叱らなくていい子育て その2 - 2009.11.04 Wed
これは、ほんと効果あるんですよ、なぜなら育て方として叱らない、というのではなくそもそも叱る必要のないこどもになるのですから。
最近よくみかけるのが、自分の子が周りの人に迷惑になるほど暴れまわっているのに、しらんぷりの親。病院の待合室なんかにいると必ずといっていいほど毎回こういう人を多数みかけます。僕は職業柄いろんな親子を観察しちゃうんですよ。こういう親子には共通点があるんです。それは、人にぶつかったり置いてあるものを倒しちゃったり親がでざるを得ない状況になったときの親の反応が同じなんです。親がでてくるのだけど、相手の人にあやまったりすることはまず無く、「なにやってるのおまえが走り回ったりするからだろっ」などとこどもをせめちゃうんですね。言葉だけならまだしも叩いちゃったりね。でも、叱られ慣れしちゃっているからまたこどもも繰り返しちゃうのですね。こういう人見るとすっごくかわいそうだな~って思います。こども見たくないってオーラが立ち上ってるのがわかりますからね。
こども産まれたときはそれなりにかわいく思えてたのが、大きくなるにつれて自分の思い通りにならなくなってしまい、こどもとの関わりを投げてしまう人がほんとに多いです。保育園の保護者にもたくさんいます。そういう子は当然ながらものすごく手がかかりますよ、小さい子だと噛み付きがでたり大きい子は集団行動ができなくなったり、暴言とか乱暴、いじわるとか。孫可愛い可愛いだったはずの、おじいちゃんやおばあちゃんですらもう預かりたくなくなるくらい。一旦こうなってしまうと力量のある保育士でもこどもを安定させ良い方へ伸ばしていくのは相当大変ですよ。身も心もへとへとになるまで対応してなんとか集団のなかでも関わりがとれてあそべるようにしても、土日の休みを過ごして次の週が始まるとまた1からやり直しとか。(以前は、休み明けは朝の受け入れ時は泣いたとしても、休み中に家族と関わったり甘えたりすることができて保育園にくると安定してすごせることが多かったのですがいまは逆になることが多いです。)
前回述べましたが、「叱る・支配」ばかりされて親や大人に対する信頼感、言葉の通じないこどもにしてしまうとほんとに育てにくくなってしまいますが、「共感」する「心の言葉」で関わってきたこどもは言葉に価値があるので、言葉がきちんと通じます。「ここは病院の待合室だから静かに待つところなんだよ。座って本見てようね。」最初に来たときに1度話すだけできちんと理解して覚えていられます。毎回来るたびに走り回るのを叱ってイライラするよりよっぽど楽ですよね。
叱られすぎて言葉が通じなくなる子だけでなく、甘やかされすぎて言葉が通じなくなる子もいます。
これは言葉が通じないというより、自分に都合の悪いことが受け入れられない心に育ってしまうのですね。人との関わりが常に自分からの一方通行になってしまうのです。なにか注意しなければいけないことがあって話そうとするのだけど、目が合わずすぐごまかそうとしたり。「ぬかに釘」っていう状態です。こういうこどもの対応はなまじ手のかかる子よりも精神的にすっごくつかれます。
以前、家庭裁判所の相談員をしていた星護さんの講演を聴きました。(ずいぶん前なのでプロフィールやお名前がこれで合っていたか自信がありません、まちがっていたらごめんなさい)
その中で、「手のかかる子の育てられ方には3種類あります」、というお話がとても印象的でした。保育士をしていてまったくその通りだと思ったからです。保育をする上で、子育てを考える上でとてもそのことは役に立ちました。受け売りですがみなさんにご紹介したいと思います。
①支配型
②服従型
③放任型
①はこれまで述べてきたような「叱る・支配する」子育てです。手を上げる、怒鳴る、暴言をはくなどの子育てもこれにあたります。保育する中で、その親の前では従順でも見えないところではものすごく乱暴だったり、多動だったりする子はこのタイプがたしかに多かったです。多大な抑圧にさらされているので、このタイプはものすごくストレスフルな状況に置かれています。物への暴力>人への暴力 とエスカレートしていくこともあります。
②は親がいいなりになるタイプです。さきほどの甘やかされて関わりが一方通行になってしまうのもこれですね。これも実は①と同じくらいストレスフルな状況に置かれてしまいます。なぜなら、家では自分の思い通りになっても外ではそうはならないからです。しかし自分が制限されることに耐性がないので、意地悪をしたりして心のバランスをとろうとしてしまいます。親はこどもに良かれと思っていいなりになってしまうのかもしれませんが、返ってこどものためにならなくなってしまっているのです。いわゆるスポイルですね。
③は最近ようやく虐待の1つと認識されだしてきた「ネグレクト」ですね。こどもの自由にするというのと放任とは大きなへだたりがあります。放任されていると、こどもは安心感を得ることができず、常に不安な気持ちをもっています。人間への信頼感もそこなわれていきます。心が安定できないので常にイライラして暴力的になります。実際に放任されている女の子を2歳のときから2年間保育したことがありますが、噛み付きやひっかきが多く、常に不安感を抱えているので午睡に入れない、生活リズムもメタメタなので寝不足、ご飯もきちんと食べていない、午睡明けはものすごくイライラになる。甘えたら甘えたでどんなに受け止めても満足することがないというものでした。
(講演をきいたのが13年くらい前なので解説部分は僕の言葉になっています。へんなところがあっても星さんの言葉ではありませんのでご了承下さい。)
みなさんももし上の3つのどれかに自分の子育てが偏っていたら気をつけてくださいね~。
最近、「がまんしたりする脳の役割は3歳になるまでにできるので、小さいときからしっかりとしつけたり、がまんさせることが大切だ」という趣旨の本がわりと話題になっているようです。(本の題名はここでは伏せますが) たしかに上の②の子育てをしてしまうひとに対しては、それはあっているかもしれませんが、その内容を鵜呑みにしてしまうのは危険ですらあります。その筆者はほんとの子育ての現場はしらないのでしょうね、1ヶ月も保育園で働いたらそんなことは言えなくなると思います。支配され抑圧されてつぶされている子、たくさんいますから。
育児書などもそうですが「~~しなければならない」「絶対に~~してはいけない」なんていうのはどんな偉い肩書きの人のものでも話半分くらいに聞いとくのがいいですよ。
今日もとっても長くなってしまいました、もし最後までよんでくれたかたがいたら、ほんとにありがとう。
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● COMMENT ●
ためになります!
