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2018-11

なぜ自己責任と言わないか? - 2018.10.28 Sun

気づいている人は気づいているかと思いますが、僕が時事問題に触れるとき、ほぼその時事問題そのものについては語っていません。
その話題を叩き台として、そこから導かれる別のなにかを主題としています。

最近起こった無認可園での死亡事故でも、目黒の5歳児虐待死事件についてでも語ったのは無認可園のあり方や研修制度、行政の責任、虐待をなくすための視点の部分でした。

今回、「それでもやはり危険地帯に行くべきではなかったのではないか?自己責任なのではないか?」という事件そのものについての質問のコメントがありました。

僕もわかりにくいものの書き方をしているので、そういった反応も当然のものだなと思います。
思えば、以前あった大津のいじめ事件について書いたときも同様の流れになりました。
そのときはいじめ事件を叩き台として、その背景やそれらを取り巻く学校のあり方といったものへの問題提起の部分を主題にしたのだけど、「やはり許せない」という感情的にいじめ事件そのものについてのコメントがたくさん寄せられました。


今回僕が主題にしたものは、まさにそういった突き動かされてしまう感情のあり方そのものが、自身の生育歴を背景として「作られたもの」かもしれないという示唆でした。

せっかくコメントをいただいたので、もう少し掘り下げてみましょう。





1,ジャーナリズムのあり方として

安田さん救出そのものについて少しだけ述べるとすればこの部分です。
この部分は、僕よりもはるかに知見を持った方がおりますし、すでに多くの人がさまざまに述べていますので、僕があまり語るまでもないかなと思います。

このお二人のツイートがそのあたりを端的に表しているかと。



ダルビッシュさんは、ジャーナリズムのあり方の本質につながる部分を述べていて、本田さんは他者の状況を自己に置き換える想像力を働かせた客観的に考える視点でこの問題をとらえています。


ジャーナリズムのあり方として、ジャーナリストが危険を冒してものを報じなくなったら、さまざまな問題はそのまま放置されるということです。
ヴェトナム戦争しかり、セルビア戦争しかり、たくさんの報道がなされたから世界的な世論が動いて、停戦や休戦、物資援助や支援が行われてきたのを現代社会ではリアルタイムで見てきました。(逆に考えると、報道されないがゆえに命の危険があってすら助けられていない人たちも多くいる)
戦争以外でも、暴力団の潜入ルポを書いた人などがいたことを背景として、暴力団規制法などが整備されたりといったことがあります。

なので、そもそも一般の人が物見遊山で行くのと今回の問題は同列に考えられない点があります。

この問題そのものについてはこれくらいでいいでしょう。
僕が主題としたいのは、そういった問題に怒りや感情の動きを感じてしまう人間そのもののあり方です。それらを以下に述べていきます。



2,成熟した態度

医師や救急隊、救助隊といった人たちは、たとえどんなにとんでもないほど馬鹿げたことでその原因を作った人に対してすら、「それは自己責任だから勝手に苦しみなさい」とはいいません。

助けたあとで、再びそのようなことをしないよう諭すことはあったとしても、「助けてもらったのだから感謝しろ」とか、「助けてもらった分際で大きな態度をするな」といったことはしません。
なぜならその人達(もしくは業界全体)は、そういった感情的な対応をしないだけの成熟した大人としての態度を訓練しているからです。

ここからわかるのは、命のかかった問題に関しては、たとえどんなに馬鹿げている原因だと思ってすら、最善を尽くしてまずは救う、救った後それを感情的に非難しないという社会が持つべき大人の態度です。



3,「被害者非難」論法の危険性

上の2で述べたことは、全ての人が生きやすい社会を作るために必要なことでもあります。

個人の失敗に際して、それがその人のミステイクだからと責めたり、もっとあからさまに攻撃することがなんのてらいも無く行われる社会になってしまうと大変生きにくい社会が出来上がります。

モラハラ、パワハラ、セクハラなどのハラスメント行為が平然と行われることになるでしょう。


「モラハラ、パワハラはわかるけれどなんでセクハラまで?」と思う人がいるかもしれません。
セクハラをする人の理屈として、「される方に原因がある」という被害に遭う側の個人に責任を負わせる論理が一般的となっていて、実際にこれを支持する人が現に多数いるからです。
警察官の中にすらそれをする人がいるので、被害にあっても泣き寝入りさせられてしまう人が数多くいます。

