子育て夜話を終えて - 2018.08.23 Thu
もちろん人によるけれども、現代の子育ての難しさは、子育てそのものよりもそれ以前のところに端を発していると感じることが多くあります。
さまざまなストレス、身近な人間関係の難しさ、広い意味での他者との関わりの難しさ、自身の自我の確立それの維持、生育歴などの自身が持たされてきたものの存在など。
それらが良い悪いではなく、すでに「ある」というところが、子育てに限らず現代の人のあり方です。
こう書くと難しくなってしまうのだけど、人間にはこれらを解消したり、緩和したりする手段も一方で持っています。
しかし、この手段が閉ざされてしまっている人が多いのもまた現代の特徴です。
特に、子育てしている人はそうなりがちです。
では、その手段というのは?
それは、上でも下でもなく、利害もしがらみもなく、裏表もなく、どちらが優れていると虚勢を張る必要もなく、ただ素の自分個人として他者とお話したり笑いあったりする機会です。
そんな機会として、この企画を設けました。
当日は、普段の座談会なんかよりもさらにくだけた感じでいろんなお話ができました。3時間の予定でしたが、お店のご厚意で結局4時間以上やっていました。
もちろん、僕に子育ての質問をしてくれたっていいのですが、当日はそれ以外のところでもたくさん話に花が咲いていました。
実はこれがいいんです。手品のタネをばらすようなことになるのでここではあまり述べませんが、ここにある作用がカウンセリングの中でも最良のもののひとつがあります。
(これについては保育士向けの子育て支援の記事を書く機会があれば、そのなかでこっそり述べるかもしれません)
個人差はあるでしょうけれども、そのとき子育ての話をしなかったとしても帰った後で子育てが多少なりともラクになる感覚が得られるかと思います。
さて、当日参加して下さった絵本作家の申ももこさんから、ご著書
『そらをとびたかったペンギン: だれもが安心して存在できる社会へ』
を献呈していただきました。ありがとうございます。
あっ、サインをしてもらえばよかった・・・・・・。
次回、また9月29日(土)に第二回目を考えています。
申込みの案内は後日お伝えします。
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● COMMENT ●
次回こそ
当日は、時間が経つのがあっという間でした。
普段の暮らしの中ではきっと出会うことがなかった方々と、初めて出会ってあれだけ楽しくお話ができるのは、考えてみればとても不思議です。
きっと、おとーちゃんの人柄と、お店のほっこりした雰囲気の中でリラックスして過ごせていたんだなと思います。
家に帰った後も、満足感と充実感でいっぱいでした。次回もぜひ参加したいです^^
是非3回目の企画もお願いします!!
余計な気を使わずに子どもの話をできる相手って、なかなかいません。
いろいろお話できたら楽しいだろうな、と思います。
こんばんは
でもしばらくは無理そうです。。
blogを拝見し、何度か見直しているのですが分からないことがあります。個人的な子育てを相談とは少し違うかな?と思ったので一旦こちらで質問させてください。また既に記載済の内容でしたら申し訳ありません。。
●自分(親)が無理のない子育てをすることで、子どもにそこに居ることを肯定する関係作りをしようとしたときに、親の支配が強くなってしまう関係に入り込んでしまっている状況の見極めかた、境目を教えて頂けませんか?
●blogを拝見していますと、相談に対して保育士おとーちゃんさんの『難しい姿が出てしまっていますね』と『子どもにはよくある姿です』のコメントが予想外なことが多いです。もし可能でしたらざっくり?よくある子供の手のかかる状態と難しくなっている状態というの違いを教えて頂けませんか?
●以前に遊びの種類について掲載頂きました。
ごっこあそび、構成あそび、机上遊びに、その他体を使った遊びや外遊びを挙げられていると理解しております。
最近、息子と息子の従兄弟たちがとてもとても楽しそうに遊んでいるとき、玩具は何も使っていませんでした。彼らは、踊り、歌い、何かになったり、組み合わせを変えて追いかけあったり、何かに上ったりして顔に笑顔が張り付いちゃったんじゃないかってくらいずっと笑って遊んでいました。家のなかですがとにかく体一杯で自由さを楽しんでいるようにも見えます。一方で、このような状況は以前にblogで書かれていた走るだけで遊べない落ち着きのない状況、とも近いように思えました。落ち着きのないためからだを使って遊んでいる状況と次々に遊びが展開している状況は違うのでしょうか?
長文で申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いいたします。
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上でも下でもなく、という感覚は大事ですね。ママ同士も年齢や世帯収入、果てはファッションで値踏みし合っていたら、子どものための話なんてできませんし、話したところでママ自身の心が救われることはありませんよね。
東京都下で生まれ育ち、現在23区に住んでいますが、この夏を携帯電話さえ通じない田舎で過ごしたら、本当に気持ちが楽になりました。
田舎の人が優しいというわけではないのですが、時間の流れやそもそも人口密度が高すぎると、人はストレスを抱えてしまうようです。