No title
なかなか難しいけれど、「共感」する「心の言葉」で関わって、言葉がきちんと通じるように頑張ります。
Re: ためになります!
いらっしゃい、コメントありがとお。
がんばらなくてもできるところだけやればいいんですよ。子育ては長いんだからボチボチやればね~
ほめてもらってうれしいな~。更新がんばりますので、またきてね~
>けいさん
そっか~、病院の待合室とかだととても気を使うから疲れちゃうよね~。
活発なのは個性なんだから、うまくいかなくたって自分をせめちゃだめだよ。
好奇心が旺盛なのだったら、まず待合室中を探検しちゃうとかそれから座って本みたり、お気に入りのおもちゃであそんだり、顔あそびとかもいいよ。個性とか意志は押さえつけるより、寄り添って一緒にするのが楽だしいいもんだよ~
自分は①かも~ゾゾゾ‥

自分の育児と自分が育てられた分析に役に立ちます(^^)
かなぴろ。さん

> 自分の育児と自分が育てられた分析に役に立ちます(^^)
ここであげた1、2、3はどれかに当てはめようとすれば、多くの人がどれかにあてはまってしまいそうなものです。
だから、それに近かったとしても現に問題になる行動とかがでてなければ、ちっとも平気なんですよ。
もし、なにかそれに起因することがあるように感じたときは、こういう可能性があることを頭においておけば対処もしやすいんだと思います。
No title
月曜になると状態が悪くなってる、とか、多動の子は親に支配されてるとか。病院で動く子を見て可愛そう~とか何様?
すごく視野が狭いし、普段から親を責めるのに慣れきってるんですね。
保育士と言ってもたった親としてはたった二人の子の親。
あらゆるケースを見た的に上から言われるとほんとに腹が立ちます。
あなたみたいな人に保育のプロでいて欲しくない。
名無しさん
前号の「叱らない子育て その1」から冷静に読んでいただければ理解できるはずです。
>普段から親を責めるのに慣れきってるんですね。
親を責める対応をしても結局子供は良くなっていかないので僕はしません。
いろんなかたから頂くコメントなどみていると、いまだに親を責めるような対応をしているところは多いようで残念なことです。
名無しさんは、過去にそういう対応をされたことがあって憤っているのかな?
それは気の毒なことだと思いますが、関係のないところにまで攻撃性を噴き出すのは、心の安定を欠いていますよ、自分の人生をつらくする前に専門機関にかかることをおすすめします。
叱らない子育て?
確かに感情的に叱ったり殴る蹴るというのはよくないかもしれません。
しかしそれがわかるのも、加減がわかるのも、叱られた経験があるからです。
叱らないのではなくて叱り方の問題じゃないんでしょうか?
叱られていない子供が社会へ出て初めて叱られた時どうなるでしょう?
また、叱られてなければ叱り方もわかりませんから変な叱り方というかキレ方になるんじゃないですか?
私は子供は叱られてなんぼだと思いますし、叱られてるうちにいろんなこと覚えないといけないと思います。
大人になったら誰も叱ってくれませんよ。
服部義彌さん
せっかく読んでいただいたのに申し訳ないのですが、服部さんの理解されたことは僕がいわんとしていることとは違ってしまわれたようです。
ここの記事はよく誤解されてしまうので、僕も書き方が悪かったと感じるのですが、「叱らないこと」を要求しているわけではないのです、他の関連記事も読んでいただければもうちょっと理解しやすいのかもしれませんが、もうすこしその大枠から「叱る」「叱らない」の子育てについて考えています。
必要があれば叱るのは当然なのですが、現代の子育てではそのへんがあいまいになっており、「子育て=叱る」になっている弊害がたくさん見受けられます。
そこをなんとか是正したいというのが僕の思いです。
そのために「叱る・叱らない」以前のところのアプローチを多くの方に気づいていただきたいと思い、「叱らなくていい子育て」のカテゴリー・関連記事を書いています。
世の心無い人がマナーも守らない自分の子供を野放しにしている状況を肯定しているわけでは断じてありません。
No title
しかし、依然として「叱らなくてもいい子育て」という言葉には疑問を感じます
子育て=叱る、教育=叱るというわけではありません
しかし、教える中にはきちんと叱らないといけない部分は必ずあります
それは避けて通れないし避けてはいけない部分だと思います
「叱らなくてもいい子育て」ということばにはそこから逃げてるイメージが強いです
必要があればではなく、必ず叱る必要があるのです
だから、重要なのは「よい叱り方」だと思います
叱らないから、叱られないから、それを学べないのだと思います
服部義彌さん
しかし僕がここでの骨子としているのは、そのこととはまた別の問題としてあつかっています。
子育てする人をみていますと、叱ることに終始してしまう人と、逆に叱ることや子供に言い聞かせることが出来ずにいいなりになってしまったりして子供をスポイルしてしまう人がいます。
服部さんはその後者の「叱れない子育て」になってしまう人たちのことにたいする危惧を訴えているのだと思います。
これも本当に大きな問題で今現在子育てしている人のなかには、それゆえに子育てのなかでの様々な齟齬を抱えてしまっている人たちがたくさんいます。
子育てを語る上でこのことはもちろん問題視すべきことなのですが、僕が「叱らなくていい子育て」のなかで述べている上ではこの問題を一緒にはしていません。
それは不十分ながら、「言い聞かせる」ことについての記事や「過保護と過干渉」のなかでフォローしているつもりです。
ですので「叱らない子育て」を叱れないことの逃げ場にしているつもりはありません。
ですが、そのように解釈しようとするひとも少なからずいるでしょう。
現実に子供に言い聞かせらずいいなりになっている親が、理論武装てきに「子供の意志を尊重している」「叱らない子育てを実践している」などと主張している事実をいやというほどしっています。
ここで述べているのはそれとは別の問題であることについてなのです。
シリーズ中や関連記事の中で明確に述べていると思いますのでここでは割愛します。
服部さんがおっしゃっているのは人間の精神的な成長のためには叱られることが必須であるという観念的な意味でのことなのでしょうか。