例えば、痴漢の加害に対して「そんな肌を露出している方が悪い」という主張や周囲の弁護が普通になされています。
レイプなどにも、加害男性が「男性と1対1で酒席に来たのだからその気があると思った。自分のしたことは同意のものとだ」といった主張が平然となされています。

いじめの問題もそうです。
いじめの問題が出ると、「いじめられる側にも原因がある」というのが、日本では大変人気のあるもっともらしい主張としてまかり通ります。これではいじめが無くなるわけがありません。


今回の事件に対する「自己責任論」は「被害に遭う方が悪い」という理屈です。
それは、こういったハラスメントをする側の理屈とぴったり一致するのです。
ゆえに、いまの世の人が揺り動かされているような「自己責任論」を広めてしまうことはまわりまわって、自分や我が子、孫までもが生きにくい社会にすることにつながってしまいます。



4,社会の冗長性

フィンランドには「失敗の日」というものがあります。

【失敗の日】失敗を自慢しよう!フィンランド発祥の記念日(KettiNotes)
https://kettinotes.com/day-for-failure/

そういった文化を背景として、こういった社会が実現しています。

世界の起業家がフィンランドに向かうべき理由(addlight journal)
https://journal.addlight.co.jp/archives/trendnotecamp16/


お隣スウェーデンには『失敗博物館』があります。

スウェーデン発「失敗博物館」館長が語る、失敗の重要性(INNOVATION HUB)
https://innovation.mufg.jp/detail/id=184

この記事の末尾にはこうあります。

日本を含め世界総じて成功崇拝の呪縛にあり、失敗からの学びが足りないということ。人工知能、ブロックチェーン、スーパーコンピュータなど技術的インフラが整いつつあるいま、そこからさらなるイノベーションを起こし飛躍するには、いま一度「失敗」を見つめなおすことが必要なのだろう。」


特に読んでいただきたい記事はこちら。↓

フィンランドの小学校の性教育の授業で出た「宿題」がナナメ上過ぎた。(ハフポスト)
https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/09/finland-school-education_a_23555043/
 ■高い起業率「10回失敗した。11回目でうまくいきそう」


社会が失敗を許容できなくなると、その進歩は急速に停滞していきます。
この記事では、フィンランドが失敗を大きく許容できる文化があり、そこで人々が安心して社会活動ができることが描かれています。


昨今かまびすしい日本における「自己責任論」の強まりは、ある意味で日本の社会の停滞を象徴していると言えるかもしれません。

部下のマネージメントや組織のあり方を書いた本は多いですが、その中でしばしば描かれるのが「責任は自分が取るからあなたの思う通りにやってみろ」という上司のあり方です。
これはまさに失敗を許容できる態度で、相手の行動に冗長性を与えるアプローチになっています。

それと同じで、社会が健全に進歩していくためには、失敗を許容できる冗長性が必要です。
だから、安易な「自己責任論」を広めることには不安があります。



5,自己責任論の反対側を冷静になって考えれば・・・・・・

安田さんを「自己責任だ」と非難することはたやすいです。
周りにもそれに同意してくれる人はたくさんいるでしょう。
「行くべきではないといわれたのになぜいった。自業自得じゃないか」と感情の欲するがままに意見することも容易です。

でも、冷静になって考えてみると。


安田さんが救出されなかったときの可能性として、後藤さんや湯川さんのように処刑されてしまうことだってありえたわけです。

「自己責任だ」と言う人にしても、もちろんそうなればいいとまでは思っていないことでしょう。しかし、そのことを想像力の外にしてしまうのは、大人のものの考えとして安易のそしりを免れません。


また、「助けてもらったのだからへりくだれ」という感情的な意見にしても、こういった心理のあり方を野放しにするのは怖いことです。少し前に猛威を振るった、店員などに「土下座を強要する」ケースとも相通ずるところがありはしないでしょうか。



6,子育てと怒り

生育歴上のさまざまな問題や不適切さは、最終的に「怒り」へと集約されてしまいます。
そして、生育歴だけでなく人生におけるさまざまな問題、不満、不遇さといったものもまた「怒り」として溜め込まれます。

怒りは大変強いエネルギーで、まるで沸騰するマグマのように出す場所を求めます。

これを出しやすいところに出すことを自分に許していると、それは心地いいことでもあるので、無意識に習慣化していきます。
怒りをコントロールしつつ解消していくのは大事なことではあるのだけど、むやみやたらな解放の仕方ではかえって自分を快適さや幸せに導いてくれない、むしろ遠のかせてしまうことすらあります。


