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2019-07

子育てのカルト化について - 2019.02.24 Sun

去年くらいからずっとこの問題に悩んでいて、それが心の中にオリのように沈み込んで溜まっていました。直接考えていないときですら心に暗くひっかかっているので、それにウツへとひっぱられてしまうところがありました。
先々週、急に気圧が低くなってしばらく曇りと雨を繰り返していたとき明確にその自覚があったので、書くのをためらうネックになる部分を保留して荒削りだけど書いてしまおうと思います。
書くのをためらっていた理由のひとつは、それ(子育てのカルト化)をやむにやまれず必要としてしまう人がいて、その人達の立場や気持ちも理解できないではないからです。

では、子育てのカルト化とは、そもそもなにを指しているのでしょう?



まず、「カルト」とは、カルトに詳しい『やや日刊カルト新聞』総裁の藤倉善郎さんによれば以下の定義。


「カルト」の基本的な定義は、「違法行為や人権侵害を行う団体」である。現実問題として、これらのうち特に宗教的なものや精神性の強い集団・人物の問題が、「カルト問題」として扱われている

三重県の麻疹感染拡大の背後にある、「反ワクチン」「反医療」信仰の危うさ HBOより)



いま子育てを取り巻く周辺には、エセ科学、エセ医療、エセ歴史、子育ての不安を煽ってなされるマインドコントロール、子育ての悩みを抱えた人を狙った不誠実なビジネスなどが大変強い勢いで勢力を伸ばしてきています。

そのあり方はいろいろなので、必ずしも一般に考えられるような「カルト宗教」的なものだけを指しているのではありません。
デマや不安を煽るような言説、または他者をマインドコントロールして自分に依存するようにしむけること。こういったこともその一部です。


例えば、いま人々には原発事故から放射線に対する不安、心配があります。だから線量を気にしたり、その食品への影響を考えるのはおかしなことではありません。
しかし、それを手玉にとって、「この○○から作った薬を飲みなさい、それをしなければお子さんは病気になってしまいます」などというのは、不誠実なことです。
こういったこと、一見多くの人が「そんなものには騙されない」と思うことでしょう。
しかし、不安や心配の多い子育てという状況では、いまそのように思える人ですら引き込まれてしまうことがあります。



◆カウンセリングにおけるカルト化

カウンセラーですらカルト化することができます。

僕は「あごの下くすぐり理論」と名付けていますが、その人の承認欲求を満たしてあげることを言えば、カウンセリングに来た人は満足し、依存し、絶大な信頼を寄せてくれます。
ましてやそれが他の人が言ってくれないことであればなおさらです。
それをすると、カウンセリングのクライアントは「信者化」して、その人を支持しお金もたくさん払ってくれ、さらには大変好意的な意見で宣伝すらしてくれます。


つまりこれ、マインドコントロールなのです。


先月だったかな、記事の中で自分が我が子へ手をあげてしまう悩みを言ってきた人に対して「子供は叩かれるために生まれてきた」と答えてしまうカウンセラーがいたこと、その人はカウンセラーとして道を踏み外していると書きました。
そのときは名前を挙げなかったけれども、心屋仁之助という人です。
リンクは貼りませんが、本人のオフィシャルブログ(2018年08月31日)でそう述べています。
「(子供を)傷つけて、いーよ」(※かっこ部は筆者補足、それ以外は原文ママ)
とまで言っています。


本来、カウンセラーであれば、決してそのようには言いません。話を聞き、その人を責めないとしても、不適切な行為を勧めることはありえないのです。それでは子供の人権侵害が起こってしまいます。
しかし、それをすればその人が安心することはわかっています。でも、長期的に見たときそれはクライアントのためになりません。
だから、これはカウンセリングの禁じ手です。


その相談者は、強い自己否定の中にいます。我が子を叩きたくないのに自身が叩かれてきた生育歴ゆえにそれを繰り返してしまい、そこに強い自責の念があります。
もし、誰かがそれを「やっていいよ」と言えば、自身の承認してもらいたいところが承認されてインスタントに満たされます。

「くすぐって欲しいあごの下をくすぐってあげること」
これをしてしまっています。


本来、その人が我が子を叩いてしまう問題は、実のところ副次的な問題です。
その人は、子育て以前の自分個人の問題でネックを抱えており、その状況のまま子育てに向き合わなければならないことから現実的な齟齬が生まれています。

カウンセリングであれば、その子育て以前のその人個人の問題を軽減してあげることで、間接的に子供を叩かないでいられる状況をもたらしていくべきです。


この心屋という人は、それをせずに相談者の承認欲求をくすぐることで、偽りの自己肯定を生みだし、それは同時に「満たされがたい自分の承認欲求を満たしてくれる人」というカウンセラーへの依存、賞賛を作り出しています。

これは意図的な信者化です。


先日「心屋さんや僕のような人にタッグを組んで欲しい」というコメントをいただきました。僕はそのコメントがあったときもどう返答すればいいか大変悩みました。そのあと別の読者の方で、心屋のリスキーなことを指摘する方がコメントして下さったので、とりあえず返信を保留することができました。
(おそらく心屋とタッグを組む人がいるとしたら絵本作家ののぶみでしょう。彼のしていること、母親の承認欲求をくすぐり自分への依存を作り出す、としていることの構造は同じ)


僕の子育て相談のクライアントの中にも、心屋式の心理カウンセリングに通ってそれが心の安定につながっているという方が複数います。
その人達にとって、それが支えとなっているのも事実なわけです。それの全部が全部悪いというわけではないのも事実でしょう。

それゆえに、この問題は僕の心に重くのしかかっています。
僕自身もかつて心屋関連のものを読んで、なかなか良いのではないかと思ったこともあります。
カルトというのは、部分的には良いもの(よく見えるもの)があるものです。これはカルトの特徴です。
しかし、部分が良いからといって、総体としてダメなものが良くなるわけではありません。



承認欲求を満たし依存させ信者化を図るのは、カルトの特徴です。
いま、「支配と子育て」のテーマで他の記事を書いていますが、このカルト化にも支配があるのがわかりますでしょうか。
その人を自分に強く依存させることで、ある種の精神的な支配ができるわけです。これと対になっているのは、それをさせる人の自己愛です。
この心屋なる人は、自身の講演などで自分が歌を歌うのだそうです。
新興宗教の教祖にも、しばしば同様のケースがあります。