それはそれでわかりますが、同じ「叱る」ということをテーマにしていても、僕がいわんとしているのはそれとはまた別の地平の問題なのです。
僕は具体的にはおよそ0~2歳児くらいの乳児期の子育てにおいてを念頭に描いての子供との関わりについてを述べています。
矯正しなければならない「なにものか」が出来上がってしまった子供に対してでなく、それ以前の状態の子供への関わり方です。
「叱る」ことを前面に出した関わり方が子育ての第一だと考えている人はたくさんいます。
保育の現場にいますと、そういう関わりを乳児期からされてきたことで、自己肯定感をちいさいうちからまったくもっていなかったり、性格が萎縮・いじけてしまったり、明らかに意地悪になってしまう子供たちをたくさんみることができます。
その時期の子供たちが親から「叱られる」ことの原因を作っているのは、実はその子にあるのではなく、親の「叱る」行為そのものであったり、非受容的な関わりにあったりすることを現実に目の当たりにしています。
精神論・観念論として「叱らなくていい子育て」を主張しようと思っているのではなく、具体論として述べているのです。
また「叱ること」が必要であるか否かというところを俎上に載せているのではなく、「叱る・叱らない」のパラダイムを超えたそれ以前のところで子供との関わりを形成していきたいというのがここでのひとつの眼目です。それはその4の記事やそのほかの関連記事の中で述べられている通りです。
「よい叱り方」が大切なのはわかります。
「叱り方が大切」と子育ての中で大きく言われるようになって、ずいぶんと久しいと思いますが、現実の子育ての中でそれが汎く実践され得てきたでしょうか。
もちろんそれが出来る人もいるでしょう。しかし、現実に多くの子育てを見ていてもその主張がそのままの意味合いで実践されることは多くないのです。
それが可能になっているのならば僕はわざわざ「叱らなくていい子育て」など書く必要はなかったでしょう。
実際には「叱る」というそのことばかりが大きくなってしまい、子供のよい育ちとは乖離したところでそれが行われています。
そのことの弊害をなくしたいがために、成長の最初の段階の乳児期において「叱る」を超えたところでの関わりの必要性をお伝えしているわけです。
どうぞその辺りをご理解ください。
子供が盗んできたときの対応
今までのどの育児本などよりも、私の助けになっています。
私は3,4歳くらいまでは典型的な支配型で、その結果、子供が多動や反抗的、親の言葉はスルーしやすい、キレたら怖い、いじける、子になってしまい、それからは、(個人を尊重といいながら)いいなりになっている最悪なパターンです。そのことを、おとーちゃんのブログをみて認識でき、後悔とともに、今から時間をかけて修復していかなければ!と、クッキーの缶をいっぱいにしようと頑張っているところです。(一進一退ですが。。)プラスの働きがけで、速攻によい反応がでてくるときもあり(昨日などはプラスのサイクルで最高の一日でした)、こちらも、よしよし!とモチベーションあがりますが、私が6年かけてつくりあげた彼のマイナス面はやはりしぶとく根付いているのと、第一に、私がまだまだカチン!ときてキレてしまうので、マイナスのサイクルで反応しあうときがまだ頻繁にあります。
実は今日、友達の家から帰ってきたら、息子のポケットにビー玉が一つはいっていました。(完全にお友達の家にあったものです)。
前に一度似たようなことがあったので、またそんなことして!!と、私は怒りと情けないのと、なんとなく気持ちもわかるのと。でも
「新聞にも、万引きは一度ばれなかったら、必ずまたするものだ」と書いてあったし、クセになったらあかん!ここで怒らんといつ怒る!痛い目あわせてもうさせんようにするのが親の役目や!と、とっさに頬にパチンと平手打ちをしました。「人のものを盗んだらあかん!絶対あかんで!泥棒と一緒やで!明日一緒に返そうな!」といい、これ以上私がグチグチいいそうになったので、しばらく離れておきました。
おしりとか肩とかをたたいたことはありますが、頬というのはあまりないので一瞬びっくり顔でした。
前回のときは、私も怒りでグチグチ「どろぼう」「警察いかなあかん」「子供が悪いことしたら親がつかまるんよ、あ~、ママもう牢屋はいるから、もうみんなと会えないわ!」「明日友達とお母さんに謝りにいこう!」など、怒りと、ここでショックを与えて、とにかくもう二度としないようにしなければ!という気持ちで、脅したり怒ったりしました。
でも、また今回ビー玉をもって帰ったりしたので、効いていなかったのか。もっといいかかわりがあるんじゃないか。と。
このようなことが、発覚したときの接し方を教えて下さい。(クッキーの缶がまだ満たされていないまま6,7歳になってしまった子への接し方です。)テレビではよく、万引きした子供に親が平手打ちをして、泣き崩れる。子供はショックと同時に、大変なことをしてしまったんだということを知る。
みたいなシチュエーションがよくあるように、人生で一番くらいに親が声をあらげて怒らなければいけない場面なのではと思っています。友人は小さいときさみしくて何回も万引きしたけど、お母さんはなにも怒ってくれなかった。っていっていたのもあり、ガツンといわないと!!と思って、たぶん一番ショックだろうと思われる平手うちをしました。
でも、一方で、Yはクッキーの缶がまだ満たされていない、というか、毎日怒られることになれきっている状態なので、またこの方法でいいのか?もっといい方法があるのではないかと思ったり。
また、発覚したときも、私自身明らかに友達のもの
だと思っていても「Yの?」「・・・僕の」「うそつけ!友達のやろ!」と、
分かってて、きいて、うそつかせて余計に怒ってしまうのですが、どうなんでしょうか?内心、「ごめんなさい、もってきてしまった」と
自分からカミングアウトしてくれるのを期待して聞くのですが、「僕の」とか、しらばっくれたりすると私は余計にカチーン!ときてしまいます。
でもお互いなんとなくわかっていても「僕の。。。」としかいいようがないかなとも思い、無駄に嘘をつかせてしまってるかな。と思ったりもします。
「友達がくれた」とかいったら、微妙であやしいなと思うときでも、
「そうか~」と信じてあげたらいいのでしょうか?私は性格上、悪いことが許せないというか、小さなことでも、一度許したらまたするんちゃうかと思い、必要以上に問い詰めて追いつめてしまうのですが、おとーちゃんだったらどうされますか?
