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2023-09

親のタイプから考える子育ての形 vol.8 「支配型」からの脱出 - 2017.07.20 Thu

「支配型」の子育ては、その人の程度にももちろん寄るけれど、それを変えていくのは簡単ではないと言えるでしょう。

これもやはり「持たされている」ことがとても多いです。

「支配型」の子育てを受けて育った人は、ほとんど無意識のうちに「支配型」の子育てをしてしまいます。






もしくは、実際に子供に対して支配的な関わり方にならなかったとしもて、子供が自分の思い通りにならない行動をとったときのストレス、怒り、イライラはひじょうに大きなものになり、その人の子育てを苦しませてしまいます。

そのように「支配型」の子育ては連鎖します。
これは理屈でやっているわけではないので、それに客観的に対峙して乗り越えるというのは簡単ではありません。



まず、自分の感情が言うことをきかないのです。
その根っこには自身が幼少期にされたことが大きく関係しています。


人は根本的に誰かに支配されるのを好みません。

例えば、何かしている子に「あなたいまトイレに行ってきなさい」と言えば、多くの子が躊躇したり、「イヤ」といったり、その言葉を無視しようとします。
自我がまだ発達途上にある1歳の子供であってすらそうなのです。
さらに大きな子であれば、その負荷はより大きくなります。


支配的な関わりによって親に継続して関わられると、その心理的な負荷を心の内に押さえ込んでいくことになります。

これが、その人がその親の元で生活を送った年数だけ積み重ねられ、圧縮します。
(そこが支配的であった場合、これは学校などでの生活も該当します)

支配的な関わりだけであれば、まだ過干渉の問題のレベルで留まることもあるでしょう。

しかし、支配傾向がさらに進むとそれだけではすみません。

今度は自尊心を傷つけたり、へし折ったりする関わりに発展していきます。



例えば、

a,自分の大事にしているものを否定される・壊される

b,自身の友達を親に拒否される

c,自身の自発的行動を否定する。

d,自己表現を否定したり、なじったりされる

e,関係のないことに対しても、子供が反論できない理由で子供を責める

f,支配されること、服従することを子供のせいにして正当化される






a,自分の大事にしているものを否定される・壊される
b,自身の友達を親に拒否される

自分が大切にしているものを親に拒否されたり、壊されたりすると、その子供は自尊心を激しく傷つけられます。
しかし、子供は親を肯定したいと常に思っているので、それに真っ向からNOを言うことができない立場にあります。
結果的に、自身の心の内に、その悲しみや怒り、やるせなさを押し込んで溜めていくことになります。



c,自身の自発的行動を否定する。

親の意のままにならない行動は、それがたとえ良いことであったとしてもその親は親への反逆、挑戦ととらえるので否定せずにはいられない
その親が望んでいるのは、子供を思いのままにしておく状態から感じられる「全能感」であり、子供が自我や自発性を見せつけることは、その全能感を損なうことになり、親は心地よくいられなくなってしまう。
よって、それを「しつけ」などという理屈に仮託して、子供の否定をする。

この否定は、単に行動の否定といったものではなく、その子の自我、自尊心に対する否定・攻撃になっている。



d,自己表現を否定したり、なじったりされる

例えば、女の子らしい服を着ると「色気づいてきやがって」と攻撃する。髪型を気にしだした男の子を「男らしくない」と否定するなど。(聴いている音楽や、読んでいる本を否定されるといったものもあります)

c,の心情と同様に子供に過度に支配的な親は子供の自立を自分への挑戦ととらえたり、心の奥で恐れている。

なぜ恐れるか?
その親は、子供を支配し君臨することで自身の自尊心をギリギリ満たしている。
子供が自立してしまうことは、その対象がいなくなることを意味しているので、子供の自立の芽が出た段階で早めに打ち砕き、自身の思い通りにする状態を継続しようとする。

この事件↓はまさにそういったものの典型のひとつです。
『暴言 支援学級担任が「色気付きやがって」 生徒不登校に』(毎日新聞)

これは教員がしたことですが、より手厚いケアが必要な支援学級の担任がそのようなことを行うのは許されざる行為です。



e,子供が反論できない理由で子供を責める

例えば、「誰にメシを食わせてもらっていると思っているんだ」「親の言う通りにしないお前はなんという親不孝者なのだ」

このような関わりは、その子供にとって逃げ場のないものなので、自尊心を損ない、心の奥にその思いを閉じ込めなければならなくなる。
また、子供が持つ「親の味方でありたい」「親を肯定したい」という真心を親の方から否定する行為になり、子供はそれにも傷つかなければならなくなる。



f,支配すること、服従することを子供のせいにして正当化する

例えば、「お前が悪い子だからお前のために怒っているのだ。私は本当はそのようなことはしたくないと思っている。お前がよい子にならないからそうせざるを得ないのだ」


これは親の自身の自尊心の維持のため、もしくは自身がしていることが不適切であることをどこかで理解しながらそれを正当化するために子供を責める行動。
子供のためといいつつ自分のためにしかしていない行為。

