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2019-01

「しつけ」が子供を殺す - 2019.01.06 Sun

2歳児死亡、3階から誤って転落か 母「しつけで外に」(Yahoo!ヘッドライン)

12月に子供をベランダに出すことについて書いたけれども、まさにその子育ての関わりが子供の死亡事故を誘発してしまった。

まだ、たったの2歳。
片付けをしなかったから、しつけのために出したとのこと。

そのお母さんは子育てに一生懸命だったのかもしれないし、もしかすると片付け云々は表面的な理由で、実際は子供の姿に疲弊しており子供から離れたい心理がそれをさせたのかもしれない。はたまた別の理由がそのお母さんの疲弊を生み出していたのかもしれない。


虐待をしていて死なせてしまったわけではない。
「外に締め出すことで子供に言うことをきかせる」という、「しつけ」として一般的なことをした結果、不慮の事故を招いてしまったケース。





こういった「しつけ」をしようとして事故になるケースはたくさんある。
「それはたまたま」「不運な事故だった」といった取り繕いで、この問題をスルーしてしまう人がほとんどだ。

僕が強く印象に残っているケースでは、2016年北海道七飯(ななえ)町の山林で「しつけのため」として置き去りにされ行方不明になった事件の際の、人々の声がある。

このとき、この親の行為を「しつけのために誰しもがすることだ。今回はそれが事故になってしまって親御さんも気の毒だ」といった同調や擁護する意見が圧倒的に多かった。

僕は別にこういった行為をする親を責めようとは思っていない。なぜなら、一般的な子育ての観念が無自覚にそれをさせているだけだから。

しかし、その子育ての手法が子供を事故に遭わせたり、殺めたりしている事実を「しかたがない」と見過ごすことはできない。
それは変えられることだからだ。

本当に、もしそういった事故を「しかたがない」と心から考えているのであれば、一度、そういった事故でなくなった子供の墓前に立っている自分を想像して欲しい。そして、その子に向かって「あなたが死んだのはしかたがなかったね」と言えるかどうか考えて欲しい。

「しかたがない」と、子供が死ぬことを看過する大人になってはいけないのだと僕は思う。




「変えられる」と僕がここで言うのは、「しつけ」というパラダイム(枠組み)のことだ。


「しつけ」で子育てが語れる時代はすでに終わっていると僕は考える。

現状の、社会、家庭・家族環境のあり方では、「しつけ」という子育てメソッドは子育て当事者の疲弊を招き、子育てそのものの破綻をもたらすリスクを常に持っている。
そして、「しつけ」が実際に何人もの子供を事故に遭わせ、さらにはもっと直接的には虐待死などを招いている。子供の虐待死のケースの多くが「しつけのためにした」とその当事者から語られている。

端的に言って「しつけ」は子供を殺しているのだ。


自身の子育てのスタンスは自己承認の欲求に関わってくるので、そのように言えば「しつけ」で子育てを考えている人たちからは反感を買うかもしれない。
でも、「しつけ」によって命をはかなくしてしまった子供が大勢いるのは紛れもない事実なのだ。

すると、おそらく「良いしつけと悪いしつけがあるのだ」という部分肯定論で返されるだろう。
そのときは、このしつけのためにベランダから出したことで転落死させてしまったケースを思い出して欲しい。
そして、「現実的にどこでその線引きができるというのですか?」という問いを考えてもらいたい。
もし、仮に「良いしつけ」と「悪いしつけ」があったとしたところで、それは「しつけ」行為をする自身の自己弁護にこそなれ、現実問題としてしている当事者にその線引きができない以上、子供が事故や死に直面することのなにものをも防げない。




実のところ「しつけ」とは子供を育てる方法ではない。
それは、子供を支配するための方法だ。

しかし、その支配が十全に行き渡った状態を「子育てがうまくいった状態」と考える人は少なくない。特に年配の世代ほどその傾向は強い。
だが、それにより子供時代のみならず、大人になってすら自己肯定感や、自身の欠乏感や自尊感情の問題を抱えさせられている人が非常に多い。
しかも、悲しいことにそれはその人の子供へと連鎖させてしまうこともある。


