事例で見る難しい子の対応 vol.1 「肯定不足」 - 2018.07.24 Tue
それについて対応の方向と、具体的な対応の方法についてみていきます。
いただいたコメントは、わたるさんからのもので以下の通りです。
↓ここから
受容と信頼関係の保育について
こんにちは、今年一年目の新人保育士(男)です。
今回のブログとは関係のない話なのですが、「いい保育とうまい保育」など過去のブログを読ませていただき、自分の日々の保育と比べた時、分からない事があったのでのでコメントさせて頂きました。
いま、私は5歳児の担任をしています。2人体制で、もう一人の先生はベテランのA先生です。
わからないことというのは、B君という子の対応についてです。
ある日、A先生がいない状態で、私がリーダーで保育をすることになりました。午睡明けのおやつを食べた後の絵本を読み聞かせする時の事です。手遊びをした後、私が絵本を読もうとするとB君が前に出てきて、大声で話したり、自分のパンツを下げて見せびらかしたりし始めたのです。私はB君に何度もやめるよう伝えましたが、全くやめる様子もなくそれどころかもっとヒートアップしていきました。私は一度B君を抱きかかえ少し離れたところで、やめてほしいと伝えてましたが、B君は「離せ!離せ!」と言って聞く様子は見られず。見かねた、他の先生がB君に何かを手伝うようお願いすると、B君はそっちの方は行き、なんとか絵本を読み始めることができました。今回のようなことは過去にあり、どうすれば良かったのか考えた挙句、もっと感情的になって怒ればよかったのか、子どもになめられてるからこうなるのか、という考えに行きつきました。
しかし、その日の夜先生のブログに出会い、受容と信頼関係の保育について読み、とても感銘を受けました。ただ今回のようなケースで考えると、B君のこういった姿を肯定した後、大人の価値観の枠にはめない方法で導く(見守る?)にはどうすればいいのでしょうか?あの時はその場には他の子どもたちもいて、全体を動かさなければいけないという状況もあったのでそれも含めてどうしたら良かったのか、助言を頂けたら嬉しいです。
長文失礼しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
↑ここまで
いま、日本中にこのB君とおなじ状況に置かれた子が山のようにたくさんいます。
それに適切な対処をし、安定させてあげることが保育士の欠かせない職務になっているといえるでしょう。
もちろん、それは「なめられてはならない」とばかりに、保育士が威圧で押さえ込んでいくことでも、「しつけ」のメソッドで繰り返し正論を持って正しい行動を刷り込もうとすることでもありません。
しかし、それへの適切な対応を多くの保育者が知らないばかりに、そのような威圧や過干渉の方向におちいってしまいます。つまり、スキルがないとそうならざるを得ないのです。
しかし、これに対する適切な理解や、その対処法を教えている保育の養成機関がどれだけあるでしょう、それを組織全体で理解し伝え合っている保育施設がどれほどあるでしょう、必要性に比べたらあまりに少ないのが現実ではないでしょうか。
今回それについてまとめますので、どうぞ少しでも多くの方に実践していただいたり、それを広めていただけたらと思います。
◆
まず、このB君がしているのは、保育士を馬鹿にしているわけでも「なめている」わけでもありません。
むしろ、わたるさんに対する信頼と期待の表れです。
なにを、期待しているか?
