「支配の保育」と保育者の自己満足 - 2017.06.28 Wed
こちらの記事を叩き台に保育について述べたものです。
森友問題 保育士「休園でよい」服従…子どもは限界だった(毎日新聞)
>「お絵描き」を完成できそうにない園児には「昼ご飯を食べなくていいの?」とせかす保育士もいた。
>注意を聞かないと廊下に立たせることもあり、「子どもに考えさせるのではなく、服従させる雰囲気だった」
(記事中より)
それをしていた保育士は、保育楽しかったのかな?
このインタビューを受けている保育士はその問題点に気づいている人だけど、子供たちをそのようにしていた元からいた保育士たちはそれを当然のこととして行っています。
こんな保育をしていたら、まっとうな保育士は早々に辞職するでしょう。
実は、このように子供に支配的になってしまう保育施設というのは、程度の差こそあれ山のようにあります。
まさに、ここが保育士の専門性の低さです。
「自分たちの意に従わせること」、しかも「うまく従わせること」が保育士の力量なのだと勘違いしてしまっています。
この方向の保育をしていても保育は少しも楽しくなりません。
子供の成長した姿を見て自身の仕事の満足感を得たりすることもありません。
ではこの保育だとなにを求めて仕事をすることになってしまうのでしょうか?
先日のFacebookで僕が、ハラスメント体質について述べたところで「逆の全能感」というのが出てきました。(※)
※(数日前教員のハラスメント行為について述べたFacebookでの記事をさしている。
「逆の全能感」は僕が勝手に作った言葉。
・・・全能感とは通常、自分の思い通りになる感覚、またそこに充足を感じることを指しますが、子供に支配的に関わってしまう傾向のある人は、自身の「思い通りにならない状態」に強いイライラや不満を感じる。それを僕は「逆の全能感」と名付けました)
その不適切な保育士たちも、それが保育で子供たちに関わるときの出発点になってしまっています。
「こうあるべき」 →現実の子供たちはそうなってはいない →「そのようにしなければ」 →子供へ管理・支配的な関わり →子供の保育者への信頼感の低下 →より従おうとしない子供たちの姿 →「逆の全能感」ゆえにそれを許容できない保育者の心理 →怒り・イライラの蓄積 →さらなる冷淡or厳しい子供への関わり →さらに信頼感の低下 →保育者の心情「この子たちには問題がある」
こういうプロセスで悪循環になります。
この保育の特徴は何か?
保育者が「主観的」であることと「個性の尊重の視点のなさ」です。
まず最初の「こうあるべき」というビジョンの時点でおかしいのです。
「こうあるべき」というのは、一方的な保育者の主観でしかありません。
本来、保育士が従うべき「保育所保育指針」には、子供の姿で「こうあるべき」といった箇所はひとつとしてありません。
あくまで「個々に配慮して」というスタンスです。
「このようになってほしい」といった視点はあるにしても、それは個々の状況を踏まえて、子供自身がそれを達成していく配慮をする必要があります。それが保育の専門性です。
「こうあるべき」、だから「大人が無理矢理その姿を作り出す」これは非常に主観的な保育の在り方です。
本来の保育の精神からしてそれは「保育」と呼ぶのにすら値しません。
しかし、現状こういった保育は珍しくありません。
現状の多くの保育は程度の差、上辺の違いこそあれ、このような保育者の主観から発した管理・支配保育なのです。
こういったところを是正していかなければ、保育士は「専門性が高い」と認めてもらうことはできません。
このような保育になってしまう保育士は、子供の姿がうまくいくところは自分の手柄、子供の姿が良くないところは「子供が悪い」「家庭が悪い」という主観的な結果判断でとらえてしまうので、自分たちの問題に気づくことができず、自浄作用がありません。何十年とこういった保育を続けられてしまいます。
>「お絵描き」を完成できそうにない園児には「昼ご飯を食べなくていいの?」とせかす保育士もいた。
↑この関わりのどこが問題だかわかりますでしょうか?
このような関わり方は一般の子育ての中で多く使われていることでもあり、もしかすると問題点に気がつかない方もいるかもしれません。
少し解説します。
ここにある「こうあるべき」は、「お絵かきを完成させるべき」もしくは「お絵かきを時間内に完成させるべき」、または「食事を食べるべき」です。
そのための手段として、怖い顔厳しい言葉言い方を使って、「いつまで時間かかってんだ!この愚図!早く完成させなさい!」と強圧的に関わったとしたら、その関わりには問題があると多くの人に感じられることでしょう。それはわかりやすいタイプの「支配」であり、場合によっては虐待と判断できます。
ですから、実際にそこで出てくるのはもう少しスマートなやり方です。
ここでは「昼ご飯をあげないよ」という、脅しを使ってそれをしているのです。脅しの他にもう一つ使っています。それは「あなただけ食事に参加できない」という「疎外」によって子供にダメージを与える関わりです。
子供はそれらが怖いし嫌なので、絵を一生懸命完成させようとその場ではするでしょう。
その保育者からすると、それを見て満足感を得られます。
この点「私のねらい通りに子供にアプローチしてその通りになった」という「全能感」を感じることができます。
つまりこの方向の関わりをする保育士は、管理や支配を上手くすると仕事の満足感があがるのです。
しかし、子供は・・・・・・?