「死にたい」と口にする子供が増えている。
思春期の子供の話ではない。小学校の低学年や幼児にすらいる。
その子たちの多くは、「しつけ」とそれにともなう否定をたくさんされている。
その否定は、ときにその子の自尊心を傷つける行為を含んでいる。
これらを長期にわたって慢性的にされることにより、特に信頼すべき人(親や家族、身近な大人)からされると、自尊感情の低下を招き、子供は「死にたい」と口に出すようになる。

こういった子供の姿に接すると、「大人の気を惹くためにそのように言うのでは」と考える人は多い。それは違う。
強い強い自己否定のメンタルになったときの必死の叫びが「死にたい」という言葉を無意識に言わせるのだ。


子供にこのような状況を持たせてしまう親もまた、「しつけ」の犠牲者であることがほとんどだ。
その人自身が、幼少期から強い規範意識で「しつけられ」て来ており、その同じことを我が子の子育てで繰り返す。

強い規範意識、低い自己肯定感、他者から規定される自己像(自己意識)が強いために周囲の目が気になる、対人関係の苦手さ

そういった性質を持たされている。
すると、そこからくる子育ての心理的負担が非常に大きくなる。また、それにより直接的な子供への関わりも難しさを抱える。

それでもどこかでバランスが取れれば良いが、孤立した子育ての状況が多い現代ではそれが難しくなっている。
すると、一生懸命子供によかれと思ってしてきた子育てが、あるときどうにもならないとその人が感じる状況に当たってしまう。


「しつけ」で子育てする時代は終わった。
「脱しつけ」の時代に入っていると僕は思う。

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● COMMENT ●

しつけいらない!(ときもあっていい)

3歳半の息子がいます。子供の自己主張がまた一段と顕著になり、子育てやめたい、明日がくるのがいや、全部放り出したい、そんなことが頭をいつもあたまをよぎり、子供の顔もまともに見れなくなっていました。こんなの理想論なんだよと、このブログも読めなくなっていました。

なんとかしなくちゃと考えたのは、わたしがいま一番かけてもらいたい言葉ってなんだろう。それは、自己主張期のこどもに躾はいらないんだよ!でした。

考え方は人それぞれと思いますが、しつけをちゃんとしなくちゃと考える親、やりたいことがすべてやってみたいエネルギー爆発中の子供、逆向きです、うまくいくわけないです。
わたしが怒る機会が増すごとに、子供はどんどん言うことを聞かなくなり、できていたおトイレも、できなくなりました。

元旦から、心機一転、なるべく叱らないですむ状況づくり、部屋の模様替えや、大人の都合で子供を振り回さず、やりたい気持ちを叶えてやる、絶対ではなくできる限りで、努めてきました。

プチ満足感を地道にためて、子供は変わりました。びっくりです。おトイレ失敗なし、ごはんは何でも食べるし、すごく困っていた色んなイヤイヤ行動がなくなりました。ずっと独り占めしてたおやつも分けてくれるようになりました。わたしも、こどものこと、やっぱりすっごく賢くて可愛くてたまらないなぁと思えるようになりました。

久々ブログを開いたところ、しつけについて書かれていたので、驚きました。

子育て苦しい人には、しつけってどうなの論が救いになるのではと思います。

長くなってしまい、失礼しました。

Re: しつけいらない!(ときもあっていい)

僕自身は、子育てに「しつけ」はずっとなくても問題ないと思っていますよ。
現に、我が子には世間一般でいうところの「しつけ」行為をしたことがありません。
でも、世間一般の人が子供や子育てで望むものはほとんど獲得しています。

子供が育つメカニズムがあります。
これはいつかどこかで記事にしようとは思うのですが、少しだけ触れると、

・支配のルート
・信頼関係のルート

です。

「しつけ」はこの支配のルートを使う子育てです。
日本では多くの人がこのルートの子育てしか知りません。
それでうまく行くこともあれば、そうでないこともあります。「当たるも八卦当たらぬも八卦」状態で子育てが行われています。

僕が伝えようとしているのは、「支配のルートを使わなくても子育てできるんですよ」ということです。
そして、子供という存在は大人のこと、特に親のことをほとんど無条件で「信頼したい信頼したい」と思ってくれているので、信頼関係のルートを使って子育てすることは、必ずしも難しくないということです。