それは「肯定」です。
B君の問題点は、話を聴けないことでも、集団行動を乱すことでもありません。それはうわべに見えている症状のひとつに過ぎません。この子への援助をするためには、根っこを見る必要があります。
◆規範意識で子供を見ない
難しい子がいた場合。
「○○すべき」「△△してはならない」といった規範意識で子供を見ている人の場合、善意であれ、安易な感情に流れてであれ、否定的な見方にならざるを得ません。
「正しい行動がとれるように、この子に言い聞かせなければならない」
「なんでこの子って私の言うことを聞かないのかしら。イライラする」
これでは、対応が注意や、疎外などの「否定」のニュアンスを持ったものになります。
それを優しさでくるんで最大限努力したとしても、「怒りやイライラをなんとか我慢して怒らないようにする」といった感情的な自己犠牲の方への努力になってしまいます。
子供は大人の感情に敏感なので、どれほどその子を好意的にとらえようと努力しようも、こういったネガティブな感情のニュアンスはその子に伝わり、否定されている実感をその子は蓄積させていきます。
ですから、「正しいことを身につけさせる」といった規範意識から子供の保育をすることは適切ではありません。しかし、「しつけ」の観念が非常に強い日本の保育・子育てにおいてこの傾向は大変強くあります。
つけ加えれば、このイライラを感情的な自己犠牲によって押さえつけることを保育士の専門性のように考えてきたことにより、保育界は進歩が停滞しているとすら言えます。
「子供に愛情を持って」
「子供を尊重して」
これらの感情論を保育の柱にしてきたところが少なからずあります。
しかし、あえて苦言を呈すれば、本質的な改善のスキルを持たないから、感情論、精神論に流れざるを得なかったのでしょう。
これにより、保育士はしばしばスピリチュアルやエセ科学への傾倒に走ることがあります。これは大変気をつけたい点です。
◆どうしてかな?の視点 = 援助の視点
ではまず、対応の第一段階として、「規範意識の視点」から「援助の視点」へと転換させます。
実践に即して簡単に言ってしまうと、「どうしてそういった姿がでているのかな?」という問いを持って子供を見るのです。
その理由は個々によりいろいろでしょう。
【考察例】
・遊ぶ力が弱い(このケースでは「お話を聞く力が弱い」)
・疲れ(長時間保育、休息が不適切)
・不安感(場所や多数の人間など)
・情緒的不安定(習い事の過剰さ、保護者の多忙、弟妹の存在など)
・いらだち
・発達上の個性
・受容不足
・肯定不足(否定の関わりの過剰さ、「ちゃんとしなさい」といった関わりの蓄積)
・過保護、過干渉
・愛着形成の問題
・人間関係の不安定さ(親子関係、友達関係)
・幼さ
・依存の強さ
・体調不良
などなど。
もちろん、これら以外のものも考えられますし、これらが複合的に組み合わさっていることもあるでしょう。
保育者はその子の個性や家庭の状況、園での様子やこれまでの姿などから、この「どうしてなんだろう?」という視点で、援助の姿勢を持ってその根っこを探ってみます。
それは同時に、保育者に「どんなものであれあなたの姿を受け止めますよ」という姿勢になっていることを意味します。また、規範意識からの視点とちがって、「否定」になっていません。
子供には、「できない子」や「悪い子」がいるわけではありませんね。
自己犠牲的感情論から、「悪い子なんていません」という主張をする保育者もたくさんいますが、それは規範意識からくるその子の否定したくなる気持ちを抑え込もうというおためごかしになっていて、本質的な理念的理解とは似て非なるものです。
本質的な理念的理解理解から考えれば、
「できない子」 → 「発達段階がそこに至っていない子」
「悪い子」 → 「不適切な状況により、そういった姿を持たされてしまっている子」
となります。
子供をこの援助の視点から「どうしてなんだろう?」と見てみます。
しかし、やはりこの時点でも規範意識から子供を見ることがぬぐえない人は、「甘やかされているからだ」「親に愛情がないからだ」「わがままだから」といった否定的、感情的な見解におちいってしまいます。
そうはならないように気をつけましょう。
あくまで、「援助」の視点なのです。その子やその親の否定にいってしまうのは、保育者が自分の否定的な感情を制御できないときの反応です。
例えば、
「甘やかされている」という見解から、保育者の自ままな感情を取り除いて専門的に考えるとこうなります。
×「甘やかされている」
○「依存が助長されてしまっている」
×「親が甘やかしているからだ」