これも子供にとっては、逃げ場がないことであり、大変大きな抑圧となる。


これにより、被支配される状態が人格の中に形成されてしまう場合もある。
それは、実際はそのようなことがないにもかかわらず、親に繰り返し「お前はダメだ」と言われるために、自身を「ダメな人間である」と思い込む状態。

こうなると、その支配者に逆らうことができなくなり、しばしば共依存を生む。
(この場合の共依存は、
 支配することで自尊心を満たす ⇆ 自信を奪われたがゆえに自主性・自発性を発揮することができなくなり、支配してもらうことに安住する)



これは大変強いハラスメントの関わりです。
体罰を正当化する人の中にも、同様の論法を使う人がおります。

「体罰を振るう方も、叩けばその手が大変痛いのだ。だがお前のために私は叩いている」

単なる自己正当化でしかない論理であり、このような物言いは詭弁に過ぎません。



こういったことは数ある支配型の関わりの一例に過ぎないですが、ここで僕が注目したいのは、このとき心の奥深くに押し込まなければならない子供の気持ちの存在です。

人間の心というのは、なにか負荷をかけたとき、それがパッと消えてなくなるということはありません。
なんらかのことでバランスを取ろうとします。


人によっては子供時代から問題を出します。

例えば意地悪や無気力、集団での行動になじめない。その子の頭を押さえつけている支配型の大人の前以外で、自身の抑圧されたものを発散させる乱暴だったり多動だったりする行動になる。などなど。

これが、その範囲で解消される人もいれば、大人になるまで引きずる人もいます。

なかには、その影響がなかったと思っていたにも関わらず、自身が親になり子育てする段階になって大量に吹き出してきて苦しむという人もおります。


その引きずり方もいろいろです。

1,親の価値観に同化していく

2,自己否定を募らせ萎縮していく

3,親に反発反抗する



親からの支配を受け続けて育った子供は、心の根底に、その強い否定や自尊心に対する攻撃などの抑圧されたものをため込んでいます。

親の言うがままに育ち、学校に入り、就職しといったところまで、この問題が吹き出さない人もいます。吹き出す人は、思春期にそれがでたり、学校での人間関係に苦しむといったことでそれがでてきます。

リストカットや自殺未遂としてでることもあります。
f,の関わりをされてきた人は特にそうなりやすいです。自分はダメな人間だからそれを自ら否定したり、罰するためにリストカットになります。

「リストカットをする子供は、死ぬ気もないのにあわれみが欲しくてそれをしている。そんなのは甘えだ」ということを言う人もいますが、適切な知識・理解のない人の意見です。

こういった、すでに苦しんでいる人に追い打ちをかけるように叩くことを言える人は、その人自身ハラスメント体質を持ってしまっていることがあります。

「自分は甘えが許されなかった。しかもそれを強く拒否された。その場面で自尊心を攻撃された」 → 「甘え(のように見える)を出している人がいる」 → 「感情レベルでその人を許すことができない」 → 「その人を批判する」「攻撃する」

体罰を肯定する人の中にも、そのような生育歴を持たされたゆえに、上記の心理プロセスになってしまう人が多いです。



さて、そういった顕著な現れ方にならなかった人でも、子育てという事態にあたっては、自身の持つ心の奥深くの問題に直面することになります。


つづく。


追記
『娘の元交際相手に侮辱メール、慰謝料命令 受信後に自殺』(朝日新聞)

さっき見つけた記事ですが(つい昨日のニュースです)、b,の実例として加えておきます。
こういう事件はただただ悲しい。

この母親はもちろん間違ったことをしている。
大人である時点で、自身が持たされた原因だったとしてもそれを解決していく努力をする必要がありました。
しかし、それをサポートしてくれる人はいなかったのでしょう。
(この「サポート」については後の記事で触れるつもりです)

この人自身もおそらくもっと前にカウンセリングなりを受けて、自身の幼少期からの問題なり、なんなりを解決していれば、このような関係者みなが不幸になるようなことは起こらなかっただろうと思います。
亡くなった少年の冥福を祈ります。

