保育者の姿勢 vol.5 支配の連鎖を断ち切る役目 - 2018.11.22 Thu
その代わりもう少し本質的な部分について述べてしまいます。自分としては、こういうのは伝えるのが難しいことだけに書けるときに書かないと、勢いを失ってまとめきれなくなってしまうので。
さて、僕が毎週水曜日、Twitterで欠かさずチェックしているものがあります。
今週はこちら↓
モラ夫バスター⑰=「お前が悪い!」 pic.twitter.com/oaGQEoAKUB
— 大貫憲介 (@SatsukiLaw) 2018年11月20日
それがこちら。弁護士の大貫憲介さんが挙げている、モラハラ夫についての4コママンガです。
大貫弁護士によるモラハラ解説をまとめて下さっている方のモーメントはこちら。
◆
僕は保育・子育ての問題だけでなく、こういったモラハラ(モラルハラスメント)やその他のハラスメントについても強く興味を持っています。
なぜならば、それらは密接につながっているからです。
子育てにより、ハラスメントをせざるを得ない体質が作られることがあります。そうならなくても、さまざまな生きづらさ(自己肯定、自尊感情、他者との関係、心の病、社会への不適応などの問題)となることもあります。
どちらにも共通しているのは「支配」です。
ハラスメントをする人の心の核にはなにがあるでしょうか。
もちろんさまざまな側面はあるにしても、それをする人に共通してあると言えるものが、「他者支配による自己承認」です。
他者を屈服させたり、言うがままにしたり、自分の要求を守らせたり、それらをすることにより自己承認を得ようとする人がいます。(最近話題の自動車運転における危険な幅寄せや車間詰めなどもそういう側面があるでしょう)
こういった対人関係におけるある種の快感は、人間の多くが持つものでありそういった傾向がごく一部あるというくらいであればさほどの問題ではないかもしれません。
しかし、それが他者との関係の大部分に渡るようであれば、その人の人格上の障がいともなりかねません。
この状態を逆から考えれば、「他者を支配しなければ安定できない人格を持っている」ということです。
これは円満な人格形成とは言えませんね。
この人格上の傾向は、連鎖する特徴を持っています。
他者による支配を強く(程度・期間)受けた人は、他者を支配したくなる人格上の傾向を持たされることです。
学校や、部活動における体罰問題などは、この傾向を顕著に表しています。
◆
子育てにおいても、これが起こります。
自身が支配されてきた経験があると、保育や子育てで向き合う子供に対して、無意識に支配の関わりが導き出されやすくなります。
そしてこの支配には、受けた側にも自覚できてている場合もあれば、自覚できていない場合もあります。
支配とは、必ずしも攻撃的な支配ばかりとも限りません。
それには、例えば「愛情」を使った束縛などがあります。
具体的なところでは、例えばこんなケース。
・大学生の娘に父親が厳しい門限を課す。父親は娘の身が心配という気持ちや思考を持っており、それ自体は嘘ではない。嘘でないがゆえに、娘からすると「自分を思ってそのように言ってくれているのだ」という好意的な解釈をせねばならなくなり、その支配を従順に受け入れざるを得ない。
大学生なのに門限が17時とかも実際に聞いたことがあります。
支配には、このような見えにくい支配があります。
よく言われることなのでご存じの方も多いかと思いますが(テレビのCMなどでも使われていました)、「あなたのためだから」といった言葉も支配する際に便利な言葉です。
今回の大貫さんが挙げた4コママンガは、まさにその辺りがテーマになっています。
こういったことを言われたら、反発すればいいじゃないかと感じる人もいるかもしれません。
しかし、人間は不思議なもので、このようなことを言われ続けると反発できない精神状態を形成させられてしまったり、それ以上に自分自身でそのように「自分が悪い」「自分が間違っている」「自分ができないからこの人が言ってくれているのだ」「この人にダメ出しされないとなんだか落ち着かない」といった心理状態すら形成されてしまうことがあります。
こういった精神状態の形成には、その人の心が強いとか弱いといったことはあまり関係なく、どういった人であれ繰り返されることでこの精神状態になりえます。
これが幼少期で、しかも信頼している人からされるとなると、この影響はさらに強いものとなります。
子供の場合は、怒られたり注意されたりする状態の固定化があります。
怒られたり、注意されないとなんだか安心できないというような、心のあり方が形成されるケースです。
この状態にある子は、可愛がられたり、褒められたりすることで安心感や、自己肯定ができなくなり、注意や怒られることを無意識にすることで、自己の確認、また他者とのつながりの確認をするようになります。
この4コママンガで描かれる女性は、このモラハラをする人を否定・反発するどころか、辛く感じつつも依存していく状態におちいっている可能性があります。
ですから、このマンガでは被モラハラ状態にある人が、自身での気づきを得られるように構成されています。
