支配と大人の満足 - 2019.02.19 Tue
人は、自分の心にあるバイアスや先入観、こだわりに気づいてしまうことを好まないし、それを客観視すること、もしくはそれを乗り越えようとすることにはさらに大きなエネルギーが必要になります。
ですので、誰もがそれを避けたくなってしまうのは仕方ありません。
まあ、そういうものがあったとしても、それが即子育てを難しくしたり行き詰まらせてしまうわけでもないので、人によっては些細なことである場合もあります。
しかし、それゆえに苦しんでしまう子供や、長期にわたっての生きにくさに発展してしまうケース、親としては子育てにおいて自己実現できなくなってしまうケースなどをたくさん知っている自分としては、できるものならばそこに冷静になれることでよりムリのない子育てを送っていただきたいと思うのです。
◆
いまコメントで、お仕置き部屋などがあって保育施設の保育が不適切なことについてのお話をいただいています。これについては、少し時間のあるときに記事を書こうと思っています。
僕が「子育てはモラハラそのものになる」とあえて強い言葉で警句を発しているのは、現状の日本の子育てに「支配」の側面が濃厚にあり、これによる弊害があまりに大きいからです。上のケースはまさに保育の中で「支配」を野放しにしているそのものの弊害です。
そしてこの支配が、表向きは「子供のため」という理屈でされながら、実際は大人の
・不安解消
・自己満足
・自己肯定
・自己承認
・自我の自立の問題
このような大人側の心の問題を背景として無自覚に行われてしまっている実情があるからです。
それでも結果オーライになるケースであればいいのですが、負の連鎖となって、子育てする人、子育てされる人を苦しめています。
今の親の世代は、自分たちがそれをする立場になっていますが、根っこには自分たちがすでにそれをされてきたことが大きな問題として横たわっています。
コメントで寄せられている、保育園に「オニの部屋」があって言うことを聞かない子がそこに閉じ込められるというもの。
ここにあるのが、「支配」の構造です。
その支配をもたらす原因は、「○○させなければならない」というバイアスから導き出されたモラハラです。
これをしても誰も幸せにはならないのです。
保育上も子育て上も教育上も、なんの意味もありません。弊害ばかりがあります。
◆
この支配の問題は、実は社会のいたるところの根本的な原因となっています。
ブラック企業、モラハラ、パワハラ、セクハラ、女性蔑視、ミソジニー(女性嫌悪)、差別、DVや夫婦間におけるモラハラ、いじめ、痴漢、PTA問題、部活問題、校則問題、体罰、虐待、教員や保育士の不適切行為、新たに創造される伝統的マナー、不登校、ニート、引きこもり、対人関係の難しさ、自己肯定感の問題、自殺問題、暴走老人問題、通り魔事件、霊感商法、エセ科学、エセ歴史学、道徳教育
こういったことの多くが、「支配」の問題と不可分です。
支配の問題が根深いのは、連鎖を生むからです。
また、支配をする側になったとしても決して満たされるということがありません。
◆子育てでみれば
・自分の受けた強い支配で生きづらさ、子育ての難しさに直面する人
・自分の受けた強い支配の連鎖に苦しむ人
・自分の受けた強い支配から、自己肯定、自尊感情の欠如に悩む人。そこから派生する、対人関係のしんどさ、子供との関わりのしんどさ、無気力、無力感
・自分の受けた強い支配から、思い通りにならな時のイライラが大きい性格を持つこと
・強い支配を避けようとした結果、優しい支配におちいり子育てが難しくなる人
・過保護、過干渉という優しい支配
・過保護、過干渉の積み重ねによる、自信のなさ、意欲の発揮できなさ
・自己表現、自己決断のできない性格
など、このようなさまざまな問題をすでに子育てする大人が抱えています。
これらは短期的には、子供を思い通りにすることで解決するかのように見えます。しかし、それらは本質的な解決ではないので、その欲求は満たされることがありません。
自分の問題を、子供の問題にしてしまう前に、解決までいたらなくともせめて気づきにしておけると、親も子も救われやすくなります。
だから、自分のもつバイアスからできれば自由になっておいた方が、自分を苦しめないし、そこまで行かずともせめてそういったバイアスを持っていることに気づけているだけでも救いになります。
子供の食の問題でイライラの大きい人は、必ずしもそれが原因というわけでもありませんが、自分の自己肯定や承認欲求の問題を持ってはいないか一度点検してみるといいかもしれないです。
それがあることが悪いわけでないけれど、それに飲まれて子供への支配に駆り立てられてしまうと、その問題が解決するどころか逆にいってしまうからです。
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● COMMENT ●
支配と被支配は裏表
アメリカでは食べる食べないは自己責任だとか。
文化が違えばこれだけ違うというのは、本来、「その程度の問題」に過ぎないのだろうと思います。
その程度の問題にあまりに一生懸命になりすぎて、子育てをこじらせてしまうのはなんとももったいない話ですね。
モラハラになっています。
今日も傷つけてしまいました。
お母さんに似てるのは嫌だ、お父さんに似てる方がいいと息子に言われて思わず逆上してしまいました。
どこかでもう止めておけーと自分の中でブレーキをふんでいるのですが、止められずに息子に嫌な事言ってるんです。私病気かなと思うくらい。
モラハラですね。
虐待するお母さんを責められない。私もそちらにいってるんです。
子供の事大好きで仕方ないのに。
おとーちゃんのアドバイス実践して、怒りの感情に支配されないように気を付けます。
ありがとうございます。
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子育てや保育のあり方が、支配的な対人関係の問題とつながっているとの指摘は興味深いです。「選択理論」「アサーティブ」「NVC=非暴力的コミュニケーション」など、良質な対人関係を目指すアプローチ法を紹介する書籍は本屋にも並んでいますが、幼児との関わりにおいても、もっと必要なんでしょうね。
保育士とーちゃん以外でも「叱らない」というテーマの育児本は少なくありませんが、「叱る」ことがはらむ、支配的人間観の問題に踏み込まないと表面的な子どもへの言い方の良し悪し問題になってしまうのでしょうね(表面的でも大いに有効ではあるのでしょうが)。
多くの親は(現代人の多くが)抑圧・支配的対人関係や人間観に染まっている時代に、子どもを尊重するという子どもとのかかわり方の困難さを思います。職場や夫婦間において、被支配的な女性(男性)が、母(父)としては子どもを支配する立場にまわることは珍しくありません。
その一方で、子どもを支配する子ども観は、逆に子どもから支配される「被支配的」関係とも無縁でない気がします。保育士とーちゃんの言う「つよい親・弱い親」というのは「支配的親・被支配的親」ともいえるのかと。
世代や親子、性別、富裕、障害など様々な立場対して、相互尊重的な人間観を獲得するには(バイアスを減らす)、何が必要なんでしょう・・・。