「命をいただく」という一般に流布する言葉 vol.2 - 2019.02.16 Sat
前回の続き。
◆モラルを押しつけによって内在化させることはできない
では、「食べ物を残さない」とか「お箸を正しく持つ」といった規範をどうしたら子供に持たせられるのかについて考えてみましょう。
その前に少し想像してもらいたいのですが、あなたがどこかに監禁されて怖い顔をした人から脅されて、なにかの承諾書や借用証書などにサインさせられたとしたら、それは自発的にしたものと言えるでしょうか?
まあ、当然ながらそうはならないですよね。
少しオーバーな例えではありますが、大人に小言を言われながら苦手なものを食べたり、「食べないと○○してあげないよ」と脅されて食べることも、上の例と大同小異です。このとき注意点は、「食べられたらデザートあげるわよ」などと優しく言ったとしてもそれは本質的に変わらないということです。
子供の本当の成長というのは、主体的、自発的成長であることを意味します。
大人にさせられることがなんでも即悪いというわけでもありませんが、必ずしもその子の身になっているとは限りません。
前回の記事で挙げた自身も偏食なのに厳しい保育士が、まさにそのケースだといえるでしょう。
モラルを外在化してはいるけど、自分の身に(内在化)はなっていない。
そして、その自身に対するたくさんの否定の中で作られた外在化しているモラルに自分自身が振り回されている。
これは生きにくい状態と言えます。
◆過干渉や支配にならずに規範を持たせるには
ちなみに、うちの子には「残してはならない」といったことを求めたことはありませんが、特別な理由のない限り残さない子になっています。
・親自身の行動
・信頼関係による規範の自然な伝達
そうなっていることの背景にはおそらくこのふたつがあるでしょう。
ひとつは、親自身がその子供に望むことを実践していること。
「食べ物を大事にしなさい」という人自身が、食べ物を粗末にする行動をとり、それを子供が見ていたとしたら、その大人が要求する規範は空白化しますし、なによりそのような大人に対する信頼感を子供は厚くできません。
もうひとつは、子供は信頼する大人を肯定し、寄り添うように成長していく子供の育ちのメカニズムがあります。
「食べさせようとする」「残させまいとする」といった、大人望む行動を子供に作り出そうとする過干渉な行為をしなくとも、普通の生活の中で
・子供がこぼしたときに「気をつけて下さいね」と言う
・ご飯粒や食べ物のかけらが残っているまま、食事を終わりにしようとしているときなどに、「まだそこにくっついていますよ」と気づかせる
こういった、日常の関わりの中からだけでも、子供は食べ物を大切にすることや、食事のマナーに気をつけることなどを自然と理解していきます。
もし、大人が心に思うことがあって「私は食べ物を大事にすることが大切だと思っているんだよ」と口にすることがあってもいいでしょう。
でも、それと残さず食べることを強要するのとは別の問題です。
この違いわかりますか。
大人が大事に思うことを、表明したり伝えることは自体は過干渉ではありません。(ひんぱんに言うのであれば過干渉だが)
でも、それを子供にムリに要求していくのは、過干渉~支配へとグラデーションで移り変わっていきます。
また、他のところで支配や過干渉の関わりをたくさん積み重ねている場合、この大人の持っている規範が自然と伝わることは減ってしまいます。
できれば子育ての早い段階から、過干渉や支配の関わりにならないクセを大人がつけていた方がムリのない子育てになりやすいです。
このことはたまたまうちの子だからできているというわけではなく、保育園で保育している子でも、そのように信頼関係で関わっていくことで自然と規範を備えていくことを確認しています。
◆イライラポイントとしての食事
そうはいっても、そのようにあっけらかんと子供が規範に不適合な姿を許容していくことができないという人もいることでしょう。
僕自身も過去にそうでした。
子供が食事をこぼしたり、食器を倒したり、そういった姿に接すると自分でも制御できないような怒りや感情の動きがありました。
ただ、僕は保育という仕事の中でそれを繰り返し経験したので、そのときの自分をコントロールするすべを身につけることができました。
