子供のスマートなコントロールとキラキラ系子育て - 2019.02.27 Wed
子どもを叱るときは「ユーモア・アプローチ」を
これが単に一般の人が言っているというのならば僕もとやかくいわないのだけど、子育てのプロフェッショナルという触れ込みの人が言っているので、あえて苦言を呈しようと思う。専門家と名乗ってこの程度のことを主張されると、保育全体の質が下がり現場は大変苦労する。
◆スマートなコントロールの典型 おしゃれな子供だまし
「オニが来るから○○しなさい」
「○○しないと~~してあげないよ」
これらはいかにも露骨な子供だましで、スマートではない。
またもちろん、ぐちぐち小言を言ったり、イライラして叱ったり怒ったりするのもスマートではなくてかっこよくは見えない。まあ、言ってみれば泥臭い現実の子育て。
これに対して、この方の言うところのユーモアをまじえて「元気なキャベツ!」に言い換えたら、そして、それで子供が思い通り動いたら・・・・・・。
関わりの構造としてみたとき、スマートなだけで本質は上の関わりと大差はない。
そこにあるのは、子供をスマートにコントロールできるという、「そっちの方が子供の対応がラクそう」という感覚と、あともうひとつ。
行間の空気としてしか存在していないので意識しないと見えないのだけど、それを読む側がそういったスマートな子育てをしている自己イメージの投影ができるという、ある種の「キラキラした自分」への期待。「わ~素敵。こういう子育てしてみたい」という層への受けを計算して狙っている感。
じゃあ、実際に子育ての当事者がこういったことをできるかというと、この筆者の経験は、幼稚園教諭として仕事の上で預かった子供に対してしていたというもの。
子育ての当事者は、そういった一歩引いたところから子供に関わる余裕がそもそも多くはない。
記事の文末に「余裕がないことをいいわけにしない」と述べているけれども、子育て当事者は必ずしもいいわけにしているのではなく文字通り「余裕がない」というのも現実。
その箇所からわかるように、この筆者は結局のところ、親に「求めて」しまっている。
このスタンスから発される子育てにまつわる話は、おしなべて親を消耗へと引き込む。
また、子供のタイプによってもこういうアプローチは通じたり通じなかったりがある。
状況によっても、例えばそれ以前が慢性的な過干渉をしていたりすれば、これをいくら努力しても通じなくなっているといったこともある。
幼い内は通じても、年齢が上がるにつれて通じなくもなる。
最初の数回はこれで通じても、子供が慣れてくると通用しなくなる。
子供はバカではない。自分がコントロールされていることを感じ取れば、その手には乗らなくなる。
そして、こういった手が通じない現実にあたったとき親はどうなるだろうか。
真面目にこういった話を真に受けて頑張ってしまう人ほど、それが通じない現実にあたって「私はダメなんだ」と自身をなくしたり、自己否定の気持ちを引き起こさせてしまう。
◆「子供の尊重」概念理解の不十分さ
この方は子育ての専門家と言う触れ込みで、大学院に行って学位もとっているとのこと。
だからこそ余計に気になるのだが、「子供」概念の理解が素人の域を出ていないことが大変残念。
「子供を一人の人格と見なす」のではなく、「子供はコントロールできる(する)もの」という認識に立っている。つまり子供を低く見ている。
子供や保育について専門的に学んだのであればそれはお粗末だと思うのだが、しかし正直なところあまり驚かない。なぜなら、保育関連の大学教授などでも、こういった「スマートなコントロール」を我が物顔で提唱している人はいるから。
世の中に、子供の自主性・主体性について口にする人はたくさんいるけれども、子供についての概念理解が「子供はコントロールできるもの」というスタンスの人で、実践レベルで自主性・主体性を理解し行っていることはない。
◆派生する第二の問題 依存
では、こういったスマートなコントロールが功を奏して、子育ての中でこれを数多く積み重ねていったとしよう。
数年後子供はどうなっているか?