○「子育ての中で依存を助長する関わりが多くなっている」 もう一歩進めて「その保護者は依存を助長する関わり以外、どう関わっていいのかがわからないで困っている」
◆
さて、ではB君への考察に戻ります。
わたるさんは、今年から働き始めたとのことですから、3月以前の姿を直接見ていないかと思います。もしそれまでの様子を児童票や他の職員から聞いて多少なりとも把握していれば、それも勘案して、また保護者の様子や家庭での状況、送り迎え時の親子の姿など、いろいろな面から考えてみましょう。
なにか、思い当たるところが見えてくるのではないでしょうか。
そこがその子の姿の「根っこ」です。
ここに手を当てていくことで、その子を援助して安定させていくことができます。
よしんば、この考察が完全に100点満点でなくとも、この援助の視点には意味があります。
それは、その子を否定せずに私はあなたの味方ですよというメッセージがB君に伝わるからです。
このことは、B君の他者に対する信頼関係をつなぎ止める、維持向上させることに影響します。
現在B君のような子供がたくさんいると言いましたが、愛着形成の不全や、受容不足、他者への信頼感の不足を根っこにしてさまざまな難しい姿を出さざるを得なくなっている子が増えています。
それらの原因を根っことして、直近の問題としては「肯定不足」として集約されています。
従来の日本の子育て観では、「しつけの子育て」(規範意識からの子育て)をするので、必然的に否定がものすごく増大し、安定的な姿が出せなくなる状態を引き起こしやすいです。
さて、B君があえて大人が話をするのを邪魔したり、パンツを脱いでみせたりをするのは、もう純粋にたったひとつのメッセージから成り立っています。
それが、「ボクを肯定して。そして好意的に受容して」というものです。
これをその大人に出すのは、その人に受け入れて欲しいという期待をしているからです。
それは信頼の表れでもあります。
信頼していなければ、子供は怖くてそういった姿を出しません。
どれほど善意であれ、職業的意識であれ、そこを注意したり、叱責することはそのメッセージに対して、「拒否します」と突きつけることになりますね。
もし一緒に組んでいるA保育士がB君にとって信頼できる人であれば、出し方は違うかもしれませんが、なんらかの形でそのメッセージは出していることでしょう。
もし、規範意識から威圧して押さえ込むことを普段からしてしまう人であれば、その人には基本出さないで、どうしても押さえられないときだけネガティブ行動を出すということが常態化しているかもしれません。
その場合は、わたるさんに対して期待を込めてさまざまなネガティブな行動をぶつけてくることになります。
これを、規範意識から保育している施設では「あなたがなめられているからだ」と解釈しますが、それは間違っています。
◆肯定を求める子供の姿
・「みてみてーダンゴムシいたよ~」
・「ほら~ブロックで電車つくったんだよ~」
・「ボクにも折り紙おって~」
自分に注目し、共感してもらうことで肯定を得ようとする姿
こういったものは、可愛らしく大人の方も受けやすいですね。
この段階で、肯定してもらいたい気持ちや自分に関心が向いていることを確認して安心したい気持ちが十分に満たされた子は、安定した姿を出しやすいです。
・(他児とのトラブルや、自分の失敗などがあったとき)「えーん、だっこして~~;;」
感情の未整理を大人に依存することで解決してもらい、肯定を確認しようとする姿。
・「たべられない~たべさせて~」
着脱、食事などの生活の切れ目で、自分に向き合って手伝ってもらうことで肯定を確認しようとする姿。
これらは発達段階などに応じて当然出てくるものですが、昨今はネガティブな姿としてその自分への肯定を求める姿を出す子(出さざるを得ない状況を持っている子)が増えています。
おそらく必ずと言っていいほど目にしているだろうものが、お迎え時(特に遅番)。
・園内を親から逃げ回り、なかなか帰ろうとしない子
・親が迎えにくると(特に母親)、とたんにわざわざ他児とトラブルを起こす子
こういった姿が、ネガティブな行動を出すことで「わたしを肯定して」というメッセージを出している典型的な姿です。
しかし、これによってその子が必要とする「肯定」がもらえることはまずありません。
たいていの場合、叱られたり、注意されたりすることで、余計に肯定が不足し・・・・・・という悪循環が引き起こされてしまいます。
慢性化してくると、大人の方も疲弊してその後の対応が無視や疎外にすらなってしまいます。
これは親が悪いとかそういったものではなくて、ある意味では現代の子育てがおちいるべくしておちいってしまうところです。ですので、ここに保育者が援助者として入ることで、子供もそして親の子育ても安定化させていく必要があります。
