親のタイプから考える子育ての形 vol.10 「支配型」からの脱出3 - 2017.07.21 Fri
支配型の子育てになってしまっている人。
これらの人たちが苦しむのは、子供と一緒にいるときわき上がってくる、イライラ、怒り、どうすればいいかわからない不安といった、とても大きな感情のうねりです。
この部分が解消されないことには、根本的なところで子育てがラクになっていけません。
でも、多くの人はその表面的なところにどうしても目が行ってしまうので、「叱ってはよくない」「怒ってはよくない」「いいなりになってはよくない」と考え、そこを気をつけようとします。
しかし、その自分の思いとは裏腹に、結局はその感情のうねりがそうせざるを得ないところに持って行ってしまいます。
すると、いきつく結果は自己否定・自己嫌悪です。
「私はダメな親だ」「私は愛情がないのだ」と自分に否定の矛先が向きます。
または、「なんてこの子は素直じゃない子なのだろう」「きかない子なのだろう」と子供に責任を押しつける方向の気持ちになる場合もあります。
すると、それはさらに怒る理由、叱る理由となり悪循環を生みます。
こういったことを、根っこから変えるためには遠回りなようかもしれませんが、次のところからスタートしてみて下さい。
◆規範意識をゆるめる
子供のちょっとした姿でも許しがたく見えてしまうといった気持ちを持つ人、こういう人は強い「規範意識」を持たされています。(以前の記事の「ものさし」のお話でもでてきています)
「こうしなければならない!」 → 「でも我が子はそうなっていない!」 → 「許せない、我慢できない」 → 自分ではコントロールできないイライラ、怒り → 怒る、叱る、子供の否定、ダメだし、行動をせかすといった過干渉
子育てのシーンでこれを解消していくのはしんどいです。
実は、その人はその「規範意識」を子育て以前のところから自分自身に課しています。
子育ての実際の場面では、感情の大きなうねりがでてしまうので、そこでこの規範意識をゆるめたりすることは難しいです。
そこで、まずは子供に求めてしまう「規範意識」をゆるめようとするのではなく、自分に課している「規範意識」からゆるめてみるのです。
「規範意識」を強く持たされてしまった人は、例えば「ちゃんとしなければ」「しっかりやらなければ」「きちんとしなければ」「頑張らなければ」「努力しなければ」そういったことが無意識に浮かんできては、自身の行動を制限していっています。
もし、「頑張る方」と「ラクな方」のふたつの選択肢があったとき、ついつい「頑張る方」を選んでしまいはしないでしょうか。
もしくは、つい「ラクな方」に流れてしまったとき、自分を責める気持ちやなんかもやもやを抱え続けてはいないでしょうか。
そのとき、もし可能ならば!
あえて進んで「ラクな方」を選んでみて下さい。
また、こんなこともあります。
前の記事で書いた
>d,自己表現を否定したり、なじったりされる
(例:女の子らしい服を着ると「色気づいてきやがって」と攻撃する。髪型を気にしだした男の子を「男らしくない」と否定するなど)
を受けて育った人は、「いいなと思う服」と「地味な服」があった場合。
「地味な服」をつい選んでしまうということがあります。
これも「持たされてしまった」感覚です。
このとき、もし可能ならば!
