早期教育のあり方の変遷 - 2017.04.06 Thu
初期の頃の早期教育は主に「パターン学習」を主とするものでした。
「パターン学習」による早期教育とは。
子供自身の能力は未発達な段階でも、パターン学習に関しては高い習得度を示す時期に直接的な学習を施すことで効率的にその習得を高めるというもの。
「その時期は、むしろ子供の能力が未発達であるがゆえに勉強を嫌がらないという特徴もあるので、この段階でできるだけ詰め込んでしまえ」という考え方に基づいていました。
例えば、フラッシュカードや計算、四字熟語やことわざなどの反復暗唱による学習等です。
確かに0~2歳くらいまでにこういった反復してのパターン学習は、その習得という面においては効果を上げるのは事実です。
しかし、「それをしても問題がないのか」、「本当にそれは長期に見たときに役に立っているのか」といった問題をそれを推奨する人たちはあまり取りざたしていません。
その後の研究によると、それらは子供の情緒面や脳の発達などに問題があるとするものもあります。
いまでも上記のものは残っていますが、最近の流行はまた別の形の早期教育になってきています。
最近の流行は「実技系」と僕は勝手に呼んでいますが、いわゆるお勉強チックなことよりも、運動能力などの目に見える成果を早期に出すタイプのものです。
例えば、通常難しいような高さの跳び箱を跳べる、その年齢では通常できないような体操ができるようになる、など。
それを可能にしているのは、さまざまなある種のテクニックです。
どんなテクニックかというと、モチベーションを作為的に上げるものです。
この実技系の早期教育における疑問点のひとつはここにあります。
「その”モチベーション爆上げ”による習得は、長期的視点において果たしてうまく機能するのか?」
というところです。
もともとの身体能力が高かったり月齢が高かったり、身体の発達が早い子であれば、その物事の達成も容易になることでしょう。しかし、そうでない子は?
また、そのモチベーションを外的に上げられることによる精神的な負担はどうなのか?
これはケースによりけりです。
その達成が難しくない子であれば、負荷よりも達成感などのプラス面が上回ることでしょう。
そういった子はそこでの達成感などを大きな自信として、その後もいろいろなことに挑戦したりする力を獲得できるかもしれません。
しかし、子供の個性は多様ですからそればかりではないはずです。
精神的な負担もそうです。
多少のこと負担に感じていても、そこで達成感を感じたり、褒められたり、すごいと評価されることでそれを上回るものを十分にもらえる子もいるでしょう。
しかし、なんとかそこでは「頑張って」(頑張らされて)その課題をクリアできたとしても、その精神的な負担を家に帰ってから親にわがままやダダとしてぶつけたり、友達と遊ぶ場面などで抑圧されたものをなんらかの形で出すかもしれません。
これらを家庭なりがケア・フォローまで含めてできるのであればいいかもしれませんが、それができないケースもあります。僕が前の記事で述べたような傾向が強かったりすると、このケア・フォローはなおさらできないでしょう。
コメントでいただいたリンク先では「連帯責任」などもそのモチベーション上げの中で使われているようです。
それで問題なくうまくいくケースもあるのだろうけど、その課題は達成できても人間関係など別のところで悪影響を与えないといいね。
また、この大人が過剰にモチベーションを上げて大人の望むことを達成させていくというやり方は、場合によっては「燃え尽き」を生む可能性もあります。再生産されるタイプのいい意欲を生むこともあるとは思いますが。
ですが、そのリスクはあるということです。
そういった早期教育の園に通っていて、5歳のその幼稚園のときには跳び箱が7段跳べたのに、小学校3年生では5段も跳べなくなってしまったといった話も聞きます。
僕個人の考えはこうです。
経験上、大人がなんらかの作為・テクニックで子供に「うまく」ものごとを達成させることはさほど難しくありません。
工作や絵を上手に描かせること、体育的なことの到達具合を上げていくこと。などなど。
そのような結果を出させると、それをさせる大人と親はとても満足度が高いです。
しかし、子供は本当にそれで伸びているのか?という疑問があります。
