子育てと怒り vol.6 ~怒りのコントロール つづき~ - 2018.03.16 Fri
子育てがラクになる、ヒントや気づきが得られるかと思います。
お子さん連れでも参加可能ですので、どうぞいらして下さい。
最近は、ご夫婦でいらっしゃる方や、小さいお孫さんを持つ祖父母の方の参加も多くなっています。
詳細、お申し込み↓
保育士おとーちゃん 春の講演会
何か僕に聴いてもらいたい話のある方は、遠慮しなくていいので、会の始まる前や終わった後に僕をつかまえて、どしどし質問なりをぶつけて下さい。
極力時間のある限りおつき合いします。
ちなみに明日3月17日(土)は豊川市の座談会です。
お申し込まれた方、明日ですのでお間違いのないように。
さて、前回のつづき。
◆イライラしたときに頑張らない
ヒートアップしてしまうと、自分でわかっていても自分を止められなくなってしまうので、撤退できるうちに撤退してしまおう。
イライラがヒートアップしそうなとき、一回その対象から気持ちをそらしてしまいます。
とりあえずお茶を入れるとか、冷たい麦茶を飲むとか。
トイレに入って漫画でも読むとか。音楽をかける。お香を焚く。
なんでもいいから、自分のできる切り替え手段をダメ元でもいいから試してみる。
◆自己犠牲しない
怒りを抱えている人は、一方で自己犠牲的な思考プロセスを持っていることが多いです。
わざわざ、問題点を自分のせいにしていく方向の思考から抜けられなくなっているといったことがよくあります。
例えば、「子供がいつも暴れるのは、私の関わり方が悪かったせいだ」など。
このように、一旦自分を悪者にしてから、その責めを負うという理屈で、自分に自己犠牲を強いて(しいて)いってしまいます。
すると、結果的に、子供への関わりや、家事、仕事などを大きなストレスを抱えながら行うことになるので、心に余裕がなくなり、そのストレスが破裂したときに、怒りの奔流となって流れ出てしまいます。そこまで溜まったものを止めるのは難しいことです。
するとその後、「ああ、こんなに怒ってばかりの私はダメな人間だ」などの自己否定がはじまり、そこからまた自己犠牲、ストレス過剰→爆発 の悪循環になっていきます。
この悪循環をたちきるために、少しでもこの「自己犠牲」から距離を取りましょう。
「え~、私ちょっといまそれしたくないんだけど~~」など、自分の本心を口に出してみることを試してみるのもいいかもしれません。
◆自分がしたくないことを「子供のため」という理由で頑張らない
これも上と似ていますね。
特に子育てでは、「自己犠牲すること」と「子供を大切にすること」をイコールだと思って、「子供のために頑張らなければ(我慢しなければ)」という社会通念が日本の子育てでは強くあります。
この考え方は過去のものだと思っていいと僕は考えます。
これに縛られる必要はありません。
かといってこれは、親の子育て放棄を助長するものではありません。
これからの時代目指すべきは、「子供も親も同時に自己実現していく」ことです。
それは、親が子の犠牲になることと同時に、子が親の犠牲になることも否定しています。
このことを具体的に例にしてみると、
子供に食事を出さないことを親に許すわけではないけれども(それは虐待になってしまうので、そこに子供の自己実現がないから)、親がムリにしんどい思いをして「子供のために」とキャラ弁まで作る必要はないというわけです。
基準は「世間」ではなく、「自分」でいいんです。
周りが、友達がと、他者の視点ばかりを意識してしまうのは、ある種の親の心の問題です。自己肯定感や、自己の承認欲求などになんらかのネックがあることがあります。
まあ、それはその人の持つ個性でもあるので、そうであったらいけないというわけでもないけれども、周りを気にしてそこから自己犠牲をたくさん自分に求めてしまう人は、ちょっとそこに気づいておけるといいでしょう。
◆プラスを作る
イライラや怒りがたくさんでてしまうこともあるでしょう。
それならそれでもいいと思います。
なぜなら、
・時間は味方
・子供は味方
だからです。
子供や自分の周りの状況は刻々と変わっていきます。
もしかすると、自分や子供の問題がなにひとつ解決や、前進をしなかったとしても、環境や時間的成長による子供の変化だけで、その問題がいつのまにかなくなってしまうということだって起こるのが子育てです。
だから、とりあえずイライラや怒りがでてしまうことがあっても、なんとかそのときを乗り切ってしまってもいいと思います。
もうひとつ。
子供は、常に親を肯定しようとしています。
これはどの子もそうです。
だから、たとえ怒りんぼのお母さんであっても、お父さんであっても、それによって親子関係が決定的に壊れてしまうといったことはそうそうありません。
いうなれば、親が怒りんぼであっても子供はそれを受け止めてくれます。
それにより子供にまったく問題がでない、というわけでもありませんが、子供の持つ親への肯定があるかぎり、あとからでも修復は可能です。
だから、怒りがあふれるのを止められないという状況を、そうそう自己否定に向けなくていいのではとも思うのです。
その代わり、どこかでプラスを作っておきましょう。
怒ってしまうことを必ずしも謝ったりする必要もないので、なにか子供との間にプラスの部分を用意しておくのです。
人によりなんでもいいのだけど、
くすぐり遊びを毎日やるとか。
食後に、デザートを子供とはんぶんこして食べるとか。
お風呂に入ってシャンプーするとき、いつもキューピーさんにして遊ぶとか。
なんでもいいです。
そんなプラスの部分をどこかに用意しておけば、怒ってしまうことがあっても補いがつくと思います。
