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2023-03

「いまこうしなければ、将来そうならなくなるのでは?」という不安について vol.2 - 2017.08.04 Fri

僕はもともと文章がうまくないので、思っていることがスラスラと文になりません。
なんだかこの頃プチスランプで、文が書けない病におちいっています。
この文章を書くのも4回書き直してようやくでした。

こういうときは、まったく書かないか、駄文でいいから好きな書きたいものだけ書いてみるのがいいようです。
まあ、こんなプチスランプはしょっちゅうなのですが(笑)


さて、では少し日が空いてしまいましたが、前の続きです。







子育てで、過保護・過干渉・支配的になってしまう人たちは、無意識のうちに次のように思っています。

「私が!いま!私の責任で!この子の姿を○○にしなければならない!」

○○のところには、その人それぞれの感覚で感じるところのさまざまな「規範意識」が入ります。

・おむつが取れるように
・あいさつができるように
・ひとみしりをしないように
・お箸が使えるように
・友達とうまく遊べるように
・片付けができるように
・勉強ができるように

などなど。あげきれないほど山のようにあります。


こういったものを、どれを、どの程度の強さで、というのはその人ごとに違いますが、
たくさんあり、なおかつその気持ちが強い人ほど、「規範意識」を子育ての中で強く出していくことになり、結果的には子育てがストレスフルになることを避けられないでしょう。

ここが現代の子育てを難しくしている大きな原因のひとつです。


ほとんどの人がこの意識をもって子育てにのぞんでいるといっても過言ではないでしょう。
それというのも、現代の子育てする人たちの世代はすでにそうやって育てられてきているからです。



僕はこの

>「私が!いま!私の責任で!この子の姿を○○にしなければならない!」

という感覚を変えていかなければならない時代に来ていると考えています。

なぜなら子供の育ちのメカニズムは、そのようにはなっていないからです。




子供のひとつひとつの行動や姿は、「私」が作り出しているわけではまったくありません。

もちろん、親に代表される身近な大人の関わりというのも大きな要素のひとつであることは確かです。

しかし、大きいとはいっても、それでも子供の成長のファクター全体から考えたら、ごく一部にすぎません。



子供の姿はすごくざっくりと言っても3つの要素からできています。


1,時間的成長(精神面・身体面)

2,環境(物的・人的)

3,大人の直接的な関わり




なんといっても大きいのは「時間」です。

子供は放っておいてすら、時間の経過によってグングン成長していきます。

すごく極端なことを言えば、例えばトイレットトレーニングなど一切しなかったとしても、20歳でおむつをしていることは考えられません。

20歳はオーバーにしても、10歳だってそうでしょう。

おそらくそれには多くの人が同意するはずです。
しかし、それに同意できる人たちですら、「私が介入することでなんとかおむつをはずしてあげなければ」と考えてしまいます。

つまり、時間的成長を考慮せず3,の「大人の直接的な関わり」のみで子育てを考えてしまっているわけです。



2,環境(物的・人的)というのは、子供の周辺にあるものから子供は影響を受けて成長していくということです。

例えば、子供集団の中にいれば、大人がなにもせずとも子供はそのなかで周りの子を見たり、関わる中でさまざまなことを身につけていきます。

きょうだい関係の中でも、「上の子がなかなかできなかったことが2番目の子はいつのまにかそれも早い段階で自然にできていた」なんていうのは、みなさんも聴いたことや実感したことがあるでしょう。




