『「自主性・主体性」の保育の理解と実践』セミナーを終えて - 2017.07.02 Sun
控えめに言っても大盛況だったのではないかと思います。
ご参加下さったみなさん、お疲れ様でした。そしてありがとう。
午後の部に参加なさる方も、「10名くらいのものかな~」と考えておりましたが、想定以上の人数に急遽入れ替え制にさせていただきました。
結局、自由参加の午後の部にも30名以上の方がご参加下さいました。
本当はもっといま悩んでいる子供の対応で聴いてみたかったけど遠慮してしまって聴けなかった、もっとみなさんのお話を聴きたかったなんて方も、きっといらっしゃったのではないかと思います。
保育施設で働いていたとしても、なかなか保育について面と向かってみんなで語り合う機会というのがないので、あのような座談会的な時間は貴重ではないでしょうか。
通常、保育のセミナーや講演があっても、わざわざそれと別個に会場を設けて下さるということはありません。
今回、よりよい保育、また保育士の方により高いモチベーションをもって日々の保育に望んで欲しいという主催のHOIKU BATAKEさんのご厚意によるものです。
HOIKU BATAKEさんにはあらためて感謝申し上げます。
会場に来ていただいた方には先行でお伝えしました、今後予定されている全6回の連続研修では、参加者みなさんの考えや思いをだせる場としての機能を重視して、さらに掘り下げたところで実践的な保育を学んでいきたいと考えております。
(その連続研修については、ブログをご覧のみなさまには申し込みページが作成されしだいお知らせいたします)
さて、午後の会の第一部の方で、セミナー内容に対する具体的な質問がでてきました。
それは<優しい支配>※のところについてです。
※<優しい支配>について
「優しい支配」とは、保育の気づきのために須賀が作った言葉。
「うるさい」と声を荒げて言ったり、「こっちへ来い」などの命令などは、良くない関わり方と認識されやすい。だからこれらの関わりがよろしくないということを保育者は理解している。
しかし、それらを優しく言い換えた「しー」や、「おいでー」とかわいく言い換えられたものには、なんの違和感もなく、そのように優しく伝えればそれらはなにも問題ないと見なされ、それらについて特段の意識をされることすらない。
しかし、子供への関わりの本質を見据えれば、優しく言ったとしてもそれらは子供に対する指示や命令であることは変わらない。
こういった指示や命令を何の気なしに無自覚に使ってしまうことにより、保育がいつのまにか管理や支配の保育となってしまっている。
本当の保育の専門性を持つためには、このような何気ないところに気づく必要がある。
このお話をしたところについて、さらなる質問が出ました。
午後の第一部に参加なさった方にはお伝えできたのですが、そうでない方にはここでお伝えしたいと思います。
まず質問は、
「しーやおいでーが結局のところ指示・管理・支配になってしまうということに気づかされ、それについてはわかりました。
では、そうならないためにはどういった関わり方をすればよかったのでしょうか?」
セミナー本編のなかでは、この点についてさらっとしか触れませんでしたので、この質問は保育実践につなげるためにとても重要なものだと思います。
では、それに対してのお答え。
まず、頭に置いておいて欲しいことが2点あります。
そのひとつは、ここで例に挙げた「しー」や「おいで」以外にも、このような「優しい支配」になっている関わりはたくさんあることです。
あくまで、わかりやすい例としてここでは挙げました。
この「しー」や「おいで」だけにとらわれず臨機応変に考えてみて下さいね。
例えば他によく使われるところでは「ダメっ」「メッ」といったものもありますね。
これは、「こらっ」などと怖い顔で言っている人の保育は、「その関わりはまずいだろう・・・」とわかりやすく気づけますが、かわいらしく「ダメっ」や「メッ」と言っているのをおかしいと気づけなくなってしまいますね。
ふたつめに、僕はこれらを使ってはならないと「禁止」で考えているわけではないことです。
「優しく言えば問題ないだろう」と結局管理・支配におちいってしまう、現実の子供への関わりについての注意を喚起しています。この「気づき」によって保育を自覚的にとらえられるようになることが大切です。
「しーやおいでを使ったら子供が正しく育たないからそれは良くない」と言っているわけではないことにご注意下さい。
(保育にはさまざまな場面や子供がおり、場合によってはそれらが必要な場面や、適切な関わりとなることだって可能性として考えられます)
ですから、もし「しー」や「おいで」、「メッ」を別の言い方に変えたからといって、それが管理的な関わりであれば問題はなにもなくなりませんね。
実際こんなことがありました。
その園では「ダメ」を子供にたくさんいってしまうことがよろしくないということに気づきました。
そこで保育士たちは、「ダメ」を「×」に言い換えたのです。
かわいらしく「ば~つ~♪」と言うようになりました。
これでは問題の本質が理解されず、なにも解決されていませんね。
では、どうすればいいのでしょう?
