支配と保育 vol.2 - 2019.03.03 Sun
タイトルにもあるように、これは保育向けの内容になっています。
保育における子供の支配は、それをする人の持つ承認欲求の問題と関連がある場合があります。
その人自身が過去に支配を受け、その中で自己肯定ができにくい気持ちを形成されていると、自己の承認への強い欲求が生まれます。
もし、その人が働いた保育の現場で支配の保育が行われていると、その人のそういった性向と一致し、より支配的関わりが強まってしまいかねません。
(そうでなくとも、自身の生真面目な性格、園や上司の意向、同僚からの評価的する視線、そういったものから自身が他者からどう見られるかが気になり、それが強迫的に働いていつのまにか子供への支配的な関わりが多くなってしまうこともあります)
子供に対してのみならず、周囲の大人にもモラハラをするような強い支配的な傾向をもっているのでなければ、この承認欲求の問題をムリのない形で保育の中で自己実現できる手段を持たせていけば、これを改善していける場合もあります。
vol.1のところで、「承認欲求の付け替え」と僕が呼んだことです。
◆支配と承認欲求の落とし穴
まずこれまでの保育界で、承認欲求の対象となりやすかったところを挙げておきます。
・立派な行事
・子供の集団行動
・大人の設定する活動に従わせること
・きまり、ルール、マナー
・子供の作る作品
・壁面装飾など保育者が作る作品
こういったところは、保育者が保育の中で無意識に承認欲求を求めやすいところです。
例えば、子供の姿の大変さについて悩んでいる保育をしているところには、しばしば意味のないルールや形骸化した行動をやたらと子供に要求している場合があります。
戸外に行くために、片付けさせ、全員でトイレに行かせ、トイレの前で座って待つ場所が決められておりそこに並ばされ、靴下をはくために所定の位置に座らせ全員がはけるまで待たせ、玄関に行き靴をはくのに並ばせ、はいた子は玄関の外の所定の場所で待たせ・・・・・・。
なかには意味のあるものもあるかもしれませんが、配慮が無自覚であるといつの間にか形骸化した無意味な行動を子供に求め、子供はその管理されるストレスからより逸脱した行動が増えという悪循環ともなりかねません。
ここには保育者のマッチポンプがあります。
子供を自分の思った通りに動かしたいという欲求に無自覚なために、それを正当な保育であるという立場で子供に課し、その負荷を自分たちがかけていることに気づかないまま、子供が落ち着きがない、言うことを聞かないという見解になり、それゆえにルールや管理の関わりをより強めていくというものです。
支配の関わりには、そういったマッチポンプを生む側面があります。
例えば、子供を怒鳴って大きな声で指示することが当たり前になっていると、そこの子供たちは「怒鳴られなければ動かない子」になってしまいます。
その保育をしている人たちからすれば、怒鳴ることが「正当なことである」と認識を持ってしまいますが、実のところその支配の関わりが支配を強めなければならない子供を作り出しています。
このことは、威圧的な関わりや体罰擁護の意見でしばしば見られる、「そうしなければ子供が言うことを聞かない」という見方の構造と同様のものです。
もし、最初からその施設の全職員で支配の関わりをしなければ、そもそも支配の関わりが必要ないのです。
保育の方向を示す厚労省が出している『保育所保育指針』には、子供を上手に支配することを意味する箇所はひとつもありません。
その代わりに、繰り返し述べているのが、「信頼関係」です。
信頼関係の構築により子供が大人の要求や望む姿の方へと自発的に成長していけるという、保育の基礎中の基礎を理解する必要があります。
◆支配することによる承認欲求をどこに付け替える?