私も小1のときに友達の家のビーズを一粒もって帰ったものの、良心がいたんで、我慢ができず、後日そっと戻しにいったこと、今でもわすれません。命令型の私のような親に育てられると、良心も鈍ってしまうのでしょうか?良心を育てるには、まずはクッキーの缶をいっぱいにしてあげなければとは思うのですが、実際、うそをついたり、ごまかしたりされると、良心に働きかけて信じてまつよりも、ごまかさないように真実を洗い出して罰を与えてしまいます。彼の良心を信じられないのかな。見逃したら調子にのると思ってしまうのかな。
下の子達とは、完全にプラスのサイクルができてとてもやりやすく、いい関係なのですが、長男となると、キッ!となってしまいます。
長文、乱文、お許しください。
クッキーの缶が満たされていないまま、6,7歳までなってしまった子供への対応について、
おとーちゃんのご意見、聞かせていただけると幸いです。
ミントさん
思いがけない子供の行動に、とまどい驚かれたことと思います。
けっして繰り返さないようにと平手打ちしてしまったとのこと。僕はその対応もけっして間違ってはいないと思います。なぜなら、それは子供が憎らしくてやったわけでなく真心・親心からしたことだから。
その気持ちはお子さんにも伝わっているのではないでしょうか。
ですが「盗んでしまう」ということは道理や理屈だけでは、割り切れない部分も多々あります。
経済的になに不自由ない人がついやってしまったり、心に不満や苛立ちを抱えている老人や少年が慢性的に万引きをしてしまうなどという話はよく聞くお話だと思います。
心理学でも、良心とは関係なく自我の防衛規制の一つとして「嘘」や「盗み」といったものがでることがある、と教わります。
またそれらが慢性的になれば「虚言癖」や「盗癖」といった一種の治療の必要な病気として扱われることもあります。
ですので、これっきりで無くなればなにも問題ありませんが、もしまた繰り返したり、盗むということでなくとも他の形(様々あるので上げ切れませんが、イライラや他者・物への意地悪・暴力、逆に殻にこもってしまうことや、チックや退行・夜尿などの身体面でなんらかの影響がでたり)で気になることがあるとすれば、もともとの根底にある部分を改善していくようにしなければ、本当の意味では解決しないかもしれません。
あくまで推測と仮定での話ですが。
その場合いろいろな対応方法があるとは思いますが、僕だったらこうというのを書きます。
状況・個人差いろいろありますから、それが正解ではありませんあくまで一つの参考ということで。
もし、またなにかを盗んでしまうようなことがあったならば、もうすでに一度最大限の叱り方をしているのですから、それが伝わっていないわけはありません。にもかかわらず繰り返すというのはこれはもう理屈でしていることではありません。
子供自身がやむにやまれず出てしまっている行動です。
強く叱ることは逆効果となってしまうでしょう。
平手打ちされてまで叱られたことを忘れてしまうという気質の子であれば、そうではないかもしれませんが、たいていの人はそこまでされたことを忘れることはありません。故にそれがどんなにいけないことなのか叱らずとも重々承知しています。
なので、子供自身を罪人にする必要はありません。「罪を憎んで人を憎まず」の精神で接するのがもっともいいはずです。
責めたり怒ったりすぐニュアンスを込めずに、
「どうしてもってきたしまったの?」
「あなたはどうしたい?」などと問いかければそれで十分なはずです。
また、心になにか大きなわだかまりがあってのことだと判断されるならば、おっしゃるように「まちがってもってきてしまったんだね。今度返しに行こうね」と対応してもいいかもしれません。
ミントさんが小一の時自分で気づいて返しに行くことができてよかったですね。
息子さんもそのチャンスさえあげればきっとそれができるはずですよ。
変な話ですがこの前、柳家小三治の「出来心」という落語を聞いていたら冒頭の枕のところで「盗み心の全くない人間なんていないもんだ、誰しもそんなことの一度や二度あるもんだ」というはなしがありました。
それもまた一理あると思うのです。
そして問題はそれを引き起こしてしまう心の部分をどうケアしていくかだと思うのです。
これまで支配的で、クッキーの缶がに溜まっていないと思われるなら、そこを対処していけばいいのだと思います。
一進一退でいいです。
ときにはイライラしたり、叱ってしまうこともあるでしょう。それでいいと思います。
6年かけて今の姿が出てきてしまったとするならば、これから6年かけてこれまで足りなかった部分をうめていけばいいくらいの気持ちでいるのがいいでしょう。
子供は何歳になったとしても、足りないものを取り戻せるものです。
あと6年かかったとしてたって、子育てとしてはそれで大成功です。
大人はどうしても子供に対して年相応のことを求めてしまうので、ついキッとなってしまうものです。
僕も、男の子ということもあってついつい長男にはきっちりとした部分をもとめてしまい、キッっとなってしまうこともあります。長男は2歳の妹がたくさん受け止められているのとそれとを、引き比べてときどきいじけたりもしていますが、あなたも同じように大切なんだよ、2歳の時にはあなたもたくさんこうしてもらってたんだよ、と話したりしています。
できる部分で少しずつでも受け止めていければいいと思います。
「プラスサイクルの最高の一日」とてもよかったですね。
きっとそれが息子さんの本来の姿だと思います。
一進一退でも、ちょっとずつその本来の姿を自然に出せる日が来るはずですよ。
お返事ありがとうございます
そうですね、次同じようなことがあったら、あまり叱らず
接した方が彼にはいいような気がします。
対応にはこちらのキャパが問われるのと、彼の成長を長いスパンで
見る必要がありますね(^_^)私はついつい、今すぐ服従!を
求めがちですので(^_^;)
満たされているときの彼は、最高に可愛くって表情も別人のようです。ずっとそんな顔をしていられるように、
私も最大限に頑張り続けたいと思っています。
また何かありましたら、どうかまた相談させてください。よろしくお願いします。
初めまして
息子は小学3年生。夜は8時に寝たくない、間違ったことを注意しても、聞く耳持たない。
怒りすぎなのかな…母親ってみんなこんな感じじゃないのかな?怒られることから愛情感じないのかな?子供に見捨てられて、一人になる方がいいんじゃないかなんて、わがままですよね。
こちらの内容を読んで、勉強してみます。
明美さん
まだ思春期にもなっていない子供が、自分から親を捨てるということはまずありません。
これからいくらでも改善のしようがあると思いますよ。
「甘やかされすぎ」とは?
