早期教育の代わりにしてきたこと - 2017.04.22 Sat
過去記事をお読みの方はご存知かと思いますが、むしろその逆ですらあります。
それはもちろん子供の将来や教育に無関心であるからではありません。
息子や娘にはその人生のなかで幸せになって欲しいと心から思っています。
しかし、個人の幸せはその本人しか作れないということを僕は重視しています。
では、早期教育の目的とはいったいなんでしょう?
これはそれをさせる人によってさまざまであるとは思います。
勉強で苦労しないためであるとか、よい成績を取らせるためであるとか、よりよい学校に進学できるようにであるとか、よい仕事に就けるようにであるとかなどなど。
確かに学力を上げておけばそれらの可能性が高まるということは言えるかもしれません。
しかし、それらはイコール幸せになるわけではありませんね。
僕が子供に、特に幼少期に持たせたいのは「勉強ができるようになる能力」ではありません。
これは多くの方が少し考えればわかるだろうと思いますが、そこがゴールではないですね。
僕が幼少期の子供たちの教育において重視しているのは、「その先にあるもの」です。
簡単に言えば、「やりたいことを見つけられる力」です。
例えば外国語にしても、その人が本当にやりたいことがあってそれを達成するために外国語が必要であるとその本人が自分で思えることに直面すれば、おのずと覚えていきます。
そのとき、別にネイティブのように上手な発音ができなかったとしても、それはほとんど関係ありません。
・コーヒーが好きで世界各国の農園に足を運んでいる人
・ヨガを習得したくてインドに行っている人
・音楽を学びたくてイギリスに留学した人
・ブランデーが好きで生産農家と仲良くなり、フランスに毎年行ってブドウの収穫まで手伝っている人
こういった人たちがいます。
この人たちは、たまたま英語が話せたからコーヒー農園に行くようになったわけでも、フランス語ができたからブランデーを好きになったわけではありません。
コーヒーやブランデーを自分の一生をかけてでもいいこと思えるようになったから、それに必要なことを自発的に身につけたに過ぎません。
多くの人はこう考えるかもしれません。
「子供の基礎能力を高めておけば、自分のしたいことを見つけやすくなるだろう」
たしかにそれも言えるでしょう。
しかし、それは本当にその通りに機能しているでしょうか?
それは今の若い人たちの世代を見てみるとわかります。
今の若い人たちは学習環境としてはかなり高いレベルの中で育ってきているはずですが、意欲や自主性、主体性、積極性がとても低くなっていると言われています。
本当に必要なのは「高い学力」ではないのです。
「自己実現力」とでも言いましょうか。
自分がやりたいものを見つけ、それに向かっていく意欲、自信などが、先にあってこそそこに学力が意味を持つわけです。
今の若い人といわず、すでに現在の子育て世代、僕のようなそれよりもやや上の世代も、過干渉な「勉強は親が子供にさせるもの」という時代に育ってきています。
それが作り上げた人間観は、むしろ自主性や意欲のなさ、失敗を恐れる気持ち、自己肯定感の低さといったものの方が多いのではないでしょうか。
親が率先して子供に「転ばぬ先の杖」を与えることは、一方で子供の意欲を低下させていきかねないのです。
僕は我が子にその轍(てつ)を踏ませたくないと考えています。
だから僕が子供に持たせたいものは、なにか自分の好きなものを見つけ、それに取り組もうとする意欲や好奇心、モチベーション、自信です。
その点から見て、早期教育はそれを損なう率の方が高いと僕は感じています。
また、まだ自主性の育っていない段階で、大人が「あれをしなさい、これをしなさい」と子供に求めていくことは、子供が自分で本当に好きなものを見つけたり探したりという意欲の芽をつんでしまう可能性があります。
子供は親の期待に応えたいという気持ちをどの子も持っています。
だから、親が「これをしてほしい」という気持ちをのぞかせれば、それを一生懸命しようとしてくれます。
しかし、そこでひとつ、失う、もしくは減じてしまうかもしれないものがあります。
それは、自分で自分の好きなものを見つけること、そしてそれを親に表明しようとする意欲です。
親が「何を望んでいるか?何を望んでいないか?」でものを見る傾向を子供はもってしまいかねません。
つまり、親は「早期教育によって子供の可能性を広げよう」と思っているのに、知らず知らず逆に可能性を狭めていってしまいかねないということです。
これももちろん程度によります。
なぜそう言えるかというと、親子関係から来る深い悩みを抱えている人には、これらの極端なケースがたくさんあるからです。
例えばこんなケースがあります。
一児の母である女性が対人関係がうまくいかず職場を辞めてしまいました。
その人は、子供と過ごすことにも苦痛を感じています。
仕事を辞める前までは「もう子供はひとりでたくさんです」と考えていましたが、仕事を辞めてからもうひとり子供をもうけました。そして、子供と過ごす時間を絶えずイライラしていたりと、さらに子育てがしんどくなっています。
なぜか?