自己愛の強い人は、場合によっては自覚なき悪意なき他者支配をナチュラルにできてしまいます。
この傾向はモラハラ夫などにも多く見られるものです。
そこには自己愛と他者支配の関係性があります。

この心屋氏がそうかどうか僕はわかりませんが、もしそうだとしたらカウンセリングに来た人が逆に精神的に搾取されている状態と言えます。


この種の承認欲求をくすぐり依存をさせる手法は、これに限るものではありません。
カウンセリング、スピリチュアル、占い、民間療法などのなかにも大変たくさんあります。




◆医療、健康関連のカルト化

最近、ものすごい勢いで伸びているのが、反科学、反医療。そこまでいかずとも「自然なものこそ身体にいい」といった自然礼賛の文脈で言われるもの。

ワクチン否定などもそのひとつとしてあると言えるでしょう。

ワクチンにも確かに重篤な副反応が出る場合はあります。
僕も実際にそういったケースを知っているので、ワクチンに対する不安があるのも理解できます。
ですが、ワクチンが防ぐ病気と、ワクチンによってなってしまう問題とを確率的にみた場合、比べものにならないほどワクチンの有用性はあります。(ここでは有用性が検証中のものは除く)

しかし、不安というのは煽れば簡単に大きくなるので、そういった客観的判断を鈍らせてしまいます。

そしてまた、こういったことを広める側は、そういった人の不安に向けてなされるので人の心に響きやすいのです。


いわゆる、デマの方が真実よりも人に訴えかける力が強いという状態です。


誠実なもののいい方をしようとすれば、断定を避け「~~かもしれない」「~~の可能性がある」といったいい方になってしまうのに対して、人を煽ろうとする人は遠慮なしに「○○すれば~~になる」といった断定的ないい方をすることができてしまいます。



子育て界隈には、そういった科学的な判断よりも、キャッチーなデマの方が入りやすい土壌が普段から醸成されています。それゆえに、不誠実なものが入り込むのもたやすいです。

例えば、

「最近の子は、普段から清潔にしすぎるから病気になりやすくなっているのだ」
「最近の子は、普段から清潔にしすぎるからアレルギーになるのだ」

といった物言いを聞いたことがありませんか?

この言説はけっこう一般に広まっているようです。保育士の口からもこの種の話が出てくるのを耳にしたことが複数あります。



この言葉、一見もっともらしいのです。
もっともらしいだけでなく、もしかするとある種の一面の事実すら含まれているかも知れません。

しかし、これは聞く人、読む人の視野を狭め、ある種の誘導を作り出しています。
それは、「清潔にすることによって多くの病気を未然に防いでいる恩恵のあること」です。

公衆衛生の概念の発達によって、人類はどれほどの健康上の恩恵を得たことか。それを言う人ももちろんその恩恵の上に生活しているわけですが、そのことに気づかない視野狭窄をもたらしています。

その言葉はそれを言う人も悪意があるわけでもないでしょう。
しかし、このようなキャッチーな話の流布は、デマの入り込みやすい土壌を作ることに一役買ってしまっています。

(血液型性格判断の話のような無根拠の決めつけの流布が、間接的に「○○脳」といったカルトの土壌になっているのも同じ構造)



先日、このブログの自身のお子さんの発達障がいについてのコメントに対して、別の方からのある医師とある特定の出版社の本を薦めるコメントがありました。
申し訳ないのだけど、そのコメントは削除しました。
それも子育てを取り巻くカルトのひとつだからです。

そのコメントをつけてくれた人が悪意のないこともわかります。
その人がそういったものに依存したくなる気持ちも理解できます。
しかし、それでも僕はカルトを広めるのを看過できないと判断しました。


その出版社は、発達障がい関連の本を多数出しており、その出版社社長もそこから本を出しています。
主に、「発達障がいは治る」という趣旨のものです。


ここにも、悩みを抱える人の承認欲求を満たす構造が含まれています。

発達上の個性が強い子供を育てるのは、ケースによっては本当に大変です。精神的にも身体的にも、また自己肯定の上でもある種の危機が生じます。


他者から責められたり否定されたり、実際に直接されなくてもそういった雰囲気や視線を醸し出されたり。それらが全くなくてすら、自責の念で自己否定におちいりやすいです。
こういった状況にある人にとって、「発達障がいは治る」という断言の言説は、自己承認を救ってくれる言葉になることがあります。


しかし、多様な個性や症状がある「発達障がい」というものに対して、断定的に「治る」ということは、ある種の無責任さがなければ言えないことです。


そもそも、なんらかの療法による治療の因果関係が明確なものだったら、発達障がいには分類されず病名や症例名がつけられるわけです。


基本的に発達障がいは、発達上のばらつきによる環境への適応の難しさのあるものを指してそのように呼んでいるのですから、断定的に言うのはむしろ不自然ですらあるのです。(また、社会における発達障がいの理解を後退させるものともなりえる)


しかし、そのような「治る」という断定は、人によっては「あごの下をくすぐってもらえる」ことになり、それが真実かどうかよりも自分の思うところを肯定してもらえたということから、依存、信者化へと発展してしまいます。


この種のことを、医師なり専門家が言っている触れ込みの本は多数あります。

これらの本のレビュー欄をみると、ある特徴があります。
この視点を持っていないと気づかないのだけど、意図して見えると明らかに見えてきます。

それが、その著者に対して「尊敬している」といった言葉が複数の人から多数寄せられていることです。


普通、本の中でもどれほど良いことを述べても、よほど体系的ななにかを表しているとかでもなければ、本を読んだというそれだけではなかなか「尊敬される」というところまではそうそうならないものです。

直接の関わりがあってそこで大変自己犠牲的な献身をされたとか、継続的に付き合う中でその人の誠実さを理解するに至ったという結果であればわからなくもありません。


しかし、この種の本には「尊敬」という表現が多数寄せられます。
これはなにを表しているか?

