子供を伸ばす本当のチカラ - 2017.12.27 Wed
そして、子育てにおいても、これらを無意識のうちに「当たり前」のこととして、それをベースにおいて子供に関わってしまいます。
かく言う僕自身もそうでした。
そういったことを「当たり前」と思って、生きてきたし、保育の中でも子供に求めてしまった過去があります。
しかし、本当にそれはそこまで重要なものなのだろうかという疑問をあるとき感じます。
それらのことを子供に求めていくことは実はラクなのです。
なぜなら、自分自身がそういった子育て、教育を受け、またそのような信条を当然とする社会で生きてきているので、それに疑問を感じること自体なかなかできません。
ましてやそうでない関わりを子供に施すとなるとさらに難しいことです。
でも、子供への関わりの経験や考察を深めていくなかで、それらの精神的な信条はむしろあまり子供のプラスになっていないことを理解してきました。
頑張らされたり、努力させられて達成したものから子供はどれほどの成長を得ているでしょうか。
多くの人は先入観から、「それによって達成したのならばそこで子供は自信をつけたり、達成感を得て成長しているだろう」と考えることでしょう。
しかし、そこで得たものと同じことを努力や頑張りの結果でなく、別の方法で持たせることはまったくできないのでしょうか?
これが実はできるのです。
しかも、はるかに無理がない形で。
日本の子育てにおける、大きな損失が実はこういった精神論的なとらえ方によって生まれているといって過言ではないと僕は思います。
子供を伸ばす最大の要因は、実は「努力」や「我慢」「頑張り」ではなく、「楽しい」にあるのです。
子供は楽しいから、取り組み、学び、達成感を得、さらに発展させようとします。
そこには、自然と「自主性、主体性、自発性」といったことが生まれ、それを無理なく身につけていきます。
さらにそれが生むのは、意欲や探究心、創造性です。
しかし、日本人の持つ精神主義に傾いた子育て観、教育観、人生観がそれをはばんでしまいます。
日本の子育てや教育に欠けている最大の点は、これまでそこに無頓着だったことだと言えます。
それは、我々大人が無意識の先入観として持ってしまっている精神主義的な信条がベールをかけてしまっていたので、その大切なことを見えなくさせてきたのでしょう。
多くの人はこのように考えます。
「もし、子供がつらいと思うことを避けさせていたら、さらに将来もっとつらいことが出てきたときにそれを乗り越えられなくなってしまうのではないか」
こう考えてしまうと、幼少期から子供に努力や我慢、頑張りといった精神主義的なことを要求していくことになります。
その結果、それで頑張りや努力によって乗り越えていく子供が作られるかもしれません。
しかし、そうならない現実もあります。
「無理を重ねなければ前へ進めない」といった人生観を持たせてしまうことで、もともとの意欲をしぼませてしまうケースです。
不登校やニートや引きこもりが大きな社会問題になっています。
この人たちは、ずっと逃げてばかりいた人たちでしょうか?