◆怒られることですら心地いい子供
大人からの「肯定不足」、「関心不足」が大きく蓄積されてしまった子は、怒られることや叱られることすら欲するようになってしまいます。
その内だんだんとそういった行動が、その子の板についてしまい、周囲の子からもそういった子(意地悪ばかりする子、邪魔ばかりする子)としての認識が出来上がり、その子は自己否定感や意欲の欠如、自尊感情の欠如を心の深いところに形成していきます。
こうなってしまうと、客観的専門的に対処できる人間がいない限り、その子の問題の悪循環は増加の一途をたどってしまいます。
◆その前を見るアプローチ
では、B君への実際的なアプローチを見ていきます。
おそらくB君は、その読み聞かせの時だけでなく、子供同士の関わりの時や、生活の切れ目などでさまざまなネガティブな行動を出しているのではないかと思われます。
そのネガティブな行動時へのベストな対応というのを、とりあえずいまは考えなくていいでしょう。(後にはするのだけど、いまはあまり追求せず受け流しておく対応程度で)
その子の問題の根っこにあるのは「肯定不足」がキーになっています。
ネガティブな行動がでてしまった後では、どれほどいい対応をしたところで、その問題の解決はしてあげられないからです。
(また、ここを頑張りすぎても、その子に付随しているもうひとつの問題「ネガティブな関わりとして獲得された対人モデル」の問題がかえって助長される可能性があります。これについては長くなりすぎるのでここでは割愛)
つまり、ネガティブ行動がでてからの対応をいくら頑張っても、解決に近づきません。
言ってみれば、ネガティブな行動がでてからでは遅いのです。
子供の姿に問題があるときは、その前の段階を見るようにしましょう。
友達にちょっかいを出したり、大人に注意されるようなことを起こす前に、保育者の方から積極的に意図を持った関わりを展開させていきます。
B君にはなにか得意な遊びがありますか?
ネガティブな行動が慢性化している子には、遊び込めない姿がでていることも多いです。もし、B君に好きなものや、得意なものがあったら、そこを見落とさないようにそれを通してたくさんの肯定を普段から意識しておくっていきましょう。
その他、さまざまな関わりを通して「肯定」をおくっていきます。
●聴く
話を聴く、それに相づちを打つというのは、人間にとって大きな肯定となる行為です。
・「今日朝ご飯なにたべた~?おお~○○食べたんだ~それはいいね~」
・「それなにつくってるの~?へ~おもしろいね~」
・「あなたの今日の服かわいいね~」
・「その靴かっこいいね~」
・「今日はなにがおもしろかった~?」
・「今日の給食はなにがおいしかった?」
●共感する
自分の感じたことに共感してもらうことも、大きな肯定となります。
・「水遊びたのしいね~、それ~水掛けちゃうぞ~」
・「おいしいね~」
・「きれいだね~」
・「悲しいね~」
・「さみしいね~」
・「いやだったね~」
・「それは大変だったね~」
感情を信頼する大人とやりとりし、それに共感し合えることも、肯定であり、他者への信頼感を大きくすることにつながります。
●認める
・「あなたはいつもそのミニカー好きだね~」
・「あなたは白いご飯大好きなんだね~。いっぱいたべられていいね~」
・「あなたは外遊び好きでいいね~」
「褒める」のではありません。
褒めるは条件付きの肯定です。
多くの子が、「○○な子であったら、受け入れます」という大人からの要求に疲弊しています。
なので、立派なことが「できる」必要などないのです。
その子のあるがままの姿を見落とさず拾っていき、そこを「私はあなたのそういうところ知っているよ」と認めていくのです。
なので、なんでもいいのです。
ネガティブな行動が慢性化している子であればあるほど、褒めるところなどいちじるしく少なくなっていきますね。
しかし、認められるところならば多少なりともあるはずです。
なければ、お手伝いしてもらったり、役割を作ってあげたりして「ありがとう」の言葉を掛けられるようにしていくといった対応も考えられます。
●見守る
保育において「見守り」がもっとも基礎的な「肯定」です。
もちろん、ケガやいけないことをしないように監視するような見守りではありません。
「私はいつでもあなたたちを見守っているよ。安全だよ。ここはあなたの居場所だよ。安心して過ごしていいよ」
そういった肯定的で受容的な気持ちを視線に乗せてあたたかくおおらかに見守っていくことです。