ちなみに僕は、料理するときネギを冷蔵庫からだしたときとか、買い物でネギを買ってきたときなど。
ネギの緑の方の先っぽで、こちょこちょして追いかけ回していました。
「わ~こちょネギだ~」と毎回楽しそうにしていました。
小学2年生になったいまでも娘は、料理のときにネギをみると「あ、こちょネギ!」とフリをしていくることがあります。最近、忙しいのと大きくなったのとであまりやっていませんが、今度またやっておこう。
◆視界に入れない
子供に、注意したり、怒ったり、小言を言いたくなってしまうときなど、それがもうくどくどになっていたり、さほどのことでないならば、それが安全を確保できる場であるならば視界から外してしまうのも手です。
放置になって、事故に合わせてしまうといったことはよくないので、あくまで音や、雰囲気で安全に留意できる範囲でですが。
子育てのプレッシャーで子供から目が離せなくなってしまうと、この怒りのプールの波立ちを抑えることは難しくなってしまいます。
そうなってしまう前に、視界から外すようにしておくと、自分の心がヒートアップしてしまうのを防げる場合があります。
ただし、このとき子供に疎外感を与えるような、態度や冷たさをかもし出すと、かえって子供が問題と見える姿をましてしまうことがあるので、あまりそういった雰囲気は出さないようにしておくのが吉です。
例えば、「あ~。私いまこのニュース見たいからちょっと見てるね~」と一方的に宣言して、テレビなりスマホなりをみるとか。
このとき、ちらかされたりするなどのいちいちが気になると、それもできなくなってしまいます。
あとで片付ければ済むのなら、あとでやればいいのだし、片付けるのがしんどければ、そのままだって別にいいじゃない。
家の中が多少ちらかってたって、子供の成長や、子供や自分の人生になにも損害をあたえたりしないよ。
- 関連記事
-
- 「しつけ」が子供を殺す (2019/01/06)
- どんなあなたでもいい (2018/09/22)
- 占いとカウンセリングの違い (2018/09/06)
- できないことに関して (2018/06/23)
- 承認欲求に振り回されてしまう理由 (2018/05/16)
- 子育てと怒り vol.6 ~怒りのコントロール つづき~ (2018/03/16)
- 僕自身の怒りについて (2018/03/14)
- 子育てと怒り vol.5 ~目に見えない怒りをコントロールする方法~ (2018/03/09)
- 「愛情」のもう一つの弊害 ~緊密すぎる関係~ (2018/02/23)
- 「愛情」という言葉を使う人の無責任さ、特に男性 (2018/02/22)
- 「愛情」と「自己犠牲」は切っても切れない仲にある (2018/02/21)
● COMMENT ●
自己犠牲しないこと
自己犠牲
1年ほど前は、ほとんど鬱状態だったのに。。。たまにムクムクと怒りが出てくることがあるのですが、段々とその怒りが弱まってきています。保育士おとーちゃんの考え方は、すごく実践的でなおかつ、納得でき、自分の気持ちにも寄り添ってくれているので、私の中では子育てのバイブルになりました。今回の怒りの話も納得!次怒りが出た時に、実践出来るのが楽しみなくらいです。
何で怒られたかわかった?
自分が悪かったなと思う?
娘の答えは、どちらもNoでした。
それ以来、怒ったり叱ったりした後、その後始末を丁寧にするようにしています。
夫の気持ちを説明したり、私の意図を説明したり。娘が納得してくれることはめったにありません。娘の言い分を聞く前に、私の不足に気づかされます。結局、怒りを取り下げ、娘に謝ることもあります。謝るとき、自らもうしない約束をします。
そんなことを何回かして、私はほとんど叱らなくなりました。誰かから、頭ごなしに叱られるようなこと、なにもしていない。ほとんどが、誤解、軽い過ち、あるいはそれを帳消しにしていいほどのプラスのことを子供が普段からしている。
そう気づくと、自分が恥ずかしくなるくらい、子供が自分を肯定してくれてることに気づきます。肯定されるっていいなと思い、肯定し返す。それで良循環が生まれるようになりました。。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/1150-835abfb5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
もう2年以上前のことですが、すごくよく覚えてます。
その日、私は体調が悪くて、子どもたちの様子を見ながら布団に寝ていました。
息子は遊びの相手をせず、返事もいつものようにはしない私に苛立って「ねえ!テレビつけてよ!!」と怒っていました。
私は頑張れば布団から出てテレビをつけることもできたのですが、「ここはがんばるところじゃないのかも。ここでがんばるのが、自己犠牲ってヤツかも?」と思って、「お母さん、具合悪いんだけど、大丈夫?って言ってくれないの?心配してくれないの?」と言ってみました。
実際、悲しかったので。
そしたら、息子はハッとした顔をして、「大丈夫?」と聞いてくれ、テレビは自分でつけて、その後も私をそっと寝かせておいてくれました。
すごくうれしかったです。
無理してがんばるより、私にとっても息子にとっても、ずっといい結果になりました。
今では、私が具合が悪い時には、「僕がぜーんぶやってあげる!お母さんは寝てていいよ!」と、洗濯物を干したり食器を洗ったりしてくれます。いつもではないですが。
あのとき、自分の気持ちを伝えて本当によかったです。
子どもはちゃんと、親の気持ちを受け止めてくれるんですよね。
そのことを実感した経験でした。