子供の自立が進みコントロールが簡単でなくなったとき、子供は大人の望まない行動を自律的に止められない姿を出すようになる。
一方で、それまで大人にコントロールされることで自分の行動や気持ちがスムーズにいっていたことから、大人への依存が高まった状態になっている。
大人は、あるときこのふたつの相反する問題が同時に吹き出る瞬間に直面することになる。
依存が強く、なおかつ自律的に行動や感情を自分で掌握できない子供の対応はとてもしんどい。それがたとえどんなにかわいい我が子であれ。
◆隠れた問題 背景にある自己承認
最近、こうしたキラキラした自分につながるキラキラした子育て法や、キラキラしたライフスタイルの提案のようなものが人気があるように見える。
子育て関連でも、相当に容姿を意識した女性講師によるキラキラしたスマートな子育て講座のようなものがある。
実際にそれらのニーズも少なくないようだ。
ここには、子育てする人の自己承認、承認欲求の問題が隠れているような気がする。
それがよくないという意味ではない。
それらの意味するところが実のところ子育ての孤立や、不安の裏返しである可能性があるのではと考えられるからだ。
だから、問題の本質は、ムリのない人とのつながりの欠如、僕の視点から言えば子育ての支援の不備にこそあるのではないかと思う。
逆に言うと、子育てに不安がなくて、ムリなく関われる人間関係があるとき、さほどキラキラした子育て、キラキラした自分を求めずに済むだろう。
そうやってみると、「キラキラを求めてしまう心の負荷」のような相反するものが隠れているではないかと心配になる。
ただ、キラキラは感性に訴えかけられるのでお金儲けはしやすいのだろう。ある意味ではそれが堂々とできるのは才能だ。僕ももっと見習った方がいいのかもしれない。
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● COMMENT ●
「スマートなコントロール」が好ましくないのは理解できました。
よくネットで見聞きするのですが、子供が自分から進んで行動するように、仕組みを作る、環境を整えることについてです。
(ホワイトボードと磁石を使って、朝の支度の進捗状況を可視化するなど)
頭でわかるのですが、なぜか行動に移せません。
多分面倒くさいのだと思います。
その有用性は、頭ではわかるのですが。
会社員時代に仕事の効率化を図るために、似たようなこと(仕組みを作る、環境を整える)をしたのですが、周囲に定着することはなく、独り相撲で終わったという経験もあり、ピンときません。
極端な話ですが、他人が作ったルールに沿って行動させられることもまた、スマートなコントロールであるように思えるのですが、違うのでしょうか??
屁理屈かもしれませんが、自分のように周囲がおぜん立てしないと(環境が整わないと)自主的に行動を起こせない大人になってほしくないという気持ちがあります。
私は、忘れ物や遅刻が多い子供でした。今でもその傾向は変わりません。
ですが、私の母は、積極的に忘れ物や遅刻をなくす方法を教えてくれませんでしたし、フォローもしてくれませんでした。
忘れ物や遅刻をして困るのは本人であり、自己責任であるといった感じだったように思います。
母の教育方針が正しかったとは思えません。
思えませんが、リアルなモデルがいないので、どこをどうすればいいのかいまいちわからないでいます。
テーブルの端にコップを大人が置かないようにするのが正しいのか。
子供が自分で気が付いて、自分で移動させられるようになるのが正しいのか。
子供の発達状況にもよるのでしょうが、そもそも子供の発達状況自体がわからないです。日々できることとできないことの揺らぎが激しすぎるので。
みのむしさんへ
うちは発達障害グレーの5歳児がいます。
好きなことに集中しすぎて人の話が耳に入らなくなり、自分の準備が滞ったり、
何かを忘れたり、行動の切り替えが難しかったりといった性質があります。
やるべきことを可視化してわかりやすく、というのは発達障害の子どもへの支援として有用なものだと知っておりまして
(もちろん発達障害でなくてもわかりやすいものですが)
うちでも昨年冬ごろから朝の支度ボードを作りました。
それは「このボード作ってあげたんだからこの通りにやりなさい」ではなく、
「このボードを使ってもいいから自分の準備できるようになろうね」です。
たまにイライラして混同してしまうこと、私自身にもありますが(^^;)
