「父兄」と「父母」の違いの裏にあるもの ~女性の人権~ - 2018.01.18 Thu
これはある種の必然で、男性保育士の問題の背景には、人権の理解の乏しさが関わっていることが多いからです。
そして、この問題は男性に限ったことではありません。
人権というのは、なにも大仰なことではないのです。
人を相手にしている職業においては日常の中で不断に関わってきます。
特に、保育はとても近い距離で人(子供・大人)と関わります。
一般的なサービス業といった職種も人と関わりますが、それは接遇マナーといったものを守れば事足りる範囲であるのに対して、保育はさらにそこからもっと踏み込んだ立場で関わっています。(医療・介護・教育なども同様の性質を持つ)
それゆえに、保育士は人権についての理解と、その継続した学びが必要です。
例えば、おむつ替えひとつとっても、相手の人権について理解している人とそうでない人では関わりの実際、そこにおける感情の交流がまったくと言っていいほど変わってきます。そして、そこから子供の中に育まれるものも・・・・・・。
これについてはまた別の機会に見るとして、今回は「父兄」と「父母」という言葉について考えてみたいと思います。
「父兄」と「父母」といういい方、みなさんは通常どちらを使うでしょうか?
おそらく多くの方が、現在では一般的に「父母」という表現を使っているのではないでしょうか?
かつては「父兄会」と呼んだものも現在では「父母会」「保護者会」といったいい方になっています。
以前は、一般に保護者を指して「父兄」と呼び習わしていましたが、そこから「父母」さらには、「保護者」、いまでは保護者といういい方も避けて「おうちの方」と呼んだりするところもあります。
しかしながら、古くからある施設や、年配の保育士などでは昔からの習慣で、つい「父兄」といったいい方を使ってしまう人も見られます。
おそらく、いまの方はほとんど「父兄」といういい方はしなくなっているかと思います。
では、なぜ「父兄」ではなく「父母」と呼ぶべきなのかその理由も理解しているでしょうか?
ここにもやはり人権の問題が関わっており、これからの家庭支援を考える上でも基本的なところです。
まず、この問題の背景をとりあえず理解するには、「選挙権」で考えるとわかりやすいです。
はるか昔、王様がいた時代は、政治に参加する権利はごく一部の人のものでした。
その後、近代にいたり、参政権がだんだんと広がっていきます。
それでも最初は、ごく一部の人だけのものでしたが、「市民」という考え方の広まりとともに、さらに拡大されます。でも、まだ男性の一部だけです。
そこから、さまざまな努力の上に、成人男性全体へと広がりました。
それでもまだ、女性には参政権がありません。
この時代は、「女性は男性に劣るもの」といった社会通念がありました。(その後の女性参政権獲得への激動期を私たちは小説『赤毛のアン』の中で触れることができます)
日本で、女性も選挙権が得られたのは、戦後になってからの1945年(昭和20年)です。
しかし、その後も男性が上で女性が下といった通念は社会の中で残り続けます。
そのひとつの表れが子供の保護者を指して「父兄」とする呼び方です。
その呼び方をなんの悪意もなく使ったとしても、そこには歴史的背景として、「女性は取るに足りないもの」という考えを反映したものであることは揺らぎません。
ですから、現在は「父兄」という呼び方は不適切と考えられるのです。
日本でこの背景にあるのは、戦前にあった「家父長制」というものです。
この制度は、法的には戦後の日本国憲法下では失効しますが、現実問題としてそういった通念は残り続けます。むしろ、高度経済成長期において父親が、家庭内唯一の収入の主体になったことで「強い父親像」が強化されたとすらいえるでしょう。
現在でも、児童虐待の被害にあった人の支援をしている方などは、「私たちは日々家父長制の亡霊と戦っている」といったことをもらしています。
これと同様のことを、子育てカウンセリングをしている僕自身、多くの人の相談の背景に頻繁に感じます。
◆おわりに
「父兄」という言葉を使わなければ問題ないのではないか、と思うかもしれません。
しかし、僕がなぜいまさら「父兄」と「父母」の違いを指摘したかというと、実はこの問題は終わっていないからです。
仮に、園に荒れている子がいたとします。
もしかすると、その子が荒れている背景には、母親が夫から経済DVを受けていたり、その親や義父母から攻撃的だったり、支配的な関わりを受けているのかもしれません。
それがまわりまわって子供に影響を与えています。
その子の問題を解決しようと思ったとき、その親への理解が必要です。
そういった子や親に支援をしなければならない時代になっています。
今度改訂の保育所保育指針も、家庭支援を重視していますよね。
言葉の上のアプローチだけならば、そういった対応の上手い人の受け売りでもできます。しかしそれでは、そこにともなう感情までは寄り添ったものになるとは限りません。
そのとき、その親の立場を理解し寄り添えるか、それとも否定的にとらえることになるのか、それは保育者のそのような背景への理解がものをいうのです。
参考:『家父長制とジ ェ ンダー平等 -マイノリティ女性条項が新設された2004年DV法1を手がかりに-』 三重大学教授 岩本 美砂子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/57/1/57_1_171/_pdf
:『日本の家族制度』 小樽商科大学教授 江頭 進
http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/diary/Cambridge/family.htm
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