実際に家庭で子育てしている人にとって、そのような経験値を積むことはできないでしょうから、以下の方法を試してみることを提案します。
a,食事以前のところで過干渉のクセを軽減しておく(広く意識を持つ)
b,心の焦点をあえてずらしておく
c,それが本当に困ることなのか考えてみる
d,6秒待つ
a,食事以前のところで過干渉のクセを軽減しておく
普段から子供に過干渉が常態となっていると、子供の一挙手一投足により自分の感情が左右されやすくなってしまいます。
だから、食事の時とてもイライラしてしまう人は、それ以前、それ以外の場所でも過干渉、子供から過剰に目が離せない状態になっている人が多いです。
食事は、どうしても子供へより注目がいってしまうときなので、食事面で過干渉を避けようと思っても難しいです。だから、それ以外のところから過干渉になりすぎない意識を持つといいでしょう。
そのためには例えばこんな方法があります。
子供以外のところにも意識を向けてみます。
子供が遊んでいるとき、窓の外を眺めて、「ああ、空がきれいだなぁ」と思ってみるなど。
僕がおすすめなのは、子供と過ごすときはゆっくりしゃべるのを意識しておくことです。
注意したりするときにではなく、過ごすとき普段からゆっくりしゃべるようにします。
過干渉が強い人は、大人を相手にするよりも子供に話すときの方が早口なんていう人もいます。普段がこうだと、子供は過干渉の負荷から逃れるために、大人をスルーするクセがつくのでいろいろ難しくなってしまいます。
子供といるときは、まずは演技でもいいからゆっくりの自分を演出してみる。慣れてくるとあまり意識せずともできるようになる場合もあります。
大人の個性よってはムリなこともあるので、そういうときは↓
b,心の焦点をあえてずらしておく
上の「空がきれいだなぁ」のミニマム版です。
例えば、それが食事の時ならば、子供の一挙手一投足を見続けるのではなく、少し気持ちの焦点をずらしたところに意識をおいておくのです。
「そういえば、この前のドラマはおもしろかったな~」
「あ~、どら焼き食べたいな~」
など。
こうしておくと、例えば子供がお茶をこぼしてしまったときなど、「あ~どら焼き食べたいな~」のリズムで、「あ~こぼしちゃったのね~」と流しやすくなります。
本当に子育てがしんどくなってしまう人の中には、「私がこの子をしっかりと責任持って育てなければならない」といった自分へのプレッシャーが強すぎて、過干渉になりガミガミ怒ったり、手をあげてしまったりになり、自己嫌悪から子供に向き合うこと、関わることが辛くなってしまう人もいます。
心の焦点から子供を外しておくことが、子供にとっても大人にとってもいい場合があります。
c,それが本当に困ることなのか考えてみる
「も~~、あなたはいつもお茶をこぼしてっ!私いつも気をつけなさいっていっているでしょ!」
といった感情の高ぶりに直面してしまうとき、20歳になってもこの子がそれと同じことをしているかどうかを少し想像してみて下さい。
ほとんどのケースにおいて、それが想像できないはずです。
・あなたははたちになってもまだおむつしているの!
・あなたははたちになってもまだお箸つかえないの!
・あなたははたちになってもまだお味噌汁こぼしているの!
といった状況は想像できないでしょ。
目の前の子供のできないことや、ミステイクは長い人生の中では誤差にすらならないほどの小さなことでしかありません。
今日、今、というスパンで考えた場合は大事になるのですが、目先のできるできない、ミス、といったことは実は子供の長い成長からはそんなに問題ではないのです。
d,6秒待つ
怒りのコントロールでいわれることです。
手をグーにして、深呼吸しながら6秒待つ、すると一時の怒りの多くがしずまると言われています。
◆モラルを押しつけによって内在化させることはできない
では、「食べ物を残さない」とか「お箸を正しく持つ」といった規範をどうしたら子供に持たせられるのかについて考えてみましょう。
その前に少し想像してもらいたいのですが、あなたがどこかに監禁されて怖い顔をした人から脅されて、なにかの承諾書や借用証書などにサインさせられたとしたら、それは自発的にしたものと言えるでしょうか?