それに関しても答えはひとつではありません。
これからそれを述べますがマニュアル的に考えずに、臨機応変にとらえて下さいね。
1,「カードを出す」アプローチ
指示的管理的アプローチをする前に、「カードを出す」アプローチをしてみるという対応が考えられます。
カードを出すというのは、必要なことを大人が提示することに留め、あとは子供に考えさせるアプローチです。
例えば、「ここは静かにするところですよ」「いまは静かに聴く時間ですよ」
このような言い方は、大人が指示・命令・注意などの否定のニュアンスを持った関わりではなく、必要な事実だけを述べています。
これを「カードを出す」アプローチと僕は呼んでいます。
カードって本当にカードを紙で作って出しなさいということじゃなくて、あくまで比喩です。念のため。難しく言うと「必要な事実の提示」ということです。
これにより子供はどうなるでしょう?
子供はそれによって、静かにするかもしれません。しかし、それでも静かにならないかもしれません。
大人が「こうあるべき」(ここでは「静かにすべき」)から出発してしまえば、子供の主体性は伸ばせないというのは、セミナーの中でお伝えしていました。ですから「静かにならない」という結果も忌避すべきことではありませんね。
「静かにすること」だけを短期的に求めてしまえば、子供が主体的に考え行動するときはずっとこなくなってしまいますので、「静かにならない」という結果を「大人に従わない悪いことだ」などととらえる必要はありません。
もし、そこで子供がカードを見て考えたことにより、少しでもそこで必要な行動をとれたときは、そこをにっこりとうなずいたり、「ちゃんとわかったね」「わかってくれてありがとう」「よかったわ」などの「認めるアプローチ」をします。
こうすると、指示や注意・怒るといった否定のニュアンスを持ったアプローチではなく、最終的に「認める」という肯定のニュアンスをもったアプローチで子供の姿を伸ばしていくことができます。
一見、まわりくどいような関わり方に見えるけれども、このように肯定で子供の姿を伸ばしていくことの方が圧倒的に子供は成長していけます。
この点、子供を「支配すること・管理すること」があるべき保育と考える保育士には理解できないところです。
では、カードを出すアプローチをしても少しも響かない子に対してはどうすればいいでしょう?