>「私が!いま!私の責任で!この子の姿を○○にしなければならない!」


という考え方で子育てを行うことは、「3,大人の直接的な関わり」のみで子育てをしようとすることです。

これでは必ず無理がでます。


大きな影響としては、そのアプローチが導き出すのは「否定の積み重ね」になり、子供の意欲をそいでしまうことです。


現代の大人が「自己肯定感の低さ」で悩み続けているのは、これまでの時代の子育てのあり方に原因の一端があるのはまずまちがいありません。

そこには、この「私が!いま!私の責任で!この子の姿を○○にしなければならない!」という子育ての方向性が大きな影を落としています。


僕はこの逆をお伝えしています。

「子供の姿は私だけが作っていない!」





◆「いまこうしなければ、将来そうならなくなるのでは?」は大人の心の問題

>「いまこうしなければ、将来そうならなくなるのでは?」

という感覚は実のところ、直接的な子育てそのもののファクターではないのです。


それは、大人の心にある問題です。

どういう問題かというと、「不安」です。


「このままでは私の子育ては失敗してしまうのではないか・・・・・・」

そういた自己への自信のなさや、先への見通しの持てなさが「不安」を呼びます。
「不安」は解消しないままだと、どんどんふくらんでいきます。

その不安を、自身の中で消化できる人はいいのですが、そのやり場がないと、子供への関わりの過剰さとして出てきます。


自分が不安なので子供に要求し、子供の行動のよい結果を作り出そうとすることで自分の不安を解消しようという方向に流れていきます。


しかし、そもそも「不安」というネガティブものから感情的に導き出される動機とその具体的なアプローチですので、余裕がなく否定的なものとなりがちです。

すると、子供の姿の結果としては余計に思わしくないものとなり、不安を増大させることになります。
それをさらに子供にぶつけていくので、子供はオーバーワークとなり、「子育て大変」という状況を生みます。



できることならば、子供に自身の不安を押しつけてしまう前に、それを解消できるのが一番です。


よく言われるところでは、話し相手の存在です。
グチを聞いてもらったり、周りの人の成功・失敗談を聞いたり、そういった問題と思える姿が一過性のものにすぎないことをその段階を過ぎた子育て経験者の人から示してもらったり・・・・・・。


人間の心は、「話すこと」で不安を解消させられるメカニズムを持っています。

的確なアドバイスや、悩んでいるものごとそのものでなくてすらかまいません。
まったく関係のない世間話をすることでも、それがまわりまわってその人がとても悩んでいることの不安が解消されます。


現在では、そういったシチュエーションは失われつつあるかもしれませんが、「井戸端会議」というのは、実は人が生きていく上でのものすごく重要なものだったのだろうと感じます。



しかし!

現代は、井戸端会議どころか、他者と関わることやコミュニケーションを持つこと自体が難しい時代になり、さらには人間のあり方も人との関わりが難しいものとなっているという問題がたちはだかっています。


「誰かに子育ての悩みを聴いてもらいなさい」というのが、解決手段としては無責任なものになってしまう状況があたりまえにあるわけです。





◆積み木をトンと箱に落とすように

そういう人に対してもとりあえず僕が伝えられることは、

「いいでもなく、悪いでもなく自分のあり方を受けてしまうこと」

です。


おそらくここを読んでいる人で、こういった悩みを感じている人は、
「私は、子供に激しくイライラしてしまったり、どう対応していいかわからずおどおどしてしまったり、高圧的で支配的になってしまう・・・・・・」などの悩みを抱えていると思います。


実はその人たちは、その時点で大きく前進しているのです。

なぜかというと?
そこには「気づき」があるからです。

「私はイライラしてつい子供にきつくあたってしまう」
「過干渉に子供をせっついてしまう」
「子供が思い通りにならないと感情的に怒ってしまう」
「子供を動かすためにモノで釣ったり、ごまかしをしてしまう」

などなどの認識をもっていることでしょう。


そういった自分に気づいていることで、まったく気づいていない状況に比べると子供へのネガティブな影響は格段に減るのです。


気づいている人は、気づいていないときに比べれば、ずっと子育てはどうにかなっていきます。
うまい対応が少しもできなかったとしても、です!



ですので、僕はこういった子育ての難しさに直面してしまって、どうにもうまい出口が見えない人には、「時間は味方だから、そんなに焦って頑張らなくてもいいんですよ」とお伝えしています。

その人たちはすでに「気づき」があるからね。


しかし一方で、気づいているからこそ、そこから「自己否定」が起こってしまいます。
この自己否定があると、余計に子育ては難しくなっていきます。

なので、僕は「いいでもなく悪いでもなく、ああ、自分はいまそういう気持ちや子育てになってしまうんだなぁ~~」と受け止めてみるといいですよ、とお伝えしています。


例えば、子供の姿にイライラして感情的になってしまったときなど。

少しどこか他人事のような気持ちで、「ああ、怒ってるわたしがいるなぁ~~」と、なんか幽体離脱でもして上から自分を第三者的な気持ちで見下ろすような感じで、いい悪い抜きで受けてしまいます。