別にそのお母さんは親と同居しているわけでないし、むしろ親は飛行機の距離に住んでいます。
もともとあまり良好な関係でなく積極的に連絡をとる状態でもありません。
しかし、それでも「仕事を辞めた」「仕事をしていない」ことで、「こんな自分は親にどう思われるのだろう」「否定されてしまうだろう」という強迫観念を強く感じてしまいます。
そもそも仕事を辞めたことを親に言う必要があるわけでも実際に報告しているわけでもないので、そういう現実に直面しているわけではないのですが、そう感じて不安になることを止められません。
そこで、その母親がとった手段が、「赤ちゃんの育児をしているから仕事をしていない」という免罪符を手に入れることだったのです。
さて、ここにあることは一体なんでしょうか?
それは、「呪縛」といっていいものだと僕は思います。
幼少期から親の希望に沿うように育てられることで、その程度により多かれ少なかれ親は子供に呪縛を与えてしまいます。
(↑このケースではかなり支配的にその母親自身育てられています)
スーザン・フォワード著『毒になる親』の中でもいくつかこのような事例が紹介されていますが、遠方に住んでいても、それこそ親が墓の下に入ってすらそういった呪縛は解けないままになることもあります。
こういった人たちは心のどこかで「自分の人生を自分で歩んでいない」といった思いを抱いています。
このようなケースは極端かもしれません。
でも、僕は誰かが引いた線路の上を歩んでいく我が子ではなく、自分で決めた人生を自分で納得しながら歩んでいく我が子を見たいと思っています。
ちなみに子供の名前をつけるときも、その思いを込めてそれぞれの名前をつけました。
ですから、僕は「早期教育」といった目先のことではなく、その向こうにあるものを育てることに重きを置いています。
それが具体的には何かと言えば、たくさんあるので簡単にまとめることはできませんが、すでに著書の中やこのブログで述べてきたことです。
あえて一言で表すとすれば、いろんな形で子供が得られる「肯定」であろうかと思います。
↓これらの本に挙げられる事例を反面教師的に考えると、子供が自分らしい人生をまっとうできるために必要なものは、「あなたが自分で決めたどんな人生であっても私は支持(肯定)します」という親からのメッセージになるであろうかと思います。
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● COMMENT ●
呪縛・・・わかります
ときどき読ませていただいています
我が家では夫婦で補い合う子育てで協力し合える素晴らしい環境で子育てができていると思っていますが、それでも育児ノイローゼのような状況がありました(とくに二人の子が一歳児と三歳児の時が一番辛かった)。
私は子どもを授かる前からずっとやりたかったことを現在実験のように実践しながら試行錯誤して改善を繰り返すような子育てをしています。
あらゆる情報に惑わされないように3本の軸を持って取り組んでいます。それは身体づくりも含めたフィールドワーク(お外遊び)と台所育児、そして絵本の読み聞かせを通じた絵本育児の3本です。それ以外は、いろいろ試しても3本の軸はブレないようにやっています。
早期教育という点では、早くからこのようにスローガンを持って育てていることを考えると今思えばこれも「早期教育」というか、「英才教育」のひとつだったのかなぁと思ってしまいます。
ただ、一般的に文字の読み書きや足し算や英語学習とは違います。
他の子どもで「ひらがな」を早く覚えすぎたために、絵本の読み聞かせの最中に絵を見ずに「文字」ばかり追う子がいました。その子は全く絵を観察していませんでした。そういう危険性を避けたくて、年長になるわが子も文字は読むことができません。
その代わり、空想遊びが大好きでおもちゃがなくても折り紙と色鉛筆とセロテープ、そしてはさみだけで延々といつまでも遊んでいます。下の子も同じです。テレビゲームはやったことがありませんが、ボードゲームはインドア遊びとして親子でよくやります。
創造力たくましく育っているのが誇らしく思っています。
保育士とおちゃんのブログを読みながら、自分の至らない点を探したり、逆に自分を肯定できる点を見つけては心の支えになったりしています。
