「させる」ではなく「する」 ー我が家の場合ー - 2018.10.06 Sat
ありがたいことに、我が家での子供たちの様子を書いて欲しいというお声をしばしばいただいています。
僕はあまりエピソードをおもしろおかしく書くことはできないのだけど、それでも書いてみたいなとは常々思っています。
しかし、自分のようないろいろな子育てをしている人のお話を聴く立場の気持ちとしては、僕がそれらを書くことで自身を責める方に取ってしまうだろう人や、自分が責められていると取ってしまう人もいるであろうことを懸念します。
そういうケースはたとえ一部であったとしても、これまでにも現実にあったことなので。
なので、こんなこと言わない方が大方の人にとってはすっきりと読めていいのだろうけれども、一応先に注意喚起をしておきます。
他者の子育てと自分の子育てや我が子の姿を見比べて、自己否定の方に心が動いてしまう人は、それはかえって子育てのプラスにならない場合もあるのでそこは注意しましょう。
自分の子育ての考え方と違う情報を見ることで、自分が責められていると取ってしまう傾向のある人も、このブログに限らず子育ての情報に接するときは気をつけた方がいいでしょう。
子供の様子が描かれていることは、誰かがあなたを否定しているわけでも、責めているわけでもありません。
また、僕が我が子にしてきたことや、我が子の姿が絶対の正解であるなんてこともないですし、僕自身、他者にそれができなければならないと求めているわけでもありません。
さて、いまうちの子達は兄が中学校1年生、娘が小学校3年生になりました。
子供が大きくなるにつけ、まるで大人の時間は加速して進んでいくかのようです。
「させる」から「する」へ。
別の言い方をすると、子供をコントロールや支配、つまり干渉をしなくても、子供は伸びていく。
現象面で言えば、「○○ができるようになる」ということです。
ただ、これは放置でもないですし、かといって前号で書いた大人が自己犠牲的に待つという意味でもありません。
それの背後にあるスタンスは、
「いずれできるようになると(大人である自分が)知っている」
「この子は自分からやるようになると理解しその上で信じている」
このスタンスを僕も妻も、職業上の多くの経験と知識を通して持てています。
だから、子供にできることを求めるでもなく、放任しておくでもなく、大人の姿勢に寄り添う方向で子供たちはさまざまな生活面の行動をしていくことができました。
例でも出しましたが、手洗いですとか、お風呂ですとか、その他うがいをしたり、歯磨きをしたりなど、なにも言いませんが兄妹とも自分で必要なことをやっています。
夜、寝にいくことなんかもそうです。僕や妻が「寝なさい」と言うことはしないですが、自分たちで考えて寝にいきます。
やらせようとも思っていませんし、できるようにしてやろうと作為的な褒めを使うこともありません。
小さいときは必要な部分は手を貸し、気持ち的にやって欲しいときは気持ちよくそれを受け止め、大人ができないときややりたくないことには「できない」というというそれだけです。
ただ、その前にあるのは受容と信頼関係です。
また、支配的関わりは最初からどの場面でも使いません。
例えば、1歳の頃に、子供の腕を引っ張って大人が連れ回していれば、2歳の頃には、大人に腕を捕まれることを嫌がり、それをされる前に走って大人から遠ざかる姿が作られます。
それを、僕も妻も経験的に理解しているので、管理や支配的関わりをそもそもしていないというのもあります。
(「お野菜も食べないとデザートあげないよ」といったことも、優しい言い方だとしても支配です。「お野菜食べたらデザート上げる」に言い換えてもそれは同じです)
受容をいくらしていても、一方で支配を重ねていれば、それは(親という存在に対して信頼感はあっても)大人の行動に対する信頼感にはなりません。このあたりに気をつけていれば、上に述べたようなことだけで、子供は大人の行動や思いに寄り添った姿を出していきやすくなるでしょう。
ただ、いろんな個性の子がいるので、全員が全員それをなぞるというわけではありません。念のため。
この前、娘の姿でこんなことがありました。
ダンスの教室から帰ってきたときのこと。
娘「汗かいちゃったからお風呂はいるね~」
お「じゃあ、沸かし直ししてね」
娘「はーい」(お風呂のボタンポチッ)
そのすぐに服を脱ぎだしたので、
お「あれ、いま押したばかりだからまだお湯になってないよ」
娘「うん、いいの~」
と、そのまま浴室に入っていきました。
そのとき僕はご飯の支度をしていたのだけど、狭い家なので台所の動線の延長線上に洗面所と浴室があり、なんとなく様子が伝わってきます。
すると、どうも洗面器や浴室の床を掃除用のスポンジでこすって洗っていた模様。
これ、僕がときどきしていることだったのですね。
やれと言ったわけでも、やらせているわけでもないのだけど、僕への信頼感を通して僕の普段の行動に寄り添う形の姿を出しています。
子供って親を一生懸命、肯定しようとしてくれている存在なのだとつくづく思います。
ひとつひとつの行動を仕込む必要も、親孝行を強要する必要もないのですね。
これが子供の成長の基本的なメカニズムだと思います。
あいさつを大人が子供にやらせる必要も、友達同士のモノの貸し借りを強要する必要もありません。
それができる発達段階や年齢や状況になれば、子供は大人に寄り添う形での姿を出していきます。
ただ、子供は大人と違っていつも完璧にできるわけではありません。
それに目くじらを立てていたら、結局過干渉になってしまいます。
そのあたりのおおらかさは必要かもしれません。
子供の性格や年齢によって、取る行動も変わってくることでしょう。
息子の方は、小学校中学年くらいから年齢があがるにつれて、いい加減になったりする姿も出てきました。