似て非なるものです。
前記は支配、後記は支援です。(私は専門家ではないので個人の認識ですが)
支度ボードを用意することや支度ボード自体にコントロールの性質はなく、
それをどう使うのかによって支配にも支援にもなり得ると思います。
支度ボードという具体的ワードが出たので上のような個人的経験と考えを書きました。
みのむしさんの全体の文章を拝見していると、0か100か、All or Nothingの考えになっているように思えました。
あるべき姿になるように(というと支配っぽい言い方になってしまいますが)
全部をおぜん立てしてあげる、その通りに動くよう指示する、完璧にできるまで指示するのは
過干渉、支配の関りだと思います。
でも、できるのが難しい、困難を抱えているのに全く放置するのが正しいのかというと?です。
コップの例でいえば、大人がコップを移動してあげるのは0~1歳くらいまではしてあげるのと10歳になってもしてあげるのでは意味が違います。後者は完全に過干渉ですね。
「自分で移動させられる」これは2~3歳ごろにはできるのではと思います(特別な事情のある子の場合は除く)
「自分で気が付いて」これがとても難しいですね。
ここに必要なだけの支援をしたらいいのではないでしょうか。
それこそ個別の問題なので、5歳になったらとか小学生までにとか線引きできるものじゃないと思います。
「コップぶつけそうだよ」と言って気づかせてあげる「支援」、
あるいはこぼすという経験をして「あ~こぼしちゃったね、次はどこに置いたらいいかな?」と一緒に考える「支援」をしながら、
「自分で気が付いて自分で移動させられるようになる」になるんだと思います。
昨日はできたことが今日できなかったり、発達状況ってプロでもないのに難しいですよね。
まぁできたりできなかったり、自分でできるのに親にやってと甘えたがったりしながら、
段々できるようになっていくんだと思います。
なので0か100かではなく、目の前の今現在の子どもがどれくらいの支援が必要なのか、
90やって10は自分でやってみよう、調子いいから手伝いは40くらいでいいかな?
おっ、自分でやるって言ってるから今日は100任せてみよう~
みたいな感じでやっていけばいいのではと思います。
子育ても親が完全にやるものではなく、親と子供のものですから、
時には子どもと一緒に考えながら、失敗しながら、失敗しても大丈夫と思いながら、
毎日過ごして、気が付いたら子どもってずいぶん大きくなっているものだと思います。
専門家ではありませんが一意見を述べさせてもらいましたm(_ _)m
子どもが成長してこの方法が使えなくなった時に困るんじゃないか、という予測もしています。
でも、どうやったらいいのかわからないんです。
たとえば、4歳児の帰宅後の手洗い。
・何も言わないと、手洗いせずにリビングに行って遊び始める。
・「帰ったら手を洗おうね。手にはバイキンさんが付いてるから」と話してもリビングに行って遊び始める。
・私が自分から手を洗っても、子どもはリビングにいるので見ていない(行動のお手本を見せられない)。
・「帰ったら手を洗おうね」と洗面所まで付き添って、子どもは嫌がるが一緒に洗う。
・「手にバイキンさん付いてるよ!このままだとリビングの中にもバイキンが入っちゃう!洗わなきゃ!!」(その後洗い終わってバイキンが水に流されるまで実況中継)と言うとおもしろがって洗う。
こういう方法しか思いつきません。
でも、どれも、子どもが「帰宅したら手を洗う」という行動を受け入れて自分から洗うようになるように思えません。
でも、他の方法がわからないので、こういうことを繰り返すしかありません。
子どもによって具体的な適切な対応は違うと思うのですが、ヒントになるようなことを教えてもらえると助かります。
まさにそんな状態かもしれません。
すぐに不機嫌になり、自分で気持ちを落ち着かせることができず、やむを得ず私がどうにかして気持ちがしずまるように対処する。こんなことを繰り返してきたように思います。でも、それ以外にどうしたらよいのかわからなかったです。何かあれば「ママ〜」「あれやって、これやって」「おやつもっと食べたい!」「ママがやって」と、私に何かしてもらえるまでとても頑固に要求してきます。
どうしたらママに依存せず、自分でどうにかできるようになるのか、具体的な言い方、言葉がけのしかたを知りたいです。
いつまでこれが続くのだろう、私がいなくならないとこの子はこのままなのかな、とため息をつきたくなる毎日です。
