「保育のチカラ」とは? - 2018.09.05 Wed
「保育のチカラ」とは?
みなさん自分が保育の仕事でやったものが見えますか?
例えば室内装飾などを作った場合はもちろん目に見えますね。
また、子供たちに立派な運動会や、発表会をさせることができれば、ある種の成果として自分たちの仕事が目に見えます。
子供たちにお箸を使わせて、それを使っている姿を成果として感じることはできます。
おむつの子をパンツにしたときもそれが見えることでしょう。
しかし、これは保育の本質でしょうか?
それは保育士自身の承認欲求のためではなく、純粋に子供のためと言い切れるでしょうか?
実のところ、これは保育の枝葉にしか過ぎないものです。
保育の本当の仕事は、子供を日々、安心安全なものとしていとなみ、そこから子供たちが得られるものをできるだけ良質なものにしていくことです。
でも、この本質部分の成果というのは、上に上げたようなものとは違い、目にはっきりとした形では見えません。
批判を気にせずありていに申せば、これまでの保育界は枝葉の方にばかり目を取られ、保育の仕事の本分がおろそかになったままこの何十年を過ごしてきました。
その結果、みなさんが日々実感しているように、「保育の大変さ」として大きな問題に直面しています。
しかし、それへの対処は手をこまねくばかりで、明確な解決の道を持っている人は多くありません。
そこで、この保育の本質を把握し、自分たちの役割を的確に理解する必要があります。
それが「保育の見える化」です。
また、それの実践をするためのスキルを保育士ひとりひとりが持つ必要があります。
それが「保育のチカラ」です。
もっとざっくばらんにいってしまえば、
いま目の前にいる、0歳児を将来にわたって安定した子供にする理解とスキル。
いま目の前にいる、大人の言葉を耳に入れない2歳児を安定化する方法。
いま目の前にいる、他児とトラブルばかり起こす5歳児を無理なく過ごせる子にしていく方法。などなど。
こういったことをスキルとして持っている必要があります。
「スキル」です。
精神論や、感情論で、「子供をきちんとみなさい」とか「子供に愛情を持って接しなさい」ではありません。
こういった実践としては漠然としたイメージしか与えない精神論や感情論を保育界は長いこともてはやしてきたために、「大変な子」を「自己犠牲で見る保育」しか提示できなくなっています。
これが、保育界の疲弊をもたらしています。
また、それは専門性を向上させ得ない保育です。これでは社会的に保育の意義を理解してもらうこともできません。
保育者は、スキルつまり専門性として、さまざまな子供の安定した育ちを担保していくことが必要です。
この研修では、その実践的な子供への対応を参加者各人が身につけることを目指すものです。
そのことは単に保育士としてのスキルアップにとどまりません。
「保育のチカラ」が見える化することにより、自分たちがこれだけのことをしたと明確に認識できるものとなります。
それは、保育士ひとりひとりや、職場全体のモチベーションを高めることに必ずやつながるはずです。
つまり、子供の利益と、保育者自身の利益を同時に得るものになることでしょう。
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