「先生」という一人称の違和感 - 2019.03.18 Mon
自身のこと。それと職名として「先生」と、無頓着に言っている人が学校教員にとても多いこと。
別に揶揄していっているのでも、そこに悪意があると思っているわけではないのだけど、純粋に驚いた。
なんとなく慣習的に生徒に対して一人称を「先生」という人がいるのはわかる。
また、映画やドラマなどの影響、職場の慣習的なものとしてそのような言葉遣いがあるのもわからないではない。
でも、広く一般に向けて発言できる場で文字として書くときまでそのように無頓着に使う人がたくさんいることに驚かされた。
問題意識や現代的な感覚を持って、よいことを言っている教員の中にもそういう人が少なくなかった。ここにも驚き。
それがなに?と思う人がいるかもしれないけれど、悪意がないにしても、このことに自覚的にならないと学校を取り巻くさまざまな問題は解決しないと思う。
いま話題になっている、天然パーマや髪色に関して「地毛証明書」などを出させるようなケースもそのひとつ。
なぜかというと、これは人権を考える上でとても重要だから。
例えば、
自身の一人称を「先生」と言い、生徒を「お前」「お前ら」と呼ぶ教員がいたとする。
これは、自身を上にいるものとし、生徒を下にいるもの、低いものと見なしていることになる。
悪意がないとしても、そういった人権感覚の乏しさはさまざまな問題の温床となる。
現実の教員方にしても、生徒に対して「お前ら」などとは言っていないと主張するかもしれない。
でも、自分の一人称を「先生」と無頓着に言えている時点で、そこにはさして説得力はない。
学校で子供たちを男女関わらず、「○○さん」と呼ぶようになって久しい。
これは、子供の人権に配慮した結果、そういった呼び方をすることになった経緯がある。
この時点で、自身の一人称に関してももう少し考えをめぐらせる必要があっただろう。
また、職名としては、教諭、教員、教師などであり、いくら慣習として教員のことを「先生」と呼ぶにはしても、それは同時に敬称であり、自らの職名を「先生です」というのも、自分の名前に「私は○○様です」というのと同じ違和感を感じるはずだ。一般的に、自身に敬称をつけて呼ぶことは考えられない。
◆学校問題は人権問題
社会的に注目されている学校の問題の多くは、人権に関することである。
いじめ、いじめの隠蔽、体罰、部活強制入部、部活における不適切行為、教育を受ける権利、性差の問題、ジェンダーの問題、など
(例えば、上履きの色や、ランドセルの色を男子、女子で決めつけていたことの解消などがその動きの結果のひとつ)
もっと言えば、仕事としての教員の諸問題も、教員の人権問題である。
労働問題、部活顧問問題、職場におけるモラハラ、など
たかが慣習的な一人称や、職名としての呼び方と思う人がいるかもしれないが、教員が人権について問題意識が低いということは、これら学校における人権にまつわる諸問題が改善され得ないことを示唆している。
子供の問題然り、教員自身の労働環境の問題然り。
◆保育界における呼称の認識
保育士にも同様の問題があった。
いまでも、自身のことを「先生」という一人称で呼ぶ文化がないわけではない。そこに無頓着な人も少なくない。
それでも、すでに数十年前から保育の研鑽の中で「子供の人権」というテーマと真剣に向き合うムーブメントを持ったおかげで、少しずつだがそれが変わってきている。
保育の先人や、保育研究者らが、子供と保育者の人間関係・人権を考えたとき、自身のことを「私」と言うのがむしろ自然なことなのではないかという指摘をしてきた。
全員がその知見を持っているわけではないが、保育界には一部なりともそういった人権感覚が確固としてある。
学校にもそういった人がいないわけではないだろうが、全体に比して少数派なのを感じる。
もちろん、これは「私は自分のことを先生とは言っていません!」と主張して問題解決になることではない。そういった意見は、承認欲求の裏返しでしかないので、プロフェッショナルの教員方の口からそういう弁解めいたお話は聴きたくない。
私は間違っていないというレベルの論ではなくて、問題提起として業界の議論に発展させて欲しいと思う。
子供の人権に真正面から取り組むことが、ひいては将来において教員にとっても働きやすい職場となることに必ずやつながるだろう。
コメントを見て追記(3月21日)
ちなみに、「先生」と呼ばれる職業のひとつに弁護士がありますが、その方達は一人称を「小職」と呼称しています。
また、世間一般では、自分の勤める会社のことを「弊社」「小社」などと呼びます。また、自身の上司などを外向きには、「我が社の○○(名字)が」と敬称抜きに話します。
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● COMMENT ●
