保育者の姿勢 vol.3 「待つ」 - 2018.11.16 Fri
『1歳児が離乳食を詰まらせ意識不明に 広島の市立保育所』(朝日新聞)
このケースなどは、保育士が「食べさせなければならない」という思いから、眠くなっている子供に食べさせようとしたために起こった事故です。
「○○できる」子供の姿を保育者の過干渉で作っても、それは保育ではなく単なる保育者の自己満足にすぎないこと。
「子供の発達・成長を理解しそれを信じる」専門性を獲得していたら、無理矢理食べさせることも、無理矢理挨拶させることも、無理矢理ごめんなさいを言わせることも必要のないのだとわかります。
小学校などでは、給食の完食運動などをしているところもあるようです。
僕はそういうのを聞くと、職場の空気として学校の先生はなにか目に見える成果を上げることを要求されていはしないか、自己の承認欲求を満たすことと子供への教育の境目に気がつけているのかどうか、子供の個性や多様性を理解しているのかなど心配になります。
こういった画一的なものごとを多様な子供たちに求めるというあり方自体が、明らかに時代遅れになっているといえるでしょう。
そこに気がついてくれればいいのだけど、どうも学校の様子を見ているとそれに逆行しているようにすら見えます。
さて、前回を踏まえて3つめの「待つ」を見ていきましょう。
3,待つ
「待つ」は、「信じる」が獲得されていないと適切には行えません。
子供の発達、成長への理解がありそれらを踏まえていない人が頑張って待ったとしても、「イライラしながら待つ」「やきもきしながら待つ」「不満げに待つ」「我慢して待つ」になってしまいます。
「本当は○○させたい、でも待つことが大事らしいから待たなければ」といったスタンスでは、大人からかもし出される許容的でない態度、否定的な態度を子供は感じます。(これを防ぐためには、「私はそれは嫌よ」「困る」といった正直な感情を吐露する「自己開示」が有効。気になる方は過去記事を検索して下さい)
・この子はこれこれの発達段階を経てその後にその行為ができるようになる(発達の理解)
・この子の成長の姿からは、この行為ができることを強く求めなくてもいい(成長への理解)
こういった点を踏まえていれば、目の前の行為ができなかったとしても、保育者はそれに振り回されることなく待つことができます。
だから、「待つ」が専門性たり得るには、これらの理解とそこからの子供の成長を信じられることが必要です。
◆優しく言っても過干渉
待てなければ過干渉になります。
「ああしなさい、こうしなさい」と言いたくなります。
現状の保育施設で多く見かけるのが、「優しい過干渉」です。
「子供のためを思って」「子供の成長を考えて」「子供の安全のために」などなど、保育者自身としては職業的な意識から善意で過干渉になります。叱ったり怒ったりの言い方はよろしくないことは理解しているので、優しい言い方、婉曲な言い方をする人も多いです。
しかし、優しく言っても過干渉は過干渉です。
「Aちゃんは痛がっているな~。ごめんなさいしてほしそうだな~」とBちゃんに優しく謝ることをうながしたとしても、過干渉であること、子供の自発的な行動を待てていないことに少しの違いもありません。
こういった婉曲表現を使えば、優しい保育なのだと勘違いしている保育者も多いので気をつけてほしいところです。
◆過干渉は支配の関わり
過干渉は、「子供を私の思う通りの行動を取らせたい」という支配に他ならないのです。
体罰を使うのも、くどくど言うのも、強く厳しく言おうと、優しく言おうと遠回しに言おうと、他者と比べる言い方で言おうと、子供に対しての支配になっています。
そして子供は、どんな言い方であろうともそれが大人から自分への支配であることを感じ取ります。
これがたくさんになると、支配の負荷が蓄積して子供のネガティブな姿が出ます。
また、保育者への信頼感の低下から保育者の意に染まない行動も増えます。
子供を支配してしまう保育者は、もし子供にそういった姿がでても、それを自分が引き起こしていることには気づけません。
「子供とはそういうものだから」「この子はそういう子だから」「どうせこの子はできないのだから」「この子は幼いから」「この子は家で甘やかされているから」といった理由付けで子供を低く決めつけていきかねません。
待つというのは、保育の専門性の中でももっとも難しいことだと言えます。
待つのは、結果を求めないことであり、従ってそこにおける保育者の自己承認も簡単ではなくなります。
子供の本質的な成長よりも、自己の承認欲求を満たす行為を優先させる人は多いです。それは無理からぬことです。
子供の成長は、周りの大人だけでどうにもならない部分があります。
時間的成長はそれの最たるものです。
環境による成長もそうです。
これらの力を十分に理解した上で、待つことはまさに専門性のもっとも奥深くにあると言っても過言ではないでしょう。
◆支配しない関わり
待つのは、同時に「支配しないこと」でもあります。
子供を支配するのは簡単です。
・「野菜も食べないとデザートないよ」
こう言えば、子供に野菜を食べさせることはできるかもしれません。
・「野菜食べなければ、赤ちゃん組にいきなさい」
・「ほら、隣のAちゃんはお野菜たべているよ、えらいね~あなたはどうかな?」
・「お野菜食べたらお外で遊べるよ」
・「野菜食べないとオバケが来るよ」
・「野菜食べないとお父さんに叱られるよ」
・「残したら給食作ってくれた人、悲しむだろうな~」
・食べない子を叩く
・食べない子を部屋から出す
・そんなんだからあなたは大きくなれないのだとけなす
これらのどれを使っても子供に苦手なものを食べさせることができるでしょう。
しかし、どれも結局子供を大人の思い通りにしようという支配の関わりです。
叩いたり自尊心を傷つける行為はすべきでないですが、こういった関わりが一般の家庭の子育てで出る分には、ある面では仕方のないことです。子供への関わりの経験や、子供への関わり方の知識が十分ではない場合が普通にあるからです。
しかし、保育者は違います。専門的な対応がとれず、一般の人がするやむを得ない手段を保育として使うのであれば有資格者である意味がありません。
◆最大限の配慮をして待つ
では、どういった対応を保育者はとればいいのでしょう?
