「愛情」という言葉を使う人の無責任さ、特に男性 - 2018.02.22 Thu
しかし、そのわりには子育てにおいて、「愛情」という言葉がひんぱんに使われているのをみかけるのはなぜでしょう。
ここにも実は、「愛情」という言葉の問題点が隠れています。
それは、そこででてくる「愛情」という言葉が、「自分が」ではなく「他者が」ということが前提で話されているからです。
つまり、子育てで述べられる「愛情」という言葉の多くが、誰かに「そうしなさい」という文脈でばかり使われています。
特にそれを男性が使うとき、当事者として自分にではなく、二人称もしくは三人称の「女性」「母親」に対して、「あなた女性(母親)なんだから、子供に愛情をかけるのは当然ですよね」ということを、意識無意識に持ちつつ、しかしその部分は省略された形で、「愛情って大事だよね」というお話になっていることがとても多いようです。
なんだろう、この傍観者感。
この感覚が、旧態依然とした価値観でそれを言う人や、もっと極端に男尊女卑的なスタンスで言う人だけでなく、善意や、現代的な価値観から話しているというスタンスの人にすらともに見られます。
その中身もいろいろだけれども。
なかには、単なる子育てを精神論にして完全に傍観者の立場からえらそうなことを言うだけの人もいれば、
たしかに、その人はそういった愛情表現的な行為が上手にできるのだけど、他者に対する共感力、理解力が不足していて、自分ができることをさも「なんでこんな簡単なことでできないの」といった感覚から述べてしまう人などなど。
「愛情」という言葉を使う人の、無責任さ、非当事者性、文句だけ言える他人事感覚、「私はできるのになんであなたはできないの」という見下ろしたスタンス、こういったものに気をつけましょう。
そういうニュアンスを感じたときは、それがどんなに善意からの言葉だとしても、そうそうプラスになることはないので、スルーしてしまえと思います。
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