いいえ、実際は逆です。
「頑張りなさい」「我慢しなさい」「努力しなさい」をずっと子供のときから要求させられてきた人たちの方が圧倒的に多いのです。
今年一年の間に、子供が自殺したという痛ましいニュースを異常なほど多く見てきました。
その子たちの少なからずも、やはり努力しなければ、我慢しなければ、逃げてはならないといった周囲の大人の精神的な信条から求められた結果であるケースが大変多いです。
「学校に行きたくない」と渋る子供を、母親が「頑張りなさい」とはげまして車で学校に送っていったその日に家に帰ることもなく自殺を選んだ事件がありました。
もし、その母親が時間を戻すことができたら、「頑張らなくていいから家に居なさい」と伝えたいのではないでしょうか。
人生の中には、頑張って乗り越えなければならないものごとも出てくることでしょう。
しかし、だからといってわざわざ子供をつらい状況に放り込んで、「乗り越える訓練」のようなことをさせる必要はないのです。
こういった子育ては飢餓や戦争状態にある社会では、ある一定程度の意味を持つ子育てかもしれませんが、現代社会においてはあまり意味の無いことなのです。
これを読んだ方も多くの人が「本当にそうだろうか」と思うことでしょう。
僕自身も、保育士などせずそれ以外の人生を歩んでいたら、そのように考えていたはずです。
ですから、この考え方を強要するつもりも、今すぐ理解してもらおうとも思いません。
でも頭の片隅にでもおいといてもらえればと思います。
少なくとも子供の幼少期は、「楽しい」をたくさん積み重ねることで子供はその後も大きく花開く力を養っているのだと僕は自信を持って言うことができます。
最近では、こういったことが学問的にも理論化されてきました。
「非認知領域」「社会情動的スキル」などと呼ばれています。
完全に保育士向けの本になりますが、以下の本はこのあたりを踏まえて非常にわかりやすく実践的にまとめられたものです。
ぜひ、保育士の方には読んでいただきたい一冊です。
写真や事例が多く、表紙や題名の印象とはうらはらに大変読みやすいです。事例の取り方、目の付け所の参考にもなります。
社会情動的スキルを育む「保育内容 人間関係」: 乳幼児期から小学校へつなぐ非認知能力とは 単行本 – 2016/5/20無藤 隆 (著), 古賀 松香 (著)
実は、保育園ではこのように学問的にまとめられるはるか以前から、子供の無形の力としての数値化されない(つまり「非認知の」)ものがあることを理解しており、それを伸ばすことに力を注いできていました。
まあ難しいことは抜きにして、家庭で子育てしている方に伝えたいのは、「楽しい」はいかなる「努力」や「我慢」や「頑張り」にも勝るというシンプルなことです。
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● COMMENT ●
そうですね!
困っています
ピアノは長男の希望で始め、今、週1で一年半通っているところです。
練習はふざけずにやれば5分くらいで終わる量で、毎日、朝ごはんの前にやろうと決めています。
ピアノ自体は好きなようで、練習も嫌がらないこともあるのですが、面倒なときは本当に面倒なようで・・・。
ぼーっとしたりふざけたりと、20分くらいかかることもあります。
私も朝は何かと忙しいのでいつもそばに付いていることはできないし、時間を作ってそばに付いていても、ふざけてばかりだとイライラしてしまいます。
「がんばったね」「いい音だね」「昨日より上手だったよ」などの声かけはしているのですが、練習が楽しい、というところには至らないようです。
どうしたらいいのでしょうね・・・。
「楽しい」って大事ですよね
「楽しい」と「楽(らく)」が同じ漢字なので、楽しい→楽をする→怠惰の始まり!
のような連想になってしまうのかもしれませんね。
でも「楽しい」こそ困難に対する抵抗力の源のように思います。
長女(小1)がとある楽器を習っていまして、
先生が「長女ちゃんは頑張りやさんだから」と結構難しいテクニックを教えてくれるようなのです。
毎回顔を真っ赤にして食らいついているそうです。
練習の後にレッスンの感想をノートに書くのですが、先日見せてもらうと
「むずかしくて たいへんだけど たのしいきもちは かわらない」
と書いてありました。
>大変な子供を伸ばす最大の要因は、実は「努力」や「我慢」「頑張り」ではなく、「楽しい」にある
本当に、「楽しい」がベースにあるからこそ「努力」「我慢」「頑張り」ができるのだなと思います。
多分「たのしいきもち」が変わってしまったら、長女は習い事をやめると思うのですが(笑)
それはそれでいいのかなと思っています。
日々感じています。
この冬休みはコマ回しやカルタを家で取り組むように先生に熱心に言われてしまいました。やりたくないと言う息子をなんとか少しでもやろう、と誘っている事に疑問です。楽しくできる工夫が必要なんでしょうがどんどん降りかかってくるそのような課題に飲み込まれそうです。
出来ないことに楽しく取り組める訳がないし、そもそもその課題に発達が追い付いていない。子供が今夢中になって楽しく遊べる事、それこそが発達に必要だと思うのですがただ年齢で区切られて課題が与えられています。
先日もおやつに出た干し柿を、絶対に食べたくないと言う息子に絶対にひとくち食べろと担任に言われなんとかひとかけら食べたようですが、ねじ伏せられてそれで得たものは一体何なのでしょう・・大人からしたら食べてみたらおいしいかもしれないよ、という善意?かもしれないですが、そんなのは本人が決めればいいことなのでは?