僕のこの前の記事の中でも「僕も差別したい気持ちに負けないようにしているんだよ」と息子に話したことを書きました。

多くの人は様々な形で不満や怒りを抱えていて、それを出しやすいところに出してしまうのが人の心の自然なあり方です。
だからこそ、自身や周囲の人の幸せのためにも安易にそれに流されないことは大切だと思います。



7,自己責任論は誰も幸せにしない

多くの方から、保育士や周囲の人に「お子さん愛情不足になっています」「甘やかしすぎです」といった心ない言葉を言われて傷ついたり苦しい思いをした話を聴きます。

この背景にあるのは自己責任論です。


「子供の姿は親の責任。子供がちゃんとしていないのはあなたのせい。だからあなたがしっかりきちんと子育てして下さい」

という、日本における一般的な子育ての考え方があります。
「しつけ」と呼ばれているものの本質にあるのがこれです。
しつけは、子育ての自己責任論になっています。

「ベビーカーに子供を乗せて電車やバスに乗るのは迷惑だ」といった主張も根っこをたどればここに行き着きます。


そして、子育てのみならず、大人自身もこの「しつけ」という文化の中で自身もそれを持って生きています。

人に迷惑をかけるな、ルールを守れ、失敗するな、ちゃんと、きちんと、しっかり。
ちゃんと、きちんと、しっかり。
ちゃんと、きちんと、しっかり。


人により、状況によりこの重圧はとても大きなものになります。

それをひたすら我慢し溜め込み、ときに出しやすいところに出すことになります。


先の保育園の心ない一言。
これがなにをもたらすか見てみましょう。

・言われた側の人がひたすら自己否定する
・言われた負荷を、子供に厳しくすることで子供に向ける
・その不満を溜め込んでおき、保育園の落ち度を見つけたときにクレームとしてぶつける
・育児に協力しない家族への不満としてつのる


こんなことが簡単に起こりえます。


保育士をしていて、子供を虐待する人が表れたとき、その人を「愛情がない」「親としてなっていない」と断罪するのは簡単で心理的にもラクなことです。
自己責任論やしつけ論の立場に立てば、簡単にそうなります。

しかし、それではなにも前向きに解決しないので、意識的な努力をしてその人に援助の視点で関わっていくことが社会福祉として必要な時代になっています。

かつてよりもさらにいまの方がこういった他者理解の姿勢が必要な社会になっています。
にもかかわらず、自己責任論が蔓延してしまうと、単に溜飲を下げるだけで済んでいるのも最初だけで、後になればなるほど犯罪や貧困の増加など大きな社会リスクとして招きかねないのです。



8,アジテーションされる体質を培ってしまう

安田さん救出の数日前(10月23日)、麻生財務大臣が「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」と発言しました。
この意見は伝聞という形をとっていますが、2008年に本人が同様のことを発言しのちに謝罪したケースがあります。

麻生氏、不摂生患者へ支出疑問視 「あほらしい」(共同通信)
https://this.kiji.is/427316654491599969


このような自己責任論を強調するような論が、近年、社会で権力や発言力を持った人たちからひんぱんになされています。

こういった他者の感情を揺さぶることで、別の誰かを攻撃する心理を作り出されてしまう話法をアジテーション(扇動)と言います。


攻撃される当事者でない人からすれば、こういった論は一見もっともらしく聞こえます。
自分は正しい他者が悪いといった感情を刺激されるので、人の心理としてそれに同意しやすくなります。

しかし、世の中というのは一面から見える事象だけで成り立っているわけではありません。
表面的なモラリティに反していたとしても、そこにはやむを得ない理由や、社会的な不備が背景にあるのかもしれません。

アジテーションされてしまうと、そういった他者への共感や大人として持つべき想像力を奪われ、むしろ逆の方へとかきたてられてしまいます。

これは社会の分断です。

人によっては、社会を分断させることで自己が利益を得る人もいます。

例えば、子供の病気や、日々の保育園のお迎え、親の介護など職場から定時で帰ろうとする人に対して「あなたはやる気がないのですね」といった、その人の自尊心を傷つける言い方をすることで、いたたまれなくさせたり、残業を強要するなど。(これは帰る必要がある人と残業していく人の間での分断を煽っている話法)