>みのむしさん
みのむしさんのケースに関しては、個別の状況があるようで一般論の範囲ではなかなか適切な回答にはならないかもしれません。
大人の問題、子供の問題、関わり方の問題、子供のあり方の問題、さまざまなファクターがあり個別にヒアリングをした上でないとなんとも言えません。有料になってしまいますが、もし必要でしたら僕のHPから電話での育児相談をご利用下さい。
>ぷこたんさん、たんぽぽさん
わりと最近も、「まずは規範意識を下げてしまおう」といった内容のものを書いたと思います。いろんなところに散らばっていますが、主に「心の育て方」のカテゴリーにこのテーマ関連のものがあります。
その他では、「依存」で検索するとでてくるでしょう。
例えばですが、「やらせなきゃ」という気持ちが強ければ、この問題はなかなか前に進みません。これは子供の問題というよりも、親の姿勢にネックがあることから現実の子供の姿や関わり方に難しさがでているものです。
人によっては、「やらせなきゃ」と思ってしまう背景に、自身の真面目さや自己肯定の弱さなどのメンタルのあり方が関わっていることもあり、そのようなケースでは「やらせなきゃと思ってしまう自分」を意識させることで、さらに自己否定が募り子育てが難しくなるといった場合もあります。
どこにどんな問題がどの程度であるのかというのは、個別に違ってきます。
いまこの依存のテーマの主要部分をまとめたものをNOTEの有料記事にしようと思っているのですが、なかなかうまく書けずなんども書き直している最中です。
たんぽぽさんのコメントにある
>私がいなくならないとこの子はこのままなのかな、とため息をつきたくなる毎日です
こういった姿は、自己否定の気持ちがうかがわれ、それが間接的に子供の難しい姿の一因になっている可能性もあります。
こういうときは、くつろぐことや、自己実現、ムリをしない、自己犠牲しないといったところにまずは着目する必要があります。
もし、深刻でしたら有料になってしまいますが、僕のHPから育児相談の申込みをして下さい。
良くないことに気づくのも難しいですね
うーん、難しいです!
楽しくできるんならいい気がしてしまいます。そのかげに、おだてて思い通りにさせよう、という意図があるから良くないのでしょうか。
あまりこのようにユーモアで誘導はしていないですが、私も普段からさんざん子供に口出ししていると思います。
あーしようね、こうしてね、朝の支度時にはさぁそろそろコート着ててね、何分になったら出かけようねとか。
歯磨きをいやがるときは、〇〇ちゃんの歯キレイになぁ〜れ!歯磨き大事だよー!よーし綺麗になったね、良くできたね〜!と子供が気持ちよくできるようにテンション上げてます。別にムリは(そんなに)していないつもりですが。
…書いていて、私のはスマートな支配というか過干渉な気がしてきました(−_−;)
とりとめがない感想ですみません。
ユーモア
「子育て支援の不備」、これに尽きるんじゃないかな、と思いました。
みのむしさん
めんどくさいんですよね。
分かります。(なんて気分を害されたらごめなさい)
よい方向に舵をきれますように!
ありがとうございます
5年ほど前からブログを読ませていただいていて、全部の記事は読めていないのですが、依存に関する記事や、規範意識を下げる、というのも読んだように思います。読んでいるときは、うんうん、と納得しながら読んでいるのに、まだ理解が足りないようです。
自分が真面目かとか自己肯定が弱いかというのは、指摘されて初めて気づくというか、自分で判断するのは難しいですね。直接指摘していただけて、ありがたいです。
>私がいなくならないとこの子はこのままなのかな、とため息をつきたくなる毎日です
というのは、子どもが私だけに依存してくるのでそういう表現になっていました。幼稚園などではしっかり者のようですし、夫にもあまり甘えません。私がいるところでは、とても不機嫌なのです。私だけに甘えているようです。自分がいなくなったほうが良いとは全く思っていませんが、毎日こんな状況が続くのかな、と思うと、勘弁して、という気持ちになります。
有料の育児相談、ぜひさせていただきたいと思います。
でも、人と人とのかかわりでユーモアは絶対に必要だと思うんですよね~。
子供向けにキャベツが飛ぶとか小人の話を作りだすのは無理があるけど、子供に限らず楽しく人と関わろうとするのは賛成です。(大阪人だからか?)
