早期教育の弊害 Vol.1 - 2010.06.25 Fri
前にもお話したとおり僕は研究者とかではないので、データうんぬんよりもローカルな視点で見てきた、経験してきたことを中心に。
前々からずいぶん早期教育について考えてきたのですが、なんか『日本の子育て文化 排泄の自立 その1~3』で書いたような、「排泄を早期に確立させようとあせる親と、それに適応できなくてさまざまな問題行動などの影響を表してくるこども」この構造とよく似たことがあるのに気がつきました。
僕のこどもへの関わりのスタンスは、お箸でも排泄でも、遊びでも、挨拶などの人との関わりでもこどもに十分にその力が備わってからすればいいというものです。
「こどもの負担は最小限に、達成感は最大限に」というやつです。
以前の排泄のところで、オムツをはずすのを急いでしまって、結果としてとれないばかりか、イライラしたり情緒不安定になったり、発達に良くない影響をあたえてしまうことがある、という例をいくつかあげました。
叱咤激励したり、時間で行かせたり、ときには人格を辱しめたりして早期におむつを取る、または取れたように「親が思える状況」というのは作り出せます。しかし、そのために多くのことが犠牲になります。
早期教育でも同じ構造があります。
たしかに、小さなこどもは記憶力が大人よりも優れている面があって、それを利用してひらがなの読み、漢字や英語など、覚えさせてしまうことは可能です。
また、それが前回のところで述べたように、早期教育の根拠となっていました。
例えば、2歳くらいの子に「山」というカードを見せてこれは「やま」と読むのだと繰り返し教えれば、それをみたときに「やま」と言うことはできます。
そして、そう言えるのを親や先生がほめ喜んであげることで、こどもはもっと覚えて喜んでもらおうと覚えるでしょう。
でも、その「山」という漢字を読めるようになった知識は、必ずしも有機的に機能するわけではないのです。実際の山と結びついてそれを思考しているわけではないからです。
1+2=3ということを定型的に覚えさせて、それを正解させることは可能ですが、実際のものの計算という抽象思考をしているわけではないのです。
物を模式的につかって、計算させることもできるようになるかもしれませんが、それもやはり定型的に覚えさせているだけで、必ずしも抽象的な思考の結果になっているわけではないのです。
だからオムツのときと同じように、親から見て出来るように感じるだけで、大人や学齢期のこどもが覚えるのと同じように理解し、認識しているのとはちがう状態なのです。
つまり、「親ができてると思える状況」になっているにすぎません。
それは、しょうがないことなのです。
低年齢のこどもの抽象概念の理解がそこまで到達していないからです。
定型的にくりかえし覚えて、そのことはわかるけど応用はできないのです。
だから、ほんとうに生きた知識ではないので、場合によっては消え去るのも早いです。
早期教育は、入れ物(大脳の大きさ)が出来ているのだから、何でもかんでも放り込んでしまおう、早くから入れたほうが入れ物は大きくなるはずだという理屈なのですが、ここがちょっと短絡的であるようです。
入れ物があるからといって、何でもたくさん放り込むことによって、処理しきれない物であふれ、より基礎的なものが小さいまま取り残されたり、傷つけられてしまうということが弊害としてでてきています。
フラッシュカード式の早期教育は0歳からあるそうですが、それを熱心にやった結果、情緒が不安定になったり、目が合わない子になったり人と関わることが苦手になる。落ち着かない。きれる。奇声をあげる。普段おとなしいのに突如として攻撃的になるといったこともあります。
ごく低年齢でも知識を記憶することは出来るけれども、それは本来その時期に身につけるもの、例えば人への愛着形成や信頼関係、甘え受け止めてもらうこと、感情を素直に表すことなどなどを脇に追いやって身につけているということがあるのです。
僕もこういう子に関わった経験があります。
たしかに、物事の認識などはその年齢にしては発達していると思える部分もあるのだけど、目があうとそらしてしまったり、普通なら大笑いするような人との楽しい関わり、くすぐったり、顔遊びをしたり、身体で遊んだりしても無反応だったりと、情緒の面ではその年齢で期待できる程度よりもずいぶん遅かったりしました。
昔から、幼児教育というものはあります。
幼児教育というと主なものが、フレーベル式、モンテッソーリ式、シュタイナー式などが有名です。
