「感謝」という承認欲求 - 2018.05.13 Sun
子育てにおける大人の承認欲求の有り様は、場合によってとても大きな影響をその人と子供に与えることになるからです。
それによって、子供や親がつらいことにならないよう少し書いておこうと思います。
承認欲求のあり方のひとつに、「私に感謝してほしい」「私に感謝しなさい」というものがあります。
これの違和感(程度によっては異常性)には気づいておくといいでしょう。
子育てにおいてこの感覚を肥大化させていくと、互いにとって好ましからざる結果にならないとも限りません。
・父親が「誰のおかげでメシを食わせてもらっていると思ってるんだ」と妻や子に居丈高にすごむ
こういったエピソードや言葉を耳にした事のある人も少なくないかと思います。
かつて、このような父親像を作中で大きく描いたドラマもありました。
おそらく、この父親の姿になんの違和感も感じないという人もいるかと思います。
しかし、その人間の心理を考えたとき、それはかなり異様なものと言えます。
これを例えば、子供にしている場合。
それは、基本的に親を信頼し常に親の肯定をしたいと思っている我が子に、親への感謝を強要しそれを表させることで自身の満足を得ようとしているという状態です。
つまるところ、この父親は自分に自信がないのです。
あまりに自分に自信がないために、絶対逆らえない人間をつかまえて、自分を賞賛させ自分の自尊心をくすぐらせ、自分の優位を確認し、その少ない自信の補強材料としているのです。
これは、その人がアイデンティティの危機を持っているという状態です。
ある意味、昭和の父親像のステレオタイプとも言えるようなこの姿は、少しも「強い父親像」といったものではなく、自身の自我の確立に不安を抱く弱い心の持ち主を表しているのです。
これは夫婦間のDVや、子供への虐待などでも、同様の「感謝の強要」が見られます。
配偶者にDVやモラハラをしたあとで、「お前のためを思ってこそそうしているのだ、ありがとうくらいいったらどうだ」というようなケースがあります。
「感謝を要求したくなる心理」これは、もちろん健全な範囲のものもあるでしょうけれども、程度により精神的な不健全さの域になるものもでてきます。
最近でこそ多方面からの批判があり下火になってきましたが、ひと頃「2分の1成人式」なるものが流行しました。
この中で、親への感謝の手紙を読ませるという儀式を取り入れているものがあります。
実はこれは親に大変ウケのいいプログラムでした。
親はそれを読んでもらうことで、涙したりしするわけです。
このブログを読んでいる人の中にも、その経験のある人がいるかもしれませんね。
多くの人にとっては、それをしたからといってさしたる問題も起きないかもしれません。
しかし、ケースによっては子供にネガティブなものを負わせかねなかったり、親としてもパンドラの箱を空けるようなことにつながる危険性もないともいえません。
普段、親から自尊心を傷つけられているような子が、もしその親から感謝を強要するようなことをされたとしたら、その子は心を疲弊させられます。場合によりなにかこころのどこかがねじ曲げられるようなことにつながります。
親としては、子供に感謝を求めることで自身の自尊心を満たすという経験に麻薬的な快感を求めるきっかけとなってしまうかもしれません。
少し前に、のぶみという絵本作家の人が作った歌詞が問題視されてTwitterが炎上した一件がありました。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/02/04/atashi-okaasan-dakara_a_23352738/
ここにも、感謝という形の承認欲求を求める心の問題が隠れています。
この問題は、「母親に対して自己犠牲をしいる母親像を強調している」という文脈で非難されたわけですが、おそらく作者はその意図がなかったのは事実だと思います。