さて、ではここからが今日の本題です。
子供を思い通りに動かすことや、様々なきまりを課してそれを守らせるなどの支配的な関わりにより承認欲求を得ていたところから、別のところで承認欲求が得られるようになれば、そういった支配におちいることを避けやすくなります。
従来の保育界では、それを精神性や感情論で担保してこようとしていました。
「子供に愛情を持って」
「子供を大切に」
こういった感情論で担保できるレベルならばそれでいいのかもしれませんが、いまだにたくさんの支配の保育が当たり前にある現状を考えれば、こういった感情論が何ほどの役にも立っていないことは明らかな事実です。
むしろ、こういった感情論が職員へのモラハラに使われる現実まであることを考えれば、専門性のある仕事に感情論を持ち込むことの弊害がわかろうというものです。
僕が提案したいのは、この承認欲求の問題を明確な保育スキルによって満たすことです。
支配の保育の構造を見てみますと、
1,規範または要求の設定
2,子供にそれを求める
3,それに当てはまらない子への、注意などの否定的対応
4,さらなる適合を求める支配的アプローチ
5,子供から保育者への信頼関係の低下
1,の子供に求める内容が過剰であることも多いです。その場合はそれ自体の見直しが必要です。(例:3歳児にお箸を要求する)
とりあえずここではそれは適正なものであることを前提として話を進めます。
この構造だと、3,のところで否定的アプローチ(注意、叱る、怒る、不機嫌さを醸し出す、小言、繰り返しの干渉)が行われるわけですが、こうなってしまうのは「しつけ」で考える子育ての問題点を保育者が無自覚に踏襲してしまっている行動です。
ここに、保育の専門家としての役割を今一度思い出してもらいたいと思います。
保育者は子供の健全な成長の援助者としてあります。
援助者として保育者の取りうる態度は、ここで安易な否定の関わりをすることではありません。
「援助の視点」でその子を見ます。
保育者には、その客観的な視点と姿勢が必要です。
「援助の視点」とは、その子供の行動を「どうしてかな?」と見ることです。
例えば、他児に乱暴な子がいた場合、その子のその行動を「直そう」とか「注意しなければ」と真っ先に考えてしまうのではなく、どうしてその子はそういった行動がでるのだろう?と原因を探る視点に立ちます。
そこからなんらかの原因とおぼしきものが見えてきたら、それを解決する方向でアプローチします。
そのアプローチは子供の発達の順序を理解していくと、なにが必要かが見えてきます。
ここではその具体的な関わりの詳細は省きますが、基本的なところでは子供の心の発達のメカニズムを追うといいでしょう。
愛着形成、受容の関わり、信頼関係の形成、依存と自立、自己肯定、意欲、自尊感情、社会性の発達など。
そういった視点に立って、保育者がその子に不足しているものを保育の中で配慮を持って意図的に施していきます。
ここには専門家として、因果関係を踏まえたアプローチがあるわけです。
このアプローチにより、改善していくこともあればそうでないこともあるでしょう。
そうでないときがあってもいいのです。
それを保育日誌やその他のドキュメントに記録として蓄積していきます。
こうした、成功や失敗の蓄積により、保育のスキルが向上していきます。
保育者が失敗をおそれると(責めたり否定していると)向上もなくなってしまうので、うまくいかない結果を恐れる必要はありません。
こういったスキルが向上するにつれて、意図的な配慮で子供の姿を安定させていけるということが実感的に身についていきます。
それまで支配の保育をしていた場合、そういった保育における自己実現が、「子供を思い通りに動かすこと」や「立派な行動(行事、集団行動、作品)を子供にさせること」に集約されていました。
それを、自分たち保育者の配慮とアプローチにより子供の本質的な成長を援助し、もたらせることへと付け替えを行います。
ここをその施設の保育者の多数が実践の上で理解できることで、園全体の保育が安定化します。(自分たちの仕事の可視化)
これを僕は「保育のチカラ」と呼んでいます。
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● COMMENT ●
適切な要求の設定ですが
支配
その子が保育室のカーペットの敷き方が違っているとちがうー!と怒るから、特に敷き方に意図があるわけでもないので「違っていたら嫌なんだね」と直す。そんな話を同じ2歳担当保育者にしていたら、そうやって担任に言う事聞いてもらえる時とそうじゃない時の違いがわからなくてワガママ言うんじゃない?子供の言う事は全部聞かないという事に私はしてるよ。その方が、子供が落ち着くよ。とアドバイスされました。
なんだかもっともらしいけれども、ようは先生の言う事は絶対だから子供の意見は聞かないということな気がします。
支配した方が楽でしょうからね。
こだわりの強い彼もどうしても自分の思い通りにならないときもあると日々学んでいます。そしてどうにもならない時は、切り替えも上手になってきました。
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適切な要求の設定をすればよいのか迷っています。
文字に興味がなく読み書きはまだまだですが
数字が好きで1桁の足し算引き算が出来る5歳の子供に
時計を読んだり時間を把握するのは難しいのでしょうか?
デジタル時計の方がよさそうな気はしていますが
子供は個人差もあるので難しいです…