依存を生み出す大人の気持ち vol.2 - 2017.03.18 Sat
まず、語の定義として「過保護」とは「行きすぎた保護」と僕はとらえています。
あまり使っているシーンは多くないですが、それに対して「行きすぎではない保護」のことをさす場合は、「適度な保護」「適切な保護」と僕は使っています。
「何事も過ぎたるは及ばざるがごとし」というのは孔子の言葉ですが、やり過ぎても物事はうまくいかないということは、これは子育てに限らないことでしょう。
まったくの余談ですが、僕はこの言葉を見るといつもクルトンを思い浮かべます。
高校生のときレストランでウエイターのバイトをしていて、自分が好きなものだからついポタージュスープの上にクルトンをやや多めに載せていたら、シェフから「お前、多ければいいってもんじゃないんだぞ!」といわれたことを思い出すからです。
と、まあそういうわけで、何事もやり過ぎなのはうまくいないもので、子育てでは特にバランスが大切ですので、「過保護」に「過」という接頭語がついているのは、通常あまり適切でないことを意味すると考えられるでしょう。
では、なぜ佐々木正美先生が「過保護くらいでちょうどいい」といった表現をしているかというと、これはこのとき俎上に載せている対象、想定している親の姿によっているから、ではないかと僕は思います。
佐々木先生は世代的に、いまよりも一世代もしくは二世代まえの子育てする人たちを対象として子育てのお話をしていると考えられます。
その状況の親の傾向を考えると、「過保護くらいでちょうどいい」という言葉でバランスを取る必要のある人が多かったのではないでしょうか。
例えば、子供を「甘やかしてはならない」とばかりに厳しくするだけで子供が萎縮してしまうような子育てをする人や、叩いたりすることで子供をなんとか正しい姿にしようとしているなどなど、そういった人を念頭に置きつつ語るとすると、「過保護くらいでいいんじゃないですか」という言葉が出てきたとしても不思議ではありません。
ここも前回のポイントであった、「大人の心持ち」というところがあるわけですね。
現在だって、厳しい一方で子育てが難しくなってしまうような人には僕もそれを和らげる方向で「甘えさせていいんですよ」とか伝えます。
逆に、依存を強めたがために子育てを難しくしてしまう人に相談をされた場合は、「そういうときは自分の感情を出してきっぱり言うくらいでいいんですよ」といったことをお伝えします。
以前にも書いていますが、そのように子育ては「これが正解」ということがあるわけではなく、それはいつでも相対的であったり機会的に、その人その人そのときそのときで違う答えが導き出されてくるわけですね。
さて、ではこの一連のテーマである「依存」を考えたとき、過保護はまずたいてい依存を助長する方向に作用するでしょう。
また、佐々木先生の頃は依存の問題よりも、強い関わりの弊害が多かった状況であったのに対して、現在は依存が問題となってしまう比率が多くなっていると言えます。
ですから、子供に依存を強めるタイプの子育てになってしまう人に対してであれば、「過保護にならないように、無理しない範囲でいいから気をつけるといいですよ」と伝える必要がでてきますね。
次に「どういう状態が依存でしょうか?」という質問もありました。
実はこれを説明するのはなかなか難しいです。
というのも、そもそも子供はみんな大人に依存しているからです。
依存していて普通のことです。
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんを考えてみて下さい。
生活、もっと言うと生存のほとんどを大人に頼っています。
大人に「依存」していますよね。
ですがこのことを問題視する人はいないと思います。
だって、それで当たり前の状態だものね。
また例えば1歳の子が遊んでいて転んでしまったとします。
子供にはいろいろな性格があるから、そんなのまるでなかったかのように気にも留めずまた走って言ってしまう子もいれば、誰かが助け起こしてなだめてくれなければてこでも動かないといったタイプの子もいます。
なぜそうなるかというと、まだ感情のコントロールをする心の発達が未熟な段階にいるからです。
その転んで痛かった気持ちや、失敗してしまったという気持ちなどを、自分でコントロールして安定させることがその子にはまだ難しいわけです。だから大人にヨシヨシとしてもらうことで、心のコントロールを手伝ってもらってようやく必要なことができるようになります。
これは依存しているということですが、1歳くらいではまだその心の成長がそれを十分にできるほど成長しているわけでもないので、その依存はあったとしてもおかしなことではありません。
でも、例えば同じことを10歳の子がしたとします。転んでも誰かが起こしてくれなければ納得しないという状態ですね。
それはみなさんもおわかりのように、10歳の発達段階としては幼すぎますよね。
ですから、この状況ではそれは「よくない依存」になっています。
では、それが5歳だったら?