真実は、「脅されたからやっただけ」なのです。
この保育によって、その子はなにも得ていません。
つまり、この保育は保育者の主観からスタートして、その主観を満たしただけで、子供そのものを伸ばしてはいないのです。
しかし、主観で保育をとらえている人たちにはその現実は目に映りません。
「私たちは上手な保育ができているわー」と仲間内でたたえ合えるのです。
これがきわまってしまうと、その職場はハラスメント体質を持つ人の天国になります。
この森友学園では、子供たちに食事を残すことを一切許してこなかったとのことです。
お腹がいっぱいであろうとも、量が多すぎたとしても無理矢理にでも食べさせていました。
ここでの「こうあるべき」は「食事は残してはならない」という規範意識ですね。
子供は大人の期待に応えるために、頑張って食べるのだけどそこでもし子供が嘔吐してしまったりすると、その戻したものをまた食べさせたそうです。
これ普通の感覚を持っている人からすると、ちょっとそんなことできないですよね。
これは完全に虐待です。
しかし、「こうあるべき」を子供に押しつけることが「正義」であると視野狭窄になってしまう人にとっては、これが保育として成り立ってしまうのです。
そのような施設では、もともとの人格がハラスメント体質の人が主流派となり、それが「保育」として全体の保育になっていきます。
この森友学園保育園は事実上のトップであった副園長(籠池氏夫人)が、その言動や逮捕歴などからもわかるように非常に主観の強いハラスメント体質を持っていましたから、園がそのような保育になってしまったのも、ある種の必然といえるでしょう。
僕はこういった日本中にはびこる間違った保育を改善していきたいと思っています。
そのために、このような保育に明確にNOと言えるだけの保育観を、学ぶ姿勢を持った保育士に伝えていきます。
大変残念なことに、程度の差があるだけ、オブラートがかぶっているだけで、まだまだこのような保育がたくさんあるのが現実なのです。
今度の7月1日(土)の保育セミナーでも、
・なぜこのような管理的な保育が生まれてしまうのか
・そうならないためにはどこに気をつければいいのか
・管理的な保育でなければどんな保育を目指せばいいのか
・その理念的根拠
・その実践方法
・保育実例
これらのテーマについて触れる内容を盛り込んでいます。
現在38名の方のお申し込みがありますが、もう少し定員に余裕がありますので、もしよろしければいまからでもご応募下さい。
公開保育研修会 「自主性・主体性」の保育の理解と実践
この管理と支配の保育を乗り越えたところに、本当にやりがいを感じられる保育があります。
それをまだ獲得していない方はぜひいらして下さい。ともすると人生が変わります!
- 関連記事
-
- 名前を呼び捨てにすること ~子供の人権~ (2018/01/17)
- 男性保育士のあり方について vol.2 (2018/01/16)
- 男性保育士のあり方について vol.1 (2018/01/13)
- 『「自主性・主体性」の保育の理解と実践』セミナーを終えて vol.2 (2017/07/05)
- 『「自主性・主体性」の保育の理解と実践』セミナーを終えて (2017/07/02)
- 「支配の保育」と保育者の自己満足 (2017/06/28)
- 保育士試験の季節になってきました (2017/05/11)
- 「道徳」が危険信号になっている (2017/03/26)
- 「介入しない」の裏にある保育士の配慮 (2017/03/23)
- 「いい保育」と「上手い保育」 vol.8 『包括的受容』 (2016/10/29)
- 「いい保育」と「上手い保育」 vol.7 ~「介入しない」というアプローチ~ (2016/10/25)
● COMMENT ●
逆の全能感
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/1048-afaad296
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
かくいう私の母も昔から保育士をしていますが、まさに「子供を自分の思い通りにしたい」というタイプの人でした。
私たち子供が「〇〇を着たい」「〇〇に行きたい」と主張しても「〇〇よりは△△がいいでしょ」等と(母の好きな方を)断言される。挙げ句、私たちが「どうしても〇〇がいいの!」と言うと「本当に頑固なんだから」と心底嫌な顔をする人でした。当時は「そうか、私が頑固なんだ、私がいけないんだ」と思っていましたが…今思えば、それらはすべて「母にとって都合のいい」選択肢だったんですよね。(〇〇を着ると汚れた時困る、とか、〇〇へ行くのは遠いから面倒、など)私が成人し母になった現在でも、「母乳足りないならミルク足しなさい」などと一方的に怒り、私が「母乳で平気だから」と返すと「本当に頑固なんだから」と不満顔をする人です。我が子の希望、我が子の意見、というものを一切忖度しない人です。
私はそういう親にならないよう気をつけようと思いました。