一般の方には早期教育と幼児教育の違いはわかりにくいと思いますが。
これらは明らかに早期教育とは違います。
なぜなら、「早期」であることを求めていないからです。
むしろ最も重要なこととして、「その子の発達段階に応じている」ということを大前提としています。
早ければ早いほどいいというのでなく、また年齢で区切って十把一絡げで教えるのでもありません。
発達段階とはこども一人一人が違うものであるので、その子の発達に応じたことを提供し、それによってこどもの成長をよりよいものにしようという考えです。
また、知識偏重になるのでなく、どれも広汎な「経験」を重視しています。というより、知識の詰め込みというのははっきりと避けています。
(ただし、そういう~~式の名前を掲げていても、人を呼び込むために変質してしまい、中には早期教育化してしまっているものもあるようです。また、それぞれに長所と短所もあります。)
僕も同様に、何事もその子の発達段階に応じてするべきだと思います。
ただ、僕はそれが必ずしも「教育的」な物である必要があるとは考えませんが。
極端な話、僕が小さいうちにどうしても身につけさせてあげたいと思うのは、「優しさ」と「創造性、感性」だけです。あとは健康でいてくれればいいです。
2~3歳でひらがなの絵本を読める子にするよりも、花を見たとき「きれいだね~」って感じられる子、アリが働いているのを10分も20分も眺めていられる子、昼間の月を見つけて「あ、おつきさまがある~」と喜べる子になって欲しいと思います。
2~3歳(たぶん4歳でも)自分ひとりで絵本を読めるようになったとしても、読むことでいっぱいで、絵本から伝わってくるものはとても少なくなってしまいます。
「読める」ということで大人が喜んでくれるので、さらに読むようになるかもしれないけど、読んだだけになってしまいます。そこで字が読めないで大人に読んでもらっていたら、感じられたであろうたくさんのことが、得られなくなってしまうのです。
読めた本の冊数を競わせ、それにモチベーションを持たせていく方針の保育園・幼稚園があるそうですが、なんと虚しいことにこどもの力を使わせているのでしょう。僕からすると大人の自己満足で、とても無意味なことにこどもを駆り立てているように感じられてなりません。
字を読むことなど学齢期になれば、たいした努力をしなくてもほとんどの子が覚えられます。
しかし、そのときになってからでは乳幼児特有の感性や創造性を育むことはできません。
先取りを求め多くの努力をしたのに、あとから振り返れば得たものは返って少ないのです。
でも親や大人が望むのでこどもは一生懸命努力しました。
得たものはすくないのに、さらに情緒が未発達だったり、人との関わりが持てなくなったり、チックなどの心身症がでたりしてしまえば、こどもが親のエゴの犠牲になったというようなものです。
長いので、ここで一度区切って次回へつづきます。
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● COMMENT ●
No title
こんばんは~
絵本についても講習がありました。
その時聞いたお話と 保育士おとーちゃんが言ってる事は
殆どおんなじだな~と思って読んでました。
知識がすごくあっても そ以前に情緒が発達出来てなければ
がらがらと崩れてしまう・・・。
ほんとそうだな~と思います。
親のエゴで子供たちが 犠牲になるのは 絶対にいやだな~
私も きれいね~ かわいいね~ って言っている
ちひろが大好きです♪
はじめまして
素が屋さん
どうもこの↑「子どものうちにしかつめない経験」っていうのを、脳がどうこうっていう理屈で「こどものうちに教えこまなければならない」というものに、逆手をとってすりかえられちゃっているみたいなのですよね。
ほんとに必要なのはこどもらしい経験なんだけど、不安感を煽られたりして、そういうことに自信がもてなくなってしまっているのがいまの親世代みたいです。
ちっぴ~ さん
> ちひろが大好きです♪
ほんと↑みたいなこどもらしさがいいんだよね。
そういう感性が育たないと、結局はいい育ちは得られないとおもうんだけどね~。
なあさんはじめまして
でも、こういうのって一種のブームなんですよ。今度のはちょっと長そうな気もしますが。
そして大半はビジネスになっているものだから、洗脳力もなかなかのものです。(笑)
でも、やっぱりこどものときはこどもにしか出来ないことをたくさんしたほうがいいのにね~。
よかったらまた来てください。
No title
