保育講座「保育のチカラ」を終えて - 2018.10.01 Mon
講演、研修、育児相談と先月から多忙です。
いろいろと報告することがあるのですが、まずは順番に。
先月15日、HOIKU BATAKE主催の保育講座「保育のチカラ」がありました。
保育実践に問題意識を持っている方々が集まって、保育の本質の考察から始まり、それをリアルな実践に置き換えていくポイントをお伝えしていきました。
わざわざリアルな実践といっているのは、僕はおためごしかしのきれい事は言わないからです。
僕は現場の人間として、大変な子供、大変な職員、大変な保護者。その現実を踏まえた上で、だからこういった方法があるのだというのを提示していきます。
これまでの保育界は、美談、感情論で保育や子育てをきれい事にして語ってきました。
例えば、もし上のように「大変な子供」などと直裁に経験ある保育士たちに言うと、「子供のことを見下している」とか「子供のことを大事に思っていない」といった感情的な反発が返ってくることがしばしばあります。
そこにあるのは、おためごかしです。
「子供のことを大事に思うべき」「子供を愛するべき」「子供を尊重すべき」
こういったきれい事の感情論を保育の専門性の担保にしてきてしまいました。
じゃあ、実際にその人達はその子への十分なケアができているのだろうか?
なかにはいるでしょう。
a,本当の子供の利益
b,保育者の達成感
aもbも十分にできている人。それならば結構です。
しかし、感情論を保育の担保にしてきた保育界は、まじめに子供に対する人は自己犠牲的になることを避けられません。
それには疲弊がともないます。
それでできたとしてもaのみということになります。
かつてできた人も、いまはやらなくなってしまったりということもあります。
現実の保育の現場で起こってしまうのは、感情論できれい事を言いながら、大変な子の疎外や排除になってしまうケースです。
それはbだけの世界です。
「私は、こんなに大変な思いをしてこの子につきあっている」
bだけだと、それは自己満足にすぎません。
もっといくと、「大変な子を大変な思いをして叱っている私」といったところに、自身の承認欲求を持ってきてしまったりもします。
そのようになると、実際に起こるのは、親への批判、親の悪口、子の悪口を口に出すことで心のバランスを取らざるを得ない保育士たちの姿です。
また、「子供が大変だから人手が足りない」という、職場への要求が起こります。
さらには、手のかからない他クラスを見て「その子たちはちゃんとしていていいわね」といった同僚へのやっかみなども起こったりします。
美談的感情論が生んできたものは、実のところ少しも美談ではないのです。
これが現状の保育界です。
◆「スキル不足」がもたらす保育の疲弊
実のところ、ここにある問題は「スキル不足」です。
・大変な子にどう関わったらその子を安定させることができるのか?
・大変な親は、根っこでなにを求めているのか?
・それにはどう対応していけばいいのか?
問題と見える状況に対して、適切な対応のメソッドとスキルを持っていれば、親や子の悪口を言うところにいかずに済むのですが、これまでの保育界全体で見たときの保育のレベルはとても専門的と言えるほどのところまでいっておらず、それらが業界全体の中でもほとんど確立していなかったのが現実です。
意欲や問題意識、理解力を持っている一部の保育士たちは、そこに漠然としてであれ危機感や違和感を持っていました。
僕の講座にご自身で参加なさる方は、ほぼ例外なしにそういった方達です。
研修後も時間の許すかぎりディスカッションしていっています。
このときも、講座自体は10時~12時半でしたが、場所を変えつつも一番最後までいた方は17時まで保育について、またご自身の子育てについていろいろ語り合いました。
今回はたまたまですが施設長やそれに準じる立場の方が多く参加なさって下さいました。
保育をより良くしたいという方が、決して目立つわけではないけれども地の塩のようにいることを心強く思います。
もちろん、どんな立場であれ参加を歓迎します。
僕は、「支配をしないこと」がなによりも子育て・保育のなかで大切なことだと終始考えています。
それは、大人に対してであれ同じです。
「年齢が上だから」
「経験年数が多いから」
「職務上の立場が上だから」
これらは、無意識のうちに人に植え付けられている感覚です。
そこに悪意はないのだけど、これは支配のパラダイムになっています。
「どんな人であれ人として対等」
本来はそれが揺らがない真実です。
これを大人に対してすらできない人が、本当の意味で子供の尊重などできるわけもありません。
そして事実、保育士たちがそれができないために、「子供になめられるな」という言葉に象徴されるような強い支配が保育の中で蔓延してします。
それを避けても、子供をコントロールする「優しい支配」におちいったり、子供を疎外して言うことを聞かせる「スマートな支配」になっています。
結局のところ支配から抜けられないがゆえに、保育士の専門性はプロの仕事の域にまで到達していません。
僕は他者を支配しないことを心がけています。
それゆえに僕の講座では、立場や年齢がことなる見知らぬ人同士であっても自由闊達な意見交換をしてもらいたいと常々思っています。
こちらはHOIKU BATAKEさんによる研修報告(Facebookへのリンク)
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