今月2歳になった息子がおります。
妊娠中、赤ん坊時代に、たくさんの育児書を読み、
たくさん愛情をかけて、優しく子育てをしていこう、
と思っている派です。しかし、
「甘やかされすぎて言葉が通じなくなる子もいます。」の
くだりにドキッとしてしまいました。
私は子ども時代、怒られっぱなしがイヤだったので、
叱る&怒るをなるべくしないようにしていて、
広いスーパー、ホームセンターで走り回ったり、
商品をとったりは、まあいっか、と思っています。
(卵売り場は抱きかかえて移動しますが。)
食事中に動き回るときも、しょうがないなあと思いつつ、
親が移動して食べさせています。
(よくないのは重々承知です。)
一日通して、あまり怒りませんが、
早寝早起き、オムツ替え、お風呂、歯磨きなどは、
たとえ嫌がることがあったとしても実行しています。
それほど、世界は自分の思い通りになる、と思っているとも
思えないのですが、私のケースは服従型に
あてはまりますか。服従型について、もう少し掘り下げて
解説頂けませんか。よろしくお願いいたします。
初めてコメントさせていただきます。
現在2歳1ヶ月の娘がおります。
悩みがたくさんあり、コメントさせていただきました。
①毎日娘と2人で、色々な公園や児童館に行くのですが、娘があまり楽しそうに遊ばないことがとても気がかりです。
公園には仲の良いお友達もさそって行くのですが、行く前までは「~ちゃんいるかな?」などお友達と会えるのを楽しみにしている感じなのですが、行ってみると私のそばから離れず、私が他のお母さんとおしゃべりなどをしてしまうといじけてしまったりします。
他のお友達はまねっこが大好きで、大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんのまねをしたがったりしますが、娘はまねをすることもほとんどありません。~もやってみる?と聞いても「やだ」で終わってしまいます。
笑顔もなく、お話もしなくなり、公園に40分もいると「お家に帰る」となってしまいます。
そうなるとこちらがどんなに楽しそうな事を提案しても、一歩も動かなくなります。
娘に提案する遊びを、他のお友達にしてみるととてもキャキャと喜び何度もしてとせがまれます。
周りのお母さんたちにも、「元気ないね」とか「おとなしいね」とかいつも言われるので私も何がいけないのだろうと答えが出ずにいます。
実際にとても食欲が旺盛なので、ご飯を食べると少し元気を取り戻すのですが、朝7時に朝食、9時におやつ、いつも11時ごろになると「ご飯食べる」と言い出します。お弁当の量も他のお友達よりも多いです。
②また他にも食事中に気に入らないことがあり、スプーンなどを投げて「ママ拾って」となり「自分で拾いなさい」と言うとギャーギャー泣き出します。結局私も娘も拾わず他のスプーンで食べたりするのですが、こういうとき「もう投げないでね」などと言って拾ってあげたほうが良いのでしょうか?
お友達におもちゃを貸してほしい時も、「ママと一緒に貸してっていう」と自分1人ではなかなかできません。
③何をするにも「ママ、ママ」でなかなか1人で遊べません。
今まで私が一緒に遊んでいたつもりが、実は娘の成長の邪魔をしていたのか、私がどう変わればよいのかが分からず悩んでいます。
④何か気にいらないことがあると、自分を叩きます。他の子は皆ママを叩くと言うのですが、娘は自分を叩きます。痛いからやめようねと言ってもなおりません。
お友達と一緒に遊んでも、娘だけ私と一緒に遊び、お弁当も皆と食べられず、他のママともおしゃべりもしたくても出来ず、家にいてもずっとママ、ママで本当に疲れてしまい涙が出てきます。
私には両親がいないので、娘には最高の愛情をと思ってしていたことが間違っていたのかと思うと本当に辛く、毎日の子育てが本当にどうしてよいのか分からなくなってしまいました。文にまとまりがなく長文で申し訳ありません。
娘が毎日楽しく過ごせるよう、お力をいただければ幸いです。
ricaさん
とくに公共の場での行動や食事でのウェイトは大きいです。
こういった類のことは日々の積み重ねでできていくものなので、ある年齢になったらパタっとわかるようになって切り替わるというものでもないようです、ちょっとずつでもいいから習慣づけていくことをおすすめします。
服従型という語は直接使っていませんが、それを具体的に掘り下げたものとして『過保護と過干渉』というカテゴリーでまとめてあります。
まずはそちらをご覧頂いて、なにか質問などありましたら遠慮なくどうぞ。
Re: 初めてコメントさせていただきます。
多くの人が、子供は小さいうちから「お友達」を作ってその中で楽しく遊べるのだという先入観をもっているのですが、実際は全部が全部そうではありません。
そういう子ももちろんいるのですが、そうでない子もいます。おそらくそうでない子の割合は一般の人が思っている以上に多いでしょう。
低年齢の子にとっては、家庭の外の慣れない場所・不特定多数の人がいる場所などに不安感を感じるものです。
「人見知り」以前に「場所見知り」ということをします。
そしてさらに、「お友達」と大人が呼んでいるものは、小さい子からすると「遊び相手」という認識よりも「なにをするかわからない、不安にさせるエイリアン」と感じている部分も少なからずあります。
なので2歳1ヶ月の子が、そういった場所で遊びにはいれないというのは問題があるわけでも、他の子と比べておとっているわけでもありません。
まったく、普通の状態です。
ただ、大人の方が「子供は友達と進んで遊ぶものだ」「友達と遊ばなければならない」という先入観が強いのでそれに当てはめてしまうと、そこからはずれしまうというだけです。
よしんば友達と遊んだところで、まだ他者との関わりそのものが遊びになる年齢ではないので、大人から見ると一見関わっていないように見えるかもしれないけれど、それも「関わり」のひとつなのです。
そういうのを「並行遊び」などともいいます。また見ているだけでも、そこから学ぶのでそのときはひとりでいるようでも、家に帰ってから大きい子のしていたことを自分なりに再現したりすることもあります。
どうすればいいかといえば、いまのある姿を認めてあげることから出発するのが一番いいです。
親が子供を「なにかができない」と思っていると、それは態度に出さなくても子供にネガティブな気持ちをもたせます。
そうなると、一層子供は前に進むことが難しくなってしまいます。
なので、「今はこういう姿なんだな。あなたはそれでいいんだよ」と受け止めてあげることで、自分の成長発達に見合ったスピードで前進していく力をちょっとずつですが育んでいけます。
そしてそのことは「自己肯定感」をもたせます。