ここにも、いくつもの可能性が派生してきます。それに対して臨機応変に対応する必要が保育士にはあります。
●要求するものごとがその子、もしくはその子たちの発達段階に合っていない可能性
事例で考えてみましょう。
例えば、0歳児や1歳児に1時間もの集会に参加させようとして、そこで子供が座っていない、静かにしていない、だからカードを提示するアプローチをしたが子供が言うことを聴いてはくれない。
こんなケース。
これは極端な例だけれども、それは当然だよね。
だって、保育士が正しく「発達段階」というものを理解せず、子供への保育を組み立ててしまっているから。
0~1歳児に1時間もの集会をこなさせることは、発達段階上無理がありますし、よしんばそれができたところで発達段階的にそれらの活動の敏感期ではありませんので、さしたる意味がありません。
ですからそもそも、その枠組みに子供を合わせよう、合わせなければと考えている保育士があきらかに間違っています。
その保育は発達段階を踏まえずに、「集会に参加できることは大事」「どうせなら低年齢でそれができればなおいいだろう」という、非専門的な素人考えにすぎません。それが達成できたところで大人の自己満足があるばかりで、子供の成長からいって意味がないのです。
保育の第一はどんなときも発達段階ですよね。
最初から無理なことを子供に要求している保育士の方に問題点があります。
それではどんなアプローチをしたとしてもその通りにならないのは当然。
「自主性・主体性」ということを理解しておらず、「管理・支配」で保育を考えてしまう保育士は、こういったとき威圧を強めることで子供を従わせて、それに自己満足をしてしまいますが、
それらは子供の何ものをも伸ばすことになってはいません。
この点については、こう覚えておいて下さい。
子供たちに絵本を読み聞かせしました。しかし少しも楽しめず聴くことができません。
このとき、「聴けない子供が悪い。聴くようにアプローチしなければ」という方向性で考えるのではなく、枠組み問題があると理解すればいいのです。
つまり、「この絵本は現段階ではこの子たちは楽しめない。では、この子たちが楽しめる内容の絵本(もしくは他の活動)に変えてしまおう。絵本のレベルを下げてしまおう」
「難しい本を適切に聴かせたい」というのは大人の欲目なのです。
「個々の子供たちありき」という保育の原点に戻りましょう。
子供に管理・支配でかかわる保育士は、「去年の3歳児はこの本を聴けていた」「3歳児ならばこれを聴けるべき」といった、目の前の子供不在の保育になってしまいがちです。
●諸条件の方に問題がある場合
個々の子供は発達の進み具合も違えば、それぞれの状況もあります。
例えば、親子関係に問題があって他者への信頼感を育めていない子は、カードを出すアプローチをしてもそれに気持ちを留めることが難しいでしょう。
であれば、この子は短期的にいまそれに従わせることよりも、圧倒的にその前の段階である、他者への信頼感を育むことが保育士の仕事となります。
普段から密接な関係性を大切にしたり、積極的に楽しい関わりをするなどして信頼関係の蓄積こそを優先しましょう。これが必要な諸条件を整えることになります。
またある子は、精神的に幼いために、カードを提示するアプローチが響かないのかもしれません。
そう判断される子でしたら、その子の自立心を育んだり、依存にならないような普段の関わりを意識することで精神的な成長をうながすことが諸条件を整えることになるでしょう。
こういった諸条件の問題は子供の数だけありますので、臨機応変にとらえて下さい。
このような諸条件を個々の子供に整えるアプローチをコツコツとしていった先に、また同じような状況がでてきて、そのときカードを示す行動でその子が少しでもそれを理解する行動をとれたとき、そこに意図を持った専門的な保育の成果が見られることになります。
それこそが「保育の力」です。
大切なのは「この子はできない、できるようにしなければ!」ではなく、
「この子はできない。どうしてなのだろう?」とその子の問題点を理解し引き受けてあげる「援助の姿勢」です。
まだまだあるけど、長いので続きにします。
質問への回答だけで、セミナーが一本できあがってしまいそうです。
保育って本当に奥が深いね。
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● COMMENT ●
ありがとうございます!
行きたかったー!
幼稚園の2歳児なので、今年入園した子供達ばかりです。
今年入園した子供達は、親子関係が希薄な子供が数名おり、まだまだトラブルが頻発しててんやわんやです。
なかなか信頼関係を築けないでいるので、トイレに誘うだけで逃げ回る子がいたり、朝の歌を歌っている時にただただ走り回る子がいたり、引っかいたりかみついたり…
担当職員も否定や、意味のない競争(誰が1番早くトイレから帰って来れるかな?等)疎外…うーーんというアプローチたらけで子供達も荒れる一方。
私も主にたつと、どうしたらいいものやら…となってしまうのですが。
その上、トイレトレーニングにも熱心で、夏までにみんなとりたい!と、トイレに誘うたびに逃げ出す子にもパンツを履かせて、トイレへの声掛けやおもらしの処理に追われて一日が終わります。
子供と関わって楽しい事して、関係作りながら…という時間よありません。
そこで、発生するトラブルの対応に後手後手になってしまいます。
でも、とにかく一緒に遊んで、ズボンやオムツをあげて…の甘えにも快く応えていくしか信頼関係を築く道はないかな?と思っていました。
…が、身辺自立をさせねばとパンツやオムツは自分であげさせなさい!と態度を硬化させる対応を要求されます。
別の学年の担当者は、もっと自分でさせなきゃ!戦って!と言います。
子供と戦うってなんなんでしょう?
