トロフィーチャイルド - 2017.09.14 Thu
『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』書店に並ぶのは10月上旬だそうです。
また、出版に合わせまして編者の今一生さんによる虐待防止講演会が、全国ツアーとして各所で開かれます。(神戸、札幌、大阪、福岡、八王子、名古屋)
僕も予定を調整してできたら10月28日(土)八王子で開かれる講演会にうかがいたいと考えています。
さて、その今一生さんのブログにこんなエントリーがあります。
『トロフィーチャイルドの「良い子」のまま生きていける?』
トロフィーチャイルドとはあまり聞き慣れない言葉ですが、子供に勉強や習い事、学歴、職歴などの輝かしい属性をつけることで、親の自己満足につなげるために子供を利用してしまう子育ての形です。
教育評論家のおおたとしまささんの言う「教育虐待」などもこれにつながっていると言えるでしょう。
このトロフィーチャイルドと言うしかない子育ての状況が、現在大変増えています。
もしかすると、みなさんの周りにもそういった子育てになっている親の存在を見かけることがあるのではないでしょうか。
もしくは、ご自身にそういう傾向があることに気がつかれている方もいるのではないでしょうか。
この指摘は、そういった状況になってしまっている親を責めようというものではありません。
その親自身も、生きにくさという問題を抱えさせられてしまっていると言えるからです。
子供と同時にその親の人生の助けが必要な状態です。
例えば、こんなケースがあります。
その親は、幼少期から子供に支配的な関わりをしており、子供が自分の思い通りにならない状況には、子供の自尊心を激しく打ち砕くような対応をする。無視や、暴言、他者と比べて否定するなど。
年齢があがるにつれて、習い事や、勉強への要求が激しくなり、週のほとんどを習い事や塾にいくことに費やす。
子供は、親の前では親の望むような「いい子」になっている。
幼児期には親に対して反発を見せることもあったが、それをすると何倍にもなってヒステリックに怒鳴られたり、自尊心を打ち砕く関わりをされた経験があるので、親に反発することはできなくなっている。
小学校では、周囲の子供を巻き込んで特定の子を無視させたり、教員を無視する、指示に従わないといった姿を出す。
園や運動会の出し物の際には、子供の場所が前の方でないといった理由でその親は怒鳴り込むクレームをしてきた。
教員が子供の日常の態度や、華美な服装などを母親に指摘すると、感情的な反発をするために、いじめやその子の問題に対しても見て見ぬふりをするようになってしまっている。
そのため、無視のいじめにあっている子の問題は放置されている。
子供たちも、その子の攻撃的で支配的な性格のために、恐れ、従うようになっている。
習い事の場でも、優しい子や気の弱い子に対して、意地悪や無視をしている。
もし、この子が他児を巻き込んで特定の子を無視やいやがらせをしているいじめの場面だけを見たら、その子にいじめをやめさせることや教員に指導を要求するところを考えてしまうかもしれません。
しかし、この問題の起点になっているのは、その子ではありません。
その子へのアプローチだけをいくらしたところで解決に持っていくことはまず不可能といえます。
いくらバケツの中の水を掻き出したところで、蛇口がしまっていないのにこぼれる水を止めることはできません。
学校には、親にコミットする権限はさしてありませんから、教員にこのいじめの問題の根本解決を求めてもそれは不可能なのです。
現状の特定の子へのいじめを表面的に抑えるか、事なかれ主義でスルーしていくか、その子を悪者にして学校の中での存在を小さくするか、排除するかになるでしょう。
問題の起点は、その親のあり方にあります。
では、その親のあり方の問題とはどういったものでしょう。
多くのケースにおいては、その親自身がいま現在子供にしているのと同様に、親から成果を求められ同時に、自尊心を打ち砕かれる生育歴を送ってきた背景があります。
親子関係のなかで、もらうべきものをもらえないまま大人になったというアダルトチルドレンの問題です。
その親は、自身が自尊心を持てない生育歴を送ってきたために、自分の存在を自己完結することができなくなっています。
子供を輝かしい存在に仕立て上げることで、そこで自己満足を得たり、周囲の人間からの承認欲求を満たそうとしています。
しかし、そこで満足しきることはそうそうありません。
すると、子供への要求はエスカレートしていきます。
子供は、どの子も親に認められたい、肯定されたいという強い欲求がありますので、その親の期待に応えるべく、自身の心のキャパシティを超えてまで頑張ります。
その頑張りが結果を出して、そこで「ああ、すごいわ頑張ったわね」と達成感や肯定を十分にもらえる子であれば、そういったことがあってもそれを乗り越えていくことが可能な場合もあります。
しかし、親の満足にいたらなかったり、不満足の状態に対して子供を攻撃する度合いなどが高ければ、子供の頑張りはいつまでたっても終わることがありません。
不満足の状態とは、例えばテストの点数を100点であることを望む親であるとき、100点以下の点数を取ってきたとき、それを無意識に自分に対する子供の反抗・挑戦のように考え、感情的な攻撃を子供に向けるようになります。
それは子供にとっては、頑張りを認めてもらえないということであり、自尊心が打ち砕かれます。
人間の心は、負荷を受けたとき必ずバランスを取ろうとします。
そのときのバランスを取るものが、身体にでた場合(チックや自律神経失調症、食べると嘔吐する摂食障害、爪噛みなど)、これを心身症といいます。
自尊心を傷つけられた心の負荷は、他者の自尊心を傷つけることでバランスを取る動きになることもあります。これは、意地悪やいじめ、感情の爆発(キレる)などにつながります。
または、心を圧殺して鈍感になることでバランスをとることもあります。ゲームやスマホへの依存、逃避。無気力やひきこもりなど。
こういったケースが現在、山のようにあります。
なぜそのようになっているか?