5歳でもその状況だったら、それはちょっと幼いよね。
でも、個々の状況によっても、それがよいかよくないかは変わってくることなので、年齢だけですべてそうとも言えません。例えば発達に特徴を持っていてそういったことの感情のコントロールがまだうまくできない子がいたとしても不思議ではありません。その場合はその依存は「あって当然の依存」ということになります。
そんなように「依存」とは相対的で、「これだから悪い」とはっきり取り出せるようなものではないのです。
なので、こういったことを頭にインプットだけとりあえずしてもらって、我が子の子育ての中で意識しておいてもらいたいと思います。
◆さらに「依存」の見極めを難しいものにしているのが、次のことです。
例で話します。
ご飯を「たべさせてー」と大人に食べさせてもらいたがる子がいたとします。
この「食べさせて欲しい」という要求がいったいどこから来ているものなのでしょうか?
①単に甘えたい、その大人と関わりたいという気持ち
②疲れているためにぐずっている
③受容を欲していてそのための要求
④これまでの関わりゆえに依存が大きくなっていて、自分で食べる意欲自体が育っていない
①~④のどれかかもしれないし、その全部が組み合わさっているのかもしれません。はたまた別の理由かもしれませんね。
我が子のそういった姿を見て、「あ~これは依存がつよくなっているわ。気をつけなくちゃ」と的確にわかる人はどうでしょう?
もしグラフに描くとしたら、たぶん山形のグラフに分布するでしょうね。
両端に少数のそういうことが敏感にわかる人とわからない人がいて、中央(どちらでもない人)によるほど多くの人数になるというグラフに。
そして、難しいのは次の点です。
そもそもそれがわかる人ならば依存になりにくいですよね。
子供の依存を強めてしまって子育てを難しくしてしまうケースの人は、その子供が依存になっていることに気づきにくい、もしくは気づいていてもそれに対処することが難しい人であるということです。
ながなが書いてしまいましたが、なのでなにをもって「依存」かを理解できるようにするということはとても難しいです。
事例にをあげるようなことや、そこから類推できることで、自分は依存になっているかなとかなりやすいかなと思い当たるところがあったら気をつけるということでどうでしょうか?
このシリーズの最初に、「とりあえずお手伝いさせていきましょう。まだその年齢でなければゆくゆくはお手伝いをさせることを念頭に置いておきましょう」とだけをあげたのはそういう理由からです。
もし、そのあたりをわかりやすくまとめている育児の本などどなたかご存じでしたら教えて下さい。
僕もそれを読んで参考にしたいと思います。
なかなか依存に触れている本自体あまりないんだよね・・・・・・。
ただ、自分が「依存を生みやすい大人」なのかどうかの判断基準になることがあるにはあります。
コメントでもありましたが、それは自分自身が「過保護・過干渉」で育てられたことに思い当たる場合です。
ここは前回書き切れなかった、
「◆子供の行動・感情は大人が作るものという意識」にも密接な関係があります。
これについてはまとまって書く時間がとれたときに続きを書きますね。
ちょっとこのところ忙しくまとめるのが難しいものを書く時間がなかなかとれなくて・・・・・・。
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● COMMENT ●
参考にした本
依存から抜けだすために
ブログを読んで、本を読みながら手探りのような育児の私はなかなか依存から抜けられないのかなぁとハッとしました。
私の子は少しでもテンションがあがればかなり多動になり、周りが見えず、話もなかなか入っていかない超マイペース。どうしてもの時は結局最後はあまりのきかなさに私もヒートアップして怒って力ずくになり、ギャーギャー泣いてすがりつかれるような感じになってしまいます。
平井先生の本を読んで、思春期で暴力がでたり問題行動がある子は小さい頃親が厳しくて育てやすいよい子ばかりとあり、きかんぼうの私の子どもの姿はこれはこれでしょうがないのかな、とも思っていました。自立を促すかかわりを心がけるようにし、子どもがすぐに従うというような結果を急がず育児していけばよいかな、と。
しかし、しっかり厳しく叱るのが良いと信念をもってしている方の子は、従うまで注意を徹底しているため、お母さんのいうことをよく聞いていて我が子とは真逆のようです。一緒にいると恥ずかしくなることもあります。
よく言うことを聞く叱り方は「そういうことをしてると帰るよ。」という言葉で、みなさんよく使っておられて、我が子にも言うと比較的効果がありました。はじめは周りの人に迷惑だからと言ってみるものの聞く耳もたずで、効果があるので、つい「帰るよ」と使うことが多くなってしまいました。ただ、頻繁にそのセリフを言うことにも抵抗があります。よく叱ってもぶれないのがいいのかなと思う一方、よい子を要求するのは平井先生の本からのちの反動が怖いとも思ってしまいます。
ブログの続きを読んで、その気にさせられない自分の育児力のなさをどうにかしたいと思ってた私の肩の荷は少し軽くなりましたが、今後我が子にとってどんな対応がよくて、何を目指したらよいやら。
これからもブログ楽しみにしています。
なっつさんへ
僕の場合は、今の自分が正直好きではありません。
なので、両親の子育ては、全く参考になりませんでした。
子どもには、僕みたいな大人になって欲しくないですからね。
参考にしたのは、平井信義著の本、渡辺康麿著の本、近藤千恵著の本ですね。
なっつさんは、今の自分が好きですか?
