過剰な承認欲求はどこから生まれる? ー保育と承認欲求ー - 2018.04.28 Sat
期待に応えさせられる関わりは、自分への自信のなさなどの萎縮傾向が作られそこから自分の評価を気にするがゆえの承認欲求の出し方も多くなるのに対して、
支配を受けてきたケースは、誰か他者を支配することで自己の承認欲求を満たすという、いわゆる「マウンティング」の形を取った承認欲求の出し方になる傾向があります。
この傾向が強くなると、単に他者を支配したときに快を感じるだけでなく、他者が自分の望む行動を取っていない状態に対して激しい不快を覚えます。
子育てしている人や、保育士、教員といった人がこの状態にあると、子供の自然な姿ではひんぱんにイライラや怒りを感じます。
そして、自身の満足のために子供を支配するようになります。
自身のそういった心のあり方に気づくことができれば、それを克服することは簡単ではないにしても、コントロールしつつつきあっていくことは不可能ではないでしょう。
しかし、その傾向を持っていること自体に気づいていない人が、それをどうにかすることは大変難しいことと思います。
承認欲求と子育て - 2018.04.27 Fri
「自分を肯定的に認められたいという気持ち」という意味ですね。
これ自体は悪いものではありません。
誰しもが持っているものだし、逆にこれが全くなかったとしたら世捨て人のような人になってしまいかねません。
悪いものではないのだけど・・・・・・。
女性蔑視と子育て - 2018.04.24 Tue
世界的にもme tooの機運からセクハラに本気で取り組む時代になっていますが、この問題が前進することで結果的に子育てが多くの人にとって「いいもの」となる方向に行くことでしょう。
そして、このことはさらに男性にとっても生きやすい世の中になるであろうことも同時に感じます。
例えば、いま男性も就労の中で、ものすごい苦労を強いられていますよね。
『「話を聞きなさい」なんて指導は本当は間違っている』(千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長) - 2018.04.18 Wed
ニードルフェルト 『ねこあつめ』 - 2018.04.17 Tue
権威体質な学校のあり方への疑問 - 2018.04.15 Sun
そのひとつが、端々から感じる権威体質です。
特にこの学校は、近年統廃合により生まれた新設校なので、より最近の教育施策の影響を強く受けてしまっているのかもしれません。
日本では、学校の運営は民主的になされることが決まっています。
人が集団を形作れば、多かれ少なかれある程度権威的な構造はおのずと生まれるものですが、民主的な運営を旨とする学校組織において、それに対して節度を持ち権威的になりすぎない姿勢は必要であると考えられます。
本当に「友達を作る」「他者と協調する」ためには - 2018.04.14 Sat
人は注意や、指示や干渉で伝えたことで子供が成長するという「錯覚」を持っていますが、実のところこういった言葉は、補助的に効果を発することはあるにしても、実は子供の姿が形成されるにおいて、主ではありません。
では、子供が成長を獲得するときの基本的なことを振り返ってみましょう。
福井県での座談会 希望アンケート - 2018.04.13 Fri
まだ未定ですが、いま福井県大野市または福井市においての座談会開催の企画が持ち上がっております。
僕も福井県での講演などはしたことがありませんので、どの程度の需要があるのか未知数です。
そこで、福井県で座談会もしくは講演会を開催したら行ってみたいという方がどれくらいいるのか、感触だけでもつかみたいと思います。
もし、都合があえば福井県での企画に行ってみたいと思われる方いらっしゃいましたら、下のコメント欄で教えて下さい。
お手数ですがどうぞよろしくご協力下さい。
「協調しましょう」がもたらす現実 - 2018.04.13 Fri
これをたくさんされていくと、もしくはこれが当たり前の空気になっている環境でたくさん過ごしていくと・・・・・・。
子供たちは、自分の気持ちや意見を言わない、言えない子になっていきます。
例えば、
「どっちがいい?」と聴けば、「どっちでもいい」
「なにがいい?」と聴けば、「なんでもいい」「みんなと同じでいい」「みんなに任せる」
このような行動をとっていきます。
「友達を作りましょう」の落とし穴 - 2018.04.12 Thu
「友達を作りましょう」が、単にそれだけの意味であればいいですが、校長たちがこぞって言うのは「協調」を目指してのことです。
しかし、協調を押しつけることで人は他者と本当の意味で協調するようになるものではありません。
ここに気づけていないことが、学校にある種のゆがみをもたらしているのではないでしょうか。
連続保育研修のお知らせ - 2018.04.11 Wed
これまでにも行っておりますが、時間や日程の関係で参加できなかった方もいらっしゃったようです。
今回は土曜日に設定して、全4回となっております。