自分が「いいな」と思う服を選んでみて下さい。
また、「今日はつかれちゃったな・・・。ご飯作るのしんどいな」
そういったとき。
レトルト食品やお総菜、お弁当だっていいじゃないですか。
ラクをしてみるのです。ラクをするというよりも、自分を責めることなしにラクをすることを自分に許してみるのです。
言ってみれば、「自分を甘やかす」ことです。
この「自分を甘やかす」とは、自己受容、自己許容、自己肯定です。
少しずつでもいい、ここからはじめてみて下さい。
人によってはそれが実を結ぶかもしれないし、そうでないかもしれません。
劇的に変わるわけでもないかもしれません。
でも、この自分に対する「規範意識」をゆるめていくことが、積もり積もって、まわりまわって子育てのシーンでの、激しい感情のうねりをおさえて、少しだけ余裕のある自分を見いだせるときがきます。
そのとき、「あ、うちの子かわいいな」と思えたり、「一緒に過ごすのも楽しいかな」と思えることがあったら、それを心の中にコレクションしていってみて下さい。
いつもできなくてかまいません。
些細なことでもかまいません。
それによって子供の姿が劇的に改善しなくてもかまいません。
たとえ、小さなことであってもそれが事実であることは変わらないからです。
「私もそういう風に思えるんだ。ああよかった」
「我が子ってこんなかわいく見えるときがあるんだな」
その事実は、そういった感情を経験させてくれます。
子供にはそれが伝わるはずです。
子育ては「うまくできる」必要はないんです。
もし、あなたが誰か上手な人の子育てと自分の子育てを比べてしまったら、おそらく自分にはマイナス点がつきます。
本当は、あなたの子育てはつねに「いま」がスタートラインです。
そのなかで、もしちょっとでもプラスに感じられることがあったら、それはそのまま獲得点なのです。
そのとき他者の子育てと比べていたら、せっかくの獲得点も、平均点からはマイナスにしか見えません。
怒っちゃうとき、イライラしてしまうとき、それはそれでいいんです。
そこを大きく改善しようと思わなくていいので、それとは他のところで小さくてもいいからプラスの部分を作ってみて下さい。
一度それを持てると、それを繰り返しやすくなります。
それには子供が協力してくれます。
くすぐりをすることで楽しい時間を持てたと思えた子は、それをまた「やって」ときてくれます。
絵本を読むことでいい時間を持てたと感じた子は、また絵本を持ってきます。
そのときそれをしてあげられない状況であれば、イライラしてしまうかもしれません。
でも、「ああ、そういう意味でこの子はごねているのね」と子供の気持ちがわかると、少しだけでもイライラを抑える役にたつかもしれません。
子育ての実際上のどうしなさい、こうしなさいというところや、うまい関わり方といったところは、とりあえず気にしなくてもいいので、まずはこの「自分にラクを許す」「自分を甘やかす」「自分を出すことにブレーキをかけない」という行動を取ることで、自己受容、自己肯定をするところに少しでいいので意識を置いてみましょう。
なにかが変わるかもしれません。
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● COMMENT ●
ありがとうございます
長女の思い通りに行かないと、ずーっとゴネ続けます。
私はいつも嫌々付き合い、イライラしてきて逃げ、最終的には疎外をしてしまいます。
私に受け止めてほしいのはよくわかります。
でも、それが始まるといつもまたかとウンザリしてしまいます。
長女は妹ができるまでとても可愛い子でした。
でも、妹が産まれたとたんに可愛くない子になってしまった、というかさせてしまったのでしょうか。
元々、クッキーの缶がとても大きい子だとは思っていました。
今年幼稚園に入り、初めての夏休みで、また長女が毎日いる生活が不安です。
おとーちゃんの提唱している子育てがしたいと思いつつも、それが思い通りにいかず、いっそ読むのをやめたほうが楽なんじゃないかなーと思うのですが、やっぱり何か助けがほしくてこちらへ来てしまいます。
今回の記事はとても参考になりますし、図書館で長谷川さんの本も予約しましたので、自分に甘くできるように努力したいと思います。
長文、失礼しました。
私が普段から、母のこうゆう所が良くないよな…って感じていた所が全部ここに書いてあることに当てはまるので…
やっぱり、そうなんだな。って確信にかわりました。
もちろん、母には良い所もあります。優しさもありましたし、してもらって良かったこともありました。