「自分のなかなか認めがたい承認欲求を満たしてもらえた」

からなのです。

これをすれば、他者からの賞賛、尊敬を簡単に作り出すことができます。
上記の、承認欲求を満たすことで依存し信者化させるものと同じ構造があるのです。



これをお金を稼ぐために意図的にする人もいます。
一方で、少しもお金儲けにはしていない人もいます。

お金儲けが露骨だと比較的それに問題があることがわかりやすいです。(実際には、依存の中でマインドコントロールが可能なので、ここもわかりにくく目くらましできる手法がある)

お金儲けにしてはいないのだけど、カルト化して他者の支配、搾取を行うものもあります。
では、それはなんのためなのか?


実は、そこにあるのはそれを広める人自身の、自己承認のためです。

自己承認にネックを抱える人が、無意識に他者を依存させコントロールし、その人達に自分を必要とさせることで、自身の自己承認を満たすという構造です。


これを意識してやっている人もいれば、無意識にやっている純粋な善人ということもあります。

しかし、いくらその人に悪意がなくともそれは(害があるかないかは別として)ある種のカルトであることは違いがありません。

そして、トンデモな言説ほど、こういった信者の純化が強くなります。
だから、言う人が最初はさほどトンデモでもなかったのに、どんどんエスカレートしてトンデモ化していくことも起こります。



信者化した人は、他者にもそれを広めたいという心理が生まれます。
他者もそれを承認してくれることで、間接的に自己承認に利するからです。

ですので、カルティックなものには、賛同のレビューと批判のレビューの両極端が並びます。
ただし、Amazonなどでは不適切通報をたくさんすることで批判レビューは消えていきます。
批判する方は他者を攻撃する必要がないのに対して、信者化している人にとっては自己承認の阻害要因になるので、それへの批判は自分への攻撃として感じ取られ、逆に批判者を攻撃することになりえます。


そのくだんの出版社社長のTwitterを見ると、他者に対して大変攻撃的なものが多数みられます。
ここに見られるのも、自己愛と自身の自己承認に対するネック、それゆえに自己が否定されたときの自己防衛からの他者攻撃の強さです。
これも自己愛と他者支配の関連性です。



さて、このような子育てや子供をとりまくカルト性が近年すさまじく、僕は本当に日々憂慮しています。
ここに述べたものは本当に氷山の一角で、こういったものが教育や政治に入り込んでいるもの、医療の現場にまで入り込んでしまっているもの、すでに多くの現実の問題となっています。


また、うまく伝えられませんが、この問題は単体のものとしてあるだけではなく、モラハラの問題や毒親の問題、虐待、アダルトチルドレンの問題などと、どこか底の方でつながっているところがあります。
僕はこれを貫いているものが、「支配」というものだと強く感じています。

僕の専門であるところの子育てが、実はこの支配の起点となっている節があります。僕はこれらのカルト化する問題には間接的に関わってはいますが、直接的には子育てや保育から支配を無くすことで、これらの問題の解に導けるよう尽力したいと思っています。



この種の問題に関しては、Wezzyで『スピリチュアル百鬼夜行』という連載を書いている山田ノジルさんのお話は、子育てを取り巻くカルトに取り込まれない免疫をつけておくために一読をお勧めします。
「私はそういうのにはまらない」と思っている人も、他人事ではないと認識しておく方がいいと思います。

少し前にキャベツ湿布騒動などあったように、医者などの専門家や、公的なメディアまでが浸食されています。(この騒動のときは保健師や助産師が発端)
例えば、いまホットなところではグリコの『Co育てPROJECT 』通称「こぺ」が、「男女脳の違い」というエセ科学に取り込まれてしまっています。


また、エセ科学、エセ歴史批判については原田実さんの研究が学校での蔓延を防ぐのに大きな力を発揮しました。

この著書の中で「親学」に触れられています(第二章)。いま問題となっている福岡県の「あかつき保育園」は、この親学と関連があります。
あの問題は、単なる保育士の不適切保育ではとどまらないものを秘めています。

ちなみに、現に日本中の小学校で行われている「二分の一成人式」も「親学」が元になっており、親への感謝から子供を支配しようという意図が露骨にあります。
学校教員も、この支配のメンタルにとらわれておりそれにシンパシーがあるようで、批判があっても「二分の一成人式」がなかなかやめられません。


さて、エネルギー切れで今回書き切れなかったのですが、これだけは補足しなければということがあるので、それについては後日書きます。(ちょっとメンタル的にいつ書けるかは未定)

カルトに引き込まれてしまう大人の背景にある問題。「孤立」についてです。


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● COMMENT ●

ありがとうございます。

記事の中での、本を薦めるコメントをしたのは私です。
その時はとにかく知ってほしいという気持ちでしたが、削除されていたので、きっと理由があるんだと思いつつもモヤモヤしていたので、記事にしていただいてありがとうございます。

確かに私自身発達障害のある息子を育てる事に大きな大きな孤独と不安とストレスを日々抱えており、このように指摘されるまで気付けなかった事がたくさんありました。

おとーちゃんのエネルギーを奪ってしまい申し訳ないです。大人として、子供を育てる親として自分で考えられるよう冷静になりたいと思います。おとーちゃんが薦められている本も読んでみたいと思います。

ありがとうございました。続きの記事でも勉強させてもらいます。

カルトに分類されるのですね。

今回の記事、びっくりでした。
私は心屋さんは分からないですが、心屋さんからお勉強された福田花奈絵さんという方に救われている母親です。
それまでは、保育士おとーちゃんさん、Licoさんのブログが私の育児の支えだったのですが、おふたりとも子どもへ焦点を当ててらっしゃるので、もともと自己肯定感の低い私は、余裕がないときはどうしてもお二人のようにはできませんでした。しかし福田花奈絵さんは子どもよりもまず自分へ焦点を当てることをすすめています。どんな自分も受け入れて認めること、そうすることで子どもや夫、他人のどんな部分もあるがまま受け入れることができると。自分は彼女にお金も払ってませんし、無料メールやブログを読んでいるだけです。それでも子どもから自分へ焦点を変えることで、たしかに以前より子どもを受け入れることができるようになりました。彼女を知る前は、無理してがんばって子どもを受け入れようとしていた部分がありました。カルトというくくりにされてしまうのは驚きでした。どこからが危なくて、どこからが危なくないのか。素人には判断つきませんね。