「作り出されてできたものが、本当にその子のプラスの成長として獲得されるとは限らないのではないか?」
という命題がそこには生まれてくるのです。
それが学童期ならばまだしも、乳幼児期とくに最近は「超早期教育」になっていて1~2歳児に対してもそのような短絡的な結果を求めることが一般的になってきています。
僕はそうまでして「到達点」、「目に見える結果を出すこと」に意味はないと考えています。
僕はこの乳幼児期という時間には、モチベーションを溜めていく時期だと思います。
それも作為されて大人に作り出されたそれではなく、自然に獲得されるムリのないモチベーションです。
そのためには、大人から見たときの「華々しい結果」である必要はまったくないのです。
その子供の自然なモチベーションを形作る基礎は、「日々の安心安全」であり、それが続くことによる「安定」です。
それは子供を世話する大人によって体現されているものですから、それは同時に「人への信頼感」も意味しています。
・「日々の安心安全」
・「安定」
・「人への信頼関係」
これは当たり前のものです。なにもすごいことはしていません。
でも、この当たり前のものがきちんきちんと保証された日々をおくるだけでも、子供は自然なモチベーションを培うことができます。
そこにプラスして、楽しい経験やおもしろい経験を重ねていくことで、それはさらに大きくなっていきます。
必ずしもその経験が、「何かすごいことの達成」である必要はさらさらないのです。
・大人と追いかけっこをして楽しかった
・虫取りをして楽しかった
・友達とかくれんぼをして楽しかった
・砂場で山を作った
・工作したものを大人にプレゼントした
・大人のお手伝いをして感謝された
・友達とケンカした
こんなことでも十分に子供のモチベーションを培っていくことになります。
そしてこういった経験であれば、なにか難易度の高いことに挑戦させることで、できない子が劣等感や疎外感を持ってしまったりといったネガティブな副作用はありません。
早期教育を企図する人、支持する人にはその背景にある種の子育て観があります。
それは「功利性、効率性」です。
「子供がただ遊んだりしていることにはなんの成果もなく無駄なのではないか? ならば結果に結びつくものを早い内からやる方がいいのではないか」という考え方です。
「アルファベットや数字が書かれた積み木」などにも、この功利性という子育て観が見て取れますよね。
これはいかにも現代的、というか、いかにも高度経済成長期に発生した早期教育らしいと感じます。
子供の育ちまでも「功利性」でとらえるという現代人のものの見方、考え方を表しています。
子供の成長というものは、必ずしも功利的、もしくは効率的にとらえられるものではありません。
実を言うと、世界的な幼児教育の潮流の中では、パターン学習はおろか、この実技系の早期教育ももはや時代遅れになりつつあります。特にパターン学習については「意味がない」と考える人が多くなっています。
現状、日本で一般に注目されている早期教育は、いまだにこのパターン学習と実技系のハイブリッドになっています。
しかし、いまは「非認知能力」を培うことが子供の将来にわたっての力になると言われています。
「非認知能力」とは、自己肯定感や自信、他者と関わる力、集中してものごとに取り組む力、感情をコントロールする力などの、形ある結果として認知されないタイプの能力のことです。
この「非認知能力」は目に見えないものであるだけに、それを伸ばすということをなかなか難しく感じます。
しかし、それ以上に難しいのは「認知的な能力」のみを「教育」として考えてきた、我々大人の世代がその「認知能力としての教育」にとらわれずに子供の「非認知能力」を伸ばす立場にあるという点です。
僕は別にこの「非認知能力」を意識して子育てや保育を語ってきたわけではありませんが、僕が普段述べているようなことはこういった「非認知能力」を伸ばす上での基礎になっていることは間違いないと思います。
↓「非認知能力」についてのわかりやすい記事です。前編~中編~後編とあります。
ベネッセの素晴らしいところは、自身教育産業の一員でありながら、独自のシンクタンクを設置して現に行っている事業に相反するような意見も誠実に打ち出していくところだと思います。