ブログ執筆、言葉の使い方や気遣いが素晴らしいと感じています。
感謝しています。
私の場合は、子育てに自信がありませんでしたので、早期教育を推進する義理親からの方針に従った子育てを胎教からしておりました。はじめは、早期教育をすれば上手くいくはずだ、という気持ちでしたが、段々と自分を失っていくのがわかりました。私は、おそらく親の立場には立てず、子供の立場として、私自身が早期教育についてのノウハウを早期教育されていました。私の子育ては、私自身では出来ないのではないか、私は、自分がなんのために存在しているのかわからず、苦しい日々でした。私の中では、子育てに早期教育は取り入れなくてはならないものでした。保育士おとーちゃんは、早期教育を否定しているわけではないかもしれませんが、否定してくれたような気がして、早期教育をしなくても、私は、母親として存在しても大丈夫なような気がしました。今となっては、子供とのやり取りを楽しめるようになり、私が大事にしたいことが段々と明確になっています。早期教育を必死にしていた日々は、私には、幸せな日々ではなかったです。今では、早期教育は、してもしなくてもどちらでもいいのだろうなーと思っています。しなくても大丈夫ならば、私は、しません(笑)。わざわざ早期教育を意識すると、ちっとも子育てが楽しくないんです。絵本を読むのは、好きだけど、絵本を読んだ数をわざわざ記録するのは嫌いだし、子供とパズルなどのお遊びをするのは大好きだけど、パズルで脳を鍛えようなんて考えると、イヤになるし。フラッシュカードをしていると、子供がそれを覚えたからといって、そんなにも嬉しくないし。。。私は、子供が楽しそうに笑っていたり、私に甘えてくれたり、上手く出来て喜ぶ姿を見たいけれど。早期教育は、意図的に子供に望ましい姿を目指ささせているような感覚があって、自分自身を無理やり楽しませているような演技じみた感じがするのです。頭の良い子供を良しとして、頭が悪いと幸せにはなれないというような、差別的な感じもします。どういう姿になれば、子供が幸せになるかどうかは、確率の問題でもなく、誰にもわからないのです。一つ言えるとすれば、自分で自分の人生が歩め、自分が好きなことが出来れば、十分です。親は、子供の将来を導くのではなく、子供の将来を見守るだけの存在だと思います。信じて、見守る。今の三歳の息子も、信じて見守ると、すごーく良い反応です。すごく可愛いです。
保育士おとーちゃんの言う通りだな、といつも思いながら、日々過ごしています(*^^*)
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方向性は違っていても、同じように呪縛から逃れられない人は少なからずいると思います。
「やりたいことを見つけられる力」まさしくこれを根こそぎそがれてしまいました。育たなかった、と言うべきでしょうか。本当に、自分が子育てをしてみると、なんとまぁありえない言動を親はしてきたのだろうと思う事ばかり。
ところで、4月より転園いたしました。
昨年11月が2歳3か月で、そこからぐぐっと成長しているためか、転園によるのか、ブログを読み、本を読んでいるのに「ああ、もうだめ、ぐったり」状況があってまさに「育てにくい」が発生中です。ネット検索すると「2歳児連れての買い物ができなくてものすごく疲れる」と出てくる状態で、めちゃめちゃイラついてしまいます。
私の生育過程が背後にあるんだよなぁってすごく思います。
その反対で、前の園では16時半の終わりのあいさつを皆でやるまで帰らないとか、延長のお部屋移動までくっついていってどうにも帰らなかったのが、新しい園では「ママ~~!」ってにこにこして寄ってくるようになりました。前の園では日中”第二のママ”的存在だった担任が今は居ないけど、寂しくて堪らなかった風でもないのですが・・・
そこらへんがなぜなのかわからないので、かえってどういうことなのかと不思議です。
怒っちゃってるから受容できてないのかなーとか色々思っております。
怒っちゃうのも、生育背景を感じずにいられません。
もうちょっと記事などじっくり読みたい!(^^)
ので、新しい記事をじっくり読もうと思います。
いつもありがとうございます。