まあ、当然ながらそうはならないですよね。
少しオーバーな例えではありますが、大人に小言を言われながら苦手なものを食べたり、「食べないと○○してあげないよ」と脅されて食べることも、上の例と大同小異です。このとき注意点は、「食べられたらデザートあげるわよ」などと優しく言ったとしてもそれは本質的に変わらないということです。
子供の本当の成長というのは、主体的、自発的成長であることを意味します。
大人にさせられることがなんでも即悪いというわけでもありませんが、必ずしもその子の身になっているとは限りません。
前回の記事で挙げた自身も偏食なのに厳しい保育士が、まさにそのケースだといえるでしょう。
モラルを外在化してはいるけど、自分の身に(内在化)はなっていない。
そして、その自身に対するたくさんの否定の中で作られた外在化しているモラルに自分自身が振り回されている。
これは生きにくい状態と言えます。
◆過干渉や支配にならずに規範を持たせるには
ちなみに、うちの子には「残してはならない」といったことを求めたことはありませんが、特別な理由のない限り残さない子になっています。
・親自身の行動
・信頼関係による規範の自然な伝達
そうなっていることの背景にはおそらくこのふたつがあるでしょう。
ひとつは、親自身がその子供に望むことを実践していること。
「食べ物を大事にしなさい」という人自身が、食べ物を粗末にする行動をとり、それを子供が見ていたとしたら、その大人が要求する規範は空白化しますし、なによりそのような大人に対する信頼感を子供は厚くできません。
もうひとつは、子供は信頼する大人を肯定し、寄り添うように成長していく子供の育ちのメカニズムがあります。
「食べさせようとする」「残させまいとする」といった、大人望む行動を子供に作り出そうとする過干渉な行為をしなくとも、普通の生活の中で
・子供がこぼしたときに「気をつけて下さいね」と言う
・ご飯粒や食べ物のかけらが残っているまま、食事を終わりにしようとしているときなどに、「まだそこにくっついていますよ」と気づかせる
こういった、日常の関わりの中からだけでも、子供は食べ物を大切にすることや、食事のマナーに気をつけることなどを自然と理解していきます。
もし、大人が心に思うことがあって「私は食べ物を大事にすることが大切だと思っているんだよ」と口にすることがあってもいいでしょう。
でも、それと残さず食べることを強要するのとは別の問題です。
この違いわかりますか。
大人が大事に思うことを、表明したり伝えることは自体は過干渉ではありません。(ひんぱんに言うのであれば過干渉だが)
でも、それを子供にムリに要求していくのは、過干渉~支配へとグラデーションで移り変わっていきます。
また、他のところで支配や過干渉の関わりをたくさん積み重ねている場合、この大人の持っている規範が自然と伝わることは減ってしまいます。
できれば子育ての早い段階から、過干渉や支配の関わりにならないクセを大人がつけていた方がムリのない子育てになりやすいです。
このことはたまたまうちの子だからできているというわけではなく、保育園で保育している子でも、そのように信頼関係で関わっていくことで自然と規範を備えていくことを確認しています。
◆イライラポイントとしての食事
そうはいっても、そのようにあっけらかんと子供が規範に不適合な姿を許容していくことができないという人もいることでしょう。
僕自身も過去にそうでした。
子供が食事をこぼしたり、食器を倒したり、そういった姿に接すると自分でも制御できないような怒りや感情の動きがありました。
ただ、僕は保育という仕事の中でそれを繰り返し経験したので、そのときの自分をコントロールするすべを身につけることができました。
実際に家庭で子育てしている人にとって、そのような経験値を積むことはできないでしょうから、以下の方法を試してみることを提案します。