昔、ラテン系の人と仕事をしていたとき、気の重いネゴシエーションで嫌な仕事だなぁと思うことがあったのですが、そんなときでもラテンの人はいたって陽気、交渉の相手との関わりを楽しむことを忘れていませんでした。そんな彼らのおかげで私の気持ちもほぐれ、なんだ、そんな大そうなネゴじゃなかったよ、と思うことができました。
子との関わりだって、あなたとお話しするのはとっても楽しいという気持ちで関わったほうが、どんな話をするのであれ、深刻になりすぎずよいと思います。
ありがとうございます!
これまで何度も同じような記事を読んでいてわかったつもりになっていましたが、実際にはなかなか実践できていなかったんだなぁ、と気づきました。
同じ言動でも、「子どもの姿は私が作らなければならない」という意識が根底にあるかどうかで、子どもの受け取り方は全く違ったものになる、ということですよね。
おとーちゃんからアドバイスをもらって記事を読んだ翌日、さっそく「子どもの姿は私が作らなければ」という意識を無しにして子どもに接してみました。
手洗いも、学校の支度も、何もかも。
すると、ちゃーんとやってくれたんです!!
手洗いは「あ、まだだった」。
学校の支度のやり忘れは「もー、めんどくさいなぁ!」と言いながら。
ほかにもいろいろ。
「やらなくちゃいけないかどうか」は、子どもたちはちゃんとわかってたんですね(知ってましたが)。
「やりなさい」という「指示」に反発していただけ。
自我が強いという見方もできるかもしれません。
「ちゃんとやってくれない!」と思っていましたが、私の接し方が子どもたちを抑えつけていただけなんだな、と思いました。
「子どもの姿は私が作らなければ」という意識はもう癖になっていると思うので一気に払拭するのは難しいですが、こまめに記事を読んで忘れないようにしようと思います。
ありがとうございました!!
初めて手洗いで並んでくれました!
そしたら、素直に洗ってくれるようになったのですが、昨日はさらに進んで、手洗いのために洗面所に並んでくれました!!
こんなこと、生まれて初めてです。
昨日は次男が先に洗っていて、長男は一度リビングに行ったのですが、声を掛けなくてもすぐに戻ってきて、私とおしゃべりしながら次男の後ろに並んで順番を待ちました。
これまでは次男を押しのけて先に洗って兄弟喧嘩になったり、リビングから戻ってこなかったりでした。
私のこれまでの「洗わせないと!」という意識は、本当に子どもたちの邪魔になっていたんですね。
そして、私は子どもたちの成長を信じているつもりでしたが、本当には信じていなかったということに気づきました。
信じていたら、子どもが手を洗っていなかったときに怒りは湧いてこないはず。
信じていたら、「洗わないといけないことはわかってるはず。だから、ちゃんと洗うはず。なのに洗ってないなんて、どうしたのかな?」と思うんじゃないかな、と思いました。
ちゃんと信じていこうと思います。
ぷこたんさんにお聞きしたいです
うちの子どもはなかなかやってくれません。
なので、いつも口出ししたり急かします。
待っていても子どもがやらないと激怒してしまうこともあります。。
やらせなきゃってゆう気持ちを無にして
子どもがやらなかった場合どんな言葉をかけますか?また、子どもがやるまで待つのですか?
みなみさん
まだ読んでもらえるでしょうか?
