例えば、家族の問題を抱えていたり、親の介護があって疲れていたり、なにか心配事を抱えていたりすれば人は簡単に心の安定を欠いて、それまで発揮されていたその人の人間性が十全に出せなくなるといったことは誰しもに起こりうる。
また、平保育士時代とてもいい保育をしていた人が、役職に就いたとたんにパワハラをし出すなどということもある。ここにも人間の心理上のクセといったものがあり、こうしたことは周囲からも予測不可能でありやはり少なからぬ人に起こりうる。つまり、単に人間性というだけでは担保できないところがある。
そして極端な話、人間性に帰着してしまうのであれば、そもそも国家資格など、つまり専門職である必要などなくなってしまう。
昨今、不適切保育のニュースが続いている。
増えたのではなくて、もともとあったものが保護者や保育士の意識の変化にともなって発覚するようになったというのが本当のところだろう。
こうしたニュースに触れても、多くの人が保育士の人間性ということを考えてしまうのではないかと思う。
だが、僕はそこに別のものを見る。
それは保育のスキルのなさが、人間性を悪くしてきたのではないかということ。
適切な保育上のスキルがない人が保育をすると、必然的に子供の支配になる。
これは優しい人であるか厳しい人であるか関係無い。
優しい人は優しい支配を、厳しい人は厳しい支配をするようになるので、結局どちらも支配であることは変わらない。
例えば、乱暴で大人のいうことを聴かない5歳児がいたとする。
ここにスキルのない保育士が対応すると、注意や制止、怒る叱る、行動の制限、ルールを課すといった対応になる。それらよりも感情レベルでの対応は、イライラを向ける、不快・否定の感情を向ける、疎外するといった対応が無意識・無自覚に発生することになる。(またこのとき保育者のストレス耐性の問題として「子供が悪い」「親が悪い」といった感情の発生という問題も付随してくる)
これらは、最大限うまくいっても、その子の行動を抑えることにしかならず、その子がなぜそのような行動を取ってしまうのかという根っこの問題を解決することはない。
もし、ここに適切な保育のスキルがあれば、その子のそうした姿を生育歴をさかのぼって考察し、足りないものを補う視点が持てる。
そして、なによりも信頼関係の構築に力を注ぐ。
信頼関係を厚くした上で、その信頼関係を使って行動の安定化、良い行動へのモチベーションづけをする。
上では「信頼関係の構築に力を注ぐ」と一行で書いたが、これを達成するためにはそもそも信頼関係とはなにかということを理解しており、またそれを難しい子との間にも構築する方法を知識として持っており、さらにはそれを実践の中で行えるだけのスキル(実地対応、自身の感情のコントロール、子供を見る専門的な視点の確保等)が必要。これの獲得には大きな専門性がいる。
これらがあれば、そうした対応の難しい子であったとしても、排除否定支配することなく保育が行える。
叱ったり注意したりならば、専門性を持たない一般人でもできる。
そうではないスキルを持っていて初めて専門職といえる。
例が長くなってしまったが、保育のスキルのなさが人間性を悪くしてきたのではというところに話を戻す。
保育の専門的なスキルがないままに保育の仕事を長年続けてしまうと、保育者はモラルハラスメント体質になり得るということ。僕はここを指摘したい。
どんなに子供が好きで心優しい人が保育士になったとしても、その職歴の最初の段階で適切なスキルが得られないままだと、単に保育が下手というだけではなく、その人の人格にまで影響しかねない。
不適切保育のニュースをこの視点で見てみれば、ほぼその全てがモラハラになっている。
保育者は子供に正しい行動(もしくはその人の考える誤った正しい行動の場合もある)を要求し、それに従わない子供が罰される形で不適切保育が起こっている。
つまりスキルのない保育を続けることが、人間性の悪化をもたらしてきたということが言えるのではと僕は考える。
これまでの保育界は保育の基礎部分を、スキルではなく人間性に求めてきた傾向がとても強いと思う。
それが逆に保育者の人間性を損ない、保育の劣化を招いている。
僕はそれこそ人間性に問題があってすら、適切な保育をスキルとして身につけることで保育が成り立つことが重要ではないかと思う。
なぜなら、人間性は上で指摘したようにうつろいやすいものであるし、人間的に優れた人だけしか保育をしてはいけないということは、ひいては優れた人しか親になれないという話にも相通じてしまいかねない。
この世には、お酒の飲めないバーテンダーやソムリエもいる。つまり、この人達はその専門性ゆえにその仕事ができている。
保育者も同様に専門性によって、つまりスキルによって仕事ができなければならないと言える。
逆に言うと、適切な保育スキルを伝えることで、その人が保育の仕事の中で自己実現できるように持っていき、その結果として人間性が向上できる道筋を施設側がつけてあげる必要があるのではとすら思う。
現状日本の大半の保育は、子供の管理、支配になっている。支配には優しいものもあるので、やっている当人はおろか周囲の人もそれが支配や管理であることに気づけないものもある。
養成校で習うものや保育指針が示すものはそうではないにも関わらず、そうなってしまっているところは多い。
こうした子供の管理や支配の枠組みを、本来の保育が目指す枠組みの中に置き換える気づきや学びが必要だろう。
それをすることで一番得をするのは保育者自身なのだと思う。
僕が自分の仕事の中でめざしているのは、そうした保育のパラダイム転換。
当たり前と思っていたものを、視野を広げたり、視点を確保することで当たり前ではなくし、枠組み自体を入れ替えてしまうこと。研修でもそれをお伝えしたい。
◆今後の研修予定
●11月9日(土) これからの子育て支援 ~保護者対応の苦手をやりがいに変える
詳細:
HOIKUBATAKE告知ページ 空きあり
●12月1日(日) 受容と信頼関係の保育 ~子供を支配しない保育~
申込み 詳細:
https://peatix.com/event/1336332/view●12月21日(土) 自主性・主体性の保育 ~「つくる」から「伸ばす」へ~
申込み 詳細:
https://peatix.com/event/1337079/view 空きあり