パート職員差別 - 2018.07.13 Fri
なので、最新流行の見栄えのする保育成果のような部分ではありません。
現状の日本の保育の問題点は、「平均点以上の保育をさらに高めていくこと」よりも、圧倒的に「平均点以下(子供の育ちに必要なことができていない)の保育を平均点にすること」だと感じています。
そんな僕のところには、不適切な保育をしている園や職員の話がたくさん耳に入ります。
そういった人の多くに共通して出てくるのが、パート職員を見下したり、嫌がらせやイヤミを言う行為です。
子供に不適切な対応をしている職員の話が出たときに、「もしかしてその人、パートの人に風当たり強くない?」と聞くと、ほぼ確実に「ええ、そうです。なんで知っているんですか?」と返ってきます。
◆
保育の不適切さの主要な原因は、「支配」です。
1,たまたま習得した保育実践が支配的なものだった
2,もともと支配的な性格・人格を持った人が、子供に支配的な保育をしている
1,ならまだしも、この2,の人は「ただ支配的な保育をしている」というよりも、「他者を支配をせずにはいられない人が保育をしている。ゆえに必然的に支配的保育となる」というものです。
なので保育の方法論がどうこうというレベルの問題ではありません。
いくら研修をしようとも、注意をしようとも、その根っこにある人格上の問題が解決しなければ、保育が変わることはありえません。
こういった「他者を支配したい」、「他者よりも優位な立場に立つことで自己の存在を承認したい」(いわゆるマウンティング)といった人は、他者に対してなにか自分が「上である」ことを常に探しています。
この種の人が保育をすると、「子供を自分の思い通りに動かすこと」が無意識に第一の目的となります。どれほど口で立派なことを言っていようとも、子供の情緒の安定や、成長を見すえた保育などはこれぽっちもできません。
大人のいわれた通りにできる子供であればまだしも、そうでない子供がいた場合、その人はその子を許容できず、否定しつづけていきます。
その人にとって、「子供は大人に従うべきもの」なので、「従わない子は悪い子」といった認識が避けられません。
そのように、対人関係を上下で対象をとらえています。
その対人関係のとらえ方が大人にも適用されている場合、パート職員への差別や嫌がらせ、ハラスメントが起こるべくして起こります。
後輩や、経験年数が自分よりも低い人に対してもほぼ同じことが起こるのですが、この「正規職員である自分 と パート職員」には制度上の明確な違いというものがあるので、その行為はその人にとってより正当化され明確に表れます。
ここには人間の悲しい性(さが)があります。
それをする人自身も、上下の違いを強調された関わりをそれまでの人生でされそこで傷を負った結果、そういった人格を形成してしまったのでしょう。
それは気の毒なことです。
しかし、気の毒であるからと言って、他者を傷つけたり、攻撃したり、他者をおとしめて自分が優越感に浸るといった行為をすることが許されるわけではありません。
この種の人たちは、子供への支配がとても上手になるので(※)、一見「できる保育士」と見られている場合がありますが、実のところ保育士の適正としてもっともそれが欠ける人たちです。
※「支配」が上手なのであって、「よい保育」ができるという意味ではない。
このことは、なにも保育士の話に限ったことではありませんね。
・「君何才?」
・「どこの学校出身?」
・「どこに住んでいるの?」
・「お父さん(ご主人)の仕事なに?」
知り合い初めて間もない内に、このような質問をしてきて、自分と相手の立ち位置を上下で決めつけようという大人も世の中には少なくないのを感じます。
一般にも、派遣社員や契約社員には社員食堂やウォーターサーバー、果てはエレベーターまで使わせないなどという会社の話まで耳にします。
◆
人と人は常に対等なのです。
年齢が上であれ、下であれ、どこ出身であれ、なんの仕事をしていようとも、人としての価値は自分と同じだけのものが相手にもあり、役職が高かろうがそれはその組織の職務上のことであって、そこから一歩離れれば本来そこに上下などありはしません。
しかし、悲しいかな人は、そういった些細な優越感がなければ心細くなってしまうという場合があります。