はじめまして
教育現場ではもうひとつ、「教師」か「教員」か論争というのもあります。採用当初から人権に関する研修を受けてきた世代は、自分に「師」という尊大な呼称はおかしいと教わり「員」を使う人が多いです。一方で、採用されたら誰でも「教員」にはなれるが、そこからの努力で人から尊敬を得られるような「教師」になるべし、という考え方もあり、そうあらねばならないという自分への戒め?として指導案等に敢えて「教師」と書く人もいます。
ただし、それぞれのスタイルなので、お互いそこは指摘しないです。なんとなく相手のスタンスを垣間見る気はしますが、そこで議論は巻き起こらないです・・・。というか、教えられて「教員」を使っているからといって人権を強く意識している訳ではないし、「教師」の人が人権感覚に乏しいとも限らないです。
対子供では、私は特別支援教育で低学年を主にみているので、意図的に「先生のところに来てね」等と言います。理由は、子供にとって分かりやすいからです。保護者は「先生に言うのよ」のように子供に語りかけますから、呼び名が同じ方がいい子が多いです。困った時助けてくれる大人を総称して「せんせい」です。小さい子達はみんな基本的に自分の先生を信頼してくれてるみたいです。だから、例えば校外学習で訪れた「青年の家」の管理人さんも「先生」と説明すれば、信じていいだろうと安心してくれます。
子供の呼び名も、社会に出るまでにできれば苗字+さんで自分が呼ばれたと認識できるように育てたいと思っていますが、低学年では家庭と同じ「◯◯ちゃん」も多く使います。理由は、まずは自分が呼ばれたと認識してほしいからです。
保育士さんも同じ意図で「先生は」と言い、「◯◯ちゃん」と言いませんか?
小さいうちはいいと思うのですが、無自覚に中学生にまで「先生が」は確かにおかしいし、子供の発達に合わせて変えたらいいのかもしれませんね。「何で先生は私って言うの?」と聞かれた時こそが、人権教育のチャンスかもしれません。
あと「先生」というのは「僕」や「私」と違って複数名詞であることも大切です。
個人がずっと続けるわけではなく、組織として毎年担任が変わりながら保育や教育は続けていきます。
担任が変わろうと、その人は同じ「先生」であり前年度担任から引き継いで子どもたちの「先生」であり続けるのですから一人称でその様に使うのは違和感を感じません。
ただし、子どもを相手にして一人の人間としてきちんとした話し方をしているか、対応をしているかは人権を考える上でとても重要な事なので考えていかねばならないと思います。
先生はと言う方とお母さんはと言う言い方
先生は、、
と、話す言い方、昔テレビドラマでアメリカでは私と言うって聞いてから、気にするようになりました。
先生は、、と言われると、尊敬しなきゃ、、とか無意識に思って、その先生と意見合わないと、先生全てがその意見な気がして自分が悪いような気がしたりするかもしれません。
それと同じように、子どもに対して
お母さんは
と言うと、これも、お母さんの言う事を聞かなきゃと子どもは思うかもしれない、、とおもいました。と同時に、お母さんと言う言葉に縛られている自分も。お母さんの言うことは、私であり、うまく言えないんだけど、個人がやっていることだから、間違うこともある。だから、私は、年中さんになってから子どもに何か話す時は、私はこう思うと話すようにしています。私の意見であって、全てのお母さんの意見じゃない、、というか。
そう思うと、私と娘が意見が違うのも別の人間と言うか。当たり前というか。
どう思われるでしょうか?
子ども観
子ども観の違いに気づいていないと、相手とのやりとりも平行線なんだな、と最近やっと気づきましたよ〜。
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0歳3ヶ月の娘を子育て中の母です。
白木の積み木について検索していてこちらのブログにたどり着き、2ヶ月かけてやっと全記事とコメントを読み終えました!
両親はあまり愛情表現をしないタイプだったので自己肯定感がとても低いまま育ちました。
今は理解ある夫のお陰でありのままの自分でもいいと思えるようになりましたが、思春期〜20代は「素の自分を受け入れてくれる場所はこの世界のどこにもない」という思いが強くとても苦しかったです。
ネントレ、おしゃぶり、早めの断乳、早期教育…
巷には「親にとって効率の良い育児」「親にとって魅力的な育児グッズ」の情報ばかり溢れていて混乱していましたが、迷走する前におとーちゃんのブログに出会えて本当に幸運でした。
今はこれからの子育てがとても楽しみです。
娘がかわいい子になれるよう、たくさん可愛がりたいと思います。
これからもブログを楽しみにしています。