教育の目的 - 2018.10.20 Sat
正直、この中学校の雰囲気は、管理的、権威主義的な 雰囲気をそこここに感じます。
体育館で合唱の発表を見て、その横にあるトイレに入ったときのこと。
鏡に「お願い、おむつは持ち帰って下さい。」と張り紙がしてあるのです。
鏡の↑ではなく、鏡の表面にです。
なにも鏡に貼らずとも、スペースは他にもあるのに。
ちょっと一般の常識とはずれていると感じます。
しかし、この学校の教員のメンタリティからすると、これは疑問を覚えないことなのかもしれません。
ここにある心理は、「支配」のメンタリティだと思います。
まず、 ルールやマナーといったモラルが思考に真っ先にあり、それ要求することは正しいという自身の思考への正義があり、ルールを守らない人は悪いという思考が生まれ、そのルールを敷衍する行動が正当であるという思考にいたり、その結果人の目につくところに掲示するという考えが派生し、洗面所を使う人の便宜といった社会常識レベルのことが除外されてしまっている。
「支配」というメンタリティのゆがみが、そこにはあるような気がするのです。
◆支配という快感
支配には強烈な快感がともないます。
モラハラやパワハラをする人、子供を支配するために暴言や暴力を使う人。
その人達を突き動かすのは、他者支配における快感です。
この快感は、一度味をしめてしまうと抵抗することが難しいほどの強烈な快感です。
しかし、「支配が快感だからやる」と自ら言う人はそうそういません。
たいていは、もっともらしい理由をつけて、それを正当化しようとします。
僕は職業上、子供に対する管理や支配ということにとても敏感です。
だから、一般的な人の感覚からすると僕の受け取る印象というのは過剰になっているのかもしれません。
多少のこと管理的、支配的な傾向があったとしても、実際は問題の無いレベルで教育が行われていくかもしれません。
しかし、日本の学校、特に中学校、一部の高校における管理的な姿勢は、やはりそこで働く教員達自身がもっと自覚的でなければならないと考えます。
◆教育の目的
なぜなら、教育の広義の目的のひとつは、「自立した人間を育てること」にあるからです。
これは近代社会においては、議論を俟たないほどの確立した教育原理と言えるでしょう。
「誰々に支配されて一人前」でも、「誰々に命令されて一人前」でも、「誰々に管理されて一人前」でもありません。
支配というメソッドでは、自立した人間を育てることはできません。
息子と話をしていたら、生徒会選挙があったとのこと。
対立候補のいない信任投票だったのでしょう。
学校の先生にこう言われたそうです。
「全員に○つけて出して下さい」
この中学校、民主主義を子供に教える気がないのかもしれない。
もしかすると、学校の先生自身が民主主義を理解できていないのかもしれない。
公立の中学校に入れたけれども、いろいろ心配です。
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● COMMENT ●
はじめまして
共感します
休み時間の時間を守れない→連帯責任で全員ボール遊び禁止(なぜ、ちゃんとしている子まで?
柄付きの折り紙禁止→欲しがる子がいる(欲しがる子に話をすべきでは?
ちゃんと整列できない→、2年生として恥ずかしい(そもそも整列の必要が?
学校の授業より先に進んだ勉強はするな、に至っては先生の授業しやすさのためとしか思えません。
上記に従って子供が大人になったとき、一つでも役に立つことがあるかしら、ないと感じてしまいます。
たまに親の私が学校やめたくなります。
が、中学で心配なのは悪名高き内申評価。
内申点をかせぐために、ヘトヘトなのに部活の朝練に出たり、毎日ノイローゼのように忘れ物チェックしたり、とりあえず先生の前ではいい子を演じる欺瞞の技術を磨いたり。
友達から聞く噂はこのようなものばかりですが、おとーちゃんさんも同じようなことを感じられることがありますか?