日々のこの積み重ねが、人への信頼感を大きく育て、安心安全な雰囲気で過ごすことでものごとに取り組む意欲や、達成感を健全に得させていきます。だから、このことが子供の成長の全ての基礎になります。
●スキンシップ
くすぐったり、ハグしたり、手遊び顔遊びをしたり、お腹をつついたり、頭をなでたり、「わっ」と驚かせたり、スキンケアをしてあげたり、着脱や排泄の世話をしてあげたり・・・・・・
スキンシップは、物理的で確実にあるものです。そこに嘘の入る余地がありません。
だから、子供に響きます。
●直接的な言葉による肯定
・「あなたはかわいいね」
・「あなたたちのこと大好きだよ」
・「みんなといられて僕は楽しいよ」
●積極性
上記のもの全て、「大人の方からアプローチする」というのを忘れてはいけません。
子供からせがまれてやることに意味がないわけではありませんが、肯定不足となっている子に対する場合は特に、それではその子が必要とするところまではけっして到達しません。
配慮、意識して行うことで、必ず「大人の方から」という積極性を加えて下さい。
◆子供の姿はついてくる
B君がネガティブ行動を出してしまったときの対応は、適当に受け流しておいていいので、それ以外のところ、機嫌のいいとき(少なくともネガティブ行動がでる前に)これらのことを、少しでもいいので積み重ねていきます。
(「見守り」に関しては保育の基本なので、常にですが)
すると、それら肯定の関わりの積み重ねから築かれたわたるさんへの信頼感と、心の余裕から、なにかしら姿の変化がでてくるはずです。
短期的には、「ネガティブ行動の増大」を招く場合もあります。これはそれまで溜め込んでいたものを「この人ならば受け止めてくれる」という実感から噴出させるために起こる一時的な姿です。少ししんどいですが、その姿となったときは強い否定におちいらないようにしつつ受け流し乗り切ってしまいましょう。
その後か、それらと並行して、B君の好意的な姿が見られるようになってくるはずです。
それは、肯定の関わりを積み重ねたことによる保育の成果です。
ここを見落とさずに、「認めて」いきましょう。
それによりさらに肯定が積み重なっていきます。
◆
B君のネガティブな行動が、なんらかの事情(親がたまたま忙しいとか、下の子の妊娠出産など)により一時的なものである場合は、その程度や期間もそれほどではないかもしれません。
しかし、その根っこがそれこそ0歳児や1歳児の時から積み重なってきたような場合は、短期間で全て解決するものでもありません。
でも、限りある中でもその子に保育者の配慮からプレゼントされた肯定は、無駄ではありません。
年長と言うことですから、保育園での時間も残り少ないです。
しかし、そこでなされた肯定はとても大きな意味を持ちます。
家庭でも肯定が必要なだけなされずに、難しさを得てしまった子は、よほど許容的な人に出会わないかぎり、小学校にいっても否定されることが多くなってしまいます。
そうなれば、子供は短期的な「○○できる」以上に、生きていくための自己肯定感や自尊感情、ものごとへの意欲を低迷させたままとなってしまいます。
ですから、保育士の関わりは、オーバーではなくその子の人生をも左右するものとすらなり得ます。
わたるさんはせっかく保育の世界に入られたのですから、どうぞ子供を援助できる保育を得て保育士の仕事を続けてみて下さい。
◆補足
ただし、援助の保育をしようとしても、園自体や、周りの職員が支配の保育をしている場合、受容的、援助的な職員は、周囲から支配的な関わりをされ負荷をかけられた子供たちのネガティブさを受けるばかりの役回りとなってしまう場合もあります。
これは、深刻な疲弊を招きますので、そういったときはまた別の注意点や配慮が必要です。
B君への対応には、ここで述べたほかに
・対人関係モデルの再構築
・包括的受容
のアプローチが効果的です。
包括的受容に関しては、過去記事があったかと思います。
対人関係モデルについては、今度時間のあるときにでもまとめましょう。
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● COMMENT ●
勉強になります
今回の記事に挙げられているような子どもが、息子のクラスに沢山います。そしてまさにおとーちゃんさんの仰っている背景が、子どもたちにあるのだろうなと強く感じています。
