「ああ、そうなんだ~」でありのままを受け入れる(保護者編) - 2017.08.29 Tue
「子育て支援」という言葉がたくさん使われるようになってずいぶんたつのですが、制度的な面の整備(夜間保育、病児保育、休日保育など)に終始し、実際のところ本当の意味での「子育ての」支援はあまり進んでいないようです。
「子育ての」支援。
つまり、人対人のレベル。現場レベルでの支援ということです。
おそらく、今後ここの専門性をあげていくことが保育士の大きな役目となることでしょう。
現状、保護者から聞こえてくる声では、保育士からの言葉でかえってつらい気持ちや責められている気持ちになったというのも少なくありません。
「支援」という言葉は、「指導」となんとなくごっちゃにされて受け取られている向きもありますが、指導が上から下に向けられるものであるのに対して、支援はサポート。あくまで横から横へのつながりでするものです。
ここを踏まえて考えていくだけでも、今後の展望がずいぶん変わっていくかもしれません。
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● COMMENT ●
全てはつながっていると思います
私は動けなかったのでそれを悔いています。
息子が苦痛に歪ませた、かつて見たこともない目つきで私を見たのに、私は抱き留めて救わなかったので、子どもの信頼を失ったかもしれません。
色々なことを思いました。
(虐待関連の本の紹介もちょうど読みましたが、関連していくことだと思います)
・信頼を失った…というのは親の気持ちのことでなく、”子どもが親に対して憎い思いを抱き続ける”ということが不幸だと心底思いました。
・理由がどうであれ、子どもの存在を否定するような責め方、をし、それを長年の経験や職業、”大人”だから”私は正しい”になっていることと自己欺瞞で自分を赦すこと。
これが最も危険だと思います。しかも「先生」だから、誰かが是正することはできないのです。教科書でさえ、大小改訂が入るのに、どうして「先生」は改訂されないのでしょう。
ちなみに命に係わることではないですし、今私の生活環境が大変で子供に問題が出るかもと伝えておきました。恐らく(よく見かけるので)支配的に注意され続けた結果だろうと思います。
それで園長は、そんなに強く言ったとは思えない(思わない)様子で、いけないことだからだ、それから私に「お母さんはこういう場合(具体的に説明)があったらどうしますか?」と”何もしつけしない親過ぎるんでしょ”という目線。あとは親以外に怒る人がいていいと言われました。
私の亡父のような自己愛が完全に偏って強い人も世の中にはいます。しかしそうでない普通の人もそれは持ち合わせていますし、誰しもが自己欺瞞を持って生きています。でも、強めてしまうことがあるのですよね。
亡父レベルだと、自分の失敗は全て他人の責任です。言葉は矛盾どころじゃありません。でも、そのレベルでなくとも、「あれ?この人が言っていること、矛盾してる、へんだな」と「違和感」を感じることがあります。それは自己欺瞞が発生してるのだと気が付きました。
普通の人というのは、自己欺瞞を発生させるくらいの状況では、「ひょっとして今の自分は間違っているかもしれない」と思ったりしないんだ、とよくわかりました。
自分(の精神)にとって不利だから、自己愛がぐぐっと強く出てきて、認知を歪曲しても自己を守ることを第一義にするんだと。
正直「親が(その場では相手が)悪いに違いない」は自己愛が強い時に出るセリフです。私はまだまだ自己愛ホイホイなので、パターンで遭ってるから真意・意図がよくわかります。そういう時、元が普通の人でも目つきががらっと変わります。
「ありのままの肯定で受け止める」のURL先も読みました。
こういうことを読んでみよう、研修を受けよう、
と自分で思う人はまれなのかもしれない、と思いました…
悩んでいる親や保育士さんは、辛いと思います。
けれども、前進できる一歩を自らもっているんです。
希望は、辛くても蓋を開けられなければ手に取れないんですね。
自分が間違うこと、誰しも間違うことをしっかり見つめられることは、
子どもの未来のためにも本当に大切です…
(ありのままの…のところ、保護者の私が声を大にして言うと非難されそうですけれどもね。私はサービス業の従事歴が一番長いので、”色々な人がいる”という観点に目がいきやすいし、社会的に最も弱者である子どもに、人の悪いものが流れていかないのが理想だし、やっぱり虐待についても子どもの良き未来のためにも大人全体が子どもに良い関わりをしていけることが大切だと思っています。)
駄文すみません。。。
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最初から、この人のやり方は違うと思ってしまうと、人間関係も悪くなるし、その人から学ぶこともできなくなってしまう。
あーそうなんだ、昔は普通にできていたことですが、今からまた、意識してみようと思います。