私の場合は、帰宅後の手洗いは、ルールとして「帰ってきたら手を洗う」と決めています。
子どもたちもそれは理解しています。
そして、「手、洗った〜??」と聞いて「まだ〜」と返事をしたのになかなか手を洗わないときは、「帰ったら手を洗うのはルールだよ」と言います。
その時、「子どもに手を洗わせなければ」とは考えません。
ルールは守る。
洗うことになっているのだから洗う。
それだけです。
「帰ったら洗うんでしょ?」と、「やらせる」ためにではなく、「ルールの確認」のために言います。
それで洗えばそれでOK。
7歳の上の子はこれでたいてい洗ってくれます。
でも4歳の下の子は、そう言うだけじゃ洗わないことが多いんですよね〜^^;
そういうときは、「一緒に洗おう」とか「お母さんが洗ってあげるから」とか。
子どもをコントロールするためではなく、「手を洗う」ということに対する子どもの気持ちのハードルを下げるために、支援としての位置からそう言います。
それでもダメなときは、「じゃあもうお母さんが洗っちゃうね」と実力行使。抱っこで連れて行って洗います。
でも、抱っこで連れて行こうとすると「やだ〜!!」と嫌がって気持ちを切り替え、しぶしぶ自分から洗ってくれます(私の付き添いは必須・笑)。
同じ言い方でもこちらの気持ち次第ではコントロールになってしまうので、私の「気持ち」が大事なんだろうと思います。
まだまだ意識しないとできないことも多いので、「帰宅後の手洗い」だけは気をつけて意識するようにしています。
普段からいつでもできるようになると、自分がイライラすることも、子どもたちを叱ることも減るんだろうと思ってます。
ぷこたんさんお返事ありがとうございます。
大人の気持ちの持ちようですね。
やらせなきゃの自分の気持ちを抑えるの難しそうですが、やってみたいと思います。
いつの時間にもこちらが指示したことをすぐやらない時にはイライラしてしまう私ですが。
支援という言葉すごくわかりやすかったです。
支援の立場から子どもに伝えようと思います。
そしてうちの子も4才なので、ぷこたんさんのように一緒になって付き合ってあげていいんだと思えました。
ありがとうございました。
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保育士をしている者ですが、
自分の子特に第一子に対しては
ちゃんと育てなくては、そして不安で
検診で教えてもらったことや、プリントに書いてあること、ネットでみたものは
子育てで大事そうなものは信じ
うまくいかない時は自己嫌悪に陥ったり、自分の子はなぜ。。と理想通りにいかないことに焦りを感じました。
本当にネットとか見ていいこと聞いた!プラスに捉えてたつもりなのにそれがいつの間にか自分がしなければならないノルマ
やらなくてはいけないもの!と捉え苦しくなって一生懸命やれば成果が出る!
こんなに一生懸命子どものためにやっているのだから、すごく立派な子になるだろう!と思っていました!!
2才頃までは運動発達や言葉など本当に早く天才か!と思ったのですが
おとーちゃんが大事だという甘えられる子には育っていなくて
2才頃から子育てつまづいてしまいました。
子どもがネガティブな行動ばかりして
叱りつけてしまい、ずっと悪循環に陥ってました。
幼稚園に入ってからは、娘の自信のなさがすごく目立ち、色々できることもあるのに
自信がなく自分をもっていない感じでいました。
でも、ありがたいことにおとーちゃんのブログに出会うことができて、娘と私の関係もなんとかいい方向になってきました。
自分もうまく育てられた身でないので
自然といい関わりを子どもにしてあげれなくて、何度も保育士おとーちゃんのブログでおとーちゃんが言ってたことはこれか!と私もちょっとずつ本当の意味をわかってきました。
自信のない娘にいつも叱りとばしてイライラしてしまう私何度反省しても毎日
どこかの時間でイライラしてしまいます。
でも、今日は心に決めて、
くすぐりとイライラしたときには
おとーちゃん流のおしおき!!をすると心に決めて過ごしました!
そしたら、娘も本当に落ち着いた1日で
下の子にも優しくできるし
何よりも今まで見たことないような笑顔で笑って
『ママが大好きママが大好き』と何度も言ってくれました。本当に嬉しかったです。
本当におとーちゃんのブログに出会えてなかったら、子どもの暗い顔ばかりしか見ることできなかったんじゃないかと思います。
自分に嘘をついてでも、子どもに一生懸命関わっていけば立派な子どもに育つと思っていました。今は立派な子に育てようなんて思わなくなりました。
子どもが私といい関係の中過ごしていったら、自然とこの子にはいい人生が待っている
と思え、私がこの子のためにいい形をつくるのでなく見守るとゆう気持ちでいられるようになりました。