さらにおうちで、お父さんとかに「学校のやり方を教えて!!」と言ったりするそうで・・・。
う~ん、それって早くから教えた意味ないんじゃ・・・???と思っていたところです。
確かに幼児教育と早期教育って混同してしまいがちかもしれませんね。私もちょっと混同していたかも(^^;;
シュタイナーの幼稚園、近くにあったらいいのになぁと思ったのですが残念ながらありませんでした。
アリやダンゴムシを子どもと一緒に眺めてる子どもに10分20分と付きあっていられる母親でありたいな~と、最近つくづく思います。
さっちんさん
> さらにおうちで、お父さんとかに「学校のやり方を教えて!!」と言ったりするそうで・・・。
> う~ん、それって早くから教えた意味ないんじゃ・・・???と思っていたところです。
どうも、早期に知識を詰め込んでしまうと、返って抽象思考、自分で感じて考える力、理解する力というのが伸びない傾向があるようです。
そのときは、いろんなことが出来るようになっていて、親にとってはわかりやすいんだけど、あとで困っちゃうんだよね。
> 確かに幼児教育と早期教育って混同してしまいがちかもしれませんね。私もちょっと混同していたかも(^^;;
> シュタイナーの幼稚園、近くにあったらいいのになぁと思ったのですが残念ながらありませんでした。
僕もシュタイナーは好きですよ。
やっぱり『自然であれ』というのがいいね。
それに較べると、フレーベルやモンテッソーリはちょっと作為的、人為的な部分が強すぎちゃうような感じがしてね~。まあ、悪いっていうわけじゃないんだけど。
> アリやダンゴムシを子どもと一緒に眺めてる子どもに10分20分と付きあっていられる母親でありたいな~と、最近つくづく思います。
僕もそう思うよ。
たぶん、そのただ眺めている10分の間に、大人には想像も出来ないほどたくさんの経験をこどもはしていると思うんだよね。
大人からはそれは全く見えないから、そんなことより勉強でも教え込んじゃったほうがいいと思っちゃうのかもしれないけど、たぶん大人の意図なんてこどもの自然な成長のはるか下にあるんじゃないかな~。
No title
私には今3歳8ヵ月になる娘がいて、娘はヨコミネ式を取り入れている幼稚園に4月から通って3ヵ月になります。フラッシュカードや毎朝園庭で走ったりしています。
娘はすごく人と関わりたがる子で、買い物に行っても「お友達を探してくる」と言って知らない子と遊んだり、初対面の人にもよく話しかけたり、お友達のママにもよく話しかけたりして、にこにこして表情が豊かだねとか活発ですねとよく言われていました。
でも、4月は幼稚園から帰って来るととても暗く、慣れないから仕方ないかなと思っていました。懇親会の時にお歌も全く歌っていなかったので、担任の先生にお話したら、5月には暗くなることはなくなりましたが、今度は怒鳴ってお歌を歌うようになりました。
担任の先生は全く笑わない先生で、表情も分かりずらく、目がつりあがっているので見た目が怖く、振る舞いも乱暴な感じで、子どもに対する声掛けなどもちょっと変だなと思うような先生です。
例えば、娘がお友達にもらった木の実を他のお友達にどうぞと渡したら、その子が木の実を投げてしまったそうで、その時先生は「もーう」と言うだけだったみたいで・・・
あまり子どものことも褒めてくれない感じも受けます。
言葉をあまり発しない先生で、保育相談の時も、「先生、沈黙が長いから何か話してくれればいいのに」と言っているママがいたくらいです。
娘はとても人懐っこい子だったのですが、先生に全く懐いていないのと、寄って行くことも出来ない様子で幼稚園では大人しくなってしまっているようです。でも、お友達と遊ぶときは、普通に遊んでいました。
幼稚園に入ってから4月の暗い時期を経て、5月はとてもいらいらしていて、6月には頭突きやつばを吐いたり、蹴ったり睨んだり、とてもひどいものがありました。
買い物に行っても知らない子と遊ぶことも無くなり、知らない子を睨んだりしていて見ていられませんでした。幼稚園に入る前から遊んでいたお友達と遊ぶ様子も変わってしまって、大人しく、話をしなくなったり、お友達のママにも話しかけなかったり、話しかけられても返事をしなかったり。
今通っている幼稚園は娘には厳し過ぎるのかとやめることを考えています。席を立つとだめだよと言われたり、給食も「早く全部食べちゃいなさい、お外で遊べなくなるよ」とお友達が言われた時があったようで、厳し過ぎるなと思っています。給食も食べられないものを残そうとするとだめだよと言われるようです・・・
