子育ての前にあるもの vol.2 ~自分の人生を生きること~ - 2019.03.21 Thu
3月14日に上げたこちらの記事をタイトルを変えてvol.1としました。(元のタイトルは『自己受容と自己肯定 ~子育ての前にあるもの~』)
子育て以前にあり、それが子育てに大きな影響を与えていることがあります。
しかし、場合によってはその当事者にそれは見えません。
すると、「子供の問題」としてその人には見えます。
もし、それが子供の問題ではなく、自分自身の問題だとしたら・・・・・・。
そういった気づきになるよう、それに関連することを『子育ての前にあるもの』としてまとめていこうと思い、このタイトルでシリーズ化します。
今回のテーマは「自分の人生を生きること」です。
「先生」という一人称の違和感 - 2019.03.18 Mon
自身のこと。それと職名として「先生」と、無頓着に言っている人が学校教員にとても多いこと。
別に揶揄していっているのでも、そこに悪意があると思っているわけではないのだけど、純粋に驚いた。
小学館HugKum【2歳児ママパパみんなイヤイヤ期に悩んでる!】乗り越え方を保育士おとーちゃんが伝授! - 2019.03.18 Mon
イヤイヤ期の対応。
特にはじめての我が子で、それに直面したとき対応が難しくなりがち。
ある意味で、はじめての子のときは極端になりやすいです。
「いいなりになってはいけない」「甘やかしてはいけない」と厳しい方へと行きすぎたり。
「子供をぐずらせてはいけない」「なんとか私が努力して納得させなければ」と優しい方へ行きすぎたり。
子育てはバランスが大事なので、どっちに寄りすぎても難しくなってしまうことがあります。
それらをちょっとゆるめられる内容になっています。
保育無償化について vol.2 - 2019.03.16 Sat
保育ジャーナリスト猪熊さんの記事。
まずは、当たり前なのだけど、待機児問題解決してから無償化を考えろという話。
無償化により、質が悪くなるという本末転倒をするな。
国が決めたことで自治体に負担をかけるな。自治体の全てが裕福とは限らないため、負担増になれば質の低下や他の所への圧迫が起こる。
結局のところ、いまの政権ではまともな福祉政策は期待できない。
子育ての前にあるもの vol.1 ~自己受容と自己肯定~ - 2019.03.14 Thu
座談会なのでいろいろなお話になるのだけど、親自身の自己受容と自己肯定にからむお話を多くしたように思います。
実は、子育て以前のところで子育ての難しくなる原因を抱えている人が多くいます。
モラハラ子育ての逃避から依存へ - 2019.03.12 Tue
男性にも同様のケースはあるのですが、女性に多く顕著に現れるのでここでは女性の例をモデルケースとして見ていきます。
【リンク】モラハラ夫が、日本の夫婦を破綻させる <モラ夫バスターな日々(1)> - 2019.03.06 Wed
保護者支援における保育者の意識改革の必要性 - 2019.03.05 Tue
社会の変化に保育士の意識の方がついて来られておらず、この意識のままでは保育士、保育業界全体の社会的評価が低下していってしまう。
自分たちの持ってきた考え方にそのまま固執するのではなく、現代の社会のあり方や、現実の保護者の状況を踏まえて保育士の意識もアップデートしなければならないだろう。
支配と保育 vol.2 - 2019.03.03 Sun
タイトルにもあるように、これは保育向けの内容になっています。
保育における子供の支配は、それをする人の持つ承認欲求の問題と関連がある場合があります。
その人自身が過去に支配を受け、その中で自己肯定ができにくい気持ちを形成されていると、自己の承認への強い欲求が生まれます。
もし、その人が働いた保育の現場で支配の保育が行われていると、その人のそういった性向と一致し、より支配的関わりが強まってしまいかねません。
(そうでなくとも、自身の生真面目な性格、園や上司の意向、同僚からの評価的する視線、そういったものから自身が他者からどう見られるかが気になり、それが強迫的に働いていつのまにか子供への支配的な関わりが多くなってしまうこともあります)
子供に対してのみならず、周囲の大人にもモラハラをするような強い支配的な傾向をもっているのでなければ、この承認欲求の問題をムリのない形で保育の中で自己実現できる手段を持たせていけば、これを改善していける場合もあります。
vol.1のところで、「承認欲求の付け替え」と僕が呼んだことです。
子育てのカルト化について vol.3 もっとも身近なカルト化 - 2019.03.01 Fri
子供たちの未来のためにもう少し書くべきことを書いてしまいましょう。
いろいろいただいたコメントの中で、「さん付けしないで名前を呼んでいることに違和感を感じた」というものがありました。
これをコメントしてくれた人が悪意なく言っているのはわかるのだけど、この意見、実は社会の中にカルトがすでに浸透してしまっていることの証明の最たるものと言えます。