食事の例で考えれば、
「いつか食べられるようになるのだから、ただやみくもに信じて待つ」
と取ってしまえば、極端なところでは単なる無関心、放置になってしまうでしょう。
それもやはり専門的な対応とは言えません。
では、そこで保育者が取るべきは、
「子供への支配的な関わりではなく、自主的・主体的な成長が得られるよう必要な配慮をした上で待つ」
ことになります。
●なぜこの子は食事が食べられないのだろう?(配慮の視点)
(以下、考察例各種)
・個性ゆえに食が細い
・個性ゆえの偏食がある
・集中力が続かない
・食への経験不足から、苦手なものが多い
・ミルクへの依存が強く離乳食への関心が低い
・保育環境に不安を感じている
・職員との間に信頼関係が築けていない
●この子の発達状況や個性からして、どのくらいの食事量が適正だろう?
・食事量よりも本児の意欲を重視して食べきれる量で盛りつけるようにした
●食事の環境は安定的に整っているか?
・本児が安心して食事に向き合えるよう、食事の席を変えてみた
・意欲を重視して、スプーンで食べることを求めず自由に手づかみ食べを許容した
(↑これらはごくごく一部。配慮は子供の数だけある)
このような配慮をします。その上で保育者との信頼関係を維持し待つことで、子供の自主的な成長を目にすることができます。
子供は、自主的な成長を遂げたとき最大の達成感を得ることでしょう。
そのとき、保育者も単なる自己満足ではない、子供の成長への喜び・共感を感じられます。
◆否定でも肯定でもない態度で待つ
この配慮から待つ過程の保育者の姿勢・心情は「否定でも肯定でもない態度」だと僕は考えています。
・否定の態度 「食べて欲しいのに、どうしてこの子は食べないのか」
・肯定の態度 「この子はこういう子だから食べないものなのだ」
保育者が否定の態度を持っていれば、それをどんなに「子供への愛情」といった情緒論やスローガンでくるもうとも、否定的な態度がかもし出され子供は敏感に感じます。
かといって、「この子はそういう子なのよね」とか「食べなられない子で可哀想」といった子供への低い決めつけや心の過保護をして、保育者が積極的にその状態を肯定してしまえば、子供は成長への意欲を足踏みさせてしまいます。
だから保育者は、そのどちらでもないニュートラルな態度を持って子供に関わっていくといいでしょう。
別の角度から言うと、
・「ああ、(この子の成長の形は)そうなんだな」と受け止め
・「この子のいまの成長の姿はこれこれこういう姿だ」と過渡期としての姿を認め
・「いずれこういう姿を経て食べられるようになっていくだろう」と成長の目標を見すえます
僕はこれを「過渡期としてみる態度」と呼んでいます。
この態度を習得することで、成長がポジティブな状態になっていない子であっても否定的な心情で接することを防げるようになります。
「○○できる姿にしなければならない」
と、こういう心情を持っている人は、これが防げません。
なので、保育者が子供を見るとき、「この子は○○ができていない」と子供をある種の欠如体ととらえるのではなく、過渡期としての存在とみる訓練をしておくといいでしょう。
こういったことがあって、「待つ」専門性が形成されます。
またの機会に、これら待つが必要なさまざまな場面を見てみたいと思います。
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● COMMENT ●
芹澤さんへ
お返事ありがとうございました
教えてください
食事の例のところとあやまるところです。
具体的に行う「声かけ」が知りたいです。
食事のところの保育士がどうするかという配慮の例ですが、盛り付けの量や席を変える、
手づかみ食べを許容するなど、保育士が日を改めて行う行動、対策ですよね?
これらはどの保育士でもやっていると思いますよ。
私はその場でかける具体的な「言葉」が知りたいのです。
「お野菜もおいしいよ」
「○○ちゃんに食べてもらえたらお野菜とっても喜ぶよ」
「食べてくれなきゃお野菜きっと泣いちゃうよ」
このような声かけは普通すると思うのですが、これらもおとーちゃんにとっては優しい過干渉なのでしょうか?