成熟した社会人としては、軽々しくそういった人に操られない、また自身もそういった他者への関わりをしない姿勢を養う必要があるでしょう。


以上です。まだ述べようと思えばいろいろな視点があるけれども、とりあえずコメントへの回答としてはこんなところでしょうか。




次の土曜日は、東京中野「まざるテラス」にて

オール大人で向き合おう「今、日本の保育で何が課題なの?」

が開かれます。こちらのイベントはおかげをもちまして定員いっぱいとなりました。
みなさんでいろいろな意見を出し合う会です。いまから楽しみにしています。

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● COMMENT ●

このところ、ずっとモヤモヤしていました。
あれこれ調べたり考えたりしてもだめ。ついに、恐る恐る一番大事な友達に尋ねると、彼女もモヤモヤしているときいて、なぜか少しそのモヤが晴れたような気がしていたところでした。

とにかく自分の子供には、ルールや他人の目にとらわれすぎず、また自分自身をも常に疑うこと、人間は間違うし許すしお互い様、と思える大人になってほしいと強く思うばかりで、やはりモヤモヤは消えませんでした。

この記事を読んで、頭の中でぐちゃぐちゃに散らばっていた本が、きちんと本棚にに整頓された感じです。わたしも、こんな風に考えを整理できるようになりたいです。

ありがとうございます。

ありがとうございます

私も気をつけています。おとーちゃんのブログで、再確認させてもらってます。
ありがとうございます。応援しています。

ありがとうございます

私も再確認させて貰いました。
ありがとうございます。
これからも応援しています。

行為の自己責任というより…

彼の場合は特殊なケースだと思います。
国が助けるのは当然で自己責任とは思いませんが
何度もさらわれ人質ビジネスを疑われても仕方ないことをしています。
彼のしたことは失敗ですが被害が甚大になることを考えると看過出来ないものです。
彼の行いを自分自身で見つめ直し、
これから人質にならないようにするにはどうしたらいいか
再発防止に努めることはとてもいいことです。
何度も同じことを繰り返し野放しにするのは違います。
なにかしらの対策は国を含め必要だと思います。

残念ながら自己責任論の方には処刑されることを望んでいた人も多かったです…

ありがとうございます

先日、江東区おせっかい講座で初めて講演会に参加させて頂きました。
本やブログで子供の今現在の姿を肯定することの大切さを学んだつもりでしたが、実際にお会いして、話し方や子供への接しかた、親へのアプローチの仕方など、勉強になることがたくさんで、本当に充実した時間でした。
おとーちゃんに本、サインしてもらえばよかった!と後悔しています。

先日こんな事がありました。
娘の通う幼稚園で保護者向けの参観があったので参加したところ、1人の女の子が泣いて暴れていました。
どうやら自分の親が来ていないことが悲しいのが原因のようでした。
先生方は手いっぱいでその子のフォローがままならないようで、参観に来ていたお母さん方が入れ替わり立ち替わり慰めていましたが、「うるさい!」とかみついていました。
そりゃそうだな、と。
「戻らないと置いてかれちゃうよ」「大っきい声で泣いてすごいね〜」はもやっとする言い回しですよね。
私も声をかけた1人ですが、「泣いちゃっても◯◯ちゃん可愛いよ。落ち着いたら一緒に遊ぼう」と言ってみたけれど、その子は子供たちの輪に戻ろうとはしませんでした。
ま、私は知らないおばちゃんのようなもんだしな、と思って数日たったある日、うちの娘はその女の子から手紙をもらってきました。
今まで娘とは遊ぶグループの子ではなかったようでしたが、その子とも遊ぶようになり、友達が増えたことを喜んでいます。
それはたまたま仲良くなるきっかけができただけかもしれないけれど、「泣いちゃってもいいんだよ」という大人もいるんだ、と少しでも安心してもらえたらな、と思いました。
おとーちゃんの「かわいいね」がもっと周りに広まるように、まずは私が、という思いで可愛い可愛い言いまくってます。
そのせいか、ママ友からは「きいてきいて」と慕われるようになったし、娘も幼稚園で楽しく過ごしているようです。
お互いがお互いに大らかに接している、肯定する言い回しのコツを掴めつつあるのか、夫をはじめ、周りの人間関係も円滑になったような気がします。
講演会に参加して本当によかったです。
これから本格的に寒くなりますが、お風邪を召しませんようご自愛下さい。

子供っぽい意見ですが、

少し子供っぽい意見ですが、
私は、純粋に安田さんが助かってまずは、すごく嬉しかったです。
背景を詳しく知らなくて、無知なだけかもしれませんが、
やはり、誰かが助かると、その瞬間に良かった!と思います。
子供が悪いことをして、危ないことをしても、まずは、何もケガが無くて良かった、と思います。わざわざ自己責任だろ、とは言わないし、そうも思いません。
私は、母からそういう風に言われたことが一度もないからかもしれません。