そのような人。例えば「えばっている人」は、実は「何か肩書きなどにすがってえばらなければ自信を持って存在できない、か細い自我しか持てていない人」なのです。
しかし、そういった他者にマウンティングができる人ほど、世の中では大きな権力を持つようになったりするので、なんとも皮肉なことです。
しかし、この人たちはあとでツケを払うことになります。
そのツケとは「孤独」です。
その人たちも潜在的にそれを感じ恐れているので、金やモノ、恩義、道徳で他者を縛ろうとし、それにより自分から孤独を遠ざけようとします。しかし、それで本当の人間関係が構築できるわけがありません。
しかし、その人にはそれ以外の手段が見えません。人とはなんとも悲しいものです。
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● COMMENT ●
罪を憎んで人を憎まず
支配的に関わる人は過去に誰かに支配された人もいて人とどう関わればいいのか分からない人とどなたかコメントにありましたが、それならオウム真理教の麻原の行為を肯定しているのでは?と思いました。
私は歯科医院で働いて歯科業界ってドクターの色があって私達スタッフはドクターと違った考えでもドクターの色に染まっていかなきゃならないです。それが嫌なら辞めるか。
なので支配的に関わるドクターの元で働いている私達はたまったものじゃありません。
そんな支配的な大人をこれ以上作り出さないためにおとーちゃん先生みたいな方が必要と思いました。
人と人は常に対等
「支配的な組織を自分が変えることはできない」「私はパートだから、正規職員の考えに従わなければならない」という考えを持っているならば、権威主義に陥ることとなり、「子どもの尊重」とは真逆の方向性を持つこととなります。
問題のある人の仕事のやり方は変えられると思います。その人を否定せず、暖かく包み込むように接するのです。「北風と太陽」のイメージです。具体的にいうと、その人の信頼を得て(単純に言えば仲良くなる)、自分の意見を聞いてもらえるようにするのです。そのように意識的にバランサーの役割を引き受ける人は、仲間からの信頼もある人でなければなりません。また「自己犠牲」となってもいけません。
日本社会は上下関係に縛られすぎているように感じます。保育の職場に問題があると感じている保育士さんが「人と人は常に対等」ということだけでも意識すれば、自然と周囲に変化が現れるのではないでしょうか。
人の仕事のやり方を変えようと試みるのは「戦い」ではありません。人間には心理的リアクタンスが働きますので、「勝負」とならないように気をつけたいですね。
とりとめなくコメントしてしまい申し訳ございません。いつもブログで発信し続けてくださり感謝しております。
まずは信頼関係ですよね。納得しました。
難しい
対等という関係になればとかあたたかく包み込めばすぐ解決することではない。
対等という関係は大切です。でも当事者は心の深いところで対等という関係になりたくないから。
あたたかく包み込めばなんてしたらこの人いい人だからやり込めてやろう責任をなすりつけてやろうという人もいます。
この問題は自分がどのような関わりをしているか分かっていない無自覚がとても厄介。分かってやっている人は自分の都合であっちについたりこっちについたりもするし蹴落とすことも平気でします。
勿論とても心の大きな人であたたかで回りに良い影響を与える方もいらっしゃるかと思いますがそう簡単に変わることは難しい。
心身共に自立していて余裕があってこのようなことに対処できるスキルを身につけていないとこのような人達にいとも簡単に巻き込まれてしまいます。
保育士お父ちゃんがおっしゃるように保育園だけではなく日本全体が根深い何かがあってもうそれは古い考えなのだというものと古い考えのものとの対立の時期にきているように私も感じます。
平均点
本当にそうですね。
早く保育を高めていく方に移行しないかな。
どうしたらいいのかな。
一人一人の谷を平均点にしていく保育ではなく、その子その子の伸びしろをぐぐグーンと(笑)伸ばしてくれる保育を望みます。
ちなみに、ブログで書かれるのはその性質上どうしても一般論となります。