親が「足りない」「できない」と思っていたら、子供は「自己否定感」をもっていってしまいます。
子供には「あなたはそれでいいんだよ」。そして親であるあなた自身に対しても「私は私なんだからこれでいいんだ」と自分に言ってあげられると、いろいろ楽になるはずですよ。
親が自己肯定できないと、子供もなかなか自己肯定できません。
嘘とわかっていてすら自分で自分に「自分はこれでいいんだ」「嫌いな部分もあるけど、それでもやっぱり自分だから自分が好き」と言っていると、それは嘘でなくなります。
②③④に関して、その子供自身の「自己肯定」の部分が強く影響しているように感じられます。
娘さんはお母さんであるあなたに、「自分を肯定して欲しい」と思っています。
もっといえば「全面肯定してほしい」です。
その部分の気持ちがクリアにならないと、友達と遊ぶとか食事のマナーとかが前に進めるだけの心の余裕を持てないのではないかと推察されます。
ではどうすればよいかというと、しばしばこのブログででてくる「先回りした関わり」からはじめるのが良いでしょう。
ブログ内で語句検索するといろいろひっかかるかと思います。
簡単なところでは「くすぐり」を毎日ひまがあればしてあげましょう。
それで屈託のない笑いがたくさんでるようになればいろいろ好転します。
ただ、あせらないことと、なにかをさせるためにそうするのではないということに気をつけてください。
くすぐり遊びをして、親子で楽しく笑い合えることが大切なのです。
友達や集団での関わりがうまくできることは、まだまだ先でいいのです。
そういったことは、不安なく安定して過ごすことや母子関係をさらによいものにしていけば、勝手にできるようになることですから、「できないことを、できるようにしなければ」という方向性で子育てをとらえないほうがいいと思います。
くすぐりや先回りしての関わりを続けていけば、必ずと言っていいほどいまとは状況が変わっていくと思います。
もし、またなにかありましたら遠慮なくきいてください。
それと、たくさんの相談を受けていると混乱してわからなくなってしまうので、次からハンドルネームでいいのでなにか名前を入れといてください。
2歳1ヶ月の娘について
名前の記載をせずに申し訳ございませんでした。
育児の相談を初めて主人以外の方にさせていただき、お返事もすぐにいただけ情けないですが涙があふれてきました。
元気のない娘も普通なんだと言っていただき、本当に安心しました。
また母親である私の情けなさに腹立たしくも思いましたが、思い切ってご相談させていただき良かったです。
さっそくくすぐりの遊びしてみます。
娘の笑顔が少しでも増えるように頑張ります。
ありがとうございました。
いつも参考にさせてもらってます。
三歳になったばかりの娘がいて一度走り出すととまらず追いかけても諭しても面白がり走ります。
走り回るのをやめさせるのに即効く良い対処方法がありましたら、おしえて下さい。お父ちゃんが言うように、日々の子供との関わりでくすぐりなど蜜なコミュニケーションをとり自己肯定感を少しずつ育てて行くのが良いのだろうと頭ではわかっているのですが、私が甘すぎなのか私の前ではやりたい放題で、回りからは甘いといわれ最近は叱る事も増えてきました。しかし、叱ってもあまり効果はなく、どうすればよいでしょう?お知恵をお貸しください。
りんごさん
例えば、
>一度走り出すととまらず追いかけても諭しても面白がり走ります。
この例で言えば、子供には走ってあそびたい、お母さんに追いかけてもらいたいという欲求があるわけです。
それ自体は少しも悪いことでも困ることでもありませんが、大人がして欲しくない時や場所でしてしまうから困ったことになってしまいます。
なぜ、そのようなときにしてしまうかと言うと、その遊びを満足するまでしていない、もしくはその遊びをこのさきいつしてもらえるのか保証がない(見通しがもてていない)からです。
これから公園に行って追いかけっこをして遊べるということがわかっている子は、その途中の横断歩道の上で追いかけっこを始めたりはしないわけです。
なので、遊びに限らずほかのものでもそうですが、「メリハリ」を持って行うということが大事です。
その際に重要なのは、大人の方の姿勢です。
していいとき・すべきときに大人の方もそれをきちんと認め肯定して・一緒にすることならば大人の方も一緒に楽しむという経験が子供にとって大事です。
していいところであっても、大人がイヤイヤつきあっていたり、「危ない危ない」などと規制をかけながらやっていたりしたら、そのしていいときの楽しさというのは薄くなってしまいます。
それは、すべきでないときに、大人に制止されながら遊ぶのとたいしてかわりはありません。
ということは、その遊びの面白さ自体にもメリハリがないのです。
していいときにやってこそ、とことん面白ければ、すべきでない時に文句を言われながらすることは面白くありません。
>走り回るのをやめさせるのに即効く良い対処方法
なので僕は、子供を思い通りに動かす(規制をかける)うまい方法という方向で考えることよりも、楽しい時をしっかりと設けることをまず第一に、おすすめします。
それがあってこそ初めて、子供はその規制に意味を見いだせるのですから、まずはそこです。
>、叱ってもあまり効果はなく、どうすればよいでしょう?
こういうときこそ受容と信頼関係をつくることをしっかりすべきだと思います。
僕のよくいうところの「先回りした関わり」などです。
簡単なところでは「くすぐり」をしてみるだけでも、子供の姿は確実にかわってきます。
生活の流れのきまったところに「くすぐりタイム」を設けてもいいし、気が向いた時にいつでもくすぐる。
そんなことだけでも子供との心のパイプというのは太くなっていきますよ。
即効性はないかもしれないけど、そういう積み重ねがあとあとまでつながっていきます。
僕としては受容と信頼関係に重きをおいて、叱らなくてもいいというところをゆくゆくは目指したいと思うけれども、大人が困る行動がでているのならば、「叱る」ということもそこには必要になってきますので、それについても少し書いておきましょう。
>叱ってもあまり効果はなく
本当に極端なことを言えば、20年30年と生きている大人が、2歳3歳の子供に本気で対峙した時に、負けるわけはないのです。
つまり、その「叱る」は本気の「叱る」ではなくなってしまっているということ。
惰性で叱っていたり、「どうせ言う事を聞いてくれない」と薄々思いながら叱っていたりということがおうおうにしてあります。
子供が道路に飛び出してきたとき、トラックの運転手さんが「あぶねえじゃねぇか、バカヤロー」と本気で叱ります。
なぜか?