自己責任だ、という人たちの気持ちがよくわからないのも、私がそういう育ちをしなかったからなのかもしれません。

持って生まれた性格も、どんな親に育てられたかも、それはある意味においては自己責任ですが、他人に責められることでもなく、ただそれを選んだに過ぎない。

バッシングする人たちは、誰のために何のためにするのか?まだ身内やその奥さんが言うならば、理解できますが。。。

話が少しずれるかもしれませんが、今は他界した父が舌癌の末期だった時の事。
当時の主治医から「こうなるまで放っておいたのは自分でしょ、私にはあなたを助ける義務はない」と言い放たれました。
(お父ちゃんの2.成熟した態度の医師とは真逆ですね。。読んでてもやもやしました)
言われた本人はどんな気持ちだったでしょう。自分が悪いんだから死ね、と言われてますよね。

そんな人間ばかりの世の中になったらぞっとします。過ちを許されない世界です。
だから、うさこさんのようなコメントを目にするとホッとします。

優しくされた人が人に優しく出来ますよね。責められた人は人を責めますよね。
理想かもしれませんが子供には優しい人が多い、生きやすい社会で大人になって欲しいです。

かくいう私は、根本的に「人が怖い」があって非常に生きづらさを感じて生きています。

知ったり、考えたり

件の話で、テレビで聞いたコメント(うろ覚え)ですが
紛争地域では難民生活などで、日本の震災で被害にあっている子の何百倍の子ども達が苦しんでいる。しかし、それを知らない人も大勢いるわけで、それを伝えるのがジャーナリスト。彼にはまた、取材に行ってほしい
という意見。
また、
助けてくれなくてよい、と言っていた彼と、自己責任だと言っている人たちは結局、昔ながらの「人に迷惑をかけるな」という同じ考えに縛られていると。その考えにはよい側面もあるけれど、その部分だけに縛られずもっとそれを超えたものに目を向けるべき。というような意見。

私も以前は同じような事件の度に「行くなと言われているところに勝手に行って捕まってバカだなぁ。迷惑な人達」位にしか思っていませんでしたが、こういうことにも色んな背景があって、色んな意見もあって、一概に非難だけすることはできないなぁと最近は思っています。

関係あるかどうかですが、
以前の私は、児童虐待のニュースなどを聞くと
だったら生まなきゃいいのに!子どもがかわいそう!
と、平気で毒づいてましたし、それが当たり前の意見と思っていました。
しかし、子育てを経験して、決してそんな意見は軽々しく言えなくなりました。
毎晩毎晩、1~2時間おきに起こされるいつ果てるとも分からない苦しい苦しい数ヶ月間を過ごしてしまうと、その虐待をしてしまう親ももしかしたらこんな気持ちだったかも…と色々想像出来るようになってしまったからです。

世の中には色んな価値観、色んな背景、色んな考え方が存在していますよね。

色々知って、色々考えて、色々意見を言い合えて行動していける、ワクワクしながら心安らげる世の中になればよいなぁ…。

とはいえ、普段はルーティーンをこなしていくのに精一杯の日々で、ほとんど物事を考えるような生活はしていないので、こういった問題提起の記事は貴重です。

すみません、まとまりなくて…。

安田さんの件について

この件ついて、テレビでのタレントやSNS上など、様々なところ、実際におとーちゃんさんのブログコメント欄にも、自己責任だと安易に言う人が多く、「本当に日本は病んでるのかも」と思わずにいられません。とても悲しいです。わたしは安田さんの会見をノーカットですべて見ましたが、そもそも安田さん本人は政府に助けてもらう気は無かったですよね。ですので、助けを求めていることに対してバッシングする人の論点はずれているとおもいますが、仮に本当に助けて欲しいと思っていたとしても、別に良いんじゃないかと思うんです。テレビやSNS上でタレントが安田さんに対して怒っている、イラッとしているような発言がありますが、そういう影響力のある人が発言しているのをみて一般人も安心して安田さんをバッシングできるっていう背景もあるのかな、と考えます。
自己責任論者のなかに処刑されてもいいと思っていた人がいたかどうかは分からないですが、もしいたとすれば幼稚を通り越して精神が異常です。
自己責任論者は安田さんのことを身内、1番大切な人に置き換えて考えたとしても、心から自己責任論を続けることができるでしょうか。
他者を批判したり、責めたりする傾向がある人は、自分の1番大切な人が外で同じように誰かに批判、責められたりする光景を、思い浮かべるといいかも知れない、と思います。


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