すみません。ダラダラと愚痴ばかりで…
優しい支配
少し似ているので大変驚きました…。
自分がそういう言葉を使っている時、
単純に育った過程での刷り込みで使っているかもしれませんが、
自分の心に「支配して良い」と思わせる作用もあるだろうと思いました。
特に私は(も?)否定的だったり共依存的な家庭に育っておりますので、
いつも使う言葉に注意していきたいと思いました。
大変勉強になります。
ヒロセさん
もっとゆっくりお話をうかがえる時間があればよかったのだけど・・・。
そういえば、山梨に講演にいったとき入った石和のお店の名前を思い出しました。
石和寿司さんです。
そこのおじちゃん、おばちゃん、常連のお客さんの人柄がよくて大変楽しませていただきました。また行きたいです。
ところで、今回コメントにお返事したのはそれを伝えたかったのではなくて、
今回コメントでいただいた文章があまりに素晴らしかったからです。
文章の構成が完璧で、何気ないことのようだけどそれはすごい才能です。
なかなかそのような文章を書けるものではないと思います。
ぜひ、その才能を活かすといいですよ。
お返事ありがとうございます
今回は須賀さんからのメッセージを読んだことをお伝えしたく、コメントさせてもらいました。
いろいろ言いたいことはありますが、また長々となってしまいそうなので今回はやめておきます(笑)
では、またお会い出来ることを楽しみにしております。
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ずっと須賀さんのブログを読んでいて、ぜひ直接お話を聞かせていただきたく、時間やお金をかけてでも参加する必要があると思い参加したのですが、やはり思っていた以上の価値のある体験となりました。
お話の内容はもちろんのこと、須賀さんの人間性を感じることができたこと、同じような思いを持っている仲間の方がたくさん居て同じ場に集まれたこと、本当に嬉しく、勇気をもらった気がします。
日々の保育にあたる中で、悩んだ時や学びたいと思った時に、こちらのブログを読んで実践に活かしてきました。
そして研修の中で、須賀さんが挙げられていた良い事例の子どもの姿が、今まさに見られている子どもの姿であることに、なんとも言えない安堵感や喜びを感じることもでき、もっともっとより良い保育を提供していけるようになるんだ!と決意を新たにもつことができました。
とはいえ今勤めている園でも、見ていて心苦しくなる保育も行われており、そういう環境の中で育つ子どもたちへの影響が心配ですし、その中で自分自身もしたいと思える保育を出しきれていなかったりしています。
様々なことを考え、今年度で今の職場を終わりにして、来年度からは自分の目標に近づくために、行動を起こしていきたいと思っているところです。
それまでは今自分の立場でできることを少しでも見つけて実践していこうと思います。
私は保育士は「未来をつくる仕事」だと考えています。
今の子どもたちが大人になって子育てをしたり、社会に出て働いたりして、未来の大人になるからです。
まだまだ未熟で技術も知識も浅く、上手くいかない自分にもがいていますが、人間形成において大変重要であると言われる幼少期に関わることへの責任や、「今の自分が考えるより良い保育を提供している」という自信を持ち、楽しく保育士をし続けていきたいです。
今まで保育士の仕事は結果がすぐに出なかったり目に見えにくかったり、内容も幅広く大きな責任も伴い、肉体も頭脳も精神も使う仕事であるのに社会的にあまり理解されていなかったり…と不満に感じることもありましたが、今ではこんなに創造的で面白い仕事はないのではないかと思うくらい、保育士が大好きです。
私たち保育士一人ひとりが、自分の仕事に誇りをもってプロとして責任ある仕事をしていくことで、世間のイメージを変えたり、保育士の処遇改善にもつながったりしていってほしいと感じます。
このように思えるようになったのも、須賀さんに出会い、保育の素晴らしさを知ることが出来たからだと思い、本当に感謝しています。
長々とまとまりのない文章になってしまい申し訳ありませんでした。
これからもお体に気をつけて…益々ご活躍されることを、心から楽しみにしています。