しかし、そう取られることを理解していなかったのは、あきらかな落ち度ですが。
作者は「これはママおつかれさまの応援歌」と述べています。
この歌詞における作者の問題は、「母親の承認欲求をくすぐってやればきっと受けるだろう」という計算があった点です。
もしかすると、その人自身誰かからの承認欲求を強く求めている傾向を持った人なのかもしれません。ですから、他者も承認欲求をくすぐられればきっと喜ぶだろうと無意識に考えたのかもしれません。
この作者の代表作である『ママがおばけになっちゃった』も、実は、母親の承認欲求をくすぐることで親ウケを狙ったものになっています。
子供にそのような状況(母親が死んで、いなくなる)を想起させることで、母親にすがり強く求めさせる、それにより母親は自身の承認欲求を満たす、という図式です。
この点からこの絵本は子供を見ずに、親の方を見て作られた絵本と言うことができます。
これは、子供心を犠牲にして親を気持ちよくさせるものです。それは子育て上危険な行為です。
僕はこれを児童文学と見なすことはできません。親が読むだけならばまだしも、子供にはとてものこと読めません。
以前も書いていますが、承認欲求自体は悪いものではありません。
しかし、それが誰かを犠牲にすることで成り立たせるようになっては、危険なモノへと早変わりしてしまいます。
もし、自分にそういった傾向を感じるのであれば、少し気をつけておくといいでしょう。
その傾向が、自分ではコントロールが難しいレベルだと感じるならば、あまりひとりで子育てを頑張らずに普段から誰かに協力を求めたり、カウンセリングなどを活用してみるのもいいかもしれません。
次回は、承認欲求を過剰にしてしまう原因について少し見てみようかと思います。
● COMMENT ●
私もおなじです
その違和感の原因がわかって、納得しました。
私が子供の頃、お母さんも死ぬの?と泣きながら聞いたとき、母は、あなたが大人になって子供ができて、ヨボヨボのばぁばになっても元気にしてるよ!って聞いて安心したのを思い出しました。
おとーちゃんの記事には毎回元気をもらっています。
おとーちゃんも無理せず頑張って下さいね!
のぶみさんの歌詞と本について
1人のお母さんが自分の経験を書いているならいいけれど、男性に「女性の声代表」みたいにまとめられたのも原因なのかな。
炎上原因については色んな方が記事にしているのでそちらにお任せしますが、私としてはこちらの記事に納得感がありました↓
(リンクするのが不適切だったらすみません)
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanomadoka/20180205-00081263/
ママがおばけになっちゃった!の本についての考察も、なるほどーと思いました。
私も書店で立ち読みして、泣きました。
ただ、それは、母親として子供と一緒にいられることの有り難さを感じて泣く、と言った類の涙(例えが良くないかもしれませんが、難病の方のドキュメンタリーを見て命の尊さを感じて涙するような)で、やはり子供にこの本を見せたいとは全く思いませんでした。
この本が親向けというが、とても納得です!
私は、ひとりっ子ということもあってか、小さい頃から、いつかは両親が先に死んで私1人だけになってしまうという不安を持っていました。親がそのようなことを言った覚えはないのですが、もしかしたらふとした時に親が言ったのかもしれないですね。
そして、今私の子供は4歳と2歳ですが、たまに「あなたたちは私たちよりずーっと長生きするんだよ〜いつかは私達は先にいなくなっちゃうからね〜」ということを言ってしまっていたので、あまり言わないように気をつけよう、と思いました💦親が先に死ぬのは、大きくなればわかることだし、小さいうちから不安を煽らない方がいいですね!