これらが子供の自主性主体性を奪ったり子供の心を傷つけるとはとても思えません。
食べなくて怒るような保育士はめったにいないです。こうした声かけで、少しでも残食が減るように「食べてくれると嬉しいよ」という気持ちを示して保育士は努力しているはずです。子供もその先生たちの気持ち、わかるのではないですか。子供はバカじゃないですから。
何がなんでも完食させなければならないと意固地になっている同僚には私は会ったことがありません。
もうひとつです。
「Aちゃん痛がってるな、ごめんなさいしてほしそうだな」という声かけが過干渉ならば、
変わりに何と言えば良いのですか?
「あやまること」
「繰り返し人が嫌がることはしない」
これは正しいことです。この逆をすることは人の道に反することです。それを教えて何が悪いのでしょうか?
子供が自発的に謝れるまで待つのは当然ですが、「こうするといいよ」と導くことが過干渉とは思えないのです。
これら2つの例の、
「具体的な声かけ」を知りたいです。
長い文章ですみません。
私は保育の実力に自信がないのです。
後から配慮や対策は考えられても、その場でどう言葉をかけるのか、がどうしても気になってしまいました。
アドバイスをいただきたいです。
こちらのブログを見るたびに、反省したり悩んだり、落ち込んだり、、、
励まされたり開き直ったり、、、
よし!と気合を入れてみたり。
こどもとの関わり方を見つめ直すきっかけをいつも与えていただいております。
とてもタイムリーな話題だったので初めてコメントさせていただきます。
現在、年長組のこどもがおります。
小学校入学に向けて、先生の熱意があるのはわかるのですが、、、
保育園の給食が時間内に終わらないと、「下の組に行ってもらいますよ」や「時間内に食べられない子は、遠足の時に置いていかれちゃうよ」など先生に言われているようです。。
日常的にそのようなことがあったらしく、ついに泣きながら打ち明けてきました。。
母親のわたし自身も、給食でとても苦労したので、先生の対応は受け入れがたいと思う気持ちがありますし、とても悲しい気持ちになってしまいました。
わたしも忙しい日々の中で、気をつけてはいても子どもに好ましくない態度をとってしまうこともあります。
その度に、こちらのブログを思い出します。
大人数のいろんなタイプの子どもたちをまとめあげるのはどれだけ大変なんだろうと、先生たちにはとても感謝していますし、例年になく元気いっぱいの年長さんを受け持つ、若く熱意ある先生のことを思うと強くは言えません。
こどもも先生のことが大好きです。
ですが、下の組に行ってと言われるのがすごく嫌、遠足で置いていかれたらどうしよう、、、と心配にしており、連絡帳に書いてと訴えてきました。
こども自身も好き嫌いがあったり、お友達とおしゃべりに夢中になってしまい食事に集中できていないようなので、原因はあるのだとは思うのですが、、、
このような場合はどうしたら良いのでしょうか??
なんとかしてあげたいなと思うのですが、子どもへのフォローのしかたや保育園側にどのように伝えたらいいのか悩んでいます。
お忙しいところ申し訳ありません。
長くなってしまいましたが、アドバイスをいただけると、とてもうれしいです。
よろしくお願いいたします。
Re: アドバイスをいただきたいです。
ただ、明らかに言えることは、その保育士が良かれと思ってやっている方法は子供を泣かせるような不適切な方法であるという事実です。
専門的に言えば、その方法は「疎外による支配行為」です。
しかし、大変残念なことに、それを指摘しても、あまりにそういったことが普通になされている(世間一般でも保育施設内でも)ために、それのどこが問題なのか気づけない人も居ります。
それでも言わなければ今後もなにも変わりません。僕はダメ元でも抑止力になるだけでもと思って伝えるようにしています。
その担任が信頼できるのであれば直接話してもいいですし、園長に伝えてでも、その両者に立ち会ってもらって伝えてでもいいし、それ以外の信頼できる職員に伝えてでもいいかと思います。
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確かに作ったものを残されるのは私も悲しいです。
でも、大人になっても口に合わない料理って私はあります。それで残すような事はしませんが。
子供の頃、苦手なものを残さず食べるのは本当に苦痛でした。
うちでは口に合わなくて残してしまうのは仕方ない。だけど、まずい!!やだこれー!!って言われるのは悲しいな。苦手だなーで、十分分かるよ。と伝えています。
作った人が悲しむよと言う台詞は、罪悪感を与えて支配するような感じになるのかな?
言葉選びって難しいですよね。
私の言い方も正しいのかは分かりませんが、偉そうに横からすみません。
うちの5歳の息子がスーパー偏食で、時々悲しい…と思う時があるので思わずコメントしてしまいました。
息子は18歳になったら食べるーって言ってきます。ながっ!!と笑ってしまいましたが、分かった!気長に待つわーと言ってます(笑)