私は、すぐに相手を支配したくなるような癖を持っています。だからこそ、気をつけなければならないと感じています。
自分が気をつけているので、支配してくる人にはとても敏感になりました。様々な支配があり、そして無意識にしている人がほとんどだと思いました。
他人を支配する以外の生き方を知らないような。優しく支配している人もいました。特定の人物だけ支配する人もいました。
私もそうなっている危険性があるなと、忘れないようにしています。
人は人に嫌われたくありません。書きにくいことだったと思います。
応援しています。

いつも勉強させて貰ってます。
記事を書くのに色んな立場の人のことを考えたり、伝わりやすい言葉、誤解を生まない表現など、書き上げるのに膨大なエネルギーがいることだと思います。

大変だと思いますが、無理のないように続けて貰えたらうれしいです。
私も応援してます。

書きにくいことを書いて頂いてありがとうございます

とてもエネルギーを使われたことと思います。考えていくだけでも気が重くなりますが、目をそらしてはいけないことを書いて頂いてありがとうございます。

部分的に見ればいいところもある、その部分で救われている人もいるというのが難しいですね。。反ワクチンの人などは身近にもいますし。
という私も取り込まれないように気をつけようと思います(>_<)

精神的にもムリをなさらず、書いてください!私も応援しています。
いつもありがとうございます🌟😊

記事をありがとうございます

おとーちゃんさん、このような記事を書いて下さり本当にありがとうございます。
精神的にも体力的にも大変負担のかかる作業だった事と思います。
おとーちゃんさんの記事にいつも励まされ、自分の足で子供達と歩んで行こうと背中を押されています。
山田ノジルさんの連載、私も読んでいたので紹介されていて嬉しいです。
ちなみに私は小児科医の森戸やすみさんのブログもたまに読んでいます。
ワクチンの事や妊娠中のトンデモ(妊娠のトンデモも沢山あるんですよね…)に対して根拠をもって書かれているので参考になります。
おとーちゃんさん、どうかご自愛ください。

育児は薄氷を踏むようなもので、なぜこれほど辛いのだろうと考えることがあります。

出産後、睡眠不足とジェットコースターのような気分の浮き沈みの中で無意識に信じていたこと、それは「お母さんの食事の味が母乳に出る」でした。
冷静に考えれば、血液にそのまま流れる訳なくその程度の教育は受けている(消化吸収などは理科でやりますよね)のに何で真面目に考えてたんだか、と今は笑えるようになりました。
ネットしかない中で声の大きいサイトが何度もヒットして刷り込まれてたんだなと思います。

自分の産後は、睡眠不足、時間不足、承認不足で、育児に自分の親関係の苦しさがまるっと持ち込まれ、夫婦の喧嘩は激増し、更に愛情不足という、不足でも解消でも目に見えないものとの闘いで、不安定極まれりでした。

そのギリギリを、おとーちゃんのブログが、読むことは辛いけれど(親子関係や自分の支配欲等認めたくない部分と向き合わなくてはならないから)、辛うじて現実の育児に繋ぎ止めてくれました。
おとーちゃんのブログは私には甘く優しくはありませんが、温かいものです。「ああ、そうなんだ~」と傍に立っていてもらっているような気持ちでいます。
うまく言えないのですが、気づきであって答えではないのです。
代わりに答えを出してくれる人がいたら、とても楽になりますね。承認してもらえたら、支配であっても救われるのかもしれません。私も揺らぎそうになります。支配する、される心地好さと甘美さが確かにあるのです…。

明言されたことで攻撃されるのではないかと心配です。(思想の違う他者への攻撃、自身の正当性へのすり替えはカルトの特徴なので)
それでも、というおとーちゃんの強い気持ちを感じ、コメントせずにはいられませんでした。
何処までも続く薄氷を踏み抜いて落ちていくことのないように、今日も記事を読み返します。
あごの下より、子供の脇腹こちょこちょが、我が家では一番幸せな時間です。

いつもありがとうございます

いつもここで勉強させていただいています。

おとーちゃんさんがこのような記事を書かなければならなかった、ということの重みを感じています。

お体をどうぞ大切になさって下さい。

書いて下さってありがとうございました。

今回の記事、おとーちゃんがとても気を使われて書かれてのが伝わってきます。

うちも何かあれば脇コチョコチョです(笑)
この効果を実感してます!

大変な事も多いと思いますが、これからも悩める親たちの為発信お願いします!
応援しています★



カウンセリングを受けることに対してハードルが低い国があり、日本もそうなっていけば問題を抱え込む人(自分も含めて)が減少するのではと考えていました。
でも本記事を読み、適切なカウンセラーに出会えるかどうかでその後が大きく変わる危険があることに気付きました。そもそもカウンセリングを求めるときは心が弱っているときが大半でしょうから、ギャンブルにも近いのでは・・・
すごく考えさせられました。
私も他の皆さんと同様応援しています!

応援してます

子育てをしていて、自分の育ち方を振り返る機会が多く、おとーちゃんのブログに助けられています。おとーちゃんのおっしゃる、いろいろな問題がからんでいることも、自分を振り返ると理解できます。
二分の一成人式はいわゆる普通の親子にとっては感動的なのでしょうが、そうでなければどうなのでしょう。これだけいろいろな事件が起こっているのに、先生が親を感動させたいから強制的に『人の役に立つ仕事を書け。親への感謝の気持ちを書け』というのはどうなんだ、と感じています。

今回はデリケートで書きにくいテーマだったと思います。でも書いてくれたおとーちゃんに感謝します。
メディアが力の強い方の味方をし、多数がその情報を信じて広まる。強い者はより強く、弱い者はさらに弱くなる悪循環。
おとーちゃんのブログが一人でも多くの人に届きますように。

ありがとうございます。

私はずっと心屋さんの何がひっかかるのか、がわかりませんでした。
心屋系のカウンセリングも受けたことがあります。
そのカウンセラーのカウンセリングはひっかかるところはなかったのですが、そのカウンセラーの方が尊敬している心屋さんの言っていることはどうしても理解出来ませんでした。
でも、今回おとーちゃんさんが記事を書いてくれて、納得しました。
やっぱり理解出来なくて良かったんだ、と思いました。

子どもを傷つけていいわけがありません。
もちろん、いろいろな環境や理由があり、そうなってしまう場合があることはわかります。
でも、それを「いいですよ」と言ってしまうのは…なんというか、誰も救われないような気がします。

