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ある保育士のケースですが、その人は口より先に手が出るという支配型の両親の元で育ち、保育士になりました。
保育の中で子供に手をあげるということはないですが、ほぼ常にイライラしており、終始子供に小言ばかりを浴びせています。
子供の少しでも規範から外れた行動に対して、口を出さずにはいられなくなっています。
そのような状態ですので、子供からの信頼は厚くなりません。しかし、その人自身は自分が良い保育士として認められたいという気持ちを強く持っているので、子供たちが懐いてくれないという状況に対して不満を抱えています。
しかし、承認欲求の強さゆえに「自身に反省点がある」という思考プロセスには至らず、さまざまな自己正当化になってしまいます。
自身が認められたいという欲求が強いので、どうしても視点が自分中心のものとなりやすく、保護者対応でもトラブルが多いです。
(この保育士の場合は保護者対応でのトラブルが多いですが、承認欲求の強さからいわゆる「外面」がよくなり保護者対応だけは上手いというケースのタイプも多くおります)
直接トラブルになっていない保護者からしても、その保育士が早番のときだけ子供が入室を渋ったりすることが重なれば、その保育士に不信感を持ちます。
また、言葉の話せる年齢の子は家庭で「○○先生いやだ」「○○先生こわい」といったことを口にしています。
同僚や上司からの親身なアドバイスにも、自己防衛からのいいわけや「自分は頑張っているのになぜ文句を言われるのだ」といった感情的な反発として出てしまうので、だんだんと導いていくれる人も離れていってしまいます。
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この人は大変気の毒な人です。
無意識にかもしれませんが、その人は保育の世界の中でなにか自分が求めているものが見つかるのかもしれないと思って飛び込んだでしょうけれど、自分の抱えているまさにその問題がそれを乗り越えることを難しくしてしまっています。
自己実現するための仕事が、少しもそれに近づいていないのです。
これはアメリカなんかだったら、業務命令でカウンセリングに行かせるようなケースではないかと思います。
その人自身が抱えている問題に取り組まなければ、その人が仕事で必要なポテンシャルを発揮できないのですから。
日本の保育園ではそういった対応をしているところはまれですので、この状態は継続してしまいます。
その人にとって気の毒ですが、しかし、そこで預かっている子供や保護者の立場からしたらとてものこと気の毒などとは思えません。それはもちろんそうです。お金をもらってプロとして仕事をしている以上、それはいいわけにはなりません。
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しかし、現実に起こるのはもっと残念なことです。
このような傾向を抱えている人は、子供と直接関わる担任保育士の仕事をしても子供が信頼を寄せてくれないことからあまりその仕事が楽しくありません。
するとどうなるか。
この仕事あわないと思って別の職種に転職して、自身の適正にあうところを見つけられればいいのかもしれませんが、人によってはその保育施設の中で出世することを選びます。
管理職になると、部下に対しての権限を持てるのでそこで他者支配が行え、そこからの承認欲求を得られるからです。
これがこうじてしまえば、ハラスメントが簡単に起こります。
または、上司にならずとも、同じような他者支配の傾向をもった保育士同士で互いの承認欲求を満たしあい、その仲間を広げていく環境を作る人もいます。
こうなると、支配傾向の強い保育施設の体質ができあがります。
そこでは、「子供になめられるな保育」が蔓延し、子供に受容的な保育者は嫌がらせを受けたり、それがなかったとしてもその職場の体質や人間関係に絶望して、健全に長期にわたって勤めることはできなくなります。
しょっちゅう保育士が辞めていく保育施設はこうしてできあがります。
このような状態になってしまっている保育士や保育施設は全国に少なくないと思います。
もちろん、これは保育施設に限らずこの傾向を抱えた人はいろんなところにいて、そこにある種のひずみをもらたしていることでしょう。
また、子供のいじめ問題の背景にも、親の持つこの承認欲求の問題があることも多いです。
コメントでもいただいたように、ママ友間の嫌がらせなどもこのあたりの部分が隠れていることでしょう。
そこには、その親自身も「持たされた」部分があって、つまり連鎖していて、この問題の根深さを感じます。
この問題の一番根っこにあるのが、子供の支配を当たり前とする「しつけ」の子育て観です。
だから僕は、支配せずとも子供は育つということを広めたいと考えています。