事例研究会.2018
~須賀義一先生と保育を学ぶ2か月~
僕の持論として、保育の学びは実践に活かせなければ意味がないという想いがあります。
当たり前のことと思うかもしれませんが、保育の学びは「いい話」として上滑りしてしまって、結局のところ実践はなにもかわらないということが少なからずあります。
なぜそうなってしまうか、それにはあるひとつの視点が欠けているからです。これは伝える方にも学ぶ方にも。
そこを押さえた上で学ぶ必要があります。
ここで伝えるのは、子供を本当に伸ばす関わり方であり、そのために必要なスキルを身につけることは、実は子供のためのみならず保育における自己実現にも結びついています。
ここにこそ保育の本当のおもしろみがあるのではないかと思います。
それを伝えるべく全4回を行っていきます。
詳細、お申し込みはこちらから。
中学校入学式 - 2018.04.10 Tue
まず、はじめにお断りしておきます。
僕は、優れた教員や、生徒のことを強く考えている教員がいることも存じ上げています。
それは少しも否定しません。しかし、だからといってそれが批判をしてはいけないという根拠にはならないことはご理解いただけるでしょう。
これは昔から言われるところですが、学校という組織は外に対して閉じた体質があり、積極的にアンテナを高くしている人以外、自分たちの組織内の常識にいつのまにかからめとられてしまう傾向があります。これは、保育施設も同様です。
特に、組織の上部がそのような自分の周りの認識だけでいる場合はなおさらです。
しかし、往々にしてそのようになるものです。なぜなら、「自分は正しい」と思わずにはいられないのはこれは人の性(さが)として避けられないものだからです。
それに対して、客観的な検証や、内省、学術機関などの提言を受けて是正すべきものですが、それは全ての人ができるわけでもありません。
はっきり言ってしまえば、閉じた組織の自浄作用というのは往々にして低くなりがちです。
僕自身は、これを保育施設で嫌と言うほど実感しています。
組織に変わることを訴えるよりも、そのクライアント(この場合は保護者等)に理解をうながす方がはるかに、そういった組織を健全化させる近道かもしれません。
僕がこのブログで「保育の質」というカテゴリーを設けて、保育士に限らず多くの人に発信しているのはそれがためでもあります。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、僕が入学式でどんなことを感じてきたかを述べたいと思います。
少々モヤモヤした気持ちを持ったまま書いているので、あまり読んで気分のよくなるような話ではありません。ご不快になる方はお読みにならないことをおすすめします。
保育士バンク!コラム『「◯◯先生」「◯◯さん」保育園での名前の呼び方と子供の人権』 - 2018.04.08 Sun
保育園での名前の呼び方についてのコラムを書きました。
もし、仮に僕が保育園を作るとしたら、おそらくは「○○先生」とは呼ばない園にするだろうと思います。
子育て座談会のお知らせ 6月11日(月) 愛知県東海市しあわせ村 - 2018.04.06 Fri
この前は愛知県豊川市でしたが、今度は愛知県東海市での開催です。
(別に愛知県に重点を置いているというわけではありませんよ、たまたまです。呼ばれれば日本中どこだっていきます。世界中でもかまいませんよ、一度ドイツに在住の方からお話があったこともあります)
ただ、愛知県からたくさんのお声がかかるのには、各種の工業地帯であり、都市化、核家族化、共働きといった現代の子育ての難しさが特に顕著という背景が関係しているのかもしれませんね。
あと僕が個人的に感じるのは、愛知県では祖父母世代と親世代のギャップがとても大きいというのがあるかもしれません。
祖父母世代の子育てに対する価値観は、昔ののどかなものや、しつけへの厳しさというような保守的なものだったりする一方で、親の世代はいかにも現代的な問題に直面している。すると祖父母から見たときのいまの親の子育てのあり方が受け入れられず、そこに親世代へのダメ出しが出る。そのダメ出しと現実の子育てのはざまで、いまの親が子育てへの悩みを深めてしまう、とこのような雰囲気を感じます。
これが例えば、東京のように祖父母世代もすでに現代的な問題に直面したまま子育てをおくってきていると、比較的このギャップが小さいようです。もちろん、これには個人差がありますが。
保護者の信頼と安心 - 2018.04.02 Mon
昨年度は少々変則的な配置で、育休代替の要員として約半年しかその園には在籍しておりませんでした。
「泣き崩れる」という言葉がありますが、異動の発表があった日と最終日には文字通り何人かの保護者の方が泣き崩れました。涙するだけでなく、へたり込んでしまうという姿です。
単に悲しいとかそういうことでなく、子育てをしていく上での支え、安心感になっていたのでしょう。実は同様のことは、上半期にいた別の園でも異動に際してありました。