a,食事以前のところで過干渉のクセを軽減しておく(広く意識を持つ)
b,心の焦点をあえてずらしておく
c,それが本当に困ることなのか考えてみる
d,6秒待つ
a,食事以前のところで過干渉のクセを軽減しておく
普段から子供に過干渉が常態となっていると、子供の一挙手一投足により自分の感情が左右されやすくなってしまいます。
だから、食事の時とてもイライラしてしまう人は、それ以前、それ以外の場所でも過干渉、子供から過剰に目が離せない状態になっている人が多いです。
食事は、どうしても子供へより注目がいってしまうときなので、食事面で過干渉を避けようと思っても難しいです。だから、それ以外のところから過干渉になりすぎない意識を持つといいでしょう。
そのためには例えばこんな方法があります。
子供以外のところにも意識を向けてみます。
子供が遊んでいるとき、窓の外を眺めて、「ああ、空がきれいだなぁ」と思ってみるなど。
僕がおすすめなのは、子供と過ごすときはゆっくりしゃべるのを意識しておくことです。
注意したりするときにではなく、過ごすとき普段からゆっくりしゃべるようにします。
過干渉が強い人は、大人を相手にするよりも子供に話すときの方が早口なんていう人もいます。普段がこうだと、子供は過干渉の負荷から逃れるために、大人をスルーするクセがつくのでいろいろ難しくなってしまいます。
子供といるときは、まずは演技でもいいからゆっくりの自分を演出してみる。慣れてくるとあまり意識せずともできるようになる場合もあります。
大人の個性よってはムリなこともあるので、そういうときは↓
b,心の焦点をあえてずらしておく
上の「空がきれいだなぁ」のミニマム版です。
例えば、それが食事の時ならば、子供の一挙手一投足を見続けるのではなく、少し気持ちの焦点をずらしたところに意識をおいておくのです。
「そういえば、この前のドラマはおもしろかったな~」
「あ~、どら焼き食べたいな~」
など。
こうしておくと、例えば子供がお茶をこぼしてしまったときなど、「あ~どら焼き食べたいな~」のリズムで、「あ~こぼしちゃったのね~」と流しやすくなります。
本当に子育てがしんどくなってしまう人の中には、「私がこの子をしっかりと責任持って育てなければならない」といった自分へのプレッシャーが強すぎて、過干渉になりガミガミ怒ったり、手をあげてしまったりになり、自己嫌悪から子供に向き合うこと、関わることが辛くなってしまう人もいます。
心の焦点から子供を外しておくことが、子供にとっても大人にとってもいい場合があります。
c,それが本当に困ることなのか考えてみる
「も~~、あなたはいつもお茶をこぼしてっ!私いつも気をつけなさいっていっているでしょ!」
といった感情の高ぶりに直面してしまうとき、20歳になってもこの子がそれと同じことをしているかどうかを少し想像してみて下さい。
ほとんどのケースにおいて、それが想像できないはずです。
・あなたははたちになってもまだおむつしているの!
・あなたははたちになってもまだお箸つかえないの!
・あなたははたちになってもまだお味噌汁こぼしているの!
といった状況は想像できないでしょ。
目の前の子供のできないことや、ミステイクは長い人生の中では誤差にすらならないほどの小さなことでしかありません。
今日、今、というスパンで考えた場合は大事になるのですが、目先のできるできない、ミス、といったことは実は子供の長い成長からはそんなに問題ではないのです。
d,6秒待つ
怒りのコントロールでいわれることです。
手をグーにして、深呼吸しながら6秒待つ、すると一時の怒りの多くがしずまると言われています。
| 2019-02-16 | 日本の子育て文化 | Comment : 8 | トラックバック : 0 |
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