「自立した人間」どころか、人の顔色をうかがって、相手次第で自分を変えてしまう人間を育てているようにしか思えません。
かといって、先日某大阪の国立大学付属小学校の入学説明会を聞きに行ったのですが、「子供のいいところを伸ばしたい」とか「わからないところは何に躓いているのか推測して、わかるまで丁寧に教える」とか、教育に関する説明は一切なしで、求める子供は学校が教員養成の場であることを理解してそれを助ける子供、求める親は月に一度のPTAとたびたびある学校の清掃や交通安全確保の当番に積極的に参加し寄付金を在校時と卒業してからも支払うことに理解のある親、とのとこと。
こんな学校には入れたくないしなぁ・・・
私も我が子への対応を知りたいです
おとーちゃんさんの講演会に行った事があり、ブログも楽しみに読んでいます。
我が子(1年息子と3年娘)は学童に通っていますが、管理・支配は学校以上。「理想的な子供の姿」を作り出すよう熱意をもってやってくれていることはわかるのですが、根本的に違うといいますか・・・支配からスタートしているので子供達のいわゆる現代的な課題に対応できていません。
娘は、小1の頃は他児を怒鳴る先生の声が怖くて萎縮していましたが、小3になると「自分達でちゃんと考えて行動できるのに、先生の命令通りに動かないと叱られるのがイヤだ」と訴えるように。例えば、よかれと思って年下の子の手助けをしていると、「列から離れるな!」と怒鳴られる等があるそうです。
家では、心の過保護に気をつけつつも、本人の思いに寄り添って傾聴してきましたが、最近は家で先生を「あいつ」呼ばわりし、何でもかんでも「大人が悪い」と言うようになりました。年齢的にも「ギャングエイジ」で、先生に反抗的な気持ちをもつことは理解できるのですが、それを通り越して大人への不信感を募らせています。
更に、小1の弟が、先生の悪口を言うと姉が乗ってくれるのが嬉しくて、他の上級生の口真似で「先生なんてシネシネ」と軽々しく言うようになりました。
きょうだいで言いあっている分には、これもストレス解消かと否定も肯定もせず聞いてきましたが、さすがにこの言葉はスルーできず・・・。
違う話をする、一緒に入浴等、他の場面でプラスの関わりを増やしても、どうしても学童ヤダの話に戻ってしまうのです。
姉は自己肯定感も高く、物事がよくわかるようになってきているので、自分で折り合いをつけていけるかなとも思いますが、弟が心配です。弟が、自分に改善すべき点があっても叱られると「大人が悪い、大人の命令なんて聞かない」と言うようになった事が一番困っています。
置き勉問題
公立中学校、心配ですね。といって私立も心配ですが。
かくいう我が子はまだ小学校一年生です。
先日の文科省の置き勉容認方針が出たあとな保護者会で、担任より「間もなく区から対応方法の指針が出ますので、改めてお知らせします。」と言われて「ん?」となりましたが、最近、改めて区からの置き勉に関する指針が届きまして…。曰く、「○○と○○の教科書は置いていってよい/○○の教材は学校毎の保管場所に応じて」等々…。
なんだかちがうなーと思ってしまいました。
「これまで、「一律禁止」の誤った指導をしていました。今後は必要に応じて個々で判断してください。その週に学校で必要なものは案内します。」でいいのでは? なぜそこで新たなルールを決めてしまうのか…
ランドセルは少しは軽くなるかも知れませんが、問題の本質はそこじゃないだろう、と思わざるを得ません。こんなどうでもよいことまで自己決定をさせない教育をしていて、自律も何もないだろうと思うのですが…
我が子が小一の時の担任の先生は、生徒が授業中に筆箱を置く位置まで決めていました。机の右側に置け、と。我が子は左利きだから、左側に置いた方が使いやすいのに。
ただ、発達グレーの我が子にも(要望を出した分だけの)配慮をしてくれて、決して悪い先生ではありませんでした。
悪気なく、無意識レベルで管理教育が染みついているのでしょうね。
〉こんなどうでもよいことまで自己決定をさせない教育をしていて、自律も何もないだろうと思うのですが…
心底同感です。
学校で散々管理しておいて、社会に出た途端に「指示待ちはダメ!」「自分で考えて動け!」だなんて、無茶ぶりにも程がありますよね。
荒れを経験した、中学校・・・
それに対応したシステムが、伝統・文化として残っている。
中1ギャップと言って、それに対応できない生徒がいるのも事実。
しかし教科担任なので、ダメ担任による学級王国という支配は免れる。
※中学校では、学校よりも部活でのスパルタ指導・上下関係が辛い。
オムツは持ち帰って下さいは、その地域に守れない保護者が多いって事。
高校だと、底辺校ほど校則が厳しかったりするからね・・・
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子どももまっすぐに育っていると思います。
ただ、やはり世の中の教育現場では、支配が横行している気がします。
子ども家庭とのギャップに戸惑ったり、恐怖を感じる時もあるように感じます。
これが現実だ、と割り切りある種のあきらめを持つこと慣れることが親にも子にも必要なのか。。。
家庭さえしっかりしていれば大丈夫なのか。
おとーちゃんのはすぐには変えれない教育現場のジレンマを感じた時、お子さんにどのように接していますか?
良かったらそのような記事も書いていただきたいです。