お家でぼーっとして「かきくけこ・・・」と言っている時は、怖いなと感じました。
それと、前はお家で絵本を選んだり、洋服を選ぶのに時間がかかる子ではなく、即決だったのですが、最近は「どれにしようかなー」など悩んで、なかなか絵本も決められずにいて不思議に思いました。幼稚園に入っただけでこんなに変わるものなのかな?と心配です。
毎日運動もハードなのも影響しているのかなとも思うのですが・・・
担任の先生の影響でひどい様子が出ているのか、それともフラッシュカードの影響か、ちょっと判断がつきにくく、相談させていただきました。様子がわかりにくいかと思いますが、助言いただけるとありがたです。よろしくお願いします。
なおさん
>娘はすごく人と関わりたがる子で、買い物に行っても「お友達を探してくる」と言って知らない子と遊んだり、初対面の人にもよく話しかけたり、お友達のママにもよく話しかけたりして、にこにこして表情が豊かだねとか活発ですねとよく言われていました。
とても素晴らしい個性のお子さんですね。
そういう姿って子供らしくてとても素敵だと思います。
実際のところはわかりませんので僕の感想にすぎませんが、自由闊達なお子さんが「できること」を要求する最右翼の方針のところに入ってしまったので、そのギャップに大きなストレスを溜めているのではないかと思います。
また、その担任の方の姿というのもそれを助長しているのかもしれませんね。
幼稚園は方針もさまざまですから、そこここにより個々の子供に合う合わないというものはあると思います。
ヨコミネ式はその中でも極端な方ですから、合う子合わない子というのはよりはっきりとでてくるのではないでしょうか。
個人的な考えをいうと僕は幼少期は「がんばり」を要求して何かを持たせることよりも、個々の子供のあるがままの形をその子その子に合わせて伸ばしていくことが大切なのだと考えていますので、お金をもらっても自分の子供は入れないかなと思います。
でも、いまの多くの人は大人から見えやすい形で子供に何かを持たせることを望んでいる人が多いので人気があるのでしょうね。
この前お会いした小学校の先生がこんなことを言っていました。
「最近は教育熱心な家庭が多くて、小学校入った時点で漢字がかけたり計算が出来たりという子が増えているのだけど、そういうことは2~3年でさしてかわらなくなってしまうもの。それよりも食事がきちんとできたり、着替えが自分でちゃんとできたり、自分のモノの管理ができるというような指示待ちではない基本的な部分を持っている子供にしてほしい」とのことでした。
幼少期の子供はとても素直な部分を持っていますから、大人がそのように持っていけば「できる」姿にしてしまうことは可能です。
そこの子供たちは大声でハキハキ大人に挨拶させたり、マラソンしているときに転んだ子が立ち上がると「かっこいい!」などと声援を送ります。
でも、それらは大人の側の強烈な誘導によって言わされているという側面の強いものです。
それでそのままうまくいく子もいるかもしれませんが、そのような強烈な誘導を受け入れがたく感じてしまう子もまたいます。
また、幼少期に多大な頑張りを要求されると、燃え尽きや反動が強く出てしまう子もいます。
大人の強烈な誘導というのはリスクもあるわけです。
その小学校の先生の学区にはヨコミネ式の幼稚園があるそうですが、そこからくる子にも小一プロブレムの予備軍になっている子も少なくないそうです。
そこの幼稚園が信頼できそうであれば、入園以来そういう姿がでていることを相談してみたりするのもいいのではないでしょうか。ただ、ヨコミネ式に限らず○○式を熱心にしているところは、イデオロギーになってしまっているところも多いので個々を見て適切な対応をとってくれるかどうか。
幼稚園は各家庭で子供に合わせて適切なところを選んでいいところですから、お子さんに合うところを模索してみるのもひとつの手かもしれませんね。
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早期教育の記事、まとめて拝見しました。
小さいうちは座って集中する時間だって
限られてますよね。
学校が45分授業なのも理由がある。
そんな風に、発達に応じて
投げかけることは大切ですよね。
花に水をあげるのと一緒で
与えすぎると枯れちゃう、、なんてことも。
それより、いろんなものに対する「なぜ?」の視点とか
自分の思いをちゃんと言葉で伝えられる力とか、
いろんなものを見たり、聞いたりする体験とか、
子どものうちにしかつめない経験もありますよね!