おとーちゃんさん、辛い記事を書いていただいてありがとうございます。
でも、こうして知ることができて、本当に良かったです。
知らない、というのは怖いことです。
これからも応援しています。
またセミナーなどにも参加したいと思っています。
お身体に気をつけてくださいね。

いつもブログ楽しみにしています。
おとーちゃんの本を読んだり、セミナーにも1度参加させていただきました。
勉強させていただいていると共に「おとーちゃんの様な職業柄ならではの苦悩やプレッシャーって無いのかな?」等、おとーちゃん自身の事も少し気になる様になっていました。
先の方でコメントにありますが、おとーちゃんの発信されている言葉は、私にとっていつも優しいばかりではありません。
時には自分の育児があまりにもおとーちゃんに届かなすぎて逆に落ち込む事さえあります。
でも、それはおとーちゃんにとっては不本意なのだろうな、とも思います。
そういった部分でおとーちゃんの仕事の難しさを感じます。
心屋さんは存じ上げませんでしたが、少しブログを拝見しました。
少し覗いただけなので良いとか悪いとかはわかりませんが、言葉が短くシンプルで読みやすく感じました。
おとーちゃんの文章はいつも比較的長く、時に難しくて正直分かりにくい事もあります。
でもそこで気が付いたのですが、文章がつい長くなる様な、そんなおとーちゃんの人柄に私は信頼を感じているんだと思います。
相手が嬉しくなる様な事だけ言えばいいなら簡単です。
でも、自分の行動を見直したり考えるきっかけを与えてくれるおとーちゃんの言葉はとてもありがたい宝物です。
ブログを続けてくださっている事、本当に感謝しています。

ゆるく支配の危険

おとーちゃんさん、書きにくいことを書いてくださって、本当にありがとうございます。
私自身も孤独だった妊娠時に心屋さんと繋がりのあるhappyさんにハマっていました。
自己否定から始まった人にとっては安心する場所であり、自分を愛するというある意味間違いではないことを繰り返し説いているのでゆるゆるとのめり込んでいきました。
出産してから時間がなくなって疎遠になり、今はもういいやという感じですが、それ以前からあれ?と思う箇所はありました。
それは他者との関係です。机の上に立ってもこどもはそうしたいからしているのでよい、私たちの間違った常識を疑えとご本人は学んだとのことでした。でも、自分一人の世界ではよくてもつきつめると自分がよいなら殺人も良いの?という話になります。
これはご本人もいつか書かれていたのですが、ブログは削除されていました。お札をやぶったり、アクセサリーやDVD販売など、何も知らない他人が聞いたら信仰宗教やねずみ講のようなものですが、その時は救われていた気がします。
私は逆に出産してから、こどもに自分を愛していたらすべては必然だと教えるのかと疑問に思いました。
うまく書けませんが、このあたりの話は著名人やテレビ局も関わっていたり、おとーちゃんさんが書いてくださった通り、全部が間違いではないので難しい、でもいつか疑問がでるだろうなと感じていました。

おとーちゃんさんの心のオリが消えて、ゆっくり眠れるよう祈っています。
おとーちゃんさんの記事にとてもはげまされたので、いつでも応援しています!
くれぐれもご無理なさらず。

科学的な見方

おとーちゃん,いつも大切な問題提起をありがとうございます.

私は大学院まで自然科学を勉強してきました.そこで学んだことは,「結果は1か0かではない」ということです.身体に良い・悪い,環境に影響がある・ない,などはすべて確率的なもので,対象によっても変わってくるものです.最近では科学が対象とする多くの事象では確率論が大事であることが分かってきています.特に人間の身体や環境は非常に複雑で,はっきりと因果関係を明言できることなどそう多くありません.ですから,何かを断言している場合にはそれを疑ってかかることがとても大切だと思っています.もしかしたらこういった科学的なものの見方を学ぶことも,カルトに騙されないためには大事なのかもしれません.

そういうことを理解していたはずの私ですら,産後1年は授乳に関わることで不安定になり,民間療法に頼ったり効くかどうかわからないハーブティーを購入したりしました.心が弱っているときは藁にもすがりたくなりますね.でも,心のどこかに「本当なのそれ?」という思いがあったと思います.科学を勉強してきたことが,私の人生ではとてもよいバランスを保つ役割を果たしてくれていると思います.

私の周りにも,子どもにワクチンを打たせない親(自然礼賛系や宗教的な理由)や,アトピーのお子さんに標準治療をさせない親がいます.無農薬・オーガニック野菜などを扱うところには新興宗教がバックにいるケースも多いそうです.友達がそういうところにのめりこんでいくのをみると,気持ちはわかるだけになんとも言えない気持ちになります.自治体の推す「食育」も非常に微妙で,「朝ごはんにトースト食べるなんて駄目ですよ.和食にしてください」などと言われ,これはもはや宗教では?日本どうなっちゃうの?と思いました.どこでどう線引きしたらいいか,よくわからないのも事実ですが,科学的な根拠がきちんと立証されているかどうかで判断するしかないのかなと思っています.(そんなのいちいちチェックしていられませんが…)

モヤモヤしています

いつも、楽しみに拝読しています。
今回の内容も、今まで自分が感じてきたことがズバッと言葉になっているように感じて、読んでいて自分の気持ちの理由が分かってスッキリしたように思いました。

私の周りにも、かなり極端な考え方や、明らかに非科学的と思われることを信じて子育てにその考えを持ち込んでいる方が何人かいます。
そこまで極端でないにせよ、それはどうかなー、根拠あるのかなー、ということを平気で(悪気なく)周囲の方に触れ回る方もいます。

そういったところから、自分自身を省みて、情報を読み解く力や、簡単に鵜呑みにしない力をつけていきたいし、我が子にもそういったことを伝えていきたいと感じています。


ただ…、今回の記事や、いくつかの過去記事でモヤっとした気持ちになったことがあり…。
何日か理由を考えたのですが、よく分かりませんでした。なので、そのままコメントさせてください。