お父さん、お母さんに見せるためにするのではなく、子供たち自身が楽しむために運動会をしてほしいなぁといつも思います。
新1年生の長男は、一昨年の夏、保育園でかわいがっていたカメが死に、昨年は家で飼っていた金魚が何匹も死に、そのたびに落ち込んでいました。
1年くらい、私に「おかーさんも死んじゃうの?」とよく聞いていましたが、「死なないよ」とは言えませんでした。
もし明日交通事故などで死んでしまったら、嘘になるから。
まだ「子どもを思っての嘘」ということが理解できない歳だと思いました。
今も時々、「おかーさん、死んじゃうの?」と聞きます。
「そのうちね。たぶん〇〇くんがおじいちゃんになってからかな。その頃には、〇〇くんを大事に思ってくれる人がたくさんたくさんいるから、お母さんがいなくなっても大丈夫だよ」と答えています。
上の返事を息子も理解していて、たまに私が「死なないよ」とふざけ半分に答えると、「死ぬでしょ!歳とっておばあちゃんになったら、死んじゃうでしょ!」と笑っています。
安心させてあげたいけど、嘘も言いたくない。
いつも、どんな返事がいいのかと思いながら答えています。
あたし営業だからアメリカから帰ってきたその足で出社してレポート書くわ、フラフラだけど、というのだと、あ、そうそう、あははははとなると思うのですが、どうしてお母さんだと、嫌悪されるんでしょうね。
問題の歌詞は母親になったことがない人が抱く母性神話に思えます。
もしくは社会通念的な理想の母親像というか。
お母さんならそう思えって言われてる気がするんですかね。普段もやもや抱えてる負の部分が救われないというか。。
私は応援してくれるなら出来てない部分を後ろめたく思ってる部分を「大丈夫だよ」って言って欲しいですねww
だからおとーちゃんのブログに癒されに来ちゃうのかな(笑)
今まで当たり前のようにされてきた事。
「親に感謝するべき」ほとんどの人が、違和感を感じた事がないのでは?
これに異論を唱える人なんて今までいなかった。
「親に逆らうな」
「黙って言う事を聞け」
私の気持ちなんて、一度も考えた事ないくせに……。
あぁこれか……息苦しさの正体は……。
日本はとにかく子供に関しても他人に関しても「お前はこうするべき」っていう
強要社会ですよね。だから生きづらい。
本当にいつも、涙が出てくる。
ありがとうございます。
私は別に気にしませんが。
お母さんだからヒールもはかないしネイルもしないオフィスで着ていた服も着るわけない。
お母さんだから自分のことは後回しで子供のことばかり…。ごく当たり前なことを言っているだけと思いますが、母親としては、そんなこと言われなくてもやってるよ!!男性に何が分かるの?
って感じでしょうか。
ただ、しかたなく我慢してやっているのか、
お母さんだから当然と思ってやるのか、
それは人それぞれですよね。
我慢してばかりのひとはきっと子育ては辛いことばかりでしょうね。
ちょっとしたことでモヤモヤするとか、傷ついたとか噛みついてくる輩が多い世の中で、この
歌は出すべきではなかったですね。
ひどーい
全然ちょっとした事とは思わないな
繊細な文脈があって、切実な反論してる人もいるのに、それ理解もしないで、「当然の事なのに自覚がないから我慢してて辛い、だから噛み付く」みたいに他人様の内面を勝手に決めつけてー
失敬ではないですかっ
他人が理解できないしょーもない事でガタガタ言ってるなーと思う時は、何も言わずにただ見てたらいいんですよ。
そしたらケンカにならないでしょっ
もうっっ
そして、親ウケを狙った絵本はやはりあるのですね。そういう本は買わないのですが、“子供向け絵本”のコーナーにあることに違和感があるので潔くママ向けとうたってほしいです。
のぶみさんの歌詞の内容も不思議に思っていました。わたしが爪をのばさなかったり走れる服を着たり新幹線の名前を覚えてしまうのは、“おかあさんだから”お母さんという肩書きのために嫌々やっている、のではなくて、私がそうしたいからです。でもこの歌詞を見ると“あなたおかあさんなんだから”と言われている気分になりますし、人の生き様をだいぶ誤解していると感じます。
