「協調しましょう」がもたらす現実 - 2018.04.13 Fri
これをたくさんされていくと、もしくはこれが当たり前の空気になっている環境でたくさん過ごしていくと・・・・・・。
子供たちは、自分の気持ちや意見を言わない、言えない子になっていきます。
例えば、
「どっちがいい?」と聴けば、「どっちでもいい」
「なにがいい?」と聴けば、「なんでもいい」「みんなと同じでいい」「みんなに任せる」
このような行動をとっていきます。
ここのポイントは本当に「どっちでもいい」と思っているわけではないことです。
「どっちでもいい」と本人が言ったにも関わらず、ある一方を選ぶと機嫌が悪くなったりします。
ということはつまり、どっちでもよかったわけではありません。
しかし、どちらか自分のいい方を主張するという簡単なことすら、無意識に避けるようになっているのです。
これでは、「協調」が「自主性・主体性の喪失」と引き替えに作られていることになります。
本来子供たちに持たせるべきは、自主性・主体性を獲得させた上で、他者との協調をできるようにすることです。
この点が、まさに「集団→個」と見るか、「個→集団」と見るかの視点から別れる大きな違いです。
コメントでもいただきましたが、学校教員の中には、個を重視したら協調ができなくなるのではという考えを持っている人がいます。
これは大きな間違いです。
その人には、「子供を信じる」という、子供に職業的に関わる人間が必ず持たなければならないスキルが欠けています。
その「子供を信じる」ということを、その人自身の「人間性」で最初から獲得してしまっている人もおりますが、僕はあえて「スキル」とここでは言います。なぜならば、それは後天的に自身の意識と努力で獲得することも可能だからです。(「スキル」に対して、その人が元から持つ人間性によりできているものを「センス」と僕は呼んでいます)
子供を信じてみましょう、子供の自主性・主体性だけを重んじ協調に類することをまったく求めなかったとしても、大人が直接協調という結果をこねくり回して作り出すよりも、ほんの少しだけ時間はかかるかもしれませんが、子供たちは自分から協調をできるときが必ず来ます。
(ただし、ここには「協調はそんなに重要か?」という視点もありますが、いまはこれは置きます)
そして、それこそが本当の協調なのです。
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