それは命がかかっているということがわかっているからです。
命がかかっているから本気で伝えるわけだし、それは相手にも伝わるわけです。
同じ言うにしても本気で伝えるつもりがなければ、それはさして相手に伝わりません。
別に僕はそれを「大人の本気が足りない」といった精神論の問題にしようとはしません。
そういった惰性で叱る状態になってしまう理由もわかるからです。
ではその対処法として、叱ること、大人からのネガティブな関わりを増やしてしまう「枠組みを見直す」ということを考えます。
保育園でもよく見かけるのですが、下手なクラス運営をしてしまうところは、やたらとルーを増やして、子供の叱る理由を増やしたり、待たせたり我慢させたりするところを増やして、子供に規制をかけることを増やしてしまいます。
すると、結果的に否定や規制が多くなり、子供は抑圧されるのでよけいに、ネガティブな姿をだしてしまうことになります。
このように、大人が自ら難しい状況をつくってしまうということがあるので、その行動の枠組みから見直します。
例えば、図書館にいっても静かにできなかったり走り回ってしまう段階の子供を、図書館に連れていけばそこでの規制や叱りは多くなってしまいます。
だったら、図書館にいかないという選択肢を大人はとれるわけです。
他児と絡むと叩いたりモノを取ったりのトラブルになってしまう段階の子供ならば、あえてそのような場所に行かなくてもいいのです。
発達段階が上がってからすればいいことを、先取りして子供にやらせる必要は(規制や叱りを増やしてまで)ないわけです。
そういった枠組みの見直しがまずひとつ。
それをすれば、相対的に叱ったり・規制をかける回数というのは減らせます。
それをまず減らすことで、惰性で伝えるという経験を、大人にとっても子供にとっても減らせるわけです。
そこからはじめなければ、許容範囲を超えてまで、すべての「叱る」や「制止」を全部有効化するということは、そもそも無理なのです。
叱ること・規制することをまず減らして、大人も余裕を持つ、子供も聞く耳をもてることが必要です。
また、叱ることの前提としては、やはり受容や信頼関係が必要なのです。
これがなくては、その「叱る」はたんなる威圧や脅しとしてしか機能しません。
これは親子関係の中とくに母子関係においてそうしてしまうことはマイナスにしかならないわけです。
ですから、「甘いから」「怖くないから」、叱ったことが伝わらないわけではないのです。
ここでもメリハリが必要です。
いつも優しい、笑顔のお母さんが、本気で怒っているからこそ子供はそれが重要なことだと気づくのです。
いつも自分を否定的にしかみていなかったり、無表情な人が、無表情に叱ったり、叱るという否定に類することをしたところで、心には響きません。
というわけで、僕が言えるのは「枠組みの見直し」「メリハリ」「積極的な受容」です。
御返事ありがとうございます!
確かに、私自身がインドア派で最近あまり公園遊びなどしていませんでした。反省です。
早速、日曜日に大きな公園に連れて行き芝生の上で思い切り走らせてきました!とても大喜びでした!
お父ちゃんが仰るように、まず楽しい時間をしっかりと設ける事を意識していこうと思います。
私は回りの目を気にしすぎて子供を叱る事が最近多かったように思います。
以前あまり注意する事が少なかった時は、良くいう事をきいてくれた気がします。
結局、子供のためというより、回りの人にダメな親と思われるんじゃないかと規制することが増えた気がします。本当に反省です。叱る事も必要かと思いますが、バランスが難しいですね。
くすぐりタイムも積極的にして外遊びなど心から楽しい時間をすごしていきたいと思います。
また相談させて頂くこともあるかと思いますがどうぞよろしくお願いします。
お父ちゃんさんのメッセージ印刷して読み返しますね。お父ちゃんさんが本書いてくれたらバイブルにしたいです。
ありがとうございました!
とっても、とっても勉強になります。
なかなか、思うように子育てがいかず?自分が神経質なのか?わからないのですが、おおらかになれず、悩む日々でした。
子供が大好きで仕方ないのに①支配型になっていると思い、反省しています。。娘の寝顔見て怒鳴った事に反省、繰り返しです。急に何もかも変えられる事はできないと思いますので、少しずつ意識を持とうと思います。
しかし、もう、知らないからね!この言葉は封印しました。
気付きを、ありがとうございます
これからも、どうぞ、たくさんの深いお話お聞かせ下さい(^^)
kenkeiさん
いつも字数が多いのでスマホで読まれるのは大変ではないかと思います。
本当にありがとうございます。
子育ては無理しないでコツコツとしていくのが一番だと思いますよ。
No title
早速ですが、4歳の娘のことで相談です。
この記事に「叱られ慣れしている」という言葉があるのですが、うちの子は叱られると萎縮してしまうタイプです。
私はこのブログを参考にしながら叱らない子育てをしているつもりなのですが、たまに叱るとすぐに凹んで引きずります。
また、年齢が一つ大きい近所のある男の子と毎日のように外で遊ぶのですが、その子のお母さんが結構厳しい人で、男の子のことをすぐに厳しい口調で怒るので、娘はそのお母さんの前だと、なかなか自分を出せず、静かになります。
4月から行き始めた幼稚園でも怒る先生がいると言って、落ち込んで帰って来ることもあるので、幼稚園でも自分を出せずに過ごしているかもしれません。
叱られ慣れもよくないですが、叱られるのが怖くてありのままの自分を出せないのもよくないと思うのですが、何か対処法があれば教えていただきたいです。
rmiママさん
ちょっとわかりにくいのだけど、「叱らなくていい子育て」として言っているのは「叱るのはよくない」ということではないのです。
なのでももし叱ることがあったとしてもそこは気にするところではありません。
バランスなので、天秤を思い浮かべてください。
片方に、叱ったり怒ったり、子供の意思を遮ったり、無理やりやらせなければならないことがあったり、というようなものが載っています。
反対の方にはなにがのっているでしょう。
それは、可愛がったり、一緒に楽しんだり、ともに生活する上で生まれる絆であったり、受容したり、そういうようなものがのっているのです。
「叱らなくていい子育て」で目指しているのは、叱ることばかりが多くなってしまう日本の子育ての中で、その反対側をきちんと意識してそのアプローチをしっかりしていきましょうということです。