でも、それが時に帳消しになってしまうほど傷ついてもきました。
叱るのも決して悪いことでは無いと思うのです。
「ダメ!」で終わればいいんですが、
「ダメ!なんでこんな事も出来ないの!あんたはお父さんに似て、ほんとに変な子!」
と、父に対する日頃の鬱憤まで乗っけられるんですよね。。
自尊心が傷つくってのは、これだと思うのです。
私は父に似て産まれてきてしまった。
父のように、(母にとっては)ちゃんとしてないダメな性格なんだ…
ってずっと思いながら育ってきました。
学生生活でも、社会人生活でも、自分ってダメで出来ない人間だから…といつも、卑屈で怯えて、何を取り組むにも自信がありませんでした。
自分の性格を丸ごと否定されてきました。
素直に表現したこと、やりたいと思ってやったことを「父に似て、〇〇」「父方の祖母に似て〇〇」と否定、母も多分子供相手だから、傷つけてやろう!って気持ちは無かったと思います。ただ、その時、父の事や姑の事でイライラした気持ちを私にぶつけるしか、はけ口が無かったのでしょう。
でも、その何気無い言葉が私を駄目にしてしまって
私は幼少、青年期はほんとに「ありのままの自分」に自信が無いものだから、いつも誰か(友達や芸能人等)素敵だなと思う人の発言や服装など真似ばかりしてきました。
でも、これってすごく空回りするんです。
自分の素直に沸き起こる言葉じゃないから、
素直にいいと思う服装じゃないから、
皆んな何か違和感を感じるんでしょうね。
友達もまた素直に「いいね!」とは認めてくれないんですね。
誰も認めてくれない…という悲しさでいっぱいの青年期でした。そうすると、また「認めて欲しい!」と過激な発言をしてみたり、派手な服装でアピールしたり…なんだか無茶苦茶でした。
転機が訪れたのは、出産でした。
子供が産まれて、純粋な存在の子供と生活してきて、ただ、自分が素直に思った気持ちを子供に話しかけたり、、「虫面白いな」「かき氷美味しいな」「桜綺麗やな」とかほんとに、些細な日常で感じる気持ちです。子育ての忙しさのあまり、身なりに気をかけれなくなったのをキッカケに、今まで鎧のように着飾っていた服や化粧を落として、スッピンに近いすがたで生活していました。
「誰にで何を思われてももういいや。ダサイ自分でもういいや、」って思って生活する事三年間、
ようやく、あ、私ってこんな性格なんだ。こんな事考えてるんだ。こんなことが好きなんだ。と本当の自分を発見することができたんです。
そして、本当の自分で(父に似ている自分)、ママ友とであったり、幼稚園の先生とであったり、近所の人と挨拶したり、人間関係を新しく構築して、どんどん自信が出てきました。あ、普通の私で、なにも頑張ってない自分で、人と関わっていけるんやな。。って。
と、同時に、「今までの私はどうかしてた。本当になんであんなに卑屈で必死やったんやろう」と過去の自分が、同一人物やとは思えない感じがしました。そして、自分のせいだけじゃないんだ、育ちや環境って大事なんやな。と改めてかんじました。(もちろん、私の気質もあるんやとは思います
そして、親子関係もやり直せると、思いました
今でも母と全くわだかまりが無いかと言えばそうではありません、時々「え?」って事はあります。が、この歳になって、母も私が幼少の頃ほど精神的に追い詰められてないのと、私に少し申し訳なかったという気持ちもあるのでしょう。そうゆう今の母との関わりが、少し「親子関係をやり直せてるような」気がして、少し心の氷が溶けてるような感覚があります。
親子関係はこんな歳になってからでもやり直せるんだなと感じて、私もなにか子供に対して良くないことをしていたら、謝って、そこからやり直そうって思います。
2歳と4歳(1歳半差兄妹)の専業母です。
おとーちゃんのブログに出会って約3年。
上の子の赤ちゃん返り&イヤイヤ期に苦戦しつつも、
今では毎日楽しく育児ができるまでになりました。
私も親から支配的な子育てを受け、
自己肯定がとても低いと思います。
でも、おとーちゃんのブログを読み
子どもを他人と比べない
ありのままを肯定する
ということを試行錯誤ですが、
数年間してきたことで、不思議なことにいつの間にか
「私だって今のままでいいじゃん」と思えるようになりました。
本当にありがとうございます!
ですが、
四半期に1回くらい、本当にたまーーになのですが、
心にポカンと穴が空いたように虚しくなり涙が止まらないのです…
「頑張って育児のこと勉強して、実践して…
実を結ぶまで時間かかった。
子どもと楽しく過ごせて嬉しい!