それは、大きくいえば、親の世代がされた子育てが間違っていた。昭和の子育てが間違っていたということであろうと僕は感じます。
個別的に見れば、その親の心がケアの必要なところにいるということになります。
アメリカはずいぶん前から、すでにカウンセリング社会と言われています。
それには問題点もありますが、心の問題はだれにでも起こることでありその状況になったら解決する手段があるという、社会的なコンセンサスが広く得られているということでもあります。
おそらく現在の日本もすでにその域に来ているのでしょう。
アメリカなどでは、その状況に対して、学校が子供のいじめの問題などを把握したら、その親に対して「あなたの人生の幸せのために、まずはあなたがカウンセリングに行って下さい」ということを言えるでしょう。
現状の日本では、そういったプロセスはまだ確立していません。
自分から自分の問題に気づいた人だけが、解決のスタート地点に立つことができますが、こういった問題はそもそも自分の問題に気づけないという問題を含んでいるので、なかなかそれが難しいのが実際です。
遠回りなようですが、まずはトロフィーチャイルドという子育ての問題がありますと周知するところから僕ははじめたいと思います。
↑こちらは1997年発刊の旧版です。
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● COMMENT ●
早期教育
いつも癒されながら、おとーちゃんのブログを拝見しています。
参考になることも多く、子育てしながら、これ、おとーちゃんのブログと一緒かも!と思っています。
さて、今回のトロフィーチャイルドの件ですが、背景に早期教育の流行も関係あるでしょうか?
うちの義親が早期教育の講師で、私自身も子が生まれる前から指導されてきました。
義親の早期教育の考え方は、決して強制的ではなく、楽しみながらするというスタンスでした。しかし、私自身、前向きに取り組めなくなり、辞めてしまいました。
私は、多分プレッシャーや、義親に自身の教育を取られる不安から、上手く出来なくなってしまい。
義親は、そのことを知り、私には、指導しなくなりましたが、「私たちがしていることは、あなたたちにとって良いことだから。受け入れられない状態なのは、仕方ないよ。」
という感じに言われてしまい、本当は、早期教育した方がいいのになーと思っているようでした。
私自身、早期教育をすることで、自分の子を他の子と比べてしまう自分、比べられているような自分を感じました。
自分は、アダルトチルドレンなのか?
だから、早期教育が出来ないのか?
私は、両親が大好きで、愛情をもらっていたはずなのに?
親に愛情をかけてもらっても、アダルトチルドレンと、いえるのか。。
早期教育もやり方によれば、やった方がいいのだとすれば、どうして自分には出来ないのか。
子が義親に育てられた方がいいのか、苦しむ時があります。自分の弱さが原因なのか。義親を憎むような気持ちもあり、すごくすっきりしません。
義親は、全ての親が正しい早期教育をすれば、幸せになる!というのが持論で。。。
正しい早期教育が存在するとしたら、おとーちゃんなら、してもいい、と思いますか?
今朝バスに乗っていて、聞くに耐えない親子の(というか母親の)会話に遭遇してしまいました。
その母親は、まだ年中くらいの男の子に否定、無視、嫌みをこれでもかというほどぶつけていて、ヒステリックというよりは冷酷な感じでした。ヒステリックだったら、まだ少しは共感できたかもしれません。
男の子が上着をうまく脱げないことから、なんで普通に脱げないの?と詰問が始まり、畳む際には、「それは三つ折りでしょ。二つ折りって言ったよね、二つ折りってわかんなかったっけ?幼稚園でやったよね?やったのにできないんだ?違う、そうじゃない。それは四つ折りだよね?」と男の子が一生懸命畳もうとしているところに矢継ぎ早に被せてくるので男の子はどうしてよいかわからない状態に。
公共の場所で自分が子どもに何をしているのかわからないのだろうかと怒りが込み上げてしまいました。
その後も、今日は○○に行きたいって言ってたっけ、でもどうせ行ったってできないから行かないほうがいいよね。ととても冷たく吐き捨てて、バスを降りて行きました。お子さんは運転手さんにありがとうございました、と言って降りていました。降りても母親はさっさと前を歩き、お子さんは必死でついていくという様子を見ていて、悲しくて仕方がなくなってしまいました。
これまでも色々なお母さんと子育ての苦悩を見てきましたが、これほどのパワハラ、モラハラは初めてだったので、切なくなってしまいました。
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親のあり方はもちろん、メディアが、教育が、どんどん個人戦へと追い立てているので、「そういうもんだ」ってたくさんの人が思い込んでますが、
実は何~にもしなかったら、習い事の何倍もの、その人にしか持てない力が開化したり、道徳云々よりずっと自然にお互い助け合ったりするんじゃないかなーと勘ぐってしまいます。
まずは子供に、親からは何にもさせない選択をして、「何にもしない人もいるよ、それでもそれなりに育つよ」って、ささやかなアピールをしてこうと思っています。