「脱しつけ」具体的方法 後編 - 2019.01.08 Tue
前編で挙げたものが、事実を提示するという子供への関わり方でした。
もうひとつが、私の気持ちを正直に出す方法です。
・今は困ります
・そうされると困ります
・私が心配です、だからやめて下さい
この私を主語にした伝え方(私の気持ちを提示する伝え方)をすることでも、子供との間に支配ではない関係性を結ぶことができます。
ある意味ではこれも、「私の気持ち」という「事実」になっていますね。
ウソをつかずに事実で子供との関係性を積み上げることが大事なので、この私の気持ちはネガティブなものであってもいいのです。
・私がイライラしちゃうからやめて
・私が疲れているからやめて
子育て=自己犠牲と無意識にとらえてしまっている人は、おそらくこういったネガティブな事実や感情を我慢したり、隠すことで子供に関わりを積み重ねてしまいます。
すると、たまったネガティブさを怒るや叱るといった感情爆発で出さざるを得なくなるのも多く見られるところです。
子供も一人の人間、同じウエイトで私も一人の人間。だからこそ、我慢や自己犠牲の上に関係性を作る必要はないのです。
しつけ・支配ではない関わりとして、事実を提示する関わりと私の都合や気持ちを提示する関わりのふたつを紹介しました。
これは「テクニック」ではないので、これをしたから子供が言うことをきくようになるというためのものではありません。
だから、個々の人によって、この手法で関わったからといって必ずしもすぐになにか変化がでる、効果がでるというわけではないでしょう。
子育ての置かれている状況は個々に違います。
もし、今現在子供がすでにある程度の年齢で、これまで支配やしつけの関わりを積み重ねて来てしまっているケースであれば、それまでのその蓄積ゆえに、なかなかこの信頼関係を使った関わりへのシフトチェンジがうまくいかない場合もあります。すんなりいくこともあるでしょう。
子供の個性、大人の個性もそれぞれ違います。
また付帯する状況、例えば自身は支配的だったりしつけ的な関わりをしないが、周囲の家族がそれを強くしていたり、子供を釣ることでコントロールしていたり、幼稚園や保育園で支配的な抑圧を溜められていたりといったことがあれば、また状況も変わってきます。
ではありますが、基本的にこの「事実と私」を軸とした関わりで子育ては積み重ねていけることでしょう。
子育てに遅いと言うことはありません。
小学生だろうと、中学生だろうと、高校生だろうと。すでに成人していようとも。
すぐに目に見える効果がなくとも、支配ではなく信頼の上で関わっていくことで、変化がでます。
一見、その変化はポジティブなものでない場合もあります。
というよりも、それまでしつけ・支配の関わりをしていたものを、支配しない関わりに変わると、多くの場合それまでその子自身内面的に我慢し抑えつけていたものが受け止めてもらいたいと噴出してきます。
それはたいていネガティブな形をとります。
ダダやゴネ、要求、場合によっては悪態など。
(支配が行き届いた状態が子育てのうまく言っている状態と考える人は、このときの子供の姿を「大人がなめられている」といった解釈をしがちです)
もし、こうなったときは、いま一度「自己犠牲ではない」ということを思い出して下さい。
「それまで子供を抑圧してしまった。だからこんな姿を私が出させてしまったのだ」このように負い目で考えてしまうと、自己犠牲的になり、子供は今度はそこに対して依存を重ねるようになり、それを受ける人はまたひたすらしんどさのループにおちいってしまいます。
だから、お互いにムリのない関わりを模索するのです。
「その関わりは私は嫌です。こうなら私も気持ちよく受けられます」というすりあわせをします。
僕は保育園児に対して、しばしばこの受け止め役になることがあります。
抑圧が積み重なっている子は、「この人は受けてくれる」と感じるので、僕にさまざまなネガティブ行動を取ってきます。
叩く、蹴る、メガネを取る。
僕はこれを我慢して受けるか?