…でも、誰も認めてくれない。共感してほしい。」
と思ってしまうんです。
みんな頑張ってるんだから当然!と言われても仕方ありませんが。
地元を離れ実両親は遠方、
旦那は家事も育児も協力なし、
気を許せるママ友もいません、
苦しさを吐き出せません
四半期と言わず、1年に1回でもいい、
誰でもいいたった一言でいいので
「お母さん、毎日本当によく頑張ってるね。」
と認めてほしくなるのです。
これも自己肯定の低さからくるのでしょうか。
長文乱文失礼しました。
3歳の男の子と6ヶ月の女の子がいます。
ずっとこのブログで勉強して、子供に可愛いね、大事だよ、と伝えたり受容を心がけたりしています。
でも、自分が支配型の子育てから抜け出せていない自覚があり悩んでいます。
自分の「こうあるべき」が多く、子供がそれを外れると叱ったり、正論で諭したり、明らかに気に入らないという表情をしてしまっていると思います。
例えば、食べ物の好き嫌いを言ったりする場面では
「食べ物の好き嫌いをしてはいけない」という意識が強く、
「食べ物の好き嫌いを許していると、好き嫌いは食べ物だけでなく人付き合いや経験することに広がっていく。嫌いな人とは付き合わない、嫌なことからはすぐ逃げるような人間になる」
「出されたものを平気で残すような、作ってくれた人や食材への感謝の心のない人間になってほしくない」
「たとえば一緒にランチしている時にほうれん草だけをお箸でお皿の隅に避けて、
ほうれん草嫌いなの〜 などと言っていたりする人を見ると、ご両親はどんな育て方をしたんだろう、自分の子にはこんな行儀の悪い真似をするような人に育って欲しくない」
などと思い、嫌いなものでも一口は食べさせないと気がおさまらず、毎食格闘しています。
おとーちゃんさんのブログを3年前から真剣に読んでいて、これではいけないと思っているし
おとーちゃんさんの食事の対応についての記事を読んで、
大きくなったら食べられるようになるよ〜 と言ってあげてみたこともありますが、
このままわがままな子になったらどうしよう、1回でも食べないことを許すと毎食避けるようになったらどうしようと思っているので、ものすごいストレスになってしまいました。
こういったことが食事の場面以外にも色々とあります。
色々な場面で自分をセーブできず支配的態度になってしまうので、このままではこの子は自己肯定感が育たず、だめになってしまうのではないかと不安の多い子育てをしています。
おとーちゃんさんのブログでずっと勉強して受容を心がけ、毎日、大好きだよかわいいよ大事に思っているよと声に出して伝える努力はしています。支配的態度がよくないこともずっとブログを何度も読み返し、頭では理解しています。でも、直せないのです。もしくはぎりぎり抑えられても大きなストレスをもって抑えているので、ストレスをためこみ爆発してしまいます。
また、私から見ると大雑把な子育て(朝寝坊、親の都合での外出が多い、食事もたまにファストフードを食べさせたりもしている)をしている友人の子が素直でかわいいと、
私の方が、生活リズムも気をつけ、外出も子供に合わせているし、食事も気をつかって、子育て頑張っているのに、どうしてうちの子はゴネることが多いんだろう。
おとーちゃんさんのブログで一生懸命勉強して努力しているのに、育児書もたくさん読んで勉強しているのに、(彼女は育児書なんか読まないよ〜 と言っていたのに)どうしてうまくいかないんだろう。
などと思います。
今回この記事をお読みして、
規範意識をゆるめる、というのを意識してやっていってみよう。
まずはそこからだ。とは思えました。
でも、これ難しいですね。
「今日は疲れたからレトルトでいいや」と思いたくても、「レトルトの味に子供が慣れてしまって、ますます野菜を食べなくなったらどうしよう。そうなるくらいなら、しんどいけど手作りしなきゃ」などと考えてしまうのです。
生活の中で、子供がではなく、私が「○○すべき」「○○しなければいけない」が多くて、でもどれをどうやめていいのかもわからず。