(このマンガではモラハラする側が男性、される側が女性として描かれています。これは夫婦間のモラハラが、現実問題として圧倒的にこの図式となっているためです。なかにはモラハラをする側が女性というケースがあることも、描いている方も認識していることと思われます。また、この背景に夫婦間のモラハラに隣接する問題として、ミソジニーの問題があるためでもあります)
◆
こういった自身の支配された経験や、自身の持つ性格的な傾向は、子育てや保育に密接な影響をもたらします。
もし、保育士自身にこの傾向がある場合、もしくは全くなかったとしても、自身が働いた施設でこういった支配的な関わりを習得してしまった場合、子供を「支配すること=保育」という状態に簡単になり得ます。
これをしている人たちも、多くの人が自身のその状態に気づいてはいません。
「私は正しいことをしている」という文脈、自身への理解の上でこれを行っていくことになります。
しかし、本当のところは、他者(この場合は子供)を利用して自己承認を得ることが目的となってしまいます。
ほぼ無自覚にこれを自身に対して行っているのですが、どうにも不思議なところがあります。
無自覚であるのに、この行動からはその人自身が実はそれを自覚している側面が表れることがあります。
無自覚なのに一部分だけ自覚しているという変な状態です。
その行動とは、なにか自身の要求を他者(子供)にさせるとき、自身をその要求主体とすることを隠蔽し、第三者を引き合いにだすという傾向です。
他者を支配しようとする人は、これを無自覚にやる場合があります。
具体的には例えば、こんなケースです。
これは親子でのケースですが、何かの習い事を子供の過剰負担になるまでやらせているケース。
過剰負担になるまでさせるケースは、親の不安が強くその解消のために目に見える成果が必要になるタイプのものがひとつありますが、このケースは、親の承認欲求を満たすために子供に過剰負担をさせるケースで顕著な事例です。
この「親の承認欲求を満たすために子供に過剰負担をさせるケース」でしばしば、共通して親の言葉としてこういったものが聞かれます。
「私が望んでいるわけではないんです。子供がやりたいというのでやらせています」
この言葉は、自分が子供を使って自己の満足を求めていることを隠そうとする心理が表れています。
なぜ、こういった心理が引き起こされるか?
その人のエゴが強いといったことよりも、むしろ、その人が自己承認・自己肯定を難しいメンタルを持ちながらも、他者からの評価を強く意識しているメンタルも同時に持っているということを感じます。
この他者からの評価を意識せざるを得ないメンタルは、内発的な自己肯定が難しいということを表すので、さらに自己承認・自己肯定が難しいことの補強となり、相互につながります。
この、第三者を悪者にすることで、自身を悪者にしないという心理は、そこまでいかずとも子育てではひんぱんにでてくることではあります。
「静かにしていないとお店の人に怒られるよ」
「言うことを聞かないとオバケが来るよ」
この「~~させるために、○○を出す」の、この○○部分は、オニなり、あそこのおじさん、お父さん、お巡りさんなどさまざまなバリエーションがありますが、どれも「私」自身の心情を隠して子供に要求しています。
この子育て上の関わりは、あまりいいものではありません。なぜなら大人と子供間の信頼関係を低下させていくからです。(詳細は割愛)
この要求が強いものは、簡単に支配となります。
なので前回のところで挙げた、「食べないと調理さんが悲しむ」「お野菜が悲しむ」という保育者の関わり方にも、第三者を持ち出し自身の意図を隠そうと子供にも自己にもしていることで、それを言う当人が「私は子供を支配していない」「子供を自己承認に利用していない」という気持ちとは裏腹に、むしろ端的に自身の心がそれを望んでいることを吐露してしまっています。
◆
こういった保育者のネガティブなあり方について述べても、正直なところ多くの人に嫌われるばかりで、僕自身にあまりメリットはありません。
でも、僕が保育についてこのように言いにくいことも述べていくのは、せっかく保育の仕事を目指してくれた人たちに、保育の仕事を通して無理のない自己実現をしてもらいたいと考えているからです。
支配の保育を強めていくことで、自己承認・自己肯定を続けていく人も大勢います。
それで一見、満足した人生を歩んでいるように見える人もいます。
しかし、その人がなにか欠乏感から逃れられない思いを感じていることは、その人自身が一番よくわかっていることでしょう。
子供へ支配の保育を続けてきた人が、園長・主任となって今度は職員にモラハラをして支配していくなどというケースが保育界ではゴロゴロ見られます。
これは、その人自身にも、周囲の人にも、保育で預かる子供にも、その人自身の家族関係においてもだれも得をしません。
職場でモラハラをする人の多くが、家庭での家族関係が安定的なものになっていません。
他者支配によって自身の心を維持するメンタリティの形成は、誰のためにもならないのです。
だからこそ、保育における自身の姿勢を研鑽していく上で、自身の人生の幸せにつなげて欲しいと僕は心から思っています。
そして同時に、この世間に蔓延している負の連鎖を断ち切る役目を担っているのは、保育士こそであると考えています。
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