せめて家庭の中では子供に寄り添いたい、でも自分の中に子供にがんばれる子になってほしいと焦る気持ちがあるのも事実です。楽しい、というキーワードを忘れないようにしたいです。なんだか愚痴のようになってしまいましたが、タイムリーな記事ありがとうございました。
リンクが見えません
Re: リンクが見えません
社会情動的スキルを育む「保育内容 人間関係」: 乳幼児期から小学校へつなぐ非認知能力とは 単行本 – 2016/5/20
無藤 隆 (著), 古賀 松香 (著)
です。
リンクの読み込みが遅いことがあるので、ブラウザの「再読み込み」をするとたいてい2度目にはでてきますよ。
うちの子のピアノ
自分が小さい頃、練習を見てくれていた母が、苛々して厳しい日があってとても嫌でした。今思えば、仕事後の時間だったので、すごく疲れていたのだろうと。
ピアノを楽しんでいれば、そのうち、上手くなりたい、と自ら練習するようになると期待して、今は練習やろうという声かけ、課題の確認役を、苛々しない程度にやろうと思います。
恒例の子どものおつかい番組を久しぶりにちらっとみたところ、低年齢の、本当に本人が行きたがった?というお子さんに、初めてにしては難易度の高い課題をやらせ、がんばる姿に大人たちが感動、というのが辛すぎて、すぐにみるのをやめてしまいました。昔は楽しくみることができたのに、番組が変わった?自分が変わった?がんばって成し遂げることにも意味はあるだろうに何でこんなに嫌だと感じるのか?と考えていたところの記事で、勉強になりました。
思い当たる節が。
ただ、小学生になり当時を振り返ると、娘は保育園の運動会が大嫌いだったとのこと。私から見れば毎年仲間と一緒にチャレンジしてできるようになるという素晴らしい取り組みだと思っていたのに!これは、大人の建前で、子ども自身は全くそんな風に思ってなかったのです。
私は驚いて、大変だったけど、できるようになったことがいっぱいあってよかったじゃない?と聞き返すと、できるようになった喜びより、やっと練習させられなくて済むという開放感が勝っていたそうです。達成感などカケラもなかったとのこと。
それを知った私は、娘の何を見ていたんだろうと情けなくなってしまいました。クラスでできない子が自分の娘だけなんて可哀想!どうにかしてできるようにしてあげなければ!と必死でした。
おとーちゃんのこの記事を拝読した時、このことだ!と思いました。書いてくださってありがとうございます!おとーちゃんは本当に子どものことよく分かってらっしゃいますね。私はまだまだだなぁと反省しきりです。保育園の行事では、運動会以外でも同じ方法で頑張っていましたが、やはり自分の好きなことは楽しいから苦にならなかったようです。
また、今年から保育園では、運動会の時に、自分で競技を選ぶことになりました。例えば、うんていを使った競技は、上から飛び降りる子もいれば下の方から降りてもオッケー。ぶら下がるのもオッケー。自分たちで命名した技をマイクで宣言してからします。これはいいなぁと、子どもに寄り添ってくれる園に感謝です。
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本当は、もっともっと、愛着を育てる時期で、私と長男の絆を深め彼の安全基地に私がしっかりとなってることを確認してもらう時期だったんだなぁと思います。
人は、安全基地を持ってるからこそ、きっと本当に辛いときに頑張れるんだろうなぁと思い、今更ながら長男に向き合う日々です。