幼児期から育成したい! 「非認知能力」とは?【前編】(ベネッセ教育情報サイト)
↓アメリカのジャーナリストがまとめた「非認知能力」の本
↓僕もまだ時間がなくて読めていないのですがこちらは保育士向け
- 関連記事
-
- 早期教育はこう考えよう (2018/03/26)
- 早期教育の代わりにしてきたこと (2017/04/22)
- 早期教育のあり方の変遷 (2017/04/06)
- 早期教育を目指す親のあり方について考える vol.2 (2017/04/05)
- 早期教育を目指す親のあり方について考える vol.1 (2017/04/02)
- 早期教育されていた子のある事例 Vol.6 (2012/05/24)
- 早期教育されていた子のある事例 Vol.5 (2012/05/18)
- 早期教育されていた子のある事例 Vol.4 (2012/05/14)
- 早期教育されていた子のある事例 Vol.3 (2012/05/09)
- 早期教育されていた子のある事例 Vol.2 (2012/05/06)
- 早期教育されていた子のある事例 Vol.1 (2012/05/01)
● COMMENT ●
ありがとうございました
ずっと気になっていたことがお伺いできてとても参考になりました。
リクエストに応えていただき感謝しております。
私もやはり「連帯責任」というあたりなどは非常に引っかかりましたので……おとーちゃん様のお考えを知れてすっきりしました。
「実技系」でさえ、今や時代遅れ…という言葉にびっくりしました。やはり日本の教育よりも海外の教育を参考にした方がいいのでしょうかね…。
ご紹介していた御本、さっそく図書館で借りてみようと思います。
実技系の身体的な弊害
幼児期に特定のスポーツばかりさせると、体の同じ部位ばかり酷使するので、身体の健全な発達を損なうとのことでした。
幼児期に跳べてた跳び箱が、小学生で跳べなくなるのもそういったことが影響してるかもしれませんね。
また、体操教室に通うよりも、遊んでばかりの子供のほうが運動量が多かった、ということがすでに研究でわかってるそうです。
おそらく、体操教室では順番待ちや説明を受けている間の時間は運動をしてないからではと。
子どもが体を思いっきり動かして遊べる環境を作るのも現代では難しいですが、親が子供に対して「できるようになる」ことを求めないことを意識するのは大切ですね。
失敗例本人です(^^;
非認知能力をスルーするというのは、大人の臨む姿や、大人がたてた目標に向かわせることなどを基準にしてしまう過干渉な教育もだし、子どもの自由意思だとまだまだ人格形成の過渡期、未成熟な精神の段階で放置されると、人格は未熟で自己存在を否定してしまいますね。すべてにおいてそれこそ失敗してしまいます。
そういうふうになってしまった大人が実際いてさえ、存在を除外視することで正しい世界?を成立させていると自己暗示かけているような…どのような環境下で生まれた子どもでも、全員が健やかに尊く育つことを望んでやみません。
新しい保育園に行き始めました。
2歳後半となり、お友達の名前を呼び合うようになったところでしたので、
家ではグズグズ~っという場面があります。
リラックスを忘れずに、
あと、おとーちゃんさんの様々な場面でのお言葉を思い出しつつ、
お借りしてみたり、あれ今のは失敗だな、と反省してみたりしながらですが、
家庭でよくよくクッキー缶を詰めてあげられるようにと念頭に置いておりますmm
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/1018-a7d9140c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
最近どんぐり倶楽部という教育法に関心があります。百マスのような大量反射計算をあまりさせず週に1回、親と絵を描いて文章問題をとく。不正解でも怒らず楽しくやる。宿題の量を減らし遊びを増やす。TVやゲームは反射計算なので遠ざけるという教育法です。早期の脳に計算暗記をさせることを問題視した教育法なんですがご存知ですか?
こちらのブログでよんだ事のある話とも繋がっているように感じて、シュタイナーとも相性が良さそうですが…もしご存知でしたら感想が知りたいです。