好きであれば、親の子育てを参考にしてもいいかもしれませんね。
嫌いであれば、自分で模索するしかありませんね。
ゴリキンさん
自分のような大人になってほしくない。
だから自分の母みたいな親にはなりたくない。
夫のような人になってほしいです。
だからお姑さんのような母親になりたい。
でも今、それが強すぎて極端に走っている気もしています。
理想と現実が違いすぎて苦しいです。
自分を含め自分の親族に会わせることに罪悪感を覚えることもあります。
いずれにせよ、こんなに自己否定しながら育児をするのは絶対よくないですよね。
おとーちゃんさんも「自分を肯定してあげて」って書かれているのに。
頭でわかっていてもなかなかできません><
自分の母親のような母親になりたいって言える人って幸せですね。
空太ママさんへ
でも、自分を受容することは出来ます。
受容できると、落ち着きます。
僕は、叱られるのが嫌だったんで、叱らないように子育てしようと思いました。
叱らないようにすることは出来ました。
でも、イライラしたり、舌打ちしたりしてました。
おそらく、自分の感情を無理やり抑え込んでいたから、違う形で表面化したものと思っています。
それはさておき、叱る子育てを否定して叱らないように子育てをしても上手くいかず…
かといって、叱る子育てを肯定する気にもなれない。
第三の道は、否定も肯定もせず、ただ受容するだけです。
叱りたいという気持ちを受けいれるだけです。そしたら、心が落ち着いてきます。
たとえ、叱ったとしても、感情に流されずに済みます。
まぁ、詳しくは、渡辺康麿著の本に書かれています。
興味がありましたら、「わかっていても イライラするお母さんへ」を読んで見てください。
ゴリキンさん
肯定できなくても受容する。
子供に対しては、わかってるつもりでしたが(実践はできてないけど…)
自分に対しても同じなんですね。
言われて初めて気づきました。
ありがとうございます。
短気で感情的な家庭に育った分、
夫を含む夫側の親族の穏やかさに憧れて
全然違う自分に毎日自己嫌悪でした。
そんな自分でも受容してあげたいと思います。
本読んでみますね。
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内容は、ある状況に対して、自分に当てはまるものを選択するものです。
それに対して、簡単な解説が書かれています。
例えば…
1歳前半
転んだとき、起こしてやらないと、いつまでも自分から起きようとしません。
(a)しかたがないから、起こしてやります。
(b)「自分で立てるわねぇ」と励まして、起きるように促します。
(c)ちょっと手を添えて、自分で起きるようにさせます。
解
(b)子どもの自発性の発達にとっては、“任せる”ことが非常に大切です。
解説
自立の意欲を伸ばすことを心がける
(a)は、甘やかしになります。今までの育て方に問題があります。子育ての目的は、自立させることにあるはず。極力(b)に努めましょう。自分の力で起きたという満足感によって自立心が養われていきます。
こんな感じで、1歳~6歳の年齢別に書かれています。
余談ですが…
僕は、子育てに正解があると思っています。
親が思う将来の子どもの姿が、子育ての正解です。
なので、正解も無数に存在します。
子どもは、育てられたように育ちますが…
必ずしも現在の育て方と将来の姿が一致するとは限りません。
何が言いたいかというと、今回紹介した著者は、自発性の発達に重点を当てています。
僕は、子どもに自分の人生をいきいきと謳歌してもらいたかったので、参考になりました。
しかし、子どもの将来像が違えば、全く参考になりません。
まぁ、興味がありましたら、読んで見てください。