満たされて自己肯定感に満ちた子供になってほしくて勉強すればするほど、やらなければならないことが増え。
でも、息子と娘がまっすぐ育つには、どうにかしてこの「○○すべき」から脱却しなければならない、と思います。
自分を甘やかせるようになるために、手を抜いても大丈夫と思えるところ探し、やってみたいと思います。
ひとつ、どうしたら良いだろうと思うことがあります。
自分のやりたいこと、どのくらいならしてかまわないのかなと思います。
「子供のために我慢すべき」を少しゆるめて「自分が本当にやりたいことをやってもいい」と思えたら、前に進めるような気がしますが、おとーちゃんさんのブログの「最近の親の意識・あり方の変化」を読んで(この事例は極端なケースとは理解していますが)、やはり子供のためにやりたいことは我慢するべきなんだろうとも思い迷います。
でも、そうすると「あなたのためにこんなに我慢して、自分の時間も子供に捧げているのに、どうして満たされた姿を見せてくれないの」と思ってしまいます。
私の母は、自分を犠牲にして子供に尽くすタイプの母親で、私はそれがずっと重荷だったし、母親に自分を犠牲にされるというのは、優しい支配なのですよね。犠牲になってくれているから期待に応えなければ、いい子でいなければと思ってしまうので。
長文になり申し訳ありません。
なかなか支配することから抜け出すのは難しいですが、今回の記事はそれでも一歩踏み出してみようとヒントをいただけた記事でした。
一歩踏み出してみようと思った結果、こうして今感じたことを文章にまとめて、コメントという形でもお伝えしてみたいと思うことができました。
これからもこちらのブログで勉強し、育児頑張ります。
・・・「勉強し、頑張ります」という言葉が自然と出てしまう自分から、卒業したいです。
ありがとうございました。
これまでずっとブログや書籍を拝見し、学ばせていただきながら、自分ではわりとおおらかに子育てしてきたつもりでした。上の子は素直で無邪気で活発でかわいらしく、ごねても理由が見える(疲労、眠気、甘え、まだ遊びたい)ことが多いです。
しかし、言葉でのやりとりがスムーズになったからか上の子への期待値が上がってしまったようで、子どもがささいな期待や指示に添えなかったときに怒りのボルテージが上がってしまうことが増えました。開けるなと言ったドアを開けた、絵本を踏んだ、食べると言うから用意したものを食べなかった、箸で遊んだという程度です。
私の拙い育児にも関わらずかわいらしく育ってくれている長男へのありがたさ、長男を自分が歪めているのではないかという焦り。
ここ最近の支配的な関わりについての記事を読んで、改めて自分がされてきた育児が支配的なものであったことを痛感します。
母との思い出は怒られた記憶しかありません。逃げられない状況で怒鳴られる間嵐が過ぎるのをじっと待ったこと。怒られないため必死に嘘をついたこと。アル中の父に顔や性格が似ていたこともあり、「パパそっくり」と罵られたこと。私が小学生の頃、母が「教育的」な意図で私と一緒に料理をしようとするのも苦痛でした。へまをするとすぐ怒られるからです。
そんな母が、私が結婚してからは孫を出汁にしてまるでそんな過去が帳消しになったかのようになれなれしく接してくるのが腹立たしくてたまりません。結婚して離れられると思ったのに、かえってコンタクトを取ってくる。
人間としてああはなるまい、なってたまるかと思っていましたし今も断じてなる気はありませんが、実際問題疲れているときは特にイライラを抑えるのが困難です。また、規範意識を緩めようにも、譲っていいラインといけないラインの線引きがわかりません。緩めたが最後ただ子ども任せに放任するばかりの育児になってしまいそうな恐怖感があります。
例えば、食べるなら多少箸で遊んだりしても目をつぶるべき?弟と顔を見合わせて笑っていて、それ自体はいいとしてもそのせいでご飯が全然進まなくても黙認するべき?