ただ、私もおとーちゃんさんのブログに出会わなければ、子供に向き合う方法がわからず辛いと感じ、我慢を強いられながら子育てしていたと思います。いつもブログや本の素敵なアドバイスに助けられています、ありがとうございます。
親も人間だからダメなときもあります
この絵本については確かに「違和感」がありました。でも違和感を感じる絵本はコレだけではありません。私の中では「ふきまんぶく」や「おしいれのぼうけん」にも違和感を感じます。
ただコメントにもあるように、その違和感の理由がハッキリとわかって良かったです。
私自身、子どもが3歳と1歳だったとき、非常に辛く苦しい時期がありましたので主夫ではありますが、そのときにこの歌と出会っていたならば泣いていたかもしれません。
それだけ「承認が欲しい」と思う時期はあると思います。人間ですからね。ただ、それから数年が経ち、ゆとりが出たときに思い出し、自分を変えていこう このままではいけない と思うこともあります。
親も発展途上です。子どもも大事ですが、親も大事です。
どちらか一方が偉い、ということではないような気がします。
悩んでしまいます
夫は子供を出産後、育児する私に不満をずっと抱いています。
大人が一番でないとおかしい、といつも言っており、娘が5歳になる最近では大人に合わせることも必要なケースも増えてきたので良いのですが、これが0歳児の頃から一貫しています。
そして娘には、何かしてもらったら必ず感謝して、と言いますら、
もちろん家族への感謝も必要だと思いますが、過剰かなと感じるのです。
仕事が忙しくほとんど家に居られない夫ですが、家に帰ってきて娘と触れ合ってる間はほとんど「感謝しなさい」の連続です。
「パパ、いつも仕事してくれてありがとう」に始まり、私がごはんを作れば「ママにありがとう言いなさい」、歯みがきも遊びの相手も常にこの調子。
仕事については、自分は父親にいつも感謝するよう、母親に教えられた。きみもちゃんと子供に教えて、と言われます。
夫の態度に毎度違和感、不快感を覚えるものの、口で言われるとすべて正論なので反論の余地がなくて困ってしまいます。
それに加え、娘が面倒くさくなってぐずり、それに手をとられ私の家事がなかなかはかどらなくなると今度は、「ママを困らせてばっかだと、ママ疲れて死んじゃうぞ!」と脅します。
娘に対してすぐにパパと反対の意見をするとダブルスタンダードになって混乱しそうなので、その場で夫の意見を否定はしていません。
後で娘と2人の時にフォローしますが、対応の仕方が間違ってないか不安な部分でもあります。
私の子育てにも悪いところがあるとは思います。たまに受容してるつもりが振り回されてしまってることも…。毎日トライ&エラー、そして反省や気づきの連続です。
でもいつも外で娘には他人に何かしてもらったらありがとう、を教えているし、それに加えて家族から日常のすべてに感謝を求めたら息苦しいのでは?と思ってしまうのです。
おそらく私が今まで夫を一番にしていたのに、その優先順位がかなり低くなってしまったことからの不満が大きいと思います。
いつも私から褒められ受け入れて欲しい夫、それが叶わず娘への感謝の強要へと置き換えてしまってる?
こんなケースは起こりうるのでしょうか?怖くなりコメントさせて頂きました。
しろママさん
しかし、カウンセリングの世界ではこれらのことが山のようにでており、主要なテーマのひとつと言ってもいいものです。
例えば、早稲田大学名誉教授の心理学者 加藤 諦三(かとう たいぞう)先生は、ご自身がこういった支配的で感謝を求める父親を持った当事者でもあります。
以前に読んだので、正確な書名を忘れてしまいましたが(『家族が幸せになる心理学』 (PHP文庫)
もしくは、『愛すること 愛されること』 (PHP文庫) だったかも)、そのご自身の経緯とそこにおける父親の分析をしておられました。参考になるかもしれません。
しろママさんのご主人のことを僕はわかりませんが、同様のケースから「生きづらさ」の問題を獲得させられてしまう人がいることは知っています。
また、その父、母ともにそこから「人生の難しさ」にいたってしまう人もおります。
近年話題になることの多い、男性の退職後のアイデンティティの欠如や暴走老人、熟年離婚といったものの背景にそれがあることもあります。