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● COMMENT ●

おとーちゃん、この記事を書いてくれてありがとう。
私の中の、コントロールできない激しい怒りの原因がわからずに、苦しい思いをして育児をしてきました。
原因がわかってよかった。
ずっと私はダメな人間だと思ってきました。記事を読んで救われました。

支配的にならないように、またいいなりにならないように精一杯努力しています。
しかしうまくいきません。
幼少期から押さえ込んできた怒りが出てきてしまって、どうしようもない。
記事の続きを楽しみにしています。

いまは、せめて怒りが出てきてしまった時は、子供にぶつけないようにと思って、子供の顔を見ないようにしています。でも子供ってママに見ていてほしいんですよね。どんなに意味不明に怒られても関わって欲しいと願ってる。

穏やかに楽しく関われる日もあるんですが、怒りに怒って叫び出したくなるような日もある。
そんな日は、敵意に満ちた声で「絵本を読んであげる」と言ったり、怒った目で口許だけ笑いながらくすぐりをしたりしています。
怒ったまま関わりたくない。でも抱えた怒りをどうすることもできない。

子供は大変かわいいです。
でもうまく愛してあげられません。

>TH さん

他の人がなんでもなくできることが、自分にとってはものすごく難しいことがあります。

そのなかで、

>敵意に満ちた声で「絵本を読んであげる」と言ったり、怒った目で口許だけ笑いながらくすぐりをしたりしています。

↑これをできるだけでもそれはものすごい努力ですよ。

あなたはダメな人ではないですよ。このことをするだけでもどれほど大変なことをしているかが僕にはわかります。
どうぞご自分を認めてあげて下さい。
これはお世辞ではないですよ。本当にそれはすごいことです。


>でもうまく愛してあげられません。

うまくできなくていいんです。
うまくなかったとしても、子供はそこにTHさんがどれだけ自分たちのことを思っているかを理解することができますよ。

過干渉〜自尊心を傷つける、本当にこれだ、、と思いました。
母親から受けた関わりにabcdef全部当てはまります。自分が努力している仕事の否定など。父の悪口も本当にひどく、大人になるまではかわいそう、聞いてあげなければと思って相手をしていましたが(子どもを持ってみて、子どもって誰しも最初は悲しいくらい母親を愛しているんだなと思います)、今は、娘を自分の味方につけようと感情のはけぐちにされていた反動がきてしまいました。
おとーちゃんさんの記事を追い、自分自身の育ちを整理する大きな足がかりになっています。本当に感謝しています。

親元にいた時代もしんどいなあとは思っていましたし、「自立心の強い娘を持った親の気持ちが分かるか!」と社会人になってから逆上されたこともありましたが、独立→結婚(自分と違う価値観を悪く言う姿勢のない義家族に衝撃)→出産 と、母親にとって私(娘)が手の中に収まらなくなるにつれて、新しい世帯まで支配しようとする言動が激しくなり、何度も頭が割れそうになり、明確に気づかされました。
母親が自分を愛情深いと勘違いしている(はっきり自負していました)ものは、母親自身を満たすための自己愛だったんだなと思います。

ついに怒りと悲しみが噴火して、母親の顔、名前、筆跡、声、すべてを受け入れられずいっさいの連絡を拒絶しています。最後の一滴はささいなことでした。「父の悪口はやめてほしい、あなたは元他人でも私は血がつながっている、否定されて傷つく、言いたいなら友達に言って」とやっとのことで伝えたら「あんたはお母さんがかわいそうと思わんのか」と逆上されたことでした。頭の中で、「あ、やっぱりそうだったか、終わった」と思いました。
あなたがなにより大事と豪語している子供が「傷つくからやめて」と目の前で言っているのにな、と。

父はもちろん理解していませんが(母も父に何も言わないし、私も近しい身内を悪く言われる苦痛をいやというほど知っているので、父にとっての妻を娘に悪く言われる父が気の毒で、言えません)最近帰省してこないのは、事情があるようだなとは思っているようです。
父にはすごく会いたいし子どもにも会ってほしいのに、、帰省後の私自身の感情の荒れを、戻ってから子どもにぶつけてしまうのが分かるから、勇気が出ません。そうしている間に父は年を取り子どもも成長してしまうのに、悔しいです。なんとか消化したいのですが。

本当にわかりやすい記事をありがとうございます。少なくとも目の前の子どもには、完全にとはいかなくてもできるだけ連鎖したくないし、幸せな子育てをしたいので、
続きを楽しみにしています。
(蛇足ですが、春の多摩センターの子育てカフェ、とてもためになり楽しかったです。また機会があったら参加させていただきたいと思います!)


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