最終的には、『子どもが自力で幸せに生活できるようにすること』が子育ての全てだと思っていますが、そこにいたる道のりに転がる石ころや砂利の一粒一粒に悩み躓いているような気がします。
ぜひ、具体的な行動としてのヒントを教えてください。
今までにも本をブログを拝読し、受容と肯定を心がけようと頑張って育児をしてきました。
けれど、普段はとても可愛い子供も、反抗的な態度だったり決めたことを守らなかったり、そういう姿が続くと、コントロールのできないイライラが噴き出して必要以上に怒り散らしてしまう……これはきっと根本のところで子供を受容肯定していないのだろう、そんな自分はダメな親なのだと思っていました。
全てが思い通りにならないと許せないような自分勝手な人間が子供を産んで申し訳なかったと、子供に罪悪感を覚えることもしばしばでした。
しかし、この記事を拝読して目が醒める思いがしました。
いままでどんな本を読んでも「子供を受け入れましょう」、しかしお母さんには「○○はこうすべきです(さもないと悪い方向へ行きますよ)」としか受け止められませんでした。『こうすべき』をまず自分が捨てましょう、とは周りの誰も言ってくれませんでした。
子供に怒りを覚えるわたしがおかしいのだからアンガーコントロールでも習うべきなのか、カウンセリングを受けるべきか、と思いつめていましたが、『まず自分を許すこと』『いまがスタートラインで加点制』これを大事にして、また頑張る気力が湧きました。
家族も、先生も、社会も、親ですらわかってくれない心を代弁してくださり、本当にありがとうございました。
横からすみません。
コメントを見て、私と似たような考えをお持ちの方だな~と思いレスさせていただきます。
「○○をすべき」「こうでなければ」という子育ての強迫?観念、私にもすごくあります。
aonaさんはとても真面目にお子さんのことを想っていらっしゃるんだなと感じました。
私は4歳男児を持つ母ですが、子供が2歳くらいの時この考えに縛られてどうしてやらないの?どうして食べないの?と
責めてしまうことが多かったです。
実は私はおとーちゃんにお会いして育児相談をしたことがあるのですが(このことは本当に子育ての励みになりました)、その時に「お手伝いや片付けをさせ続けなければ今後もやらなくなるかも」と相談したら「そうかもね、やらなくなるかもね。でもやらなくたっていいんじゃない?」(実際はもっと違った言い回しでしたが)と仰って頂き、何だかとっても楽になったことがあります。
今まで「きちんと生活習慣を付けなければ、(自分にとって)いい子にしなければ、周りに褒められる子供にしなければ」と私はすごくプレッシャーに感じていたのだと気づきました。
勿論生活習慣をきちんとすることや好き嫌いがないに越したことはないと思います。
でも、それをやったからと言って一生その習慣が続くかと言えばそうでもないよなぁ、とはたと気づきました。
現に自分は生活習慣や好き嫌いに厳しく躾られましたが、自立したらそんな習慣は吹っ飛びましたし好き嫌いも相変わらずです(笑)。
こうなったらどうしよう、○○になったら困るからこうしようと先回りし過ぎになっている自分は過干渉なのだ…と最近ひしひしと感じています。でもまだまだ先回りし過ぎていて暴走することもあるので日々反省ですが…。
ごめんなさい、うまく言えないのですが多分一度でも許したら今後も許される、という考えを持つことを懸念されていらっしゃると思うのですが意外とそうでもないですよ、ということをお伝えしたくてコメントしてしまいました。
そうは言っても私も手作りの食事にこだわってしまうし、必ず靴を揃えさせることは何故か徹底していますが(笑)
でも「絶対何が何でも!」という気持ちは昔に比べて減ったような気がします。
やりたくない時はしょうがないっかー、な気持ちでいるとあまりそういったことで怒ったりはしなくなりました。
あと、もし将来このことで困ったら…とも思いますがそれもまたその子の人生、自分で何とかしていくしかなかろうとなるべく気楽に構えるようにしています(言うべきことはとりあえず言いますが)。
すみません、返信は求めていらっしゃらないかもしれませんがお気持ちすごくわかるのでついレスしてしまいました。
支配型の母に育てられたというのも同じです。
私はおとーちゃんにそのことも今の育児の苦しさに関係していると言われとても救われました。
お互い少し肩の力を抜いて、育児できたらいいですね。
おとーちゃん様
勝手にレスして申し訳ありませんでした。
不適切でしたら削除してください。
そしてまた機会があったらご相談させてください。
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支離滅裂な文章申し訳ありません。
以前からおとーちゃんの子育て、参考にさせていただいていましたが、自分の中で上手く消化できないところがありました。前記事の支配型の子育て全てがわたしがされた子育てでした。ここに私の中にある難しさがあるんだと目から鱗でした。今回の記事、とても参考になります。読んでいて、これで良いんだよと言われているようで涙が出てきました。子どもが私の所に来てくれた時から、決して私の母のように子どもを叩かない、暴言を吐かないと、決めています。でも、イライラする自分、不安な自分が抑えられない程に出てきたりと感情に振り回されてました。少しでも、ここをケア出来るようにまずは好きな物を感じられるように生きてみたいと思います。本当に助けられます。お忙しいと思いますが、またの更新楽しみにしています。