今回の記事では、特定の方の考え方や発言を批判されていたかと思います。そのこと自体には何も思わないのですが、相手の名前を呼び捨てにしていることがひっかかってしまいました。発言内容や考え方に嫌悪感をお持ちのようですから、敬称をつけるに値しない、ということなのかもしれませんが、他人の考えや思想を批判することと、相手の人そのものを尊重しないということには、大きな違いがあるように思えまして…。

これまでの記事でも、モヤっとしたのは、多くが批判的な記事に関してだったように思います(ご子息様の学校の先生に対するもの等)。
私自身に何かつまらないこだわりや思い込みがあって、そう感じているのかもしれません。

ただ、おとーちゃんさんが言っているから、全て正しいはずだ、となると、それもまた一つの宗教のようになってしまうのかなーとも思います。

誰々が言っているから正しいと考えるのではなく、言っている内容を読み取って判断していきたいと思います。
それが、おとーちゃんさんがこれまで何度も伝えてくださっているメッセージのようにも思います。

まとまらず長文になりました。
今後も楽しみにしております。

子どもの乳幼児期にはおとーちゃんのブログを繰り返し読んでたくさん学びました。今では小学校中学年になってしまい、久しぶりに拝読しました。
私もももじろうさんと同じく、大学院まで行きクリティカルなものの見方を身につけていたはず。。。なのに、体験したことのない赤ちゃんとの関わりですっかりおかしくなった経験あります。

さて、 今回読んでいて、ある経験を思い出してしまいました。私は、おとーちゃんもおススメの積み木を1歳頃から息子に与えてきて、当時住んでいた地方都市で、積み木教室のイベントに参加した時のことです。

その先生は、参加者の親に「子どもの育ちには、積み木と絵本の両方が揃わないとダメなんです」と力説。それを聞いて、以後そこに行くのはやめました。積み木も絵本もあれば素晴らしいけれど、ないのがダメって…。両方揃った環境で育たない人なんてたくさんいて、そういう人はみな「ダメ」なのかと腹が立ちます。

ちなみにそこは童具共育をやっているところなのですが、和久先生の意図や主張を表面だけわかった気になっているのかなと思います。

まあ、多分悪気はなく、積み木と絵本は良いと言っているつもりなのでしょう。でも、きっと子育てや教育に憂いを抱えている人は、お金をとる「プロ」にそんなこと言われたら焦るでしょうし、無理してでも全部揃えなくてはならないと思ってしまう人だっているかと思います。

そして、おとーちゃんのおっしゃる「支配」、この先生にも思い切り感じました。親の私にも、当時2歳にもならない息子にもダメ出ししてましたから… でも、親の承認欲求を満たす手法じゃないだけに、あまりに分かりやすくて良かったかもしれませが (^_^;)

こちらは公開いただかなくても大丈夫なのですが、昨日コメントをかいてから気になっていたことがありました。モラハラと同じようなかんじですが、相手にとっては賞賛批判は注目されているから良いことであり、無関心が一番よくないこと。
ずるずる考えて気がついたら相手のばかり考えていたなんてことになりかねないので、切り上げどころといいますかまとめが難しいですね。
おとーちゃんさんはプロとして、その上で書かれていると思うのですが、自身もモラハラを受けた記憶を辿ると、だんだん考えがその人で埋まって、普段なら気にならないこともこれもだ!と調べたりしていた気がします。
最終的に、自身で変われる人や気づける人もいれば、救えない、変わらない人もいるのだと受けとめました。
モラハラを受けたからこそざわざわするのかもしれません。

孫育て中です。
支配というものについて考えさせられています。女性への性暴力も権力者を陰で操っているのも同じ支配欲を満たすためではないか、と思います。
支配欲に感化されてしまった母親が子育てにどう向き合うことになうのか、子供にどんな影響があるのか気がかりです。

ワクチン拒否の友達に対して

こんにちは。おとーちゃん先生のコラム、いつも勉強になっています。私も保育士としてブログを書いていて、主に友人などに保育についての正しい知識や科学的根拠のあることを発信したい気持ちで書いていました。
私は昔、福島の汚染問題に関心があったこともあり、FB界隈では自然崇拝、政治不信によるワクチン反対派が多く、ワクチンについて書いたときに、やはり反論をもらいました。
「ワクチンはとても気を遣われてる問題だから、公の場のブログに載せない方がいい」「ワクチンについてのお話会や医師の講演会に行ったが、「推奨」「反対」とは誰も言わなかった。それくらい、人に勧めるには気を遣った方がいい」と言われました。
確かに、私のブログを読んでワクチンを接種して、「副反応が起こってしまった場合、責任を取れるのか」と言われると、迷ってしまいました。
でも、私は保育士として、医療の意見に従うように親に伝えているのです。公の場で、仕事として、伝えています。
友達の言うことを鵜呑みにすると、医療も、保育も、科学的知見のあることを伝えることはダメってことになってしまいます。私は、医学においても、保育にもおいても、学術的な専門家ではありませんから。
医療の科学的知見を保育士として伝えることは、間違っているのか?と、今、悩んでいます。
ワクチン反対派と推奨派の溝は本当に深いです。疲れてしまいますから、ワクチンのことなど触れなければよかったのかもしれません。でも、保育士として、友達の言葉を鵜呑みにするのも何か違う気がして…。

心屋さんについて

こんばんわ(*^^*)
実は、保育士おとーちゃんと心屋さんな考えは、少し似ているなーと前々から思っていたのですが、それは複雑なものだったのですね。
保育士おとーちゃんを悩ませてはしまいますが、私は、心屋さんの考えも好きで、おとーちゃんの考えも、もちろん大好きです。
このカルト化のブログは、びっくりしました!私は、心屋さんも好きなので、やはり複雑ではありましたが、おとーちゃんの誠実なブログも、すごく共感致しました。
私は、わりとハマり込みにくいタイプで、心屋さんが好きでも、否定や批判されていても、反感は覚えないようで(ある意味白状でしょうか(^_^;))、むしろ、おとーちゃんの考えにもひどく共感いたしました。
確かに、心屋さんの場合は、悪意のないカルト的な側面はあるように思いました。
なので、心屋さんを好きな方は、信者と呼ばれる所以ですね。
心屋さんは、自分に依存させたくない思いがあるようですが、依存させてしまっている側面は多々あるのかもしれません。
「子供は、親を選んで生まれる」ということや、人生のシナリオは、全てに意味がある、というスピリチュアルなことを信じるゆえの、「子供は叩かれるために生まれてきた」というコメントであり、おそらく心屋さんは、相談者の承認要求を満たす意図はなかったと思われますが、保育士おとーちゃんが指摘するように、承認要求を満たし、依存させた、という側面は否定出来ないと私も思います。
悪意があるなしが関係しないのが、カルト的なことの怖さですね。
私は、心屋さんの意図を読むには、信者的になってしまうと、間違えてしまいがちなので、なかなかおもしろい考えだな、と参考にする程度が入りやすいのかもしれないな、と考えています。
なんだか、おとーちゃんを悩ませるコメントでしたら、申し訳ありません。
ただ、1つ言いたいのは、やはり私は、おとーちゃんの考えは、自分と違う考えが含まれていたとしても、とても好きです。
これからも、ブログ楽しみにいたします!

