一般的に、子育てしている人が「これが子育てというものだろう・・・・・・」となにげなくしていることの中にそれはあるのです。
この前、子供と一緒に映画館に行ってきました。
そこで待っているとき、5~6歳くらいの子供を連れたお父さんが、その子へ「静かにしていないと帰っちゃうよ。映画が見れなくなったらお前のせいだからな」と言っていました。
その同じ日、食事をしようと入った飲食店で、また別の親子が「ちゃんと座ってないと帰るぞ、ご飯食べられないからな」と子供に言っています。
親としては子供の姿を自分の望むようにしようと頑張っているのでしょうけれども、こういった関わりがあまりに一般的なものとなっています。
しかし、これ、こうやってピックアップして考えてみると違和感がわかりやすいと思います。
実のところ、このような関わりは「意地悪」になっているのです。
親から子への意地悪です。
この関わりをたくさんされている子は、友達同士の関わりの中でそれを繰り返すようになる子もいます。
「○○ちゃん、私の言うこと聞かないと、おやつ一緒に食べてあげないよ!」
子供が子供に対して、このように言っているのを大人が見れば、そういう関わりはするもんじゃないと注意したくなることでしょう。
この背景にあるのは、「支配」です。
その子は親に普段から支配されているので、そこに負荷をかけられており、そのバランスをとるために自分よりも弱い立場の子を支配することでバランスをとろうとしてしまいます。
また、大人はついついこんないい方を子供にしたりします。
子供がなにか失敗をしたときなど、
「それ、見たことか」「自業自得だ」
これは、子供の失敗にさらに追い打ちをかける行為です。
失敗して意気消沈しているところをさらに詰るのです。
これも意地悪な行為です。
こういった例は、ほんのごく一部ですし、程度の問題でもあり、それをたんにあっけらかんとするのと、強い否定を込めてするのではまた違ってもくるでしょう。
もっとひどい行為になると、子供の自尊心を踏みにじる関わりになります。
子供を無視する行為もそうです。
なにか子供が親の設定するルールに反したからといって罰を与えたりする行為などもそれに該当します。
例えば、嘘をついたからという理由で、ベランダの外に出し泣き叫んで反省するまで放置するといった関わりです。
このような関わりは、子供のなにものをも成長させません。ただ大人からの支配を強化しているだけです。
他にも、好きで選んだものをけなしたりする行為も、その子の自尊心を傷つけます。
例:子供が作った工作をけなす「なにそれゴミみたい。捨ててきて」
:子供が選んだ服を「かわいくない」とけなす
:子供の友達やその親の悪口を子供の前で口に出す など
しかし、こういった関わりをされたとき、子供は親に対抗できません。
それを我慢し、不満や怒りとして心の中に蓄積させていきます。
そういった負の蓄積を大人になる過程で消化できてしまう人もいる一方で、ずっとそれをくすぶらせたまま生きていく人もおります。また、あるときまで封印している人も多いです。
その封印は、多くの場合、我が子の子育てに直面したときに解かれます。
結果、自分がかつて自身の親から与えられた怒りのプールは、我が子へと向けられます。
これが「怒りの再生産」の構造です。
前回、親の心情としてよくあるケースで表したものの背景にはこれがあったのです。
さて、では問題はこれの乗り越え方です。