もちろん、受けません。我慢して受けるというのは、ウソでしかありません。
それでは信頼関係には発展していきません。
「それはほんっっとにイヤ!」と心から不機嫌になって拒否します。
その上で、こういう形で関わればいいのだということを、その子に合う形で実地で提示し、その子が「あ、こうやればお互いに気持ちよく関われるんだ」という経験を積ませます。
支配されている・抑圧されている子は、自分を抑えて我を出さずいい子になるか、ネガティブ行動で大人と関わるかの二択になっていることが多いです。
この他者との関係性のモデルを一度壊して、あらたに互いに心地よい関わりというのを構築します。
どういった関わりがあるか。その方法は多岐にわたりますが、小さい子であれば「注目」、4歳以降くらいになると「やりとり」がキーワードです。
小さい子は注目、大人からの関心に安心感、信頼感を得られます。
くすぐりや追いかけっこは、すでに何度も紹介しています。
顔遊び、手遊びといったこともそうですが、別に遊びでなくてもいいです。
オムツを替えた際に、「はい、さっぱりしたね」とあたたかな声をかけたり、ご飯を食べて「おいしいね」と言い合ったり、これらも自分への注目・共感という形の肯定をもらえていることになります。
幼児になってくると自立が進んできますので、それらに加えて、「やりとり」が響いてきます。
例えば、「なぞなぞを出す」という遊びにもそれがあります。
大人から「なぞなぞを出す」このプロセスには、大人からの注目・関心が入っています。そして、それを子供が考え答えを出してそれを大人が「はい、正解です」or「ブブー残念でした~」といったやりとりには、「自分を受け止めてもらえた」という子供の心の経験があります。
あやとりやキャッチボール、そういったものにもこの「やりとり」が隠れていますね。
もちろん、それら以外の関わりだって構いません。
さまざまなケースがあり、実に多岐にわたるので書き切れません。とりあえずこんなところにしておきましょう。
ちなみに、僕は保育士の実地の研修ではこういった実践方法を個々の保育士に伝えています。
保育士も、ほとんどの人が「しつけ」のメソッドしか持っていないところからスタートするのは一般の人と同じで、いわゆる大変な子、手のかかる子といったケースに対して、メソッドとしての確立した方法を持っていません。
すると結局、叱る、怒る、疎外する、さらには排除するになってしまいます。
メソッドとして取りうる手段を伝えることで、そういった保育の破綻になってしまう状況を逆に専門性の見せ所に変えています。
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● COMMENT ●
発達障害の場合
Re: 発達障害の場合
ただ、ポイントとしては、発達上の個性のある子には次の特徴が顕著になることが挙げられます。
・言葉による理解が難しくなる
・他者の感情に反応しづらくなる(その原因も個々により多岐。元々鈍感である場合もあれば、敏感だがそれを受け止められないほど自身のこだわりが強くあるなどなど)
この特性による、今回の記事に書いたことそのままでは通用しないことがあります。
ただ、基本は変わりません。
そこで、とりあえず焦点を持っていくのは、「どうしたらこの子には伝わるのだろうか?」という視点です。
「言葉では伝わらない!では、字では? 絵では? 写真では? 習慣・ルーティンでは?」など。
また、いわゆるしつけが求める「短期的な子供の正しい姿像」にそもそも振り回されないという理解も持っておくといいでしょう。
それに振り回されてしまうと、自己肯定感の欠如や意欲の低下、自尊感情の低下などをより招きやすいからです。
個別の対応を知りたい場合は、すでになさっているかもしれませんが、適切な知識を持った専門家に相談したり、そういった書籍にあたるとよいかと思います。少なくとも、「しつけ」の子育ては定型的な個性の範疇に収まる子よりもより不向きになります。
僕は発達上の問題の専門家ではありませんが、それを踏まえた上での子育ての範囲であれば依頼いただければ相談に乗ることもできます。
顔を叩かれる
最近、1さい4ヶ月の娘にひたすらに顔をバシバシ叩かれて痛く、昨日は嫌な気持ちになり私が泣いてしまいました…
禁止などはほぼかけてないのですが、これはダメと言ってもいいかな?など、迷いが多々あるのが見透かされているのかなぁ、もしくは私がスマホや読書をしているのをチラチラ見つかって、すぐには目が合わないことでのストレスかなぁなど、思い当たるフシも…
ナデナデしてと教えても、最初はナデナデ、でもすぐに笑いながら叩いてくるので、なかなかのストレスです…
おもちゃを入れている箱の中も、ザブザブかき混ぜながらこっちを見てきたり。
彼女もなかなかストレスがたまっているのかな。
専業主婦です。私は一応、のんびり待つ派ではあります。
Re: 顔を叩かれる
その依存を引き起こす原因もさまざま考えられますが、過保護、過干渉もそれになりますし、負い目から関わる大人の側の気持ちのあり方もそれを引き起こします。
まったく別のそれ以外の理由である場合もありますので、参考までに。
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以前から読ませていただいております。
自閉症スペクトラム、ADHD、軽度知的障がいの8歳男児の母です。
いつも思うのですが、自閉傾向の子の場合、相手の気持ちがわかりにくいので
「相手が困る」よりも「自分が困る」という理由で自身の行動を改めることが断然多いです。
私や相手がどんなに「困る」「嫌だ」と言ってもいまいち響ず
どうしても例の「置いて行っちゃうよ」や「そんなことしてたら誰も遊んでくれなくなっちゃうよ」等の、いわゆる脅しになりがちです。
定型発達の子ですと、わざわざ言われなくても「相手が嫌がっている=遊んでもらえなくなる」と結びつくのでしょうが、そうもいきません。
私も脅さずに育てられたら、どんなにいいだろうと常々思っています。
よかったら、発達障がいの育児に関してのご見解をお聞かせいただければと思います。
数年来の疑問でしたので、思い切って書かせていただきました。
よろしくお願い申し上げます。