自分の感情がうまく思い通りにならなかったということが起こったら、その都度それをできるときだけでいいのでやってみます。

「ああ、私イライラして子供にあたっちゃったな」
「時間がなくて焦って、子供にイヤな顔を向けちゃったな」
「会社で受けたストレスを子供にぶつけてしまったな」
「疲れていることから、子供の気持ちを受け止めてあげられなかったな」

そういったことがあったときに、「ああ、そういう自分がいるな~~」とただ飲み込んでおきます。

「良くないから直さなければ」といった気持ちはいりません。

ただ、「ああ、そういう自分がいる」だけでいいのです。


イメージとしては、机の端においた積み木を指でちょこんと押して、下にある積み木の箱に落っことすような感じとでもいいましょうか。

あるものを、「ああ、あるな~」と眺めるような気持ちです。

「それを直さなきゃ」
「私が良くない」
「子供に申し訳ない」
「私はだめな親だ」

そういった思考に持っていく必要はありません。



うまくいことがあれば、うまくいかないのも子育てです。

子供はなにもうまい子育てをしなかったとしても、きちんと育っていく力をどの子も持っています。

私だけが子供の姿を作っているわけではないのです。

なにより、子供はモノではありません。
子供自身も、その子その子の意思、他者に認められたい、いいことをして褒められたいといった善良な気持ちがあります。
それゆえに、子供自身でもいい方へ成長しようという力をもっているのです。

「私がいま子供のすべてを作らなければ」とプレッシャー気味に子育てをとらえる必要はないのです。



子育ての多くのことは「どうにかなるもの」です。

それでも、失敗や壁にあたります。
失敗や壁にあたったら子育てはおしまいではありません。

そこからいくらでも軌道修正して、なんとでもなっていけるものです。


失敗を恐れる必要はないし、失敗を避けようと子育てする必要もないのです。

そもそも、未来にある失敗を避けて子育てするとことなど、どれほど事前に策をめぐらしても現実にはありえないのです。

子育ては失敗にあたるものです。
それでもみんなそれを乗り越えて人生を歩んでいくことができます。
現実に人はそのようにしか生きられません。


目の前の子供の姿も、将来の子供の幸せも、そのすべてを親である「私」が作っているわけではないのです。
どれほど子育てに意をくだいても、どれほど子育てがうまい人がやったとしても、それが子育ての現実です。


最近、「私がこのようにしたから、子供が東大に入れました!」的な子育てのケースがもてはやされているけれど、あれは結果に到達した人が後付けでそれを主張しているのであって、子育てのメカニズムからしたらほぼ本質を欠いていることと僕は見ています。


「大人がどのようにしたから子供のこの姿を作り出せた」という子育てのとらえ方は、過干渉が子育てのスタンダードなものになってから出てきた、ぽっと出の考え方にすぎません。
そういった子育ての形を真に受けてしまうと、子育ての中での悲劇は増えることでしょう。(直接的には「教育ハラスメント」が起こります。実際はもっと多様に悲劇が派生します)


そういう方向ではとらわれないで欲しいなと思います。


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● COMMENT ●

初めてコメントします

いつも楽しみに読んでいます。
積み木のイメージは新鮮で面白く惹きつけられました。
試しにイメージしてみたら、思う通りにならないイライラや、育児の不安が収まるとこに収まりました。
こんな感じなんですね!!
驚きと喜びで思わずコメントを書いています。

私はおとうちゃんさんの表現にとても救われています。 いつもありがとうございます!!

オムツはそのうちみんな取れますが、箸使いは親から仕込まれなかったら、なかなか自分で気が付いて直そうとしないんじゃないですかねぇ。
誰だったか忘れましたが、足利尊氏の食べ方が汚かったので、こんな人が天下を取っても国を治めることはできないと思って南朝方についたそうですし、食べ方は結構人に見られているのでそりゃ心配です。
今すぐ、絶対に、というほど強く教え込むと親も子もつらいですが、そのうちにはきれいに食べられるようになってほしいなぁ。
私は記憶にある頃にはちゃんとお箸を持っていたので、やっぱりもっと小さいころに親に仕込まれたのかな?
悲しいことにフォークとナイフの使い方は教わらなかったので(たぶん知らなかった)、今でもコースで出てくるようなお店に行くと、他の人を盗み見ながら食事します。
やっぱりちゃんと教えるというのは大切なことなんじゃないかなぁ。
やり方の問題ですかね。
今ならできそう、絶妙のタイミング、という時にそれとなく教えてみる、というのがいいのでしょうか。「今ならできそう」という成長の見極めが非常に難しいのですが。