実際の対応では、支配的な傾向を持っているという人であれ、可能な限りそれを改善できる方向で関わっています。
保育士カウンセリングでそれはもちろんのことですが、そういった視点を持って保育研修も行っています。
ですので、多くの研修の冒頭において、「保育のスキルや理念を伝えることをゴールにしているのではなく、みなさんが保育において自己実現をしその結果幸せになることをゴールにしてここに来ています」とお伝えしています。
その中で、自分が他者に攻撃的になってしまったり、支配的な関わりにおちいることで悩んでいるということを吐露なさる方がいれば、最大限の努力をして力になっています。
本当に難しいのは、認知バイアスによりその自覚もなく、常に自身の正当化と他者への攻撃の合理化をしてしまうケースです。
こういった人に対して、善意や優しさのみで対応して解決できるというのは、おそらくは見ているものが違うのだろうと思われます。
子供には心身に対する虐待を行い、場合によってはその保護者をも攻撃し、同僚にはウツや心身症、退職に追い込み、それでも悪びれることもなく何人にもそれをしたり、モラハラやパワハラを繰り返す。そういったレベルの人に対応してそれを改善し、なおかつ自身が守られる方法やご経験があるのであればぜひ教えて下さい。
DV経験者(加害も被害も)です
善意や優しさだけでかわれるとは思えません
本人が自分と向き合いかわろうと思わなければ
加害者の正当化を強くしてしまうだけだと思います
加害者は勝手に相手をランク付けして被害者を見下します
そうなったら被害者の言葉なんて聞きません。
自分の責任を被害者の責任にしてしまいます。
経験して分かったのは人生に絶望して底を見ないと
自分を振り返ることがないということ
人生で失敗して自分を省みるチャンスがあっても
被害者のサポートはそれなりにありますが
加害者のサポートはとても少ないです。
大きな犯罪でなければ
被害者は逃げて加害者はそのままです。
誤解を招きそうだと思ったのですが、文脈で伝わるかと思い、書き直しせずそのまま投稿してしまい申し訳ございませんでした。もちろん、ハラスメントのモンスターのような人にこのような小手先のテクニックは通用しないと思います。
私が新卒で就職した先がハラスメントだらけの職場でした。幹部と先輩女性のハラスメントの渦中にいた当時の私に「その人を否定せず、暖かく包み込むように接するのですよ」「上司とあなたは対等なのですよ」と言っても、「何を言ってるのこの人は?」と一蹴していたでしょう。
知人の医療関係者は、問題のあるドクターを退職させるまでに、非常に労力とお金(退職金)を要したと言っていました。昨日は、子ども(中学生)が先生のパワハラにあっているという話を聞きました(教育委員会には伝えてある)。一緒に働く面倒見のよいパート仲間が悪びれなく「人を攻撃するとスッキリする」と言ったときには驚きました。ハラスメントはどこでも起きますね。
ハラスメントは、皆さんがおっしゃるとおり善意や優しさで解決はできないでしょう。私がハラスメント地獄の職場を退職してからパートとして働いた職場では、ハラスメントの通報システム(パソコン)や、女性専用の相談窓口、本部からの職場環境についてのヒアリング(面談)、ペーパーによる上司の勤務態度等についての調査等がありました。一定の抑止力はあると思いますが、それでも上司が変わった途端にうつ病になる人はいました。
あくまで推測ですが、保育の現場の場合、幼保連携とはいえハラスメントに関して教育委員会の関与はほとんどないでしょうし、人事異動がない園や、園のトップが加害者の場合、解決は本当に難しいものとなるでしょうね。
ハラスメントの被害者の方の辛く苦しい気持ち、本当にわかります。
長文失礼いたしました。
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保育士であれば、そこを最も尊重してほしいです。
職場や家族、友人から自然にサポートが得られない場合、「救う」役割は、心理職の専門家だと思います。
保育の専門家だからこそ、保育の現場での支配的な言動をきっぱりと否定する。
私は、そうあってほしいです。
そうでないと、子供を守れません。再生産に歯止めがかけられません。