もちろん、それは絶対にそうなるというようなものではなく程度の問題で、そういったことがあってもそれなりに子育てや人生がむりなく進んでいくということもあります。
いまの段階で僕がお伝えできるのはここまでです。
父の日母の日
おとーちゃんさんの家では父の日母の日は何もされないのですか?(学校でお子さんがされたのを持って帰るということはあるかもしれませんね)
私の夫は必ず父の日母の日にプレゼントをしているので、私もするようになりました(まぁ結婚以前もしてはいましたが、より義務的になったような)
でも自分の子どもに「パパ、いつもありがとうって言おうね」は感謝の強要になりそうな感じがします。
おとーちゃんさんの家ではどうされてるのかなとふと思いまして。よかったら教えて下さい。
それって本来女性のめちゃカッコイイ部分だったはずなのに、そんな行為が、さも「華やかに着飾って自己実現してる女性の下層部におちぶれたのを意味するんだよ」って言いたげな、現代の大前提が見えかくれするのが悲しいんじゃないのかな。
頑張って働いてる女性も。頑張って子供べったりな女性も。
感謝って…
私は感謝すべき的な感じがして嫌でした。
感情は湧き出てくるものだからそんなことしなくていい。
遊ぶ時間にでも当ててと思ってしまいます。
逆に子どもの方が健気に親を支えてくれている
し子ども達と教師の関わりが軍隊かと思うほど(入学式、卒業式、運動会、授業参観など)威圧的な対応にむかっぱらともくるし子ども達を大切にして欲しいと願ってしまいます。
ありがとうございます
今までほぼ毎日ブログ記事に触れ、アイディアやヒントをもらっていたので直接にアドバイス頂けて本当に嬉しいです。
このブログに辿り着いたのも加藤諦三先生の子育て論に深い感銘を受け、ネット上に情報を探していた時でしたので、やはり私が抱えている悩みはそこに行き着くんだと目を覚まされた気分です。
同じことで悩んでいる人がいるはずなのに、全く参考にできる情報に出会えなかったのが今まですごく苦しかったです。
育児相談やママ友などに切羽詰まった時は相談したこともありましたが、夫婦関係の話だと驚かれたり引かれたりするのでアドバイスや抜け出すきっかけすら作れないままに5年間、育児をしてきてしまいました。
おとーちゃんさんのブログには父親に関する記事も多く、学びや心の拠り所として本当に助けられています。
以前の記事で「支配的な父、受容的な母に育てられる場合、子供は父に対していい子になり、母に対して甘えを出す」とあり、まったくその通りの反応が娘に出ていたので涙しながら読みました。
せめて夫に記事を読んでもらえたら…しかし、読んだら不機嫌になりさらに頑なになってしまいそうで怖くて勧められません。
ただ直接読んでもらえなくても、私が自分の感じ方に自信を持つことができたことで、夫婦関係を少しは前進させていると思います。
娘は親バカながら本当に可愛く、感受性豊かで優しい子に育ってくれています。私と心のパイプがつながってる、と実感する毎日です。
ですが乳児期から相当なママっ子で、家に3人でいれば娘と夫で私の取り合いになり娘はいつも大泣き。
他人にはのろけの様に聞こえてしまいますが、私はこの板挟みの時間が本当に息苦しいです。
夫は天真爛漫な性格で、「なぜ大人が我慢しなきゃいけないのか!」と一貫して子供の様な感情を真っ直ぐにぶつけてきます。
乳児期は離婚も頭によぎったほど、精神的に追い詰められました。
これから長く続く家族の関係をどのように持っていったらよいのか。
この悩みに、おとーちゃんさんのコメントから「危ないよ」と優しい目配せをもらったような気がします。
家族が変わるために、気付いた私から頑張ってみます。
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母の死、母がいなくなるという不安をわざわざ幼い子供に与えたくなかったからです。
私の母は承認要求が強く、よくお母さんが死んだらという不安と寂しさを与えるような発言をよくしていました。
今、私自身が子育てをするようになって、母のあの発言はあり得ないと思っています。
思い出すと嫌悪感しかありません。
うまく伝えられませんが、おとうちゃんさんも、ママがオバケになっちゃったに違和感を覚えたと知り、私の感覚がおかしいわけではないと思えて安心しました。