親に「まあ、いいか」を伝える大切さ(保育士バンク!コラム) - 2017.07.31 Mon
『親に「まあ、いいか」を伝える大切さ』
(僕が締め切りをちゃんと守っていれば、)隔週の土曜日更新です。
先日の土曜日は子育て座談会のため告知が遅くなってしまいました。
座談会の方はお天気が心配ではありましたが、無事おわりました。
子連れありのこういった会のおもしろさは、
ときに、僕の子供への関わりが直接見られる場合があることです。
(いろんなケースがあるので、必ずしもそれがあるわけでもありませんが・・・・・・)
今回は、たまたまそういった場面がありました。
机の上にのって遊んでしまう子に、「そこはのりませんよ。こっちに来て下さい(床をぽんぽんと叩いて示す)」
というアプローチをし、少し子供が自発的に行動するのを待って、それによってそのアプローチが通じました。
実際にそれを目の当たりにした参加者のみなさんは、否定のニュアンスまったくなしに、子供へのアプローチが通じる場面が見られたこととおもいます。
この「否定のニュアンス」なしにアプローチするのは、僕もこれまで文章ではいろいろ書いているのだけど、百聞は一見にしかずですよね。
「否定のニュアンスがない」ということは、それが「注意」になっているわけではないということです。
ではどういうものかというと、大人と子供の間の信頼関係を通して「必要なことを伝えた」ということです。
その子と僕はその日はじめて会ったわけですから、僕個人に対する信頼関係というよりも、大人全般に対しての信頼関係が機能したということになります。
もし、その子が大人全般に対しての信頼関係がまだ十分に形成されていなければ、そのアプローチはあまり通じなかった可能性もあります。
その場合は、目の前の子供の問題と見える姿をどうにかするよりも、信頼関係の構築に力を入れればいいわけです。
(すごくざっくりいえば、追いかけっことくすぐりでもそれはできます)
今回のケースでは、それが無理なくできたので、子供は「否定された」と受け取ることなく、最後には「わかってくれてよかったわ」と認めてもらうことで「肯定」により、そのアプローチが完結されました。
(ただしこのときの注意点。「ほめ」によって子供の行動を作為的に誘導しているわけではないこと。見ていた人はその微妙な機微の違いを感じられたかと思います)
これがプラスで子供の姿を作るということです。
このアプローチができる人は、子供に関わる仕事をしている人の中にも正直言ってあまり多くないので、偶然にもそれを実際にお見せすることができいい機会になりました。
- 関連記事
-
- 本当に「個性を伸ばす」こととは?(保育士バンク!コラム) (2017/10/17)
- 光文社 『very』 取材 (2017/10/11)
- 「愛情」は攻撃の言葉?!何気ない言葉に気を付ける(保育士バンク!) (2017/09/19)
- 「ああ、そうなんだ~」でありのままを受け入れる(保護者編) (2017/08/29)
- 『「ああ、そうなんだ~」でありのままを受け入れる(子供編)』(保育士バンク!コラム) (2017/08/22)
- 親に「まあ、いいか」を伝える大切さ(保育士バンク!コラム) (2017/07/31)
- 『保育士は味方だよ、という姿勢で ~保護者の心への援助~ 後編』 (2017/07/15)
- 保育士バンク!『保育士はいきすぎた子育ての「ブレーキ役」 保護者への心の援助~前編~』 (2017/07/07)
- スマイル子育て応援マガジン Bonjour ach 掲載 (2017/07/06)
- 『ほいくらいふ』コラム連載 本当の「子供を信じる」とはなにか? (2017/06/22)
- 保育士バンク! コラム第二回 「子供がかわいそう」は保護者への禁句!? (2017/06/20)
● COMMENT ●
ありがとうございました!
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/1067-c2d80cf4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
皆さんも本当にとてもよくしてくださって感謝しかありません。
温かい心は必ず伝わっていくもので、
私も今とても気持ちよく過ごさせていただいております。
聞きそびれたことがたくさんありました(^_^;)
感想もたくさんあって書ききれません。
特に勉強になったことは、「使う言葉そのもの」ではなくて「気持ち」です。
どんな言葉を使うか、と、正解をどこかで求めてしまっていたり、まるつけしてもらって安心したがっているのかもしれません。でもそうじゃないんだ、と思いました。考え方は先生がたくさん教えて下さっています…あとは自分なりのやり方を自分で模索して自信を持って実行していくことなのだと思いました。たとえ間違っていたり失敗したとしても。
また、子どもが物をすっと渡した時のことなどで、子どもの小さな動きをもっとずっとよく観察することが大事だと痛感しましたし、言葉や物のやりとりで、「気は心」を連想しました。大切なのは物自体や言葉自体ではなく、そこに乗せる気持ちなのだと。温かい交感の大切さをひしひしと感じました。
先生の今回のブログの実例ですが、
なんと、残念なことに、私はその場面は見逃してしまいました(・・;)
しかし先生の芯のある穏やかな言い方?はいくつかの場面で実際に見させていただき、大変ためになりましたし、お陰様で想像ができやすくなったと思います。
私は抑揚が強かったり慌てていたり否定的だったりする言い方になってしまうことを変えていこうと思います。
実例はもしやうちの子でしたでしょうか・・・昨日、保育園のお迎え時に、子どもがテーブルに乗りました。いつもは乗りません。私は「乗らないよ!」って言った上、先生の視線に負け無理に降ろしてしまいました…そしたらうえーっと泣きました。「自分で降りたかったんだね」と言ったけど遅かりし。
こちらを拝読してわかりました?息子はきっと、もっとフラットに否定的でなく言われて「こっちへ来てください」って同じようにやって欲しかったのかも。
その他の先生の接し方も、きっととても気持ちがよかったから「またやって欲しいよ」と思ってやったように感じました。
妙なことを言いますが、今はもう、ぜひともテーブルに乗ってくれないかなー、ほかの子でもいいから実践してみたい!というほど、わくわくしています。
それから、「おおらかな人が身近にいたのかな」とおっしゃっていただけましたのに、返答に窮してました。息子の生育環境は夫(気が向いたら帰宅後遊ぶ)と私と保育園しかないからです。近所や親戚のお姉ちゃん、外で出会うよその人たちはたまにです。(が温かい交流はしていただくことが多いです)
ちょっと前スーパーで、息子が順々に物を触ろうとして私が慌てて触らないで~~って言ってたら年配のおばちゃんから「そうに言うからやるのよぉ」って言われました。私は、息子は「プラスのストローク」がもらえないので「マイナスでもいいから欲しい」と思ってやってるのかなぁと思ってましたが、違うようですね?たぶん・・・もっと落ち着いて、否定しないで注意にならないようにやってみます。