しかし、それをどうしても必要なこと以外は取り立てて気にしません。(少年野球をしていたので、爪が伸びたままになっているのは危険なのでそういうときは指摘する、など)
それでも、彼は必要な場面では自分で考えてそれなりにやります。
例えば、周囲で風邪が流行っているときなどは、普段よりはうがいをきっちりしたり、うがい薬使ったりなど。
言わなくてもやるのだから、言う必要はありません。
言えば、かえってやらない方に子供は無意識に育っていきます。
少なくない人が子育てというものを、「子供にたくさん手をかけることがいいことなのではないか」という無意識の感覚から、過干渉になっていきます。
しかし、「過干渉をしてやらせる」というのは、長い目で見ると「干渉されないとやろうとしない子」を作っていることになる場合が往々にしてあります。
特に、一家庭あたりの子供の人数が少なくなり、良くも悪くも大人の目が届きやすい状況なので、ある程度意識していないと自然に過干渉になっていきやすいです。
干渉することよりも、干渉しない方がはるかに難しい。
これは子育てでも、保育でもいつも感じます。
うちの子達は、シャワーだと烏の行水だけど、湯船に入るのはなぜか昔から大好きで、兄妹ではいって、なんだかゲラゲラ笑ったり、二人で歌を歌っているのが聞こえます。
子供らしい純真さというのは素敵なものだと感じます。
今回我が家の様子を書くにあたっての前置きはしたので、今後はちょくちょく子供の姿を書いていこうかな。
息子の小学校時代も周辺も含めていろいろなことがあったし、小学生ならではの姿、たわいもない普段の様子などいろいろ書くことがあります。
● COMMENT ●
もうそんなに大きくなったのですね!
昔、娘の離乳食の時の姿で悩みコメントしたことがあるのですが、その頃はお兄ちゃんは小学生だったように思います。
もう中学生なんですね!
あの頃赤ちゃんだった娘ももうすぐ五歳になります。
支配しない、過干渉にならない子育て、なかなかおとーちゃんさんご夫婦のようにできないのが現状です。
夫はおとーちゃんさんの考え方は全く入っていかないようで、その件でケンカする事がしばしばあり、夫に強要するのではなく、自分のできる範囲で心掛けようとするように考えを変えました。
ただ、なかなか難しいです。
幸いなことに、娘とそして二歳の息子、2人ともとても可愛く育っています。寝顔を見て怒りすぎたなと反省することもあります。
だけど、わたしは娘の妊娠中におとーちゃんさんのブログに出会っていなかったら、たぶん今よりももっともっと口うるさい親になっていただろうし、きっと叩く育児もしていたと思います。
おとーちゃんさんのおかげでカンペキではありませんが、心にブレーキをかけたり考えたりすることができています。
いつもありがとうございます(*^^*)
ぜひ、お子さんたちの様子も記事にしてください。
再来年には小学生になる娘。
小学生とはどんな成長をたどるのでしょうか?
未知の世界です。
楽しみにしています!
保育士としてのおとーちゃんのお話もとても具体的で参考になるのですが、実のお子様との実体験を伺うと、すごく心に入ってき易いです!
おとーちゃんさんのお子さんの事もっと色々書いていただきたいです。受容、肯定をされて育つとどんな子になるのかとっても興味深いです。
なかなかイライラして受容、肯定が大事とわかっていても出来ていないのでいつも後悔してしまいます。
おとーちゃんのお子さんは習い事はいつ頃からされているんでしょう。今4歳の娘にバレエを習わせたいと思っていますが早いのかなとも思っており…
また色々な記事楽しみにしております。
かいままさんへ
自分が子どもの時に叱られるのが嫌だったからです。
叱ることを抑えることは出来ましたが・・・
舌打ちをしてましたね、子どもの様子をみていると。
イライラする感情はおさえられませんでした。
そして、イライラが溜まりに溜まると爆発して、怒ることがありました。
それがまた嫌でしたね。
僕は干渉と過干渉は違うと思っています。
その違いを考えてみるのはどうでしょうか?
ゴリキンさんへ
私も全く一緒で、叱ったり、怒ったりしたくないので我慢するんですが、最後にはイライラが蓄積され、結局怒ってしまうことになることが多いです。
子供は嫌だろうなと思いながら、日々子育て本を読んだりして改善策はないか探しています。
アドバイスありがとうございます。
自分なりにいろいろ考えてみようと思えました。
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子供の成長と共にずっと悩んで考えてきた内容でしたが、いまだにどのように子供に関わっていけばいいのか悩んでいます。
「する」「させる」について私が真面目に考えすぎてしまうといのもあると思いますが。
してくれないとこちらがイライラしてしまうという時や、恐らく自分も過干渉をされてきているのでイライラが抑えられず、結局強く言ってしまうという事が、何回もあり、自分で子供に言わないようにしようと思ってもなかなか思う通りに行きません。
家では特に食事時に、あまりに手で食べていたり、ぼろぼろこぼしていたりすると頻繁に言ってしまいます。
年中の息子なのですが、自分でも言いたくないと思いながら過干渉をしてきてしまいました。
おとーちゃんの書いた記事の中の過干渉のカテゴリーや怒りのプール構造の話等も何度も読み、自分自身を改善しようと試みてきましたが、今だ干渉してしまう日々です。
私のように過干渉をしてきてしまったとしたら、今後どのようにしていけばいいのでしょうか。
前の記事にも書いているハードルを下げるというようなことをしていけばいいのでしょうか。
毎日あんまり言いたくないなと思いながら過ごしています。
今回の記事もとても楽しみにしています。
これからもご活躍期待しています。