虐待される子の産まれてきた理由について

池川明先生の胎内記憶の話を第一子妊娠中に知り、こういうことがあったら素敵だなぁと思っていました。
その後、おとーちゃんさんのブログで虐待の肯定に捉えられかねない危険もあることを知り、ちょっとショックでしたが。
フォローするわけではないのですが、私が読んだ池川先生の本でも、胎内記憶がある子に対して、虐待される子はなんのために生まれてきたの?という質問をしていて、その子は「そういうことをしちゃだめだよ、って伝えるために産まれてくる」と答えていました。池川先生の説というより、あくまでその子がそう答えたという話でしたが、なるほどと思いました。
決して虐待されるためとか、叩いてもいいというようなことは書いてなかったです。
心屋さん(知らないのですが…)の、叩いてもいーんだよ、というのは決して許されないと思います。
ヒトは信じたいことを信じますし(私も胎内記憶は信じたいけれど、虐待される子との整合性をつけたいので、上記の話に納得したのだと思います)、それは自由ですが、それで子供含め他者を傷つけるようなことは許さないですよね。
まぁ、本当に信じてる人は、他者に良かれと思ってやってるのがまた難しいですが。

何が言いたかったかというと、悪用されやすいのは分かりますが、スピリチュアル系イコール即悪とは限らないかなと思い、コメントしました。
おとーちゃんさんも、それを悪用しようとする人たちとの親和性の高さや危険性を言っているのだとは思いますが、気を悪くされたらすみません(>_<)

私がおとーちゃんと心屋さんとタックを組んでもらえたら。。とコメントしたものです。
おとーちゃん書きにくいことを書いてくださってありがとうございます。
子育てがうまくできないところに生育歴が関係してること保育士おとーちゃんが示されてて私もずっとそれを感じていました。
心屋さんのことはあまり知らないけど、
何年か前に心屋さんがテレビに出て
今の自分の生きにくさは生育歴に関係しているとゆうことをそんなことを話されていたので、共通するものがあるので
勝手におとーちゃんさんの考えと心屋さんの考えを突き詰めていくと
何かがわかる自分が救われる何かがあるかと思ったりしてしまいました。
ただ、心屋さんのブログを見たりしいましたが、子育てについては
子どもが歯磨きをしたくないのならさせなくていいとか
極端な言い方をされているのを見て
全部を鵜呑みにしてはダメだなと思ってはいました。
特に 諦めたいわけでなく子育てに真剣に取り組みたいのにそのこと自体しなくていいとか書かれているので私が求めてる答えとは違います。
ただ、私が怒りとゆう感情思うをもつことが悪いことと思ってしまうので
怒りたい気持ちを認めるとか表現していいこと、いい子でいなくていいってゆう心屋さんの表現はそうなんだなと素直に思いました。
保育士おとーちゃんさんも子育てに
嘘をつかず、嫌なことはちゃんと子どもに嫌だと伝えることが大事なこと教えてくださいました。
それを教えて下さってどちらの方にも感謝してます。
でも、カルトとかは本当に嫌いです。
なので、信じれる言葉だけ少し借りようかなと思いました。
心屋さんのブログはまあまあな感じでみて
真に受けちゃダメだなと思うことも沢山ありです。

保育士おとーちゃんに対しては信者です。

すみません。先ほどコメントしたものです。
ここで、信者とゆうような表現をしてしまって、すみませんでした(;_;)
保育士おとーちゃんのブログは私の心の支えです。私の子育ての解決策が沢山つまっていて、いつも助けられています。

おとーちゃん様 いつも勉強させてもらってます。ありがとうございます。

毎回なるほど~と読ませてもらってますが、今回は、「なるほど」と「そうなのかな?」が入りまじる難しい問題提起ですね。


人の価値観によって、カルトと呼ぶものは変わってくるのだと思います。おとーちゃんさんがカルトと感じるからにはおとーちゃんさんの中ではカルトなのでしょう。ただ他人からはその線引きが大変難しいところです。

カルトかどうかは「価値観」によって変わるのでは、と言いましたが、その国の常識、地域性、国民性、みたいなあいまいな、だけど必ず人が集団でいたら発生するようなものによって「価値観」は作られていると思います。
今もし、おとーちゃんさんがカルトと呼べるものが子育てに多くなっているとしたら、それは、日本人の価値観が揺らいでいるためではないかなと思います。


昔ながらの育児法がわからない。伝承されていない。または昔ながらは古いと思っている。そのやり方では生活していけない。情報が大量に、そして両極端の意見がある。……などなど、育児だけでも多様化している現代です。
人生においては、上の世代が若い世代にアドバイスできるようなことはどんどんなくなっていく…ような、サイクルの早い時代、今までのやり方では生きていかれない時代の今は、とても特殊な時代だと思います。

そんな中、自然派が出てくるのは自然の流れなのかもしれませんね。

また、科学的なものが絶対だという人が多数なのも、現代の科学技術があって成り立っている人間の生活スタイルを享受している人が多いので、それもまた自然なことと思います。
ただ、科学的なものであっても、科学を「信じる」ということであって、信仰や宗教を信じることと、突き詰めれば大差がないのではないかな、と私は思っています。

ガリレオの地動説、その時代の人々には受け入れられませんでした。全然時代が違うでしょ、と思われるかもしれませんが、科学も医学も長いスパンで見れば、移ろいやすいものなのではないかと私は思っています。医学も科学も「現代」と名がつけば、今後も変わらないようもののように感じますが、宇宙のしくみはまだまだ人間には未知ですよね。