子供が成長していれば、どうしたって叱られるようなことはでてきます。
叱らなくとも時には強く厳しく伝えなければならないこともでてきます。
また、今回のように外の世界で強い関わりをするという人にも出会います。
こういうのは避けられないことです。
親がするのは、それを回避することや守ってしまうことではなくて、その天秤の反対側に載っているものを大きくしてあげることです。
それがあれば、子供は叱られることも、外の社会の厳しさというものもその子なりのやり方で乗り越えていくことができます。
子供に必要な力をつけさせるというのもある面では必要なことかもしれません。
でも、親がまずできるのはそこではなくて、その基礎にあることです。
ましてや4歳です。
>叱られるのが怖くてありのままの自分を出せないのもよくないと思うのですが
↑一般的に考えればたしかにそうですが、自分に置き換えて考えてみれば、こういうのは大人だって強く叱る人がいたらとくにそれが理不尽なほどだったら自分を出していくなんて簡単なことではありません。
なので、「○○できるようにする」と4歳の子供に求めるような関わりをいまから考える必要はないと思うのです。
そして人間関係というのは実地に、その人が体験して乗り越えていくしかないものです。
ですから、親ができるのは基礎にあること、この話で言うと天秤の反対がわなのです。
②に当てはまりました
最近、保育園の園庭開放を利用したり、児童館に通うようになって、子供が上手く他の子と遊べない事にに悩んでいました。
そしてこちらのブログに辿り着きました。
今日は他の子におもちゃを取られて物を投げたり、他の子が使ってるおもちゃを横取りして『キーッ』と言ったりしていました。
ダメだとか危ないとか注意をしても笑ってごまかす、正に『糠に釘』。
甘やかしのせいだったんですね…。
自覚がなかったのでショックです。
今からでも改善できるでしょうか?
どうしたら改善されますか?
みらいさん
該当記事読みました
以前主人から、「みらいの育児にはメリハリがないと」言われた意味がやっとわかりました。
「叱らない子育て」を隠れ蓑に、「叱りたくない子育て」をしていました。
毅然とした対応をするようになって間も無く、外出時に手を繋いでくれるようになりました!
ずっと悩んでいたので嬉しいです!
それから、子供に色々経験させたいと児童館や保育園の園庭解放に足繁く通っていましたが、一旦止めて子供と二人の時間を増やしたら、再び児童館に行った時に「キーっ」となることも無くなりました。
「先回りした関わり」が少なかったのだなぁと実感中です。
最近虫歯の為に断乳となり、急に「イヤイヤ」が増えて、また弱い自分が出てしまいそうになるのを堪えてます。
本当に自分の感情・本気を伝えるのが苦手で、子供にも中々伝わらず、今日も手が出てしまって情けないですが、おとーちゃんのブログをバイブルに子育て頑張りたいと思います。
ありがとうございました。
3人のうち、長男に対してだけなのですがすごく愛おしかったのに、今では愛情を感じられなくなるほどになってしまい、そんな自分に嫌気がさしています。
いろんな育児書を読みあさっては反省するのですが次の日にはまた怒り寝顔をみては涙しています…
No title
オムツを替えるよと言って逃げる子を見て言われたのですが、→
一度言って聞かない時は待つ、二回目言って聞かない時は強引に引っ張ってでもこちらの言うことを聞かす、でないと子供は何が危険か危険じゃないかもわからないし、日頃からそういう態度でいないと親がなめられたら言うことを聞かないよと言われました。
私にしては、どちらかと言うとオムツ替えにそこまでのきびしさをと思いましたが、すべてにおいてそういう態度でいないとなめられるという所に、反発もありながら一理あるのかなと気持ちで揺れています。
私も、お父ちゃん先生の様に、子供を信頼し子供に信頼される関係でいたいと思いますが、危険な事のためには日頃からなめられてはいけないような親とはなかなかイメージがつながらずモヤモヤしてしまいます。どのように整理したらいいか、アドバイスいただければ嬉しいです。
No title
「出来ない人間は必要ない」
「やればできるんだから」
「結果を出せる努力もしてないくせに嘆くな」
「やればできるんだろう?」
みたいにまるで私がなんも苦労もしてないかのような言い方ばっかされてたせいか「私の親は努力できる人が好きで、小さいことでうじうじ悩んでる私のことは嫌いなんだな」と親を憎む自分がいます。良かれでやってることは解るんだけどなあ。
片親は大きい子供状態で私が親代わりをしなければという使命感に悩まされるし、もう片方は↑状態だし。
社会の厳しさとか、社会を甘くないとかそんなの社会を経験しなきゃどれくらいの物か分からないし、一応自分でも社会はとてもキビ石言って事だけは理解できるし、社会に出る前にそんなに強く行って子供が社会に深い不安感とか持って逃げ腰になったり自信がなくなることを考えないのかね。
社会で働いてる人間に「今のままじゃだめだ」「社会で生きられないぞ」って言われ続けたら自信もなくなるって。
今でもはっきり、憎いと思えるのは体調がおかしくなっても「子供のためだ」っていって私を長年苦しめたあいつが見てるそばで「私はできそこないです」「あいつが嫌いなのは自己嫌悪です」って言わせたことだわ。後「自分もできそこないの癖に人の悪口をいうな」って叱りつけたこと、今まで私がつらい思いして訴えていたの無視してたくせによくそんな減らず口が効けると思うよ。悪いことしたのは理解してるし悪いと思うけど、原因アイツなのに全く信用しないお父さんおかしい。
子供を信用してないくせに「信用しろ」とか「愛してる」とか嘘ばっか。じゃあなんで今のお前はできそこないとか、いらないとかいうんだよわけわかんねェ。私が今の体調訴えても信じなかったくせに。
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とっても勉強になりました(*^_^*)
「叱りすぎず、甘やかしすぎず」
「心の言葉できちんとつたえる」
頭では理解しても行動が伴うのはなかなか難しいですが。。。
頑張ります(^o^)丿
育児書よりこのブログのほうが、わかりやすいような(笑)
時間があるときにゆっくり過去ブログも読ませて勉強させてもらおうと思います♪