こんにちは。
最近こちらのブログの存在を知り、熱心に読ませてもらっています。

私の子ども時代の話なのですが、大変厳しく箸について躾られました。食事中に怒鳴ったり叩いたりされていたもので、恐怖でガチガチに力が入ってしまい、かえって間違った持ち方の癖がついてしまいました。(中指を挟めない)
小学生のころに両親が気づき、凄い勢いで怒鳴って直させようとしましたが、怖がって固まった癖なので、怒鳴られてももちろん直らず。
お箸ってある程度手や肩の力が抜けていないと綺麗に持てないんですね。(正しい持ち方を普通に身につけた人は改めて意識する機会も少ないと思うのですが。手って強く緊張するとグーになりたがるので、そのためだと思います)

大人になり両親と全く会わないようになってから、一人暮らしの家で「この食卓は安全だ!」という感じを生まれて初めて持ちまして、そしたら勝手に箸の持ち方は正しく直りました。
長い歴史の中で培われてきただけあって正しい持ち方は体に楽だなあと実感し、しみじみしてしまいました。苦笑

両親が早期教育に熱心で、お箸のしつけ(?)も相当早い頃から始まりましたので、発達が間に合わないうちに頑張ったために、無理な癖がついてしまったんだろうと思います。
自然にやってれば自然と正しい持ち方になったろうに、もっと信用してほしかったなあとしみじみと悲しく思いました。
消費を促すために不安を煽ったり欲をつついたりして膨らます、そういった時代の流れに、親世代も流されていたのだろうと考えたりします。

自分のエピソードを長々と書いてしまってすみません。
子どもに色々なことを教えるのは大切だけど、親が躍起になって力むことで子どもも怖がって力んでしまい、かえってうまくいかないことがある…ということを、保育士おとーちゃんさんやブログを読んでいる方々にも知ってほしくて、ついつい書き込みました。

親子ともにくたびれ傷つく悪循環の子育ては、本当に辛く悲しく残念です。
そういう子育てを受けた大人が前の時代の過ちを消化しつつ、どう先に繋げていくか…むずかしいことですが、おとーちゃんさんのロジカルだけど暖かい説明で、謎がとけて、ちょっと光明が見えました。

これからもブログや書籍など楽しみにしています。

いのうえさんと、トラ子さんの、お箸のお話、興味深く読ませていただきました。
子の生まれてからの数年間を振り返ってみると
「時間的成長」が、一番大きい要素なのだなと、しみじみ感じます。
でも、初めての子育て、この成長の過程を実感した経験がなく、
自分が何とかせねば、手遅れになるのでは、とつい不安になり、子にもイライラしてしまうこと多々。
実感をまだ伴わない「理屈」ででも、おとーちゃんのブログを読んでいたことが、私の暴走の歯止めになったと思います。
親にできることは、お箸だったら、箸を正しく使っている姿を見せる、美味しそう楽しそうに食べる、子どもをよく見てお箸に興味があるな、もう持てそうかな、というときに教えてみる、なんか今はだめそうならガッカリしたりイライラしたりせずに終了、またちょっと時間をおいてアプローチしてみる、道具が子に使いやすいものかどうか確認する、といったことなのかな、と自分なりに理解してます。
力入りすぎて、「お母さん、うるさくて、いや。」と子に怒られ「いやいや、ごめん」ということもよくありますが、なるほど、積み木イメージですね!
親がこうしたから東大、系の話は、元々勉強が得意なお子さんじゃないの?と思いながらも、やっぱり読んでしまいます。
絶対真似できんな、ということがほとんどですが、なるほど、と思うこともあり。
東大、を期待せず、私も子も楽しんでできそう、ということがあれば、ゆるーく取り入れるぐらいにしておきます。


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