ただ、個性(子供も大人も)によっては、難しくなってしまうケースがあり、そこには個別に寄り添っていく必要があると考えています。

きりんさんが経験した、すんなりといった瞬間というのが、その信頼関係のルートを使って関わったということなんではないかと思います。

コメントありがとうございます

子育てで悩むおかあさんに、しつけはいらないという言葉は、本当に救いになると思います。ぐっと心が楽になりました。

なにが正しいのか確信のない子育ての中、周囲にそんなしつけもできない親と思われるのではとゆう圧を勝手に背負ってしまい、知らぬ間にしつけが子育ての一大テーマになってしまいがちです。

他人に迷惑をかけないように、とゆう価値観も、いま少しずつ変わってきているように思います。子育ても、子供という存在そのものへの理解も、変わっていってほしいとすごく思います。

息子(小2)の友達に「死にたい」という子がたくさんいて、私もそれは大人の気を引きたいからと思っていました。でもその子達に接する内に、「死にたい」という子たちは今まで非常に傷ついてきたが故に自己肯定感が低く、自分を見失っている子たちであることに気付きました。
また「死にたい」という子は「死ね」という言葉を口にする事も多かったように思います。
自己の存在価値が見出せないために「死」を希求する反面、非常に傷つきやすい自我を防衛しようとして些細な否定も受け止めることができず、相手を過剰に攻撃してしまうのではないかと思いました。(まるでスイッチが入ったかのように攻撃モードに切り替わります。)
「死ね」という子にはきちんと叱って分からせないと。
そのように言われることもありますが、私はどうしてもそれには納得できません。なぜならその子達は、今まで生きてきた中で何が良くて悪いかということは十分過ぎるほどに教えられてきたにも関わらず、それでもその教えられたことが出来ない自分に苦しんでいるのですから。
叱るのは子ども頼みな方法であるような気がします。叱る方法では、その子達は言葉を受け取ることはできないと感じています。
ならどうしたら伝わるのだろう、考えていますがなかなか答えが見つかりません。

 いつもブログを拝見しています。
 私も「死にたい」という言葉は、周囲の気を引きたくて言っているのかと思っていました。
 以前、友人の娘(小5)他数名が学校を無断欠席し、遺書めいたものが発見されたので、捜索願を出し、警察沙汰になった話を聞きました。実は、友人の娘に自殺願望があったわけではなく、彼女の友達から「死にたい」、「一緒に死んで」、「楽しい死に方」などという言葉をLINEで何度も言われたことが影響したようでした。
 根本的な原因は、「死にたい」と言っていた子の家庭環境にあるようでした(前からリストカットもしていたことも分かりました)。事後対策しか思いつかず、どうしたらいいのかわからないまま時間が過ぎていましたが、今回の記事を読んで、「否定」を重ねたことによる叫びだということに合点がいきました。
 その子の親は、警察に身元を引き取りに来たとき、その子を叱責したそうです。一方、友人は自分の子どもの顔を見たときに生きていて良かったと思って、怒りよりも安堵したそうです。
 親は一生懸命強く叱ったんだと思いますが、その子はその後、肯定感が得られたのか、結局は他人事なんですけど、ずっと心に引っ掛かって気になっています。

しつけないと放置の違い

いつもブログ拝見してます。

基本的には先生の方針はとても素敵だと思うし、私自身なるべく子供たちの気持ちを大事にしているつもりです。

でも、先日帰省して甥っ子たちと会ったのですが、この子たちが本当に子供の頃から全く否定されずに育ち、正直言ってやりたい放題。
朝からアイスを食べ、おやつも食べ放題、本当に夜寝る前までおやつを食べていて、おやつ大好きのうちの子もあきれる位。その他のことも基本やりたい放題で、ゲームも何時間やってても全くおとがめなし。
決して放置してるという感じでもないんですが、とにかく何も注意しない。
赤ちゃんの時からこうでしたが、もう小学生。こうなると否定せずしつけしないのってどうなんだろうと思ってしまったんですがどうでしょうか?
手を挙げるとか、暴言を吐く、脅しみたいな言い方をすることがよくないのは分かるんですけど、しつけをしないことの意味というのが私にはいまいち分かりません。
長時間ゲームとか一日中おやつみたいな明らかにダメなことって、初めのうちにきちんとルールなりを設定しておかないと大変なことになってしまって、そうなってくると治すのは大変だと思うんですが、それでもご飯が先とか宿題が先みたいなことはよくないんでしょうかね?
いつかよくなるのを待っているうちに、それが当たり前になってしまうような気がするのですが。


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