すべてのスピリチュアルや信仰などに賛成しているわけではありません。ただ、この世界や自然、宇宙のしくみに対して謙虚にいようと思ったら、信仰心と呼ばれるものに近くなるのは、自然なことだと思います。

おとーちゃんさんが、自分の頭で考えることだ大事、と言われていますが、本当にその通りだと思います。「支配」が目的であれば「カルト」というものなのだと思います。

でも、与えている?(教えている?)側が、支配の気持ちが潜在的にも全くないのに、受け取る側が勝手に「○○すべきなのだ」という「支配的受け取り方?」をしていることも、多いのではないでしょうか?そのあたりがまた、線引きを難しくしているところでもあると思います。
また、人間は移り変わるので、初期のころと現在では変わっていることも、線引きが難しいのでしょうね。昔は昔、と捉えるのか、昔がダメだったから、今もダメ、と捉えるのか…その逆もありますしね。


また、完璧な人はこの世にはいないので、「そのときその場のその人」がダメだっただけで、総体がダメなわけでもないんじゃないでしょうか…。もちろん支配が目的だったとしたら、やっぱり問題なのですが、そうでない場合、受け取る側の質にも左右されるというか…。

言葉ってほんと難しいと思います。おとーちゃんさんがよく、講演に聞きに来てくれれば、自分の言っていることがもっと伝わりやすいって言われますが、耳で聞いても伝わる人、伝わらない人がいますよね。聖書なんかも矛盾したことが書いてある気がして、意味わからん~って思ったことありますが、人へのアドバイスなんてケースバイケースで、その時の状況や相手によって正反対だったりしますもんね。そういうことなのかなと解釈しております。
(カウンセラーとして、おとーちゃんさんが禁じ手だと思われたのもわかるし、実際そうなのだと思います。私も心屋氏はテレビやHP拝見したくらいしか存じ上げません。なので擁護する気もないのですが。)


長々とすみません。ただ、私は一般的には自然派と呼ばれるほうに属していると思いますが、自分の頭で考えて、生活していこうと日々考えております。おとうちゃんさんが、自然派全部ダメ!と言ってるわけではないことはわかっています。が、何も考えないで選んでいるわけでもなく、こちら側も自分の頭で考え、行動しては反省し、また考えるという行為は行っています。私の周りではそういう人が多いです。
でも、そうでない人もいるのでしょうね。支配されているわけではないけど「依存している人」も多いのかもしれませんね。

最後にちょっと意地悪く言わせてもらうと、多数の人々も「現代科学や医学」に依存しているのではないかと思っています。偉い人が良いと言ったから、安全、と何も思わず使用していることは依存とは違うのでしょうか?難しいことはわからないのですが、簡単に鵜呑みにしないこと、が自分で考える第一歩なのかなと思いました。

まとまりまく長々と失礼しました(汗)
おとーちゃんさんのブログ、これからも楽しみに読ませていただきますね!

初めまして

元保育士で3歳の自閉症の息子を育てているふうこと申します。息子が1歳半で自閉症とわかるまではよくおとーちゃんさんの記事を読ませてもらっていました。

私もそこまで詳しいわけではありませんが、発達障害の界隈では〇〇という方法が良いと思っている人は特に他批判に走りやすい傾向にある気がします。

障害があるないにしろ子どもは千差万別ですよね。〇〇という方法が我が子には合っていたという言い方をするのならともかく、〇〇が絶対正しい、◇◇の方法は間違っていると他攻撃するのはいかがなものかと思いながら発達障害界隈を見ていました。

発達障害児は特に健常児と違って本人の意志を確認しずらく、本人に合っているやり方を模索するのが大変ではあります。

我が子は身体のバランスが悪く、某女編集長が出している本の身体アプローチが合ってはいました。しかし他の方法(ABAなど)を批判するのはどうかなと思ってもいました。立場がある人の物の言い方ではありません。


私が言いたいのはどの人にも限らず〇〇が良い、◇◇はダメだと一概に決めつける、それを良いと思っている人をけなす、良く知りもせず簡単に人のことを悪く言う、それ自体が人としてどうかと思います。

心屋って人知らなかったから、気になって、そのページだけ読んできた。
ら、書かれてる日本語がよく分からなくて、まずびっくりした。

保育士おとーちゃんは、全体に対して言葉を発してて、心屋って人のその信じられないコメントは、その相手だけに発してるなって思った。
分からないけど、、、、叩いていいと言われたら、逆に叩かなくなるような心理とか?その相手に向けてのみの即席効果を狙って言ったんかな?とちょっと思った。
全体に向けて言ってたら、ミスなくってならなあかんけど、個人的に向ける言葉って、ケースバイケースでなんでもありになることあるやん。やから、ある意味正しいけど、大きな目でみたら、やばいってことで、合ってますか?あれ、ちょっとちがう、、?
大きな目でみたら正しいことが、しばしば個々を追い詰めてしまう、正論みたいなのの、逆?

心屋って人に対する保育士おとーちゃんの、一番言いたかったこととか、その分析は、全体的に心屋って人をみたら、ほんまにかなり正確にその通りなんやろな、とそのページしか読んでないにも関わらず、ものすごい納得した。

保育士おとーちゃんがすごい分析とすごい説得力だから。ほんと、一文一文を読むのが(誤解うみそうな言い方になるけど)面白かったです。

あと、のぶみのあの有名な本に、ほんまに私は初めから嫌悪感持ってたから、こんな本どんな神経で子供に読むん?ってヒットしてたのが信じられなかったから、保育士おとーちゃんも否定派って分かって、嬉しかった。
仮面ライダーの絵本はほんま面白くて好きやけど。あれは、大丈夫よね?

こんな頭の良いブログにあほであろうコメント書き込むのかなり勇気いります。


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楽しく無理のない子育てを広めたいと2009年ブログ開設。多くの方の応援があって著作の出版や講演活動をするようになりました。 現在は、子育て講演や保育士セミナーの他、『たまひよ』や『AERA with Baby 』等の子育て雑誌の監修やコラム執筆。『ジョブデポ保育士』の監修や育児相談などをいたしております。

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