで「葛藤する権利」を子供は持っています。
親が子供への心配のあまり、そういったある種の「心のつまづき」が将来ないようにといった方向で子育てをするのは、これは「心への過保護」になってしまいます。
コメントにあったように、親自身が「まだそんなこと信じているのか」などとあえて心を傷つけるようなことを言ってしまうのは論外ですが、そうでなければ子供はどういった形であれ自分で乗り越えて成長していくことができるでしょう。
しかし、「心への過保護」を親が頑張りすぎてしまうと、子供はかえってさまざまなことに挑戦しようとしたり、立ち向かったり乗り越えていったりする力をしぼませてしまうこともあります。
将来、子供がそれで悩むのならば悩めばいいのです。
それが本当の意味で、子育てというものだと思います。