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前述のように、問題の姿が出てしまったその場面での対応は、この問題の根っこからの解決のためにはあまり功を奏しません。
特に受容と肯定の対応の初期段階ではそうです。
子供の側から考えると、「肯定が欲しいがためのネガティブ行動」が衝動的に出さずにはいられない状況です。
その場だけの対応で対処してしまおうとすると、どうしても止めたり、注意したりという対応にならざるを得ませんし、どれほど許容的な対応をできたとしても、そこにはある弊害が生まれます。これに関してはあとで述べることにします。
わたるさんが書いてくれた事例の場面では、
他の先生がB君に何かを手伝うようお願いすると、B君はそっちの方は行き、なんとか絵本を読み始めることができました。とありました。
これはいい対応です。
こういった対応で、受け流していくのもひとつの手でしょう。
◆その他の対応例1
他には、「どうしたの?」という問いでB君に関わるという対応も考えられます。
保「どうしたの?」
B君「~~~~」(なにか述べる。その内容がなんであれ)
保「ああ、そうなんだ~~」(ゆっくりと返し、間を大きく取る)
B君「~~~~」(それでもなにか言ってくる)
保「ああ、そうなんだ~~」(必要なだけこれを繰り返す)
B君(言うだけいって満足して何も言わなくなる)
保「うん、わかったよ~~。じゃあ、絵本読みたいからそろそろ読むね~」
◆その他の対応例2
B君の興奮やふざけが激しく会話にならない、もしくは、他の子も影響されてしまって収拾がつかないようなとき。
その課題、ここでは絵本読みを取りやめてしまうというのも有効なひとつの手です。
ただし、それは疎外のためにつかうわけではありません。
日本の「しつけ」子育てでは、ひんぱんに子供を思い通りに動かすために、「言うことを聞かないともうつれてきてやらないぞ」「従わないなら帰るぞ」といった脅しをすることで子供を疎外し、大人の子供へのコントロールを円滑にしようとする関わりがあります。
これは、不誠実な対応であり本来子育ての中でも使うべきではありません。保育士が保育の中でとなればなおさらのことです。
ですので、この取りやめるというのは冷たい心持ちでするのではなく、あっけらかんとするのです。
それは実は専門性に根ざした対応です。
「現在のクラスの状況では、この課題は発達段階や子供たちのおかれた状況から適切でなかった」
という判断をしたのです。だから、なんのてらいもなく「ああ、今日のこの子たちの状況では無理だった」と柔軟に考えればいいわけですね。
これを「やらねばならない」と、柔軟さを欠いて保育者のメンツの張り合いのような形にしてしまうと、保育者の心理もそれをさせねばという規範意識が強まってしまい、子供たちに否定的な感情や関わりが導き出されかねません。
学習課題としてしなければならない学校と違い、保育士はこの柔軟さをもっと重視していいことだと思います。やらせることにこだわっていくよりも、こういった柔軟な対応をした方が、遠回りに見えて実は近道です。
例えばこんな風にして見ます。
保「そうだ、今日はハンカチ落としやろうかな~と思って用意していたんだった。絵本は今度にしてハンカチ落としやろうか~」
その他、時程を前倒しして戸外遊びにいくなど、その場その場で臨機応変な対応を。
そうすることで、B君を悪者にせずに対応をしていくことができるでしょう。
◆事例としての判断
そのときの事例から得られた考察は、「やらねばならない」という課題に縛られた小さな視点からだと、
「B君や、他の子が騒いでしまうことで課題として考えていた絵本の読み聞かせができなかった」
というものになってしまいます。
専門的に保育をするに当たっては、それよりも大きな視点で子供たちをみられるといいでしょう。
そのためには、現状の客観的判断からします。
保「B君を含め現状のクラスのあり方では、一斉保育での絵本の読み聞かせをすることは難しい場合がある」「やらねばならない」というのは保育者の主観的な判断です。それを取り除いてありのままの事実は↑これなのです。
それを踏まえて、今後どうしていけばいいかを考えます。
保育者としては、「絵本の読み聞かせはしたい」という思いがあります。
でもそれを一斉でやろうとすると、どうしても邪魔をしたくなってしまう子がおり、困難な状況にあたってしまいます。
だから、その枠組み自体を変えるのです。
通常はその問題になっている子供を変えようと焦るので、その子たちへの否定の関わりが強化されてしまいます。
しかし、それではその子たちを落ちこぼれにしてしまうことにつながります。
そこで、柔軟に考え、一斉での読み聞かせをやめてしまえばいいのです。
例えば、自由遊びの間に保育士があまりアピールせずに保育室の一角で本読みをします。
興味がある子は聞きに来ますし、興味が持てない子はそのまま自分の遊びを続けることができます。
興味が持てない段階の子に、無理にさせたとしてもあまり意味はないのですから、これで十分保育のねらいは達成されていると考えていいのです。
また、その場面で同じようにB君や他の子が邪魔をするような関わりを出してきたとしても、「あ~別に絵本見たくない人は、そのまま自分の好きな遊びしてていいからね~~」と軽く受け流せるので、これは疎外にならずに済みます。
また、保育者の心理的にもラクになります。一斉保育としてやってしまうと、「全員に聞かせなければならない」「静かにさせねばならない」という気持ちから余裕が奪われてしまいますが、自由遊びの中ですることにより、そこから保育者自身も解放することができます。
つづく。