クラスの大半が、受容的な担任の先生に受け止めて欲しくて言いたい放題やりたい放題。中には毎日のように「死にたい」と訴えて来る子もいます。(本気で死にたいと思っているのではなく、大人の気を引くために口にしているように見受けられます。が、このまま年齢が上がっていけば、今は狂言で「死にたい」と言っているのであっても、いつか本気で「死にたい」と思うようになっていくのではないかと恐ろしい心地がします。)ここまで荒れてしまわざるを得なかった子どもたちが可哀想ですし、また集中砲火を受けている担任の先生が気の毒で仕方ありません。(学校の対応は表面的なものにしか見えない上に動きが遅く、担任の先生に対するフォローやメンタルケアもきちんとなされているのか甚だ疑問です。)
これが保育所であれば、家庭の代わりに子どもたちを受容する関わりをしていくことはまだ可能でしょうが(とは言っても、それを実践出来ていない保育所は少なくないのかもしれませんが)、子どもたちに「学問を習得させる」という、保育所とは全く違った目標を掲げている学校という場ではなかなかそれも難しいことで、解決への道のりが程遠いのを感じます。そもそも現代においては、従来の学校や授業のスタイルが既に通用しなくなっているのではないかと思います。とは言っても、授業形態を急遽、大幅に変えてもらうことなども出来ませんし、この先自分が出来ることといえば、我が子と我が子に関わってくれる子たちに、精一杯受容的な関わりをして見守っていくことくらいかなと思っています。(私もこれまで、我が子のありのままを受け止める心の余裕がなく、随分と否定的な関わりを積み重ねてきてしまったという反省点があるので、焦らず、ちょっとずつ、ゆったりと、見直していけたらいいなと思います。)
どんなに優しく言っても否定になる。ことと、こちらが嫌だと思ったらそれは我慢せずその子を対等な人として伝えていくことが大切。ということの自分のラインがみえてくると良いなと思っています。よろしくお願いします。
子供は、その行動がすでに困ること、悪いこととわかって、その行動をしている。
私ならば、「それはいけないよ」「そんなことをしたら迷惑だよ」と教えられても何も響かない。そんなこと知っている、と思うだけ。
保育士おとーちゃんの言う通り、「どうしたの?」という視点で見てほしい。
「どうしたの?」ただそれだけが欲しくて、気にかけて欲しくて、まだきちんと言葉に出来なくても、ヨシヨシとしてもらいたいだけ。
アドバイスや、正論などが意味を成すのは、本当に何も知らない時だけ。
子供は、何が悪いことかわかっている。知っている。(0歳や1歳なら、知らないこともあるかもしれませんが)
助けて!僕を見て!僕を見つけて!
と言っている。
相手に強く期待している。「どうしたの?」と気にかけてもらえることを。
教育者はいつも子供を正そうとし、子供を未熟だと思っている。
大人と子供で明確な線を引こうとする。
私は、Bくんの気持ちがなんとなくわかるような気がします。
うさこさんへ
すっと心に入ってきました!!
本当にすっと!!
心に余裕がないと正そうとしがちになってしまいますが、子供だって悪いことはちゃんと分かってる。本当にそうですよね。
今、感じた気持ちを忘れずに子育てしていきます!!
今回の内容、切なすぎて泣いてしまいました。園児に多少関わりのある仕事をしていますが、おと~ちゃんのブログを参考にして肯定になるような会話を心掛けています。
そうなんだ~、いいよね~、嬉しいね~
ありがと~、大丈夫だよ~などなど。
自分に自信?がない子は、始めはキョトンとしたり、。でも、そのうち嬉しそうに自分の話をしてくれたりします。そういった子は、やはり幼児さんに多くみられる気がします。
肯定をあげれるのは、私たち大人しかいませんよね。
肯定を送れる大人の姿が、周りの大人に気付きを与えたり、また、肯定をもらって大きくなった子供が大人になり、子供へ肯定を自然にするようになり。
そんな社会になったら、嬉しいですね。
おと~ちゃんの活動をこれからも、心から応援しています!
実践家になろう
肯定されずに今まで生きてきて、しつけを大切だと思い込んで子どもに関わってきて、悩み苦しむ子どもたちを排出してきました。
しかし、しつけで子育てを考えると保育者自信とても苦しく笑顔で子どもの前に立てていないことにきづきました。
子どもたちは、肯定されることで自然と育っていくのだとやっと気づくことが出来ました。
行動の中に全てメッセージが、含まれている。そのメッセージにきちんと向き合っていこうと思います。
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一つ質問です。わたるさんの立場の保育士が、他の子供たちから「Bくんはダメなことばかりするんだよ」と言われたら、その子達にはどのように返してあげたらよいでしょうか。また、一時的にネガティブ行動が増えた段階で、援助の関わりをしていることについて他児が「なんで怒らないの?」と言うような場合はどうでしょうか。