善意の差別 - 2019.01.30 Wed
最近、近代ということを軸にいろいろ書いていおりますが、これもまた日本は近代化していないと強く感じさせるものでした。
この人達は、むちゃくちゃな差別をしているのだけど、当人達にはその認識がなくてむしろ良いことを言っていると思っているのでしょう。
悪意から起こる差別も、もちろんあってはならないことですが、善意からくる差別にはまた別の恐ろしさがあります。
なぜこれが差別かというと、「社会福祉を受ける存在は一般よりも劣った待遇に甘んじるべき」という、福祉の対象を低く見るスタンスに立っているからです。
このケースで言えば、「児童養護施設の子供たちは廃棄物を食べさせても良い」とナチュラルに思っているわけです。
その人達に差別の意図はなくとも、これは大変な差別です。
これは、食品ロスのテーマとはまったく別のお話です。
社会福祉をどうとらえるかという考え方のテーマです。
日本では「劣等処遇」という考えが根強くあります。
「福祉を受ける存在は、劣った待遇に甘んじるべきだ」という考え方です。
社会的にこれが通念と化しています。
これは言ってみれば、施しを受ける人間は投げ銭で十分という、近代以前の考え方に近いものです。
「慈善」で福祉を考えてしまうと、この理解をなかなか超えられません。
福祉と慈善はまったく違うものなのです。
近代以降は、基本的人権というものがまずあることが大前提なので、「劣った待遇に甘んじろ」という考え方は否定されねばならないものです。
同じである必要があります。
だから、たとえ児童養護施設で生活する子であっても、家庭で育つ子と遜色のないような十分な待遇を社会が考える必要があります。
「健康で文化的な生活」という言葉を聞いたことがあるでしょう。「廃棄されるものを食べなさい」と言われることは、文化的とは言えないですよね。
こういった、社会福祉を受けるものを下にいるものと見なし、それに慈善を施すというのは近代以前のあり方です。
これでは現代の社会福祉たりえません。
常に差別が付随してしまうからです。
しかし、いまだ日本にはこういったスタンスの人が多いのも事実で、それゆえに社会的な弱者に対して「感謝しろ」と感謝の強要をしてくる可哀想な人もおります。
その人は自身の差別心ゆえに、他者にマウンティングせざるを得ないメンタルを獲得させられてしまっています。
社会福祉を受けるのは、権利として堂々とする必要があるし、それを社会も当然のこととしていく必要があります。
少しの想像力があれば、それは難しくないのです。
だって、いつ何時、自分や自分の孫や子がそういった社会福祉を必要とする立場にならないとも限らないのだから。
というよりも、現代の人は全て、すでになんらかの福祉の恩恵をこうむって生活しています。
そうした想像力の欠如や、人権に関する適切な教育のなさが日本の社会をギスギスとしたものにしていると感じます。
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● COMMENT ●
小学校でも…
Re: 小学校でも…
こういった、社会的問題や、大人の持つ問題を指摘してはいますが、僕自身の本当の仕事は、子供たちにそのような「他者を支配したり、否定しなくても十分に自己をまっとうできる心を持たせること」だと考えています。
でも、それをするためには、社会におけるそういった理不尽な支配を無くす必要があるし、、それを無くすためには子供時代から健全なメンタルを持たせる必要があるしという、「鳥が先か卵が先か」のジレンマを感じます。
差別的な価値観を持たされてしまった自分が、差別する意識を自分の中から消すにはどうしたら良いでしょう。
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本当に憤慨するようなお話だと思います。
しかも、児童養護施設だけじゃなく、一般的小学校での給食でも、
アレルギーのある子は我慢して当たり前ということを先生に言われた話を聞きました。
何かが出来ない・何かが難しい環境や状況の子供たちへ
どうして大人が思いやりを持てないのか不思議でなりません。
保育士おとーちゃんの投稿で、少しでも